第232:妻の務め
デル・レイ王位をユーリに譲り渡したアルベルドは、皇都にある屋敷の改築を始めた。それは大規模なものではなく、外装を多少いじる程度のものだったが、その実際の工事内容に比べ屋敷を取り囲む足場は多く、一見大掛かりな事業に見えた。アルベルドの指示によるものである。
百聞は一見に如かずという言葉がある通り、人は目にする方が理解が早い。普段は政治になど興味がなく、布告がなされても目を通しもしない民衆も、その様子を見れば一目瞭然。民衆よりも権力に敏感な貴族達はいうまでもない。
「皇帝陛下はまだご年少。アルベルド陛下は皇帝陛下がご成人なされるまでと副帝の座にお付になられたが、デル・レイ王位をご子息に譲り屋敷も改築するという事は、皇都に腰を落ち着けなされるご様子」
「これで、アルベルド陛下のご権勢は、ますます強まりますな」
舞踏会で、宮廷の片隅で、貴族達は囁きあった。そうなればアルベルドに取り入ろうという者も多くなる。アルベルドは、その流れに逆らわなかった。それどころか、その流れを作った張本人。積極的に流れに乗った。
皇国再建を訴えるアルベルドだ。自らは倹約し派手な事はせず、舞踏会などは行わない。屋敷の改築も、一度の事なのでそう非難を受ける事もない。だが、他の貴族達は、アルベルドの布告に多少は自重するものの、皇都ともなれば貴族も多く住み毎日どこかで舞踏会が開かれている。
アルベルドのところにも多くの招待状が届いていたが、今までは理由をつけて断っていた。それが一転、積極的に出席しだしたのだ。
庶民からすれば舞踏会など貴族達が飲んで踊るだけの浪費でしかないが、貴族達に取ってはそればかりではない。いまだ議会というものがない世界。舞踏会での雑談がそのまま政策会議となる事も多い。それどころか、政治に熱意を燃やすが政府高官に直接会う事が出来ぬ身分の青年が、己を売り込む絶好の場所でもある。
そしてアルベルドは、政府高官どころではない。皇国副帝の舞踏会出席に、自分の息子を売り込みたい大貴族や野心ある者達などが、色めきたった。そうなると妃フレンシスの存在も大きくなる。
アルベルドに取っては不本意だったが、アルベルド単独で出席するより妃を伴った方が見栄えがいい。実際、フレンシスが居る方が便利でもあった。
その日、アルベルドはフレンシスを共に、ある伯爵家が主催する舞踏会に出席した。アルベルドは、銀糸をあしらった上等な深緑の礼服を見に纏い、過度にならぬ程度の豪華さと上品さとの絶妙なバランスを保っている。それに対しフレンシスは、夫と並ぶと少し違和感があるほど豪華な装いだ。数え切れぬ宝石を金糸で縫い付けた絹のドレスは、大皇国の副帝の妃として恥ずかしくないものである。
質素倹約で支持を得ているアルベルドだが、このような場合、奥方は免除される傾向がある。それどころか、あのお堅いアルベルド陛下も奥方には甘いらしい。と好意的にすら思われもし、そして妻を介し自分の権威を印象付けられもする。無論、アルベルドはそこまで計算している。
初めは夫婦揃って群がる貴族達の相手をしていたが、次第に政治的な話にもなってくる。そうするとフレンシスが、私は少し外しましょう、と身を引いた。それは、政治の話に自分は口を挟まないとの配慮として好意的に受け止められた。しかし、その実、戦力を分散させたのである。
その後、アルベルドは、切りの良いところで話を打ち切り、かねてから狙いを定めていた者へと近づく。フレンシスは、その下地を作るのがそれぞれの役割なのだ。
その舞踏家にはフランコ男爵という者も出席していた。実直な人柄で目立つ存在ではないが、それだけに彼を信頼する者も多い。ただし、実はフランコ男爵と同じ舞踏会に出席するのは今回が2回目である。前回は、あえて顔を合わせぬようにした。その男爵と、さりげなく話す機会を持った。
