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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
323/443

第231:女神と慈母

 アルベルド・エルナディス。デル・レイ王国国王を退位。

 ユーリ・エルナディス。デル・レイ王国国王に即位。


 その名声が大陸全土を覆う聖王アルベルド。その思いがけない30代前半での退位。耳を疑う者は多かった。だが、その中でもいち早く、サルヴァ王子は事態を看破した。


 無駄なものを脱ぎ捨てたか。


 確かに、これまではアルベルドに取ってもデル・レイは重要な権力基盤だった。デル・レイ王であるからこそ他国との交渉も出来、武力を駆使する事も出来た。だが、既にアルベルドは大皇国の副帝。その彼にして、もはやデル・レイ王の称号は不要なのだ。


 無論、デル・レイ王位を維持した方が有利な点もある。サルヴァ王子との会談でデル・レイ王として出席したように、副帝の称号を背負うより、デル・レイ王として挑む方が問題を大きくせずにすむ。目方が小さい分、小回りが利くのだ。


 だが、アルベルドは、その利点をすっぱりと捨てた。それよりも、副帝のみに絞った方が理があると考えた。それは、対外対応より対内対応を優先させたという事だ。


 皇帝とその衛星国家においてデル・レイ王位など、副帝の称号に比べればどれ程の権威もない。それどころか、デル・レイ王位を保つ事により、結局は衛星国家の王と同格と見る向きもある。ならば、デル・レイ王位を捨て副帝の称号のみに絞れば、衛星国家の王より確実に格上。


 サルヴァ王子は、そこまで見抜いた。近年、皇国とランリエルは正面衝突を避け、衛星国家などを相手にした代理戦争に終始していた。それが暫くは収まり、その代わりに、その数年後の皇国との戦いの確実性は増した。そうサルヴァ王子は判断した。


 それは、サルヴァ王子の高い知性がもたらした確度の高い予想であり、事実、ほぼ正解だ。だが、そのほぼ以外の僅かな部分で、アルベルド、フレンシス、フィデリアらの人間としての感情の衝突が影響を与えている事までは、神ならぬサルヴァ王子には察する事は出来なかった。


 その王子ほど深くは考えないデル・レイ国民は素直に沸き立っていた。ユーリの即位と同時に、エミリアナ王女との婚約も発表された。彼らは、ユーリをアルベルドの息子だと信じて疑っておらず、ならば(ナサリオの息子だとしてもそうなのだが)デル・レイ王家の血を引いていない。そのユーリがアルベルドの息子としてデル・レイ王位を継ぐと現在のデル・レイ王家の血が途絶えてしまう。だが、エミリアナ王女と結婚すればデル・レイ王家の血も残る。それどころか、これで聖王アルベルドと女神フィデリアの血が共にデル・レイ王家に入る。


 他の国では、いまだ夫以外の男と通じたというフィデリアへの風向きは強いが、アルベルドの世論操作により、デル・レイではナサリオとの結婚は皇族の力で強要されたに過ぎず、アルベルドとの愛こそが真実。そう信じられているのである。


 しかも、アルベルドは自身の妃であるフレンシスへの配慮も怠らない。ユーリをフレンシスの養子としたのだ。無論、当事者達の意識がそう変わるものではないが、それでも形式としてフレンシスは国母。アルベルドとの間に子が無く、我が子を次期国王に出来なかったが、一応の面目は保たれた。


 面目など、何の意味があるのだろう?


