第225:鉄拳
ウィルケスは西に東に大忙しである。バルィシニコフ公爵を説得するととんぼ返りでランリエルに向かった。
当初、豪放なバルィシニコフ公爵も、王になるのに娘を妃にするのが条件という話を信じなかった。だが、明らかな嘘というには現実離れし過ぎ、だからこそ、そのような嘘を言うはずがない。とも思える。
ウィルケスは、公爵のご息女が身を挺して王子の愛妾アリシアを庇った事、出産にすら立ち会うほど信頼されている事などを並べ、更に自分も王子に信頼されている事も合わせて語った。
サルヴァ王子の皇帝としての権威を高める為に王位を与える。その真の目的を明らかにしても良いという許可を得ていたが、それは最大限ぼやかした。あくまで、ナターニヤの信頼篤き故、という線を強調したのだ。
「ですが、ナターニヤ殿はお父上であるバルィシニコフ公爵を慕う事、娘を持つ全ての父親が羨むほどです。公爵の、サルヴァ陛下の妃になれとの言葉を忠実に守ろうと、私の妃になる事を承知してくれません」
公爵がサルヴァ王子の妃になれと言ったのを推測するのは簡単だ。例え娘が強く望んだとしても、その一存で後宮に入れるはずがない。父の意向が必ずある。その意向とは、王子の妃になれ、しかない。
「娘が、そのような事を……」
実家にいる時は、つまらぬ冗談ばかり言ってと、父を怒鳴ってばかりの娘が、それほどまで自分を慕っていたとは。思わず公爵の目頭が熱くなる。
「ただ、王宮には、そのナターニヤ殿を愚かなと陰口を叩く者もいます」
「私の娘が愚かですと? いったい、なぜそのような」
「はい。先ほども申し上げました通り、ナターニヤ殿は陛下の愛妾アリシア様を身を挺してお救いになられました。ですが、陛下の妃の座を望むなら、率直に申し上げればアリシア様は目の上のたんこぶ。それを自らの身体を傷付けてまで助けるなどと……。ですが、ナターニヤ殿のその愚かさこそを、私は尊きものと思っています」
「ウィルケス殿……」
ランリエルでの娘の暗躍を知らない公爵は、娘がサルヴァ王子の妃の座に近いところまで到達しているのを知らない。王子の妃は無理そうなので、だったらウィルケスの妃となりテッサーラ王国王妃になった方が良い。という打算を下地に、娘の幸せを考えても、これだけ娘を褒めてくれるのならば、娘も幸せにしてくれるだろうと判断したのだった。
こうしてバルィシニコフ公爵を篭絡したウィルケスの懐には、公爵の手紙が納まっている。自分の言いつけなど気にせず、己の幸せを考えウィルケス殿と結婚しなさいというものだ。
実家の意向という外堀を埋めた今、次は家柄という城壁だが、これは公爵の承諾を取り付けた以上は結婚すれば国王であることが確定なので解決している。後は、ナターニヤ本人を頷かせるだけだ。
さて、どうするか。
馬を飛ばし、激しく揺られるウィルケスの思考は、その駆ける乗馬の激しさに同期するように過激となる。
いっそ、犯っちまうか。
ナターニヤは王子の寵姫とはいえ、すでにウィルケスは、その王子から後押しされている。父である公爵も了承しているのだから、後は、既成事実さえ作れば完了だ。
今は、ある程度の秩序は保たれているが、かつては各国の王権が弱く、領主同士の戦いすら止める事が出来なかった。その時代は倫理観もおかしく、強引にでも関係さえ持てば、女性は妻になるしかない。それくらい極端だった。
かつてある男女が幼い頃から将来を誓い合い、結婚するまではと清い関係を続けていたが、その女性がある城主に強引に奪われた。激怒した男は近隣領主達の力を借り、大軍で城を囲んだが、勝ち目が無いと見た城主が言い放った。
「分かったよ。責任を取って、女を妻にするからいいだろ」
「ならばいい」
近隣領主達が頷いた。
「ち、違う! そうじゃなくて、彼女を取り戻して欲しいんだ!」
男は叫んだ。
「何言ってんだ。妻にするってんだからいいだろ」
なんと、軍勢は引き上げてしまったのだ。男は悲観し涙を流したが、どうにもならなかった。
現在は、それほど酷くはないが、やはり未婚の女性が男と関係を持てば、それが多少強引でも既成事実と認識される風潮はある。
尤も、ウィルケスとて本気で考えている訳ではない。あの毒女を追い詰めつつあるという気持ちの高ぶりが、そのような過激な表現になっているだけだ。とはいえ彼も聖人君主ではない。上手く口説くのに失敗すれば、多少は強引になるかも知れんな。とは考えていた。
まあ、夫婦となるのなら、長い付き合いになるだろう。出来れば穏便に済ませたいものだ。
ランリエルに戻ったウィルケスは、早速、次の手に乗り出した。外堀を埋め城壁も突き崩した今、残るは居住区を攻め落とすのみ。兵士を大挙動員し攻め寄せさせたのだ。
「お聞きになりました? ウィルケス様が、サルヴァ陛下から領地を賜るのですって!」
「何を言っているの。領地どころか王位まで頂くとか」
「国王に!?」
「ええ。アリシア様のご親友であるナターニヤ様とウィルケス様のご結婚をお祝いし、陛下がお贈りになられるそうなのです」
