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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
322/443

第230:堕ちる女神

 幸運と呼ぶべきだろうか。


 フレンシスは、アルベルドは子を作る積りがないのだと言った。フレンシスが男児を産めば、その子が次期デル・レイ王。フィデリア自身、偽り無くそう考えてはいたが、産まれなければ順当に考えてユーリが次の王だ。


 ユーリはアルベルドの子だという事で死罪を免れた。アルベルドの血を引き、嫡子も居ないならば庶子のユーリが国王になるのが自然であり、辞退する方が不自然。


 皇国宰相であったナサリオの息子として、父の後を継ぎ皇国の為に働く。以前はユーリもそう言い母も応援していたが、実際、宰相の地位は世襲ではない。例え父に劣らぬ有能な政治家に成長しても、親子2代続けて宰相の座に付くのは権力の集中を招くと非難される恐れもあった。


 それを考えれば、デル・レイ王になれる。しかも、その血は代々受け継がれる。本来のデル・レイ王家の血筋もエミリアナ王女と結婚すれば残る。フレンシス自身も自分の子が出来ないのを納得している部分もあり、誰もが幸せになれる結末だ。


 最近、過保護気味のフィデリアだが、だからと言って愛する息子の恋愛を邪魔するような偏狭を自制するだけの分別はある。それどころか、協力すらしていた。


 他の王女達の手前、ユーリとエミリアナ王女には、2人の関係は秘密にするように言い付けた。とはいえ、折角仲良くなったのだから、毎日愛を語り合いたいと思うのは止められない。しかし、2人きりで会う事は出来ない。言葉を交わせないなら文章を交わすしかないが、それをどうやって相手に渡すのか。


「皆の事がもっと良く知りたいわ。私も皆に手紙を書くから、皆も私にお手紙を頂戴」

 フィデリアが言った。


 このような時には男の子より女の子の方が察しが良い。果たしてエミリアナ王女からの手紙には、ユーリへの手紙が同封され、これをユーリ様に渡して欲しいと書き添えてあった。それを、フィデリアがユーリへの手紙に同封し、返事をするようにと書き添えたのである。


 好きな女の子への手紙を母に仲介して貰うという、年頃の男には、かなりいたたまれぬ状況ではあったが、エミリアナ王女から手紙を貰ったので返事を出しているだけ。その体裁で、気恥ずかしさを乗り越えた。


 フィデリアも、彼らがやり取りしている手紙を盗み読んだりはしないが、同封されてくる手紙の分厚さは一目瞭然。便箋に何枚も書き連ねるエミリアナ王女に比べ、ユーリの手紙は明らかに薄っぺらい。


 まったく、男の子は仕方がないわね。

 と、フィデリアは苦笑を浮かべ、彼の父、ナサリオと重ね合わせた。


 当時、フィデリアは19歳。すでに、その美しさは他国にまで広まっていたが、初めて皇国の舞踏会に出席する海外でのお披露目の日。社交界デビューするには少し遅い年齢だったが、それはフィデリアの父が、娘を手放すのを惜しんだからとも言われる。娘が一度衆人の目に触れれば、たちまち求婚者が殺到し、すぐにでも嫁に行ってしまう。それを危惧した。


 これまでも国内の舞踏会には出席していた。とはいえ、フィデリアはブエルトニス王国王女。国内の貴族や、皇族でも本国から落ちて来た程度の者からの求愛を断るのは簡単だった。しかし、有力な皇族からの求婚には抗いがたい。


 そして父の危惧は正しかった。たちまちフィデリアの周りには年頃ところか初老。既婚の男性まで群がった。その中で勝者となったのは、ユーリの存在からも分かるように、当然、ナサリオだ。それでも、すぐに結婚とはならず、2人は結婚するまでは1年以上の歳月があった。その間、顔を合わせたのは、ほんの数回。当時の王族、貴族の結婚とはこのようなものだ。


 結婚まで、2人は手紙のやり取りをしたが、ナサリオへの想いから日々のささやかな出来事まで事細かに書き綴るフィデリアに比べ、ナサリオの手紙は内容が薄かった。結婚後、本人に問いただすと、何を書けばフィデリアが喜ぶのか分からなかったからだ。と答えた。


