第228:ある夜の出来事
ユーリとエミリアナ王女との対決の後、王女達は2派に分かれ対立していた。
姉妹の情から泣き叫ぶエミリアナ王女の傍に全員の王女達が駆け寄ったものの、ユーリが彼女を叩いたと言っても蚊も殺せないほどで、叩いた内に入るのかも怪しいところだ。
冷静になれば、やはり、まず初めにフィデリアを侮辱したエミリアナ王女が悪いのではないかという者達と、それでもまだ姉妹の情が勝つ者達。その2つに分かれたのだ。無論、理屈より、とにかくユーリへの感情を優先させる者。無条件に紳士たるものどんな理由があっても女性に手を上げるべきではないという者が、それぞれに含まれる。
屋敷の中には大勢の執事や侍女。屋敷の外には大勢の警護の兵士達。しかし、彼らは、こちらの人間関係にまでかかわらない。王女達の父や母は、この屋敷に来ていないので、実質、フィデリアがこの集団の唯一の大人だ。
思春期の少年少女の人格形成には、このような騒動も必要とはフィデリアも認識しているが、流石に放置は出来ない。無用な対立で彼女達の関係を壊したくないし、この問題を抱えたまま両親の元に返せば、己の管理能力が疑われる。
この屋敷で唯一の大人がフィデリアである以上、王女達と滞在している間のホストはフィデリアなのだ。貴族社会の慣例として、屋敷に滞在している間の全ての管理、運営はホストが責任を持つのである。
その日の晩餐では、いつもと微妙に並びが違った。正式な晩餐ではなく砕けたものであり、昨日までも序列など気にせず好きな者同士で隣り合っていたが、今日は派閥で分かれている。
唯一の大人がフィデリアである以上、彼女の判断が正解と認識される。王女達の派閥の、そのどちらかに肩入れするのは厳禁だ。どちらの味方にもならず、和解させなければならない。
「ユーリ。今日は私の隣に座りなさい。明日からの乗馬の稽古の話をしましょう」
昼間に出た話題を理由にユーリを隣に座らせた。フィデリアとユーリが並び、その左右に王女達だ。ちなみにユーリ側の列がユーリ派の王女達だ。
エミリアナ王女派の王女達もユーリへの好意を失った訳ではない。ここであからさまにユーリをユーリ派の王女側に座らせれば、エミリアナ王女派の者達は己の心とユーリへの想いとの葛藤に苦しむだろう。とはいえユーリ派にしてみれば、ユーリの味方をしているのに! という考えがある。にもかかわらずユーリをエミリアナ王女派に近づければ裏切られたと感じてしまう。ユーリ派の王女達と同じ列には座っていないが、少し近い。その絶妙な位置付けだ。
王女達を傷付けない為にフィデリアは細心の注意を払っている。この辺り、庶民などから見れば贅沢三昧で何の苦労もなさそうな王族、貴族達も庶民にはない苦労をしているのだ。尤も、余程の没落貴族でない限り飢えに苦しんだりしないだけ、庶民からすればお気楽な苦労ではあるが。
普段の晩餐なら、王女達は代わる代わるユーリに話しかけるが、彼女達も気まずい雰囲気で同じ列の姉妹達との会話に終始した。ユーリも母と乗馬について会話し、形だけは穏やかに晩餐は進む。フィデリアもユーリの言葉に返事をしながら、別の頭で状況の整理をしていた。
ユーリがエミリアナ王女に謝罪せず駆け出したのは予想外だった。時間がなく、その理由もまだ聞けていない。
この子の事だから何か理由があるのだろうけど……。とは思うが、親の欲目かも、という自嘲の声が頭の片隅に聞こえる。
