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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
325/443

第233:愚直の王

 複数の足音が廊下に響いた。中央に特に身体の大きな男がいる。体格に反し、地面を蹴る音量は他と比べて小さい。理由は彼の職業にあった。軍人である。正確には元軍人と言うべきだが、彼自身はいまだ、その心を捨ててはいない。


 軍人の中には、ことさら武威を示さんと粗暴に振舞う者も多いが、そのような者は所詮は小物だ。事実、彼を取り巻く者達も軍人であるが、その足音は遥かに大きい。むしろ、意図的に大きな音を立てているようですらある。弱い犬ほどよく吼える。という言葉通りだ。真の’職人’として優れた軍人は、身のこなしが静かなものである。


 だが、それでも彼にしては、いつもより足音が大きい。身のこなしを司る無意識の部分は健在だが、意識の部分で他に気を取られていた。


 ルキノ・グランドーニである。


 義父に人を借り、グラノダロス皇国副帝アルベルド・エルナディスとの交渉を続けて来た。途中、サルヴァ王子のランリエル皇帝即位など、政治的激震もあり交渉の中断もあったが、遂に今日の段取りを整えたのだ。


 だが、ルキノの心の乱れは、その足取りに現れている。敬愛するサルヴァ王子が皇帝となった。もし、今、王子の傍にいれば、自分は感慨に頬を濡らしただろう。現実の彼が、その報を聞いた時、まず感じたのは目の前にかざした己の指先すら見えぬ暗闇に放り込まれたような孤独感であった。


 その瞬間、愛する妻すら頭から消えた。なぜ、自分はランリエルに居ないのか。なぜ、サルヴァ王子の横に自分は居ないのか。自らが仕える主君が皇帝となる。しかも、父の後を継ぐのではない。王子から皇帝。そのような者が歴史上にも幾人いるのか。歴史家ならば、全ての名前を挙げられるほど、その数は少ないのではないのか。


 その瞬間に自分はランリエルに居ない。それどころか名前すら偽り異国に居る。まさに、ランリエルから拒絶され、異界に放り込まれたかのような孤独感がルキノを襲った。しかも、その衝撃が冷めやらぬまま副帝アルベルドとの会談。ルキノとて、幾多の戦場を駆け巡って来た勇者だが、その彼にして嵐のように心は乱れた。


 義父。ベルトラム・シュレンドルフからは、アルベルド陛下は曲者。それ故に小細工は不要。愚直で当たれ。と助言された。この場合の愚直とは、馬鹿正直になれというのではない。馬鹿正直を演じろという事だ。


 真の目的は、グラノダロス皇国の軍勢を誘き寄せ、ランリエルと共に討つ。それを隠し、己自身すら騙す。皇国とゴルシュタットが組みランリエルを倒す。そうすれば、皇国はランリエルの力を削げ、我らはケルディラを手を入れられる。それを、心から信じ、だからこそ共にランリエルを倒そうとアルベルド陛下に訴えるのだ。


 軍人として精神も鍛えられたルキノだ。少し前ならば、意思の力で己自身を騙しきる事も難しくはなかった。だが、今の彼は、ランリエルから拒絶されたと感じ、だからこそ、演技でもランリエルと敵対するのに躊躇いがある。


 しかし、やり抜かなくてはならない。理性で考えれば、今回アルベルドと会談し、その軍勢を釣り出すのも結局はランリエルの為になる。それは分かってはいるのだ。心が乱れるのはあくまでも感情の産物。それを数え切れぬほど何度も己に言い聞かせた。


「こちらで御座います」


 不意に、先頭を歩いていた男が足を止めた。思案に意識を取られていたルキノだが、瞬時に意識を現実に引き戻し、男にぶつかる事無く足を止めた。


 今回の会談は公式なものではない。場所もグラノダロス皇国の宮ではなくアルベルドの屋敷である。その為、会談と言っても居間に通されると予測していたのだが、その予測は外れ、開かれた扉の先には、ルキノを取り囲んでいた一団が入り切れない程の小さな部屋だ。しかも、屋敷の主であるアルベルドは、まだ到着していないらしく姿が見えない。