 何を書けば相手が喜ぶのかが分からないなら、何を書けば良いかを聞けばいい。それが出来なければ、フィデリアが書いた事への感想でもいい。女性は共感を求めるが、男性は解決を求める。その性差から出る仕方がない不整合かも知れない。


 その意味ではユーリの筆不精もナサリオから受け継いだと重ね合わせるフィデリアの感傷も、ただの生物学的な精神構造の問題かも知れないが、フィデリアにとって、ユーリはナサリオに似ている。それが重要なのである。その息子が、女の子と恋をし、それを育み、母としてそれを見守る。


 幸せな日々。夫ナサリオが亡くなり、闇に閉ざされたかと思われた彼女の人生は、今、幸せの絶頂にある。息子は、親の欲目を引いても、どこに出しても恥ずかしくないほどに成長し、デル・レイ国王となる未来がある。


 自分を慕ってくれる娘も新たに出来そうだ。その他にも自分を慕ってくれる多くの王女達。


 それ故に、彼女は1つの事を考えないようにしていた。それは、ある意味夫への裏切り。しかし、それに正面から向き合えば、今の幸せは脆くも崩れ去る。それを無意識に察し、故に、考えないようにしていた。


 夫の最後の言葉を。



 フレンシスが屋敷を辞した数日後、今度はアルベルドが屋敷を訪れた。


「お義兄様!」

 と、王女達も群がる。稀代の聖王にして、副帝として皇国の実権を握るアルベルドは、彼女達にとっては憧れの的だ。もし、姉の夫でないならば、ユーリよりもアルベルドの妃となるのを夢見ただろう。


 アルベルドは、その義妹達に笑顔を振りまきつつ屋敷に入った。フィデリアにも挨拶を行い、ユーリには乗馬の稽古の具合を聞く。アルベルドの乗馬の腕は上の下程度だが、それでも本職の軍人ではない事を考慮すれば相当な技量だ。ユーリに助言をしてやった。


 いつもならユーリに話が集中する晩餐もその日は違った。王女達は、皇都の話を聞きたがり、ユーリも乗馬の話をしたがった。アルベルドは一々それらに応えてやり、晩餐が終わったのは、いつもよりかなり夜もふけてからだった。


 子供達が退散すれば、その後は大人の時間だ。フレンシスが来た時と同じように、アルベルドとフィデリアの2人で卓を囲む。夜、男と女が2人。通常なら、関係を疑うところだが、ユーリやエミリアナ王女は、アルベルドがユーリを助ける為の嘘に加担してくれている良い人と信じて疑っていないし、他の王女達は、アルベルドとフィデリアが愛し合っていると考えている。深夜でも屋敷に残る侍女も、気を利かせて2人が居る部屋には近づかないようにしている。


「フレンシス様を、もう少し労わって差し上げては、如何なのですか」


 暫くの雑談の後、フィデリアが切り出した。この屋敷で、アルベルドと2人きりなのを一番警戒しているのは、当の彼女だろう。義弟から好意を寄せられているのは知っている。だからこそ、フレンシスの話題をあげた。妻の話をされては、他の女に手を出しにくいものだ。無論、フレンシスを憂いているのも偽りではない。


「フレンシス様は、貴方の事を本当に大切に思っております。貴方も、フレンシス様のお気持ちに、応えてさしあげるべきではありませんか」

「何を仰います。私達夫婦は、上手くやっております」


 アルベルドの言葉は丁寧ではあるが、この話題を拒絶するかのような冷たい響きがあった。だが、先日のフレンシスの様子が頭から離れないフィデリアは、他家の家庭の話だとは思いつつ追いすがった。


「夫婦が、共に歩んでいこうというのは大切な事です。フレンシス様は、貴方と共に歩もうと努力なされています。後は、貴方のお気持ち次第ではありませんか」

「夫婦にも色々な形がありましょう。事実、私の母と父は、一緒に住んではいない」


 あまりの煩わしさに、アルベルドが言った。アルベルドの父は、フィデリアの夫ナサリオの父でもある。その男が、そうしたのだ。フィデリアに反論の言葉はないはずだ。


「確かに夫ナサリオのお父上は、どの妃ともご一緒には過ごしませんでした。ですが、貴方のお母上は、どうお考えでしたのでしょうか。お母上は、陛下と共に過ごしたかったのではないでしょうか」