騒動のもう片方の主役であるエミリアナ王女は、後頭部しか見えない。当然、エミリアナ王女派の列に座っている彼女だが、ユーリに(当然フィデリアにも)背を向け、反対側の妹と会話している。反対側の姉も彼女に話しかけているが、顔は精々正面に向けるだけで、ユーリと視線を合わせないようにしている。
手っ取り早い解決方法は、そのエミリアナ王女とユーリを和解させる事だ。それで、大方の問題は解決する。ただ、別の問題も発生する。
他の王女達には、天地がひっくり返るほどの大どんでん返しに思えるだろうが、人生経験豊富なフィデリアからみれば、大喧嘩した男女。それも本来はお互い憎からず(ユーリも、少なくともエミリアナ王女を嫌ってはいなかったはず)思っていた男女が喧嘩の後に和解すれば、多くの場合において、前より仲良くなる傾向がある。
少年少女が仲良くなるというのは、いわゆるそういう事であり、現在、実質的にユーリのお嫁さん探しの状態になっている以上、まあ、そういう事になる。
そして、そういう事になれば、現在2派に分かれている他の王女達にとっては、何よ! 私達道化じゃないの! と、裏切られた気持ちになるだろう。フィデリアには、そこまで予測できた。フィデリアは他者への気遣いが出来る女性であり、それは、どうすれば相手がどう思うかを想像出来るという事でもあるのだ。相手の受け取り方を想像出来ない善意は、おせっかいでしかない。
あの子が私の義娘になるのか……。正直、少し硬過ぎる気もするが、それはもう少し成長すれば多少は柔らかくなるだろう。尤も、そもそも、フィデリア自身が彼女に嫌われているし、ユーリは母を慕ってくれている。そこが噛み合わない限り、2人が和解しても、それは形ばかりで、以前より仲良くはならない。という線も濃厚だ。
すでに、問題解決後にまで思考が進んでいるフィデリアだが、気が早いとは言えない。解決後にどのような状態なっていれば良いかから逆算し、解決方法を決めなくてはならないからだ。
さて、どうしたものかしら。ユーリとの会話に、集中力を欠きながらも相槌を打ち、返事をしつつ思案は続く。
事の発端となったのは、自分が義弟と通じていたという話だが、それは真実ではない。しかし、ユーリの命を守る為に、それは事実としてフィデリアも認めている。
ユーリとエミリアナ王女が真の意味で和解するには、エミリアナ王女にそれを認めさせる必要があるのだ。
「夫の命令には逆らえなかったのです!」
と、エミリアナ王女に訴えたところで、そんな事、分かっています! それでも拒むべきでした! と、彼女らしい倫理観で拒絶されるだろう。
それよりも
「そもそも皇国と衛星国家との関係は、うんたらかんたらで、疎かに出来ず、どうたらこうたらで、その伝統は守れねばならず。とはいえ、現実も重要で、勿論、ああしてこうして。という事なのです。貴女も、もう大人なのですから、分かりますね」
そう、理解するのも面倒なほど長ったらしくてややこしく、しかも理解しようにも何が言いたいのかよく分からないが何となく正しそうで、その上、納得しなければ、まだまだ子供だ。という言葉で子供の反論を封じる大人の常套手段で、言いくるめるのが平和的だ。
エミリアナ王女は、これで言いくるめられるだろう。問題はユーリだ。
都合の良い話だが、血の繋がった息子には誠意のない言葉で誤魔化したくはない。しかし、ユーリにすら真実を話せない葛藤もある。