 しかも

「こちらへ」

 と示された椅子は、小さな卓を挟んで部屋の奥側。かなり異例な状況である。ちなみに、ルキノとて一国の王として、それなりの随員、警護の騎士を率いて来ていたが、極秘という事でその人数も少なく、しかも、それらは全て屋敷の外に待たせた。


 小さな部屋に1人残されたルキノは、その居心地の悪さを次の瞬間には忘れた。再度、サルヴァ王子の事、アルベルドの事、これからの会談についての思案に没頭した。その意味では、この待遇も、ある意味ありがたい。アルベルドに語る戦略を反芻した。


 まずリンブルクがランリエルとの同盟を宣言し、軍勢を動員してデル・レイを攻める。その後、ランリエルも後に続きデル・レイに大軍を派遣したところで、ゴルシュタット軍がその退路を断つ。退路を断たれたランリエル軍は浮き足立ち皇国軍との決戦に敗北。逃げ場を失ったランリエル軍は多くの損害を出し壊滅。カルデイ、バルバールらランリエルに従っていた国々も離反し再起不能となるだろう。


 皇国、ゴルシュタット双方に利益があり、十分説得力のある話だ。ゴルシュタットがランリエルと組む必要がなく、この通りにすれば良さそうなもの。そうとすら思える。


 それがなぜ、皇国を欺きランリエルと手を組むかと言えば、皇国はあくまでも皇国。だからだと、義父であるベルトラムはルキノに語った。


「皇国は、己以外の強国を認めようとはせぬ。ランリエルの台頭を見た、今後はなお更だ。当初、所詮は東方の辺境での事とランリエルによる東方三国の統一を放置した。その結果、今では皇国に匹敵する大国にまで成長した。ランリエルが崩壊した後、一度は我らと手を組んだ皇国が、我らの成長を快く思わず討伐の軍を起こす可能性は高い。今は我らと手を組むにしても、所詮、皇国は皇国。自分達と我らを同格の同盟相手と見るなどありえぬわ」


 確かにそうだろう。ならばこそ、ランリエルと組み皇国を討つ。それで皇国が滅亡するとはベルトラムも考えてはいないが、皇国の勢力が後退しランリエルが伸び、真の意味で匹敵する勢力となれば、その間に位置するゴルシュタットは安泰となる。


 ルキノは、そこまで義父の言葉を思い出した後、意図的に後半部分を頭から消した。とにかく今は、皇国と組み、ランリエルを討つ。それを自分自身に信じ込ませる。本心からそれを語るのだ。


 言葉の端に、少しでもランリエルと組む、組んでいると意識した言葉を載せないように徹底的に頭に叩き込む。


 それを数度繰り返したころ、扉の外からアルベルド来訪を告げられ、扉が開け放たれた。


 入って来た男は金髪碧眼の中々の美男子だが、それよりも印象が深いのは、引き込まれるようなその笑み。親しげに目を細め口元が笑みを作る。近づいてくるその歩みも、如何にも抑えきれぬというように僅かにせわしない。


「ラルフ王。よく来てくれた」

 と、ルキノの手を包むアルベルドの手は暖かかった。それが、心が解け合うと錯覚するほどに心地良い。


 本来、アルベルドは体温が低く手も冷たいのだが、扉の外で松明に手をかざし温めていた事までルキノが知れば、そこまでするものかと驚愕するだろう。人間関係は第一印象が重要というが、アルベルドは、心を掴む達人なのだ。


「それで、我が皇国と同盟を組みたいという事だが」

 とアルベルドが切り出す。


 各国の首脳が会談する場合、その事前調整でほとんど内容が決まっている事も多い。今回はルキノがアルベルドを説得するという形になるが、これは異例である。しかしそれでも、どのような件についてかは事前に知らされている。要件は会った時に伝えるので、とにかく会わせて下さい。などというものが通用する余地はないのだ。