 思いの外フィデリアが追いすがる。アルベルドは、自ら母の話を持ち出したのを失敗だと感じた。他人に母の話をされるのは、予想以上に不快だ。返事もせず不機嫌に口を閉ざした。


「貴方も、フレンシス様と共に過ごし歩むべきです。そして、お互い慈しみ気遣い。そうすれば、お互い、どれほど大切か分かるはずです」


 何を綺麗事を。俺とあの女は、デル・レイ王家の血筋を残す為の政略結婚。奴の父が俺を種馬としようとしたので、こちらも相応の対応をしたまでだ。


「貴方のお母上も、それを望んでおいでだと思います」


 貴様に何が分かる!


 心ならずともフィデリアはアルベルドにとって最悪の琴線に触れた。それにフィデリアは気付かない。


「母親というのは、それほど我が子が心配なものですか」


 平静を取り繕い問うた。しかし、杯を持つ手が僅かに震えている。


「勿論です。我が子を愛おしく思わない母親など居ません」


 何気ない言葉。何の罪もない言葉。百人の子の母に問えば、百人が同じ言葉を吐くだろう。だが、その当然の返答すら、傷つけられた今のアルベルドの心に塩を擦り付ける。


「私の母も、そうだったのでしょうか」


 母を殺した女の息子の妻の言葉に、震える手を抑えきれず杯を置き言った。


「当然です。貴方の幸せを誰よりも願っておいでですわ」


 アルベルドの中で何かが振り切れ、震える手が止まった。改めて杯を手にする。


「確かに、母とは子の幸せを考えずには、いられないようですな」

「勿論です」


「それでは、ユーリの今後について、話をしようではありませんか」

「ユーリの今後……で、御座いますか?」


 いきなりの話題転換だが、彼女自身の言葉通り、我が子は大事。そんな事より、と話を戻すには抵抗がある。


「はい。そうです。王女達の中からユーリの妃を選び、ユーリをデル・レイ国王にする。私はその積りです」

「勿体ない、お言葉です。ですが……。それもまだまだ先の話。それまでにフレンシス様がご懐妊なされるかも知れませんし……」


 この問題になると、芯の強い彼女も、その口調は弱くなる。


「そうではありません。義姉上。すぐにでもユーリをデル・レイ王にすると言っているのです」

「すぐ?」


 フィデリアは驚き、オウム返しに問う。


「私には副帝としての職務があります。デル・レイの政務は宰相や大臣に任せっぱなしです。勿論、彼らも有能で国営に問題はありませんが、こう頻繁に国王が国に不在では国民も不安がりましょう」

「例えデル・レイ本国に貴方がいらっしゃらなくても、貴方の存在自体が国民の心の支えになっておりますわ」


「私とて、民衆が私を慕ってくれているのは分かっています。ですが、私が不在だと自然と次期国王に関心が行くものです。その次期国王が誰になるか不明では、民衆は不安を覚える。その不安を取り除いてやりたいのです。当然、ユーリには補佐役をつけます。そして、その後ろには私も居る。民衆もそれは理解するでしょう」


 現在でも政務に支障はない。ただ、次期国王の問題が民衆を不安にさせるならば、次期国王を立て、今まで通りの宰相と大臣が政務を行う。政務はそのまま、民衆の不安だけを取り除くのだ。


「で、ですが……。フレンシス様を差し置いては……」

「ならば、ユーリが実は私の子ではないと公表するまでです」


 なにが、ならば、なのか。ほとんど脈略もなくアルベルドが切り出した。


「え? あ、な、何を仰っているのですか」


 フィデリアも、あまりの急展開に聞き間違えたのかとすら思った。しかし、困惑した顔すらその美しさを損なわない。


「ユーリが本当はナサリオ兄上の血を引いている。にも、かかわらず死罪を免れたどころかデル・レイ国王になる。それが発覚すれば、私もただでは済まない。貴方達母子を助ける為に、私は、その危険を冒しているのです。それを、これもいや、あれもいや、では、私も付き合いきれない」