 当のフレンシスは、民衆がアルベルドの配慮を褒め称える中、その表情には影があった。


 夫アルベルドは、フィデリア様やユーリ様、妹達の居る屋敷に数日滞在して戻って来た。そしてユーリ様の即位を告げたのだ。


「私も、いずれは、とは考えていましたが、あまりにも早すぎるのではないでしょうか」

「フィデリアも納得している事だ」


 その言葉に違和感を覚えた。しかし、今はその違和感に躓く時ではない。


「ですが、ユーリ様は、まだ13歳。エミリアナは12歳です。2人とも、まだ子供ではないですか。それを、すぐに即位などと。ユーリ様にもエミリアナにも、荷が重過ぎます」

「ここに戻る前に、お主の父上にも会って了解は得ている。反対しているのはお前だけだ」


「お父様が……」


 王宮から追われ、片田舎の城に住むフレンシスの父だ。変化の乏しい毎日を過ごす日々は、意識して頭を働かせていなければ、思いの外知能の低下を招く。また、時間の感覚にも変調をきたすのか、同じような毎日の繰り返しには耐えられる一方、いざ変化があるとなれば性急になったりもする。エミリアナ王女がユーリと良い雰囲気だと聞くと、すぐにでも結婚させようというアルベルドの提案に、即座に飛びついたのである。


「ち、父は、父なりの考えがあって賛成したのでしょうが、私にも、私の考えがあります」


 この時代の考えでは、結婚は親が決めるもの。当人の意思すら余程でなければ問題とならず、姉の反対など全く意味をなさない。しかも、普段は逆らわないフレンシスが食い下がったのはアルベルドにも意外だった。とはいえ、意外なのと、その意を汲んでやるかは全くの別問題。


「当のお前の妹のエミリアナ王女は、顔を赤くして喜んでおったわ」


 アルベルドの声には嘲笑の響きすらある。そしてフレンシスにも、本人は喜んでいるとの言葉に反論が鈍る。


「妹は、まだまだ子供。事の重大さが分かってはいないのです」

「お主の父も賛成し、俺も賛成している。お前は、我らが間違い、自分だけが賢くものが分かっている積りか」


「け、決してそのような……。フィデリア様。フィデリア様は、どう仰っているのですか」


 最後の頼みはフィデリアのみ。自分とてエミリアナとユーリがお互いに恋心を抱き、将来的にはと考えていた。しかし、あまりにも早すぎる。ほんの数日前の話ではないか。フィデリア様とて反対するはずだ。


「馬鹿か。フィデリアも納得していると、初めに言っただろ」


 フレンシスが言葉を飲んだ。確かにそうだった。失念していた。しかし、フレンシスは別の気付きに心臓が止まりそうなほど衝撃を受けていた。


 確かに、ユーリ様を自身の息子と公表してからフィデリアと呼び捨てていた。その意味では、今呼び捨てても不自然ではない。だが、その口調、響き、それが今までと違う。他の誰にも気付かぬ何かが違うのだ。何故、フレンシスにはそれが気付き得たか。そう問われれば、アルベルドの妻だから。そう答えるしかない。だが、何と皮肉な妻の証明なのか。


「フィデリア様に、もう一度お会いして来ます」


 アルベルドを睨みつけ、強い口調で言った。


 常ならば、夫に従順なフレンシスの意外な反応に、アルベルドも、妻が何かに気付いたのを察したが、だからなんだ、という思いがある。

「好きにしろ」

 と、そっぽを向き、吐き捨てた。


 フレンシスは、侍女や執事に命じ出発の準備を進めながら、手が震えるのを感じた。身体中から血の気が引き何度も目がくらむ。それでも耐え馬車まで辿り着いたが、そこまでが限界だった。車内に乗り込んだ途端、座席に崩れ落ちた。侍女達は慌てたが、いいから出発してちょうだい。と、座席にうつ伏せながら命じた。


 再度の姉の訪問に王女達は喜んだ。彼女達に囲まれていたフィデリアも、笑顔を浮かばせているが、瞳に精気が感じられない気がした。尤も、フレンシスとて、人の事をいえる顔色ではない。