 ルキノは武装解除されず剣を帯びているが、実際、アルベルドに切りかかろうとしても、この狭い部屋ではその長い剣を振り回す事は出来ない。しかも、ルキノが部屋の奥に座り、アルベルドが扉側だ。もし、ルキノが剣を抜き放っても、その瞬間、アルベルドは2人を隔てる卓を蹴倒し、その隙に扉から脱出するのは容易である。次の瞬間には扉の外にいる騎士達が部屋に殺到し、ルキノは複数の剣に突き殺されるだろう。


「こちらとしては、条件によるとしか言いようがないな」

 アルベルドが笑みを浮かべ言い切った。


 確かに当然の話だ。しかし、その、当然を包み隠さず正面から投げかける者は稀だ。ベルトラムから愚直で望めと助言されたルキノだが、その愚直の先制攻撃を受けた。


 しかも、言葉自体は冷たいようだが、浮かべる笑みがその冷たさを消し、それどころか、同盟という言葉を使いゴルシュタットを尊重している事も表している。今までの皇国の他国への対応を考えれば、皇国への’従属’という言葉を使っても不思議ではないのだ。


 曲者でない賢王などいるものか。ルキノも、義父ベルトラムからその言葉を聞いていなければ、瞬く間にアルベルドに心酔していただろう。だが、何とか踏み止まったとはいえ、アルベルドの第一印象が良い事には変わらない。敬愛する主君、サルヴァ王子の宿敵と言われているとしてもだ。それに、ルキノの中にある純朴な騎士としての心は、主君の宿敵には、下らぬ男ではなく、優れた人物であって欲しいという願望もあった。


「尤もな話です。まず、我らはケルディラ一国。それを望んでおります」


 アルベルドに視線を向け言った。アルベルドは笑みを浮かべ、その視線を受け止める。


「なるほど。一国を所望と仰るか」


 そこで言葉を切ったが、口調と視線で先を促す。


「勿論、こちらも、それに見合うだけの協力を約束いたします」

「それは?」

「ランリエル体制の崩壊です」


 笑みを浮かべたままアルベルドの目が光った。義父から言われていなければ気付かぬほどの異変。だが、その輝きに、ルキノは義父の正しさを確信した。ランリエル体制が崩壊するという事は、必ずやどこかで少なくない人命が失われるはず、人が死ぬのを喜ぶ聖人は居ない。


「実は、我らはランリエルから同盟の誘いを受けております。無論、それは共に皇国に対抗しようというものです」

「なるほど。それを逆手に取ろうという事か」

「は」


 ルキノが短く答え頷く。アルベルドは相変わらず笑みを浮かべたままだ。その笑みに不思議な威圧を受けた。その笑みが浮かんでいる間は、こちらが語る内容など、彼に取っては全てお見通しなのではないか。その不安が浮かぶ。


「まず、我がリンブルクが、ランリエルとの同盟の一枝と唱えデル・レイに侵攻します。それをデル・レイの軍勢が支え膠着状態となったところに、ランリエルに増援を求めます。そしてランリエルの軍勢がやってくれば、ゴルシュタットの軍勢でランリエルの退路を断つのです。その時には皇国の軍勢もデル・レイに到着しているでしょう。退路を断たれ袋の鼠となったランリエルの軍勢を討つは易き事」

「そして、軍事力に大打撃を受け勢力の減退したランリエルから、支配下の国々も離反する。というのだな」


「はい。その通りです」

「しかし、万一、ランリエルがリンブルクの軍勢を見捨てれば、どうなされるのか」


 アルベルドは、笑みを浮かべたままだ。


「すでにランリエルの国力は皇国に匹敵するなどという者も世間では居ますが、現実は、まだ皇国とランリエルの国力には大きな差があります。その状況でリンブルク、ひいてはゴルシュタットを見捨て敵に回す事はランリエルには出来ません」