「フランコ男爵。男爵とは、いずれお目にかかりたいと考えていた。以前、私が出席した舞踏会にも男爵が出席なされていたと後で妻から聞き残念に思ったものだ。なに、妻が貴公の奥方と話す機会を得て、それで知ったのだがな。妻から聞いた話では、貴公は詩が巧みだとか。私も素人芸ながら多少は嗜む」
そう言って、フランコ男爵と詩に付いて少しばかり語り合った。
恥ずかしながら、と自作の詩を語り男爵に、いかがか? と評を求めたりもした。男爵も恐れながらと生真面目に応じる。趣味の話を暫く堪能した後、
「名残惜しいが、副帝ともなれば他の者にもこの顔を見せねばならん。話の続きはいずれまた」
と、その場を離れた。
政治的な話は何もしていない。だが、フランコ男爵は、これだけでアルベルド陛下に忠誠を誓うと決意した。皇帝にも等しい権力を持つ副帝陛下が、その妃と自分などを話題にし、個人的な趣味まで知っていてくれたのだ。どうして感動せずにいられるだろうか。
人の感情とは、男女でも共通する部分がある。女性を口説くのに初対面の時には冷たいどころか無礼に振る舞い、次に会った時にうんと優しくしてやり、粗野な人かと思っていたけど本当はなんて優しい人なのかしら、と思わせ、その落差で口説くという技術があるが、男爵を籠絡したアルベルドの行動も、その亜流と言える。
フレンシスとの事になると感情的になる事が多いアルベルドだが、その感情に任せて実務に支障をきたすほど愚かではない。頭を切り替えるだけの分別は持っている。
フランコ男爵と別れたアルベルドは、次の標的としてドラード伯爵の元を目指したが、その途中フレンシスのところに立ち寄り、にこやかに近づいて耳元で囁いた。傍から見れば、仲の良い夫婦の囁きごとに見えるが、その内容は散文的だ。
「グレンデス男爵の奥方は分かるな? 男爵の趣味の一つでも聞き出しておけ。政治的な話を持ち掛けられても、それには乗るな」
「心得ております」
副帝アルベルドに取り入ろうとする者は多い。夫の出世を望む奥方も多く、このような場合、女性の方がまどろっこしい話を嫌い直接的だったりもする。だが、政治的野心を隠したいアルベルドだ。それには韜晦し、私的な交友を望むふうに装う。結果的に、その方が心服させやすくもある。
普段、夫から迫害にも近い扱いを受けているフレンシスだが、夫の役に立てると思うと心が躍った。お人好し過ぎるようだが、彼女にすれば、夫から必要とされていると幸福にすら感じる。
アルベルドが立ち去ると、意図せずに口元に笑みが浮かぶほどだ。その笑顔のままグレンデス男爵夫人に近づいていく。男爵夫人は、笑み語りかけてくる副帝陛下の妃に感激したのだった。
そうして夜も過ぎ明け方になって舞踏会も幕を閉じると自身の屋敷に向かうのだが、そのまま寝具に倒れ込まない。記憶が薄れぬうちに昨夜の成果を纏める。
貴族にとって一番重要な能力。それは記憶力である。その記憶力を総動員しアルベルドは机に向かった。
「言っておいたように、グレンデス男爵、フアレス男爵、ロレンソ子爵、それにマリアーノ侯爵の奥方とは面識を得たのだな?」
「それと、ハシント伯爵の奥方とお話をする機会がありました」
アルベルドが頷き筆を走らせる。今日会った相手と交わした会話の概略を纏めるのだ。
貴族社会に取って人間関係こそが政治。その作業に後ろめたいところはなく、執事にでも書記させて良いのだが、他人を信用せぬところがあるアルベルドだ。フレンシスから聞き出し、それを自身で纏めていく。
副帝として、彼に取り入ろうとする者は多い。だが、そのようにして群がってくる者は、結局は関係が薄い。少し擦れば落ちる垢のようなものだ。都合が悪くなればあっさりと離れる。アルベルドが望むのは、もっと濃密な、皮膚が破れるほど擦っても落ちぬ血肉となった関係。少なくとも相手にはそう思わせる。それを得る為には、相応の手間をかけねばならない。