「お姉様。いらっしゃいませ。顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」

 幼い妹達も姉を気遣う。


「ええ。少し馬車に酔ったみたい。着いてすぐで申し訳ないのだけど、少し休ませて頂くわね」


 休みたいという、その言葉は正しかったが、その理由は偽りであり、動機も完全なる本心ではない。フィデリアに頭を下げて背を向けたが、その背に彼女の視線を感じた。彼女も、自分が何故来たのかを察しているのだ。本来は、妹エミリアナとユーリとの婚約に付いての話だったはずが、すでに、フレンシスの心は別の問題が心を満たしていた。


 結局、フレンシスは皆との晩餐にも欠席し、食事は軽い物を部屋に運ばせた。それを侍女に聞いて知っていたのか、丁度1時間後にフィデリアからの面会の申し出があった。


「お通しして」

 そして、部屋には誰も近づかないように、とも言いつけた。


 部屋に入って来たフィデリアは、挨拶も無くフレンシスの前に立った。それは、完璧な礼法を見に付けるという彼女にしては、あり得ない事だ。そして、それだけでフレンシスは、自身の不安が的中しているのを理解した。にこやかに挨拶を交わす間柄ではないのだ。


 フレンシスの心臓が大きく波打つ。フィデリアと対面したら言おうと考えていた台詞の数々は、既に頭から飛んでいる。尤も、その台詞の数々も、その全てが相応しくないとも感じていたので、どちらにしても黙るしかなかったかも知れないが。


 フィデリアは、ナサリオを愛していた。望んで自分に夫アルベルドに身を任せるはずが無い。そのフィデリアが夫に抱かれたのなら、それは夫が無理に迫ったに決まっている。もし、フィデリアが望んで抱かれたというならば、この泥棒猫と罵る事が出来る。だが、夫が立場を利用してフィデリアを抱いたなら、その彼女を前にして妻がどのような言葉があるというのか。


 夫が他の女性と通じる。王族としてなら側室を持つのは珍しくはない。実際、彼女には30人の妹達が居るが、彼女達の母親のほとんどは母違いだ。その意味では、彼女は国王である夫が他の女性と関係を持つのに耐性があるはずだった。にもかかわらず、彼女の衝撃は大きい。


 もしアルベルドがフレンシスとは中々子供が出来ないからと、跡継ぎを求める為に側室を置く。というならば、彼女はさほど衝撃無く事態を受け止めた。デル・レイ王室の血を残す為と、妹の誰かが夫の側室になると言っても、王族の常として納得しただろう。


 だが、フィデリアは違う。彼女はデル・レイ王室の血を引いておらず、その美しさから年齢を感じさせないが、実際、今から跡継ぎをと望むには年齢的にも難しい方だ。夫は、女性としてフィデリアを望んだ。それが、妻としてのフレンシスの心を乱すのだ。


 しかし、フレンシスは言葉が出ない。


「デル・レイ王位はユーリに継がせます」


 フィデリアが言った。思わぬ義姉の第一声に、フレンシスは目を見開いた。


「それくらい貰わなくては、割りにあいません」


 何に対しての割りなのか。言うまでもない。フレンシスが僅かに俯いた。


 しかし、それは改めて言うまでもなく、誰もが薄々は察していた未来だ。それをあえて口にした。


「私は、女神とも称賛される女です。それを考えれば衛星国家の王位など安いものでしょう」


 フィデリアは、そこまで計算したのだろうか。それは魔法の言葉だった。フレンシス自身、それがフィデリアの本心でない事は察しているが、それでも、自分の心の、感情の色彩が変化するのを感じた。言葉とは不思議なものだ。それが本心で無いと分かっていても、それが耳から入れば心に届き、それは心の色彩に影響を与える。


「申し訳……申し訳ありません」


 フレンシスが俯き言った。夫が他の女性に強引に迫ったとて妻に責任はない。夫をしっかりと掴んでいなかったからだ、などという理屈は通らない。それが通るならば、全ての罪は、それを止めなかった者の責任になる。


 にもかかわらず謝罪した。それは、夫が彼女を強引に抱いた事についてではなかった。その夫の妻である自分の立場に配慮してくれたからだ。自分の心の負担を軽くしようとしているからであった。