「それは、そうであろうな」


 アルベルドの笑みはまだ消えない。その笑みのまま言った。


「差し詰め、ランリエルには、皇国の軍勢こそを釣りだし、その背後をゴルシュタット軍で突く。そう説明するというところか」


 ルキノが絶句し、更にアルベルドが言う。

「ゴルシュタットがランリエル、皇国のどちらの背後を突くか。選択はゴルシュタットの胸先三寸。出来た話だな」


 総合力では、アルベルドはサルヴァ王子に匹敵する人物。義父ベルトラムなどもそう評しているが、軍略だけに限れば、アルベルドはサルヴァ王子に及ばない。とも言った。しかし、例え差があるにしても、その差は僅かなのではないか。少なくとも、ルキノから見れば、その差が読み取れぬほどにはだ。


 尤も、今、アルベルドが語った内容は純粋な軍略ではなく、政略に片足を突っ込んでいるともいえるのだが。


「君達は、皇国、ランリエルの命運を握る第三勢力。それは、誰よりも君達自身が分かっていよう。その上でこちらの手を掴もうというならば、こちらも相応の確証が欲しいと望むは無理からぬと思われぬか」

「い、いえ。当然で御座います」


 他に答えようがなく、追い詰められたルキノは必要以上に丁寧に答えた。


 完全にアルベルドが主導権を握っている。ルキノの背を冷たい汗が流れるが、頭の片隅に、この状況は当然だ。という考えも浮かぶ。やはり、政略に置いて自分は義父やアルベルドには及ばぬ。それは初めから分かっていた。ならば、予定通りの状況とも言える。


 現実に、このアルベルド、そしてサルヴァ王子。更にディアスをも加え、この大陸の最高水準の傑物達の足元をすくったのが、彼らと比べ、確実に1段劣ると思われるシャルル・ブランとリュシアン・リュシェールだという事実もある。


 能力に勝る者が、勝つとは限らない。


「我らがランリエルに付けば、恐れながら皇国との戦いに勝てるかも知れません。ですが、ランリエルに勝たせたとて、我らに何の益がありましょうか。ケルディラの併呑を望むコスティラの手前。ランリエルがケルディラ全土を我らに与えるとは思えず、精々が今、我らが確保するケルディラの3分の1。そして皇国に負ければ滅亡する。労多く益は少ない」

「しかし、もし我が方に肩入れし、万一ランリエルに負ければ滅亡なのは同じなのではないか」


「それは、アルベルド陛下のご本心とは思えません。皇国とランリエルとでは地盤が違います。ここ数年で寄せ集めたランリエル支配下の国々と、数百年の歴史を持ち、成り立ちからして血を分けた親子の関係である皇国と衛星国家群。ランリエルが負ければその体制は崩壊しますが、皇国が負けたとて、それはただ1敗したに過ぎません。軽傷とは言いませぬが、ランリエルが皇国を崩壊させようとするならば、更に大規模な攻勢が必要。到底、ゴルシュタット本国まで手を回す余裕はありませぬ」

「皇国が体勢を立て直す間に、ランリエルが矛先を変え、先にゴルシュタットを目指すかも知れぬぞ」


「確かにその危険はあります。ですが、ゴルシュタット本国の守りは堅牢。如何にランリエルが大軍でも、短期に抜けるものではありませぬ。その間に皇国が体勢を立て直しランリエル軍の側面を突けば、ランリエルは勝者の立場から、一転、敗者へと転落します。そして、東方の覇者と呼ばれるサルヴァ・アルディナが、そのような危険を犯すとも思えません」


 だから、皇国に付いた方がゴルシュタットは安泰だ。軍略的に見て全く正しい。ルキノとて、この条件だけを聞けば、ランリエルにではなく皇国に付くべき。そう思う。皇国にではなく、ランリエルに付くというのは、皇国への不信。その一言に尽きる。


「確かに」


 アルベルドが頷いた。その顔には笑みが浮かんだままだ。

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