この時ばかりは、アルベルドもフレンシスに声を荒げない。とはいえ暖かい言葉をかけるでもなく事務的な問答が続く。しかし、夫婦の共同作業と思うと、ずっとこのような時が続けば良いのにとすらフレンシスは思う。
夫はフィデリアを抱いた。それを忘れはしない。世継ぎを残すという国王としての義務ではなく、女として欲して抱いた。それを忘れはしない。
それを、夫に問いただしてはいない。表面上は何事もなかったかのように振舞っている。
全身の血が引き、崩れ落ちそうになる身体を引きずるようにしてフィデリアに会いに行った。その時、フィデリアは、何でもすると言った。ユーリの為にだ。ユーリの為ならば、何度でも夫アルベルドにも抱かれる。その意味も含んでいるはずだ。
そして、夫も、何度でもフィデリアを抱くはず。フィデリアはデル・レイに居て、夫と自分は皇国にいる。そう頻繁にではないだろうが必ずある。
しかし、フィデリアの決意を知り、逆にフレンシスも冷静になっていた。フィデリアは夫との関係を利害だと割り切った。そう言った。つまり、如何に夫がフィデリアに執着しようとも、心までは得られない。ならば、自分は気にせず妻として務めを果たせばいい。
あまりにもアルベルドに都合が良い話だが、それは、ある意味フレンシスの無意識の自己防衛でもあった。そう思う事によって精神の安定を保っている。
一通り、舞踏会での出来事を纏めるとアルベルドは筆を置いた。それを見計らったようにフレンシスが声をかける。
「もう、お休みになられますか? それとも、何か軽い物でも召し上がられますか?」
舞踏会では、主催した伯爵がその名誉にかけて美食を揃えていたが、多くの者を相手にしていた彼らにそれを堪能する余裕はなかった。現に、アルベルドの腹は悲鳴を上げていた。
「いや、すぐに寝る」
フレンシスには感情的になる事が多く、冷たいアルベルドだが、決して頭のおかしい男ではない。
自分の事業にフレンシスの力を借りたという形になっているのだ。その状況で、食事を取ると言い、フレンシスに、ではご一緒に、と返されれば首を縦に振るしかない。ここで、
「誰が貴様となど一緒に飯が食えるか!」
と怒鳴っては、完全に頭のおかしい男である。
「そうですか。分かりました。ですが、私は少し取らせて頂きます。貴方の分も用意させましょう。部屋に置いておかせますので、もし、寝付けなければお召し上がり下さい」
アルベルドの心情を見透かしたようにフレンシスが微笑む。
「好きにしろ」
と背を向け寝室に向かった。余計な事はするなとは言わなかった。実際、腹は減っているのだ。
このように、皇国は平穏な日々を過ごしていたが、大きな動きもあった。
バンブーナ王国軍総司令チュエカ・ソラが、バンブーナ王に任じられたのだ。しかも、その理由は、人々を唖然とさせた。チュエカ総司令の功績、大なる故、である。
敗戦だったタランラグラを巡っての対ランリエル戦でも、被害を最小限に留めたその手腕が評価され、更にバリドット、ベルグラード討伐での功績。それが認められたのだ。とはいえ、それはあくまでバンブーナ臣下として。それを持って皇国が衛星国家の王位を挿げ替えるのは前代未聞だ。
「これは……。如何に功績ありとはいえ、王族でもないチュエカ殿を国王に任じるとは……」
「国王陛下のご養子にして、という事のようですが……。いやはや、何とも」
更に、現在、チュエカには子が居ないが、子が産まれればそれが男児であれ女児であれ、バンブーナ王家の王族と婚姻させる予定である。産まれてもいない子供の結婚相手が決められた事になるが、貴族社会には珍しい話ではない。地方の貴族達などは、結束を固める為に、今回はこの家、次はこの家、その次はまた初めの家と、永遠と結婚する相手が決まっている事すらあるのだ。