母は心から貴方の父である夫ナサリオを愛していた事。だからこそ、夫の言葉に逆らえなかったとユーリを説得するしかない。当然、今までも同じような会話をして来たし、最近ではユーリも納得したのか言わなくなっていたが、改めて言い聞かせるのだ。そして、母を侮辱された事を認めるのではなく、あくまでぶった事に付いてだとエミリアナに謝罪させる。
尤も、そうなるとユーリとエミリアナ王女とは形だけの和解となる。
今回は、それで仕方ないわね。
「本当ですか!?」
ユーリの声に我に返った。ユーリから何か言われたのに反射的に答えたようだが、覚えていない。とはいえ、別の事を考えていたとも言いにくい。
「ええ。本当ですよ」
と、にこやかに答える。
「分かりました。では、明日から襲歩の稽古を始めますね」
どうやら、ユーリが乗馬の稽古を先に進ませるのに同意してしまったらしい。
晩餐の後、普段ならまだ部屋に戻らず会話に花を咲かせるのだが、今日は、みんな早々に部屋に戻った。フィデリアも一旦は自分の部屋に戻り、暫くしてからユーリの部屋へと向かった。
王族、貴族達は執事や侍女、警護の兵士などは、その存在を気にも留めず、時にはかなり個人的な会話すら彼らが居ないものと考えて平然と行うものだが、今この屋敷にいるのは思春期の少年少女ばかり。執事達など居ないものと思えと言われても気になってしまう。
その為、屋敷の周囲には多くの兵士が配置され不審者は一歩も入れないように厳重に守られている一方、屋敷自体は出入り口のみ守られている。特に晩餐が終われば、呼び鈴を鳴らせば飛んでくる侍女を除けば、フィデリアとユーリ。そして王女達だけである。
その屋敷の廊下を、フィデリアは大陸一美しいと称されるすり足で進んだ。彼女自身は全く意識せず自然と出来るのだが、頭の位置は微塵も上下せず、足音すらしない。そして彼女自身も不思議なのだが、裾の長いドレスで左右に足を出せば、物理現象として当然発生するはずの絹の擦れあう音すらしないのだ。故に、彼女自身も人には教えられず、彼女以外は誰も習得できず、彼女が女神と呼ばれる要因の一つとなっている。
音もなくユーリの部屋の前まで進むと、軽く扉を3回叩いた。しかし返事はなく、念の為、今度はもう少し強く叩いたが、やはり返事はない。
もう、寝たのかしら?
入りますよ。と声をかけ、部屋に入るのも考えたが、ユーリももう13歳。大人として扱い始める年頃だ。子供として扱うなら、部屋に入り、話があるのですと起こす事もあるが、大人として扱うなら本人の同意なしに部屋に入るのは、例え親子でも失礼にあたる。
なるべく早く話をしたかったのだけど、仕方ないわね。
ユーリを説得するには、エミリアナ王女より年上なのだから、大人として振る舞いなさい。という姿勢が必要なのだ。にもかかわらず、ここで子供扱いは出来ない。
やむなく踵を返したが、まっすぐ部屋に戻る必要もない。気分転換に少し遠回りして部屋を戻る事にした。窓からもれる月明かりを踏みしめ廊下を進む。窓の外に目を向けると丸い月が光り輝いている。それはそれで美しいのだが、フィデリアは星空の方が好きだった。明るい月は星の輝きを打ち消してしまうので、星空を見るのに邪魔となる。
屋敷の反対側の方が、良く見えるわよね。と、更に行き先を変える。
絶世の美女が足音もなくすべるように屋敷を徘徊しているさまは、人外の何かの化身にも見える。王女達が遭遇すれば阿鼻叫喚の大騒ぎとなりそうだが、幸いにして誰とも顔を合わさなかった。しかし、逆に、彼女の方が突然聞こえてきた人の声にドキリとした。
なに?