「し、失礼しました。ですが、決して、そのような積りでは。ただ、フレンシス様に申し訳ないと……」


 尋常に対決すれば、アルベルドにすら負けぬ気概を持つフィデリアだが、ユーリを人質に取られていてはその言葉も歯切れが悪い。


「私が、折角、貴方達を助けようとしているのに、肝心の貴方達がそうでは、私も、我が身を守るしかなさそうですな」

「本当に失礼致しました。ですが、決して、アルベルド様に、ご迷惑をおかけする積りはないのです」


「ならば、その証を頂きたい」


 ゾクッ。と、背筋が寒くなった。それだけで、彼女は察した。


 以前にも、義弟には言い寄られた。夫ナサリオが囚われた時にだ。その時は、義弟の手を傷つけ拒絶した。貴方の物になるものかと突っぱねた。しかし、その時とは状況が違う。彼女は多くのものを背負い、その運命はアルベルドが握っている。


「お互いの命すら危険に晒す秘密を共有しているのです。にもかかわらず、いつまでも、他人、では心もとない」


 フィデリアが無意識に後ずさった。アルベルドが踏む込む。


「貴女と私が真に夫婦となる。それでこそ、私もユーリを我が子として守る事が出来る。違いますか?」


 応えずフィデリアが後ずさる。アルベルドが追う。


「どうなさいますか? 義姉上」


 フィデリアの背に、冷たい壁が立ちはだかった。アルベルドが進み、触れ合うほど近づく。手を伸ばせば、彼女の背に腕を回せるほどの距離。


 これがこの男の正体。あからさまな脅迫。だが、あからさまだからといって、それに抗えるかは話は別。


 ほんの数刻。その数国前まで彼女は幸せだった。その数刻が、遥か昔かのように遠い。楽園を歩いていると、突然、風景が地獄と変わった。青い空は黒く濁り、さわやかだった風が、ジメジメと纏わりつく。


 彼女1人ならば、そのような地獄に落ちるくらいなら死を選んだ。しかし、ユーリやエミリアナ王女。他の王女達。その者達は楽園にいる。ユーリはデル・レイ王となりエミリアナ王女はその妃。いずれ王女達もユーリへの気持ちの整理がつき2人を祝福するだろう。その幸せな未来が待っているのだ。


 フィデリアが死を選べば、彼らが楽園から追放される。ユーリは死罪となり、エミリアナ王女は嘆き悲しむだろう。他の王女達にしても深く心に傷を残す。


 彼女はほんの数刻前まで幸せだった。幸せだったからこそ、この地獄から抜け出せない。幸せという名の鎖が彼女を縛るのだ。


 縛られ身動きできない彼女の心を、あからさまに伸ばされた脅迫という名の手が存分にいたぶる。隅々まで這い、思うままに弄ぶ。そして、今から心だけではなく、身体まで彼に汚される。


 フィデリアは歯を食いしばった。耐える。耐えてみせる。涙は絶対に見せない。負けはしない。こんな男に身体を汚されても、犬に噛まれたと思えばいいのだ。このまま、私を押し倒し気が済むまで犯せばいい。事が終われば、あら、早いのね。と、笑みを浮かべてやる。


「義姉上。返事を、頂きたいのだが」


 へん……じ?


「私は、どうなさいますかと聞いているのです。義姉上は、どうしたいのですか?」


 どこまで卑劣な。


 耐えて見せる。必ず耐えてみせる。フィデリアにはその覚悟があった。しかし、アルベルドは、彼女が耐える事すら許さない。抱かれるのに耐えるのではない。お願いしろと言っているのだ。


「お……おね」


 駄目だ。泣いては行けない。拳を握り締め歯を食いしばって耐える。だが、お願いする。その行為に口を開けば、その気力が口から漏れていく。


「し……しま……す……っう」


 耐え切らず彼女の瞳が涙を零した。


「うぅっ……」


 更に漏れる嗚咽に思わず口元を抑えた。一度決壊した防波堤は元には戻らない。小さな穴が、更に広がる。崩れ落ち膝を付いた。俯き両手で顔を覆う。


「うっ……。あぁぁ……」


 女神が墜ちた。

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