そして、チュエカに跡継ぎが出来なければ、王族の中から次の王が選ばれるので、バンブーナ王家の血が途絶える心配はない。しかし、現バンブーナ王オダリスには、王太子バルトロメがいた。遅く出来た子でまだ幼いが、オダリス王が崩御する頃には成人しているはずだった。
当然、バンブーナ王家は、猛抗議すべきだが、つい最近、バリドット、ベルグラードが反逆の烙印を捺され討伐されたところだ。ここで拒絶しては、チュエカを養子にして王位を継がせるどころか、討伐されて現バンブーナ王家が廃され、王家交代ともなりかねない。貴族、王家の尤も重要な仕事は、家名、血統の存続である。一応は、王家の家名、血が残るという事で納得せざるを得なかったのである。
相当、無茶な人事なのだが、皇国及び衛生国家の貴族達からは意外にも支持を得た。
動乱の時代である。東の果てのランリエルの台頭から始まり、北はゴルシュタットのベルトラムが下克上を果たし、それどころか隣国リンブルクまでその支配下に収めた。南のドゥムヤータも侮れない勢力となっている。
その中で、最大勢力の皇国のみが、その巨大さ故に安定している。確かにランリエルに破れ揺らぎはしたが、倒れはしない。国家の安定は、身分の安定でもある。野心ある者は、その捌け口を得ず鬱憤としていたのだ。
しかも、漏れ聞いた噂では、皇帝となったサルヴァ・アルディナの軍総司令としての副官が、もうすぐ国王に任じされるともいうのだ。確かに、皇帝の副官ともなれば低い地位ではない。だが、それでも、国王になるというのは、町娘が王子様に一目惚れされ王妃になるお伽噺のような夢物語。
皇国、衛星国家の貴族達は、ランリエルが羨ましいとは口が裂けても言えず、誰にも不満を漏らせなかった。指を咥えて見ているしかなかったのだ。しかし、功績を立てれば、国王になれるかもしれない。国王までにはなれなくとも、それなりの出世は出来るかも知れない。それは、野心の少ない者の、その少ない野心をも激しく燃え上がらせた。
しかも、アルベルドは、自分に有利な風聞も流していた。
いわく、バンブーナ王オダリスが王位を追われるのは、彼が無能だからである。そもそも衛生国家の王位とは、その祖先が有能であったから皇祖エドゥアルド陛下から与えられたのだ。それを忘れ、精進を怠り、国王に相応しい能力を持たぬならば、王位を失って当然ではないか。アルベルド陛下は、そうお考えになったのだ。
オダリスにとっては、屈辱的な話だ。だが、風聞とは、誰も責任を取らなくても良い無責任な評論。アルベルドの名が出ているが、当のアルベルドに、私はそんな事を言った覚えはない。と言われればそれまでである。故に、オダリスも、その反論する相手を失い、しかも、反論せぬ事によって、皆はそれを事実として受け止め始める。
無論、衛星国家の他の国王達にとってもたまったものではない。猛抗議したいところだが、当のオダリスと同じくバリドット、ベルグラード両王国の有様を思えば、それも出来ない。それに、アルベルドから王位を与えられたバリドット女王セレスティナ、ベルグラード王イサークは、自分の王位が剥奪されるはずが無いと支持に回っている。結局、他の衛星国家の王達も、表面上は異議を唱えられず、
「これはこれは、我らもうかうかとしてはおれませぬ。精進し、祖先に恥ずかしくないよう努めねばなりませぬな」
と、頑張るので、王位は奪わないでくださいと、暗に訴えるに留めた。
そうなれば、皇国の貴族達ばかりか、衛星国家の貴族達も自らの国王を飛び越え、直接アルベルドに与力しようという者も多くなる。貴族達は、それぞれ私兵を持ち、王家の軍勢との集合体が国軍となるのだが、いざともなれば王家にではなくアルベルドの元へと馳せ参じかねない勢いである。
皇国内では股肱の臣を増やし、衛星国家へも枝葉を伸ばした。アルベルドの皇国支配は着実に進んだ。