令嬢達が噂していると、別のご令嬢も参加してくる。
「あら。私は、ウィルケス様がナターニヤ様に求婚したところ、ナターニヤ様が国王としか結婚しないと仰られて、サルヴァ陛下がならばと、ウィルケス様に領地をお与えになられたと聞きましたわよ」
「まあ。私が聞いたのとは違いますわね」
あえて、事実とは違う情報も流した。本当のところはどうなのか? それが噂の広がりに拍車をかけるのだ。王宮の隅でも、舞踏会でも、その話で持ちきりだ。しかも、その話は全て、ウィルケスとナターニヤが結ばれる事については肯定し、その部分については事実と認識されつつある。
ここまでくれば、あの女も、今更サルヴァ王子の妃になるのは難しいと認めるはず。
サルヴァ王子がナターニヤを愛して妃にするなら、ウィルケスも妨害したりはしない。問題は、王子がナターニヤを愛してはおらず、ナターニヤが暗躍する事により、王子が真に愛するアリシアの命が危険に晒される事だ。
実際は、ナターニヤの計画が思わぬ方向に進み、アリシアが彼女を王子に妃として薦める直前にまで事が運んでいる。ならば、もはやアリシアに危険はないのだが、幸か不幸か、それをウィルケスは知らない。知っていれば、もう少し違う展開になったであろうが、すでに事態は動き出している。
そして、ナターニヤは対抗策を打てずにいた。
彼女はウィルケスとは違い、サルヴァ王子の真意を聞く機会がなかった。対決の時に、サルヴァ王子が、ならば王位を与えようと言い出した時から、彼女の情報は更新されていないのだ。
サルヴァ陛下は、いったい何を考えているの? それを考えている内に、畳み掛けるようにウィルケスの攻勢である。しかも、彼女はまだ、父がすでに攻略されている事すら知らない。外堀が健在のまま、突如、城内に攻め込まれたと考えている。
どうにかしなければ。
だが、ウィルケスの攻勢は予想外に激しいものだ。安全なところから噂を流してくるだけと考えていた。ならば、嘘をいう訳には行かないサルヴァ王子の御前で対決すれば、ウィルケスも真実を語るしかなく引き下がると思っていた。決戦を挑めば逃げ出すと想定していたが、ナターニヤこそが、後宮という城塞から誘き出されたのだ。
しかも、その決戦で大きな過ちを犯した。ウィルケスの突撃を正面から打ち砕かず、綺麗にいなそうとした。本来ならそれは間違った選択ではなかったが、審判というべきサルヴァ王子がそれを理解していなかったのだ。激しく組み合っているのを、どうやらあの馬鹿王子には仲良く踊っているように見えたらしい。その仲良しの2人をまとめる為に一肌脱いだ気でいる。しかも、後宮や王宮では、その噂で持ちきりだ。
いっその事、直接ご令嬢達に会って否定するか。
いや、彼女達は自分の信じたいものを信じる人種。人は皆そうだとも言えるが、彼女達は特にその傾向が強い。否定すればするほど、本心をお隠しになって、と枕詞を付け、でも私には分かりますの、と、その後ろに自分の妄想を連結し他に人に語る。そのような人種だ。
城を放棄しての撤退。これしかないのか。
父に手紙を出し、病で伏せっているという事にして貰う。父の身を案じてコスティラに一時戻らせて欲しい。そう願い出るのだ。自分が病気になったから祖国に戻る。というのは通用しにくい。軽い病なら帰る必要がなく、重病では遠くコスティラに戻るのも危険だ。大病なら、後宮に戻るというのも難しくなる。
父が重病なので結婚どころではない。人の良いところもあるサルヴァ王子だ。こう言われて、父が重病だろうとウィルケスと結婚しろ。とは強制しないはずだ。
早速、手紙を書く筆記用具を侍女に用意させようと呼び鈴に手を伸ばした。しかし、それよりも早く侍女が扉を叩く。役目を果たせなかった呼び鈴は所在なさげに、手の下で揺れる。
「お嬢様。ウィルケス様が、お嬢様にお会いしたいとお越しになっております」
以前は、侍女も’サルヴァ陛下の副官の’ウィルケス様と言っていた。その呼び方の僅かな違いが、現在の状況を表している。王子が副官を派遣し用事を伝えに来るのではない。ウィルケス自身がナターニヤに会いに来る。それが当たり前だと思われている。敏感にそれを察した彼女は、苛立ちにほとんど反射的に答えていた。
「帰って頂きなさい」
「で、ですが、よろしいのですか?」
侍女達も、後宮や王宮に広まる噂は知っている。それどころか、その噂の一部が真実だとも知っているのだ。新たな王国の王妃になるというのは、客観的に見ても良い話だ。その’国王’が会いたいと言っているのだ。膝を折って笑顔で出迎えるべきではないのか。
「いいから、帰って頂きなさいと言っているの!」
「は、はい」
侍女は慌てて引っ込んだが、暫くすると手紙を携え戻って来た。
「お嬢様。ウィルケス様が、これを読んで頂ければ会って下さるはずだと……」
とおずおずと差し出した。
ひったくるようにして受け取ったナターニヤが、封印の蜜蝋を弾き飛ばし手紙を広げると、その内容に愕然とする。手紙を持つ手がわなわなと震えた。
すでに陥落している!