 身体を与える代わりにその対価を受け取る。自分と貴女の夫とは、あくまで利害での関係でしかない。フィデリアはそれを主張した。だから夫を奪われると恐れる必要はないのだ、と。


 フレンシスの頬に涙が伝った。それを拭いもせずフィデリアへと一歩近づいた。更に近づく。フィデリアは動かない。フレンシスが彼女の胸元に手を添えその胸で泣いた。涙がフィデリアの形の良い乳房に伝い流れる。それでもフィデリアは微動だにせず、フレンシスの肩を抱きもしない。されるがままに任せている。彼女の役柄は、ある男と利害で関係を持った女であり、その男の妻を慰めるいわれはない。


 だが、その役柄は、実はフレンシスの心を救う為だけではなかった。フィデリア自身の心の防衛の為でもあった。


 脅迫に屈したのではない。ユーリの将来の為、’割’がいいから男と寝た。そう己に言い聞かせ、心が折れるのを、いや、折れた心を、何とか支え修復しようとしている。


 フィデリアの腕が持ち上がり、フレンシスの頭の上に置いた。だがそれは、彼女の頭を優しく撫でてやる為ではなかった。鷲掴みに僅かに彼女の頭を引き寄せ、その耳元で囁いた。


「貴女は、貴女のなすべき事をなさい」


 それは広大な言葉だ。なすべき事は多く、どうとでも受け止められる。そして、この手の言葉を吐く時には、裏を返せばこういう事でもある。


 私は、私のなすべき事をします。


「アルベルド陛下から、お聞きになっているとは思いますが、ユーリを貴女の養子とします。よろしいですね」

「は、はい」


 夫と言い争い、すぐさまここにやって来たので、その話は聞いてはいなかったが、雰囲気に飲まれ反射的に答えた。尤も、冷静に考えても養子にする事には異論はなかっただろう。


 ユーリがフレンシス、デル・レイ王妃の養子になれば、正式にデル・レイ王太子。


 例え、この先、自分になにがあろうと、そして、アルベルドになにがあろうと……。デル・レイ王妃の養子となり、その妹の王女とも結婚すれば、デル・レイ国王となる未来への道は閉ざされない。


 アルベルド自身、そこまでは考えてはいなかっただろう。だが、結果的にユーリをフレンシスの養子となればそうなる。


 アルベルドによってフィデリアの心は折られた。だが、今の彼女に取って、ユーリだけが全て。その為には何でもする。そう。何でもだ。それだけが折れた心を支えている。


 そして、その覚悟は、彼女の身を寄せ触れるフレンシスにも伝わった。夫が立場を利用して関係を持ったのだとは感じていた。しかし、その具体的な手段にまでは心を配る余裕はなかった。しかし、今確信した。夫はユーリの未来を盾に彼女に関係を迫ったのだ。


 それをなぜ自分に伝えたのか。フレンシスには、そこまでフィデリアの心を理解出来ない。もしかしたら、これも、だから貴女の夫と私が心から通じ合う事はない、との心遣いの言葉かも知れないが、それにしても、その言葉に秘められた決意は、そのような欺瞞の不純物を感じさせない。むしろ、対決の宣言にすら感じた。


 そこまで考えた時、フレンシスの背中を戦慄が駆け抜けた。反射的に、フィデリアの身体から離れる。


 漠然とした予感。だが、フィデリアはユーリの為ならば何でもする。そう。夫がユーリの未来を盾に取るという事は、夫がユーリの未来の害に成り得るという事だ。ならば、ユーリを守る為には夫を……。


 だが、フレンシスにはフレンシスの決意がある。夫を守る。例え、その夫に如何に蔑まされようともだ。


「分かりました。私も、私のなすべき事をします」


 そう言い背を向けた。ここはフレンシスの部屋。部屋の主が客に背を向けたなら、客に帰れという事だ。フィデリアも無言で背を向けた。無言の対決の宣言だった。

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