上げそうになった声を堪え耳を澄ます。彼女とて恐怖心はある。だが、万一不審者ならば、自分には王女達を守る責任がある。こちらには気付いていなさそうなので、まずは状況を把握する。本当に不審者で時間的に余裕がありそうなら一度離れて警護の兵士を呼びにいく。余裕がないなら大声を出して子供達を逃がし、自分は盾となって時間を稼がなくてはならない。
声は、廊下の少し先の曲がったところから聞こえた。頭を低くし恐る恐る足を忍ばせ進んだが、不思議なものですり足の時には聞こえなかった絹の擦れる音が小さく鳴った。それでも、何とか相手に気付かれずに近づくと、大人の男とは思えぬ高い声が聞こえた。
「話とは何なのですか」
「貴女が母上を侮辱した事に付いてです」
ユーリとエミリアナ王女である。
崩れ落ちそうなほど、ほっとしたが、こうなると別の好奇心が湧き上がってくる。盗み聞きとは褒められたものではないが、その内容は自分についてらしいので当事者でもある。それに、2人を和解させたいと考えているフィデリアにとっても、どんな話をするのかを知っておくのは重要だ。
「フ、フィデリア様が貴方にとって大事な方なのは私も分かっています。それについて、貴方がお怒りになるのも理解出来ます。ですが、私にも私の信条があります」
やはりエミリアナ王女もユーリとは喧嘩したくはないのだ。しかし、自分の正義は曲げられない。貴方の言い分も分かります。とは、これでも彼女にとって、ギリギリの譲歩なのだ。
「それは、私も同じです。貴女が夫以外と通じるなど考えられない。そう考えるのは正しいとは私も思います。ですが、正しい事以上に、大切な事もあるのです」
年頃の少年少女が2人きりで密会しているにもかかわらず、かわす言葉は愛の囁きではなく、まるで討論会である。2人は大真面目なのだが、聞き耳を立てているフィデリアには、こっそりと演劇の練習をしているところに遭遇してしまったかのような、ある種の滑稽さも感じる。
「それで、私の言った事が正しくても、フィデリア様が大事だからと私をぶったのですか」
「いえ。それは違います」
「でも、貴方は私を正しいと言ったではないですか」
ユーリはその言葉に目を瞑り、暫くすると意を決したように口を開いた。
「貴女は、誰よりも大切な人はいますか」
エミリアナ王女はドキリとし、
「お、おります」
と答えたものの、それは貴方です。とは流石に言えない。
「では、夫以外の男性と通じた。という事にすれば、その者の命が助かるとすれば、どうなさいますか?」
心臓が張り裂けそうなほど驚いた。エミリアナ王女もそうだがフィデリアもだ。
「私の父、ナサリオは皇帝陛下を殺害した。私は信じていないが、そういう事になっている。その息子である私も、当然、死罪です。違いますか?」
「い、いえ」
「ですが、アルベルド叔父上の息子ならば死罪を免れる。そうですね」
「は、はい」
そこでユーリは言葉を切った。これ以上は言う必要がない。言っては行けないのだ。
「私とて、騎士の誇りはあります。正義の為ならば命をかけるのも厭いません。ですが、母上がそこまでして私を守ろうとして下さったならば、そのお気持ちに従わなくてはなりません」
フィデリアは両手で顔を覆った。指の隙間から涙が止め処なく流れる。
分かってくれていた。ユーリは分かってくれていた。どんな理由があるにせよ、母は父を裏切ったのだと思われていると考えていた。そう思わせねば、父ナサリオと共に処刑になると言い出しかねないと考えていたからだ。だが、息子は、父と共にある誇りを持った上で、母の心を重んじ、自分以上に耐え忍んでいたのだ。
「ですが、やはり、貴女をぶったのは私の誤りでした。明日、皆の前で謝罪します。ですが、お願いです。私の前で母上を侮辱する事だけはしないで下さい。私が侮辱されるのなら耐えられます。ですが、母上を侮辱されるのは耐えられない」
エミリアナ王女が突然ユーリに抱きついた。
「私……。私の方こそ、フィデリア様に謝らなくては……」
ユーリのまだ薄い胸に顔を埋め、涙が頬を伝う。
「フィデリア様を尊敬します。私も、フィデリア様のように……なりたい。大切な人の為ならば、自らを汚す事すら恐れない人に」
「叔母……エミリアナ……王女」
ユーリは、自分の胸に顔を埋める少女を、どう呼べばよいのか戸惑い、その肩を抱いた。
その光景を廊下の隅から忍び見るフィデリアは、更に涙を流した。
ずっと1人で耐えてきた。そう思っていた。それが息子はその母を理解してくれていた。そして、今、もう1人自分を理解してくれる少女がいる。心が救われたように熱いものが胸を満たす。
そう、感動しつつ思った。
これで、エミリアナ王女が義娘になるのは確定だ。