それは、父であるバルィシニコフ公爵がすでにウィルケスに説得され、彼と結婚するようにとの手紙だった。
城を捨てて落ち延び、そこで再起を計ろうと考えていたら本拠地がすでに落ちている。城を落とした後、本拠地まで追撃するのではなく、先回りして本拠地を落とす。行き場を失った兵は、降伏するしかない。
なんという事なの……。
どうしてこうなってしまったのか。さっぱり分からない。あのウィルケスという男は、どうしてそこまでして自分の邪魔をするのか。どんなに優れた者でも、本気で相打ちをする覚悟がある者に狙われては阻むのは難しい。大抵の者は、命に代えても、と言いながら逃げる算段をする。逃げ切れなかったら死ぬ覚悟、があるだけなのだ。それを、あの男は本気で自分と結婚までしようとしている。
実は、あの男は本気で私を愛している。などとはあり得ない。あの男からは、愛情どころか悪意、少なくとも悪意に限りなく近いものを感じる。にもかかわらず私と結婚する。愛してもいない女とだ。私の邪魔をする為だけに!
「お通し、してちょうだい」
平坦な声でナターニヤが言った。にもかかわらず、その声にはある種の感情が秘められていたが、侍女はそれに気付かない。
「はい」
と身を翻し、主人の未来の夫を迎えに行く。
やって来たウィルケスは、上等な衣装を身に纏い立ち振る舞いは涼やかで貴公子然とした姿だ。尤もそれは、夢見がちな少女が思い描くように演出過剰にも感じる。しかし、多くの女性は成人しても、心の何処かに少女の部分を持っている。過剰なくらいで良いのだ。
「お会いして頂き、ありがとう御座います。門前払いされるかと、冷や冷やしましたよ」
ウィルケスは上品な笑みを浮かべ、その笑みに案内してきた侍女の頬が赤らむ。
実はこの侍女は、先日、親しくしている男の両親と会い、良い印象を持って貰えて、この分では目出度く結婚できそうな按配だったが。それとはまた別の話だ。
それに、この男には頑張って貰い、是非とも主人とは上手く行って欲しいものである。ここで問題でも起こされては、自分の縁談にも影響するのだ。
「失礼致します」
内心、ウィルケスを応援しつつ頭を下げて部屋を後にしようとする侍女を主人が呼び止めた。
「この部屋には誰も近寄らせないで。全員、詰め所にでも行って頂戴」
後宮は、各寵姫の部屋。それに繋がる専属の侍女の部屋があるが、複数の侍女を持つ寵姫も多い。それらは、全て後宮側で用意した侍女用の部屋で寝起きして、昼間だけ専属の侍女部屋で待機する。それを退去させれば、完全にウィルケスと2人きりになる。
思いがけない好機。侍女が聞き耳を立てている事を想定しての口説き文句を用意していたが、それならば、もっと突っ込んだ話が出来る。その状況を作ったナターニヤもその積りのはずだ。
この女は、歯が浮いた台詞に騙されるような女ではない。このまま大人しく自分の妻になった方が利口。そう納得させるのだ。無論、簡単には従うまい。しかし、この女は賢い。損得勘定が出来る女だ。
にこやかに微笑みを浮かべ近づく。両手を広げ、貴女のすべてを受け入れると態度で示す。2、3愛の言葉を並べ、それをきっかけに利害の話に持っていく。その手順だ。
「ナターニヤ殿。いや、我が妻――」
「何で邪魔するのよ!」
完全に予想外。この武芸に優れた男が避けられなかった。細く形の良い指で固められた拳が、ウィルケスの鼻先を強かに打った。
思っていたのと違う。
予想外過ぎるこの状況に、仰け反り鼻血を飛ばしながら他人事のような暢気な感想が頭に浮かんだ。




