第223:職権乱用
ナターニヤとの対決の後、ウィルケスは部屋に戻った。士官用の物だが、王子の副官として客を迎える事もあろうと将官並みに複数の部屋がある。その一室で今後の事を思案していた。
予想通り、サルヴァ王子は自分とナターニヤとのやり取りを曲解していた。というより表面的な言葉の羅列しか理解していなかった。
言うなれば、寵姫達が庭で散策し談笑しているのを、蝶達が庭で囁いておりますな。と例えたのを、蝶が鳴いたりするものかと素で返すように話が通じていなかったのだ。事、軍略、政略では相手の裏の裏まで読むサルヴァ王子が、何故、男女の事になると完全にその能力を失うのか不思議なほどである。
しかも、人とは不思議なもので、自分だけは無意識に例外と見る向きがある。貴族社会の結婚とは、恋愛感情より条件が重要なのが常識だ。大貴族であるほどその傾向が強い。王子もそれが当然という認識だ。自分自身、条件など露ほども気にせず、アリシアと愛し合っているにもかかわらずだ。いや、だからこそ愛し合っていても結婚はしていないのだが、それだけ、この貴族社会の習慣が根深いとも言える。
「私の何がご不満なのです」
「私。国王か皇帝としか、結婚相手には考えておりませんの」
ウィルケスとナターニヤとの会話の中で、何故かこのやり取りにだけ注目し、しかも、それを言葉のあやとも思わず額面通りに受け取った。この条件さえ乗り越えれば障害はないと考えたのだ。
「つまり、ウィルケスが王になれば良いのだな?」
いや、違う。あくまで駆け引きの一環としての言葉であり、双方、本気で言っているのではないのだ。自身が王族ならまだしも、如何な名門貴族とて、一介の貴族令嬢が、国王、皇帝としか結婚しないなど大言壮語を通り越して、本気で取る方がどうかしている。
「ならば、ウィルケスに領地と王位を与えようではないか」
「え? い、いや、しかし――」
流石のウィルケスも、戸惑いを隠せない。
「なに。良いのだ。お主達を阻むのが身分だけというなら、その身分を与えようではないか。どこの領地を与えるかは追って沙汰するが、王位を与えると約束しよう」
今までの対決を忘れたかのように、ウィルケスとナターニヤは顔を見合わせたのだった。
予想外の結果に、ウィルケスも困惑している。
これは出世……なのか?
それどころか大出世である。何せ国王だ。子爵家の出とはいえ次男で継ぐ爵位もない自分にとっては望外の話。望外過ぎて戸惑いの方が大きい。いや、望外云々ではなく、話が飛躍し過ぎているからだ。将軍となり他国を征伐し領地を与えられ諸侯となり王に格上げ。奇跡が起これば、そのような段階を経て国王になる事もあるかも知れないが、その段階すらない。副官から王。常に飄々とし人を食ったようなこの男にして、まるで雲の上を歩いているかのように現実感がないのだ。
しかし、何度思い起こしても現実。朴念仁が服を着て歩いているかのようなサルヴァ王子だ。もし王子が男女関係にすれているならば、あの言葉もウィルケスとナターニヤとの間を取り持つ為の一時の方便と考えられなくもない。だが、王子は本気らしい。
王子の真意を確かめねば。
王子の言葉に自分もナターニヤも唖然とし、これで決まりだ、という態度の王子に呑まれ対決は終わった。真意を問う、という事すら思い浮かばない状態だった。しかし、あの王子の事。それこそ表面的な言葉からは察せられない深い考えがあるはずだ。逆に言えば、自分如きがあれこれ考えても分かるはずがない。王子に問うしかないのだ。
そうと決まればウィルケスも肝の太い男である。どうせ明日は副官として王子と顔を合わせるのだ。その時に聞けば良いと、早々にベッドに潜り込んだのだった。
時を同じくして、ナターニヤもウィルケスと同様、困惑、混乱していた。それどころか、彼女のそれはウィルケスより重症だ。
ウィルケスは、まだ耐性があった。軍略、政略で、数々の奇策を生み出す王子の傍に仕えていた。その対象が己になったのは予想外だったが、王子が、突拍子もない事を言い出すのは何度も見ていた。しかし、彼女はそうではない。
王子の噂は耳にしていた。数々の奇策を生み出すのだと。だが、ウィルケスのように傍で見ていたのではないのだ。その彼女から見て今回の王子の発言は、意味が分からない。の一言に尽きる。
サルヴァ王子とは、もっと現実的な人ではなかったのか。部下が求愛するのに王になる必要があるから王にする。お伽噺のような話だ。
サルヴァ王子とは、そんな浮ついた人だったのか? いや、それはあり得ない。
ならば、アリシアが裏から手を回していた? もっとあり得ない。愛妾のおねだりで1国を、その友人に与えるなど馬鹿げ過ぎている。しかも、王でなければと言ったのは自分なのだ。
男女の事にかけては朴念仁のサルヴァ王子より自分の方が数段上手。そう考えていた。実際、そうなのだ。お互い同水準の教養がなければ会話は成立しないとも言われている。今回、それに近い状況になった。
王子はナターニヤとウィルケスとの駆け引きを理解出来ていなかったし、王子の考えをナターニヤとウィルケスは理解出来ない。頭を抱え思案し、その結論にまでは達したナターニヤだったが、どう曲解したとしても、国を一つ与えようという結論になるのかは、やはり理解不能だ。
とはいえ、どうやら国を欲しがっているようだ。ならば与えよう。流石に、そんな安直な考えではないはずだ。
ウィルケスとは違い、サルヴァ王子の奇策に免疫のないナターニヤは、眠れぬ夜を過ごしたのだった。
翌朝、内心の緊張を隠しきり総司令府に向かったウィルケスは、サルヴァ王子の到着を待った。王子が従者と共にやって来たのは、いつもの時間を遥かに越えていた。責務に厳格なサルヴァ王子にしては珍しい。
「すまぬな。昨夜、お主に与える領地を考えていて、気付けば夜が明けていた」
強烈な先制攻撃だった。ウィルケスなりに、どう切り出そうかと段取りを考えていたところに正面から来た。
「それは、お手数をおかけ致しました」
動揺を隠したが、その衝撃に顔は熱く背は冷たく、血の気が引いたのか沸騰したのかも分からない。
どうやら、王子は本気で俺に国をくれる気らしい。だが、何故なのか?
それを聞き出そうと考えたが、ウィルケスが口を開く間すら与えず、サルヴァ王子は思わぬ大発見をした少年のように目を輝かせ舌を回転させる。
「お主にはテッサーラを与える事にした」
「テッサーラですと?」
有能な副官は、いまだ混乱する頭で何とかその情報を掘り出す。
王子はカルデイ皇帝からセルミアの地を得てセルミア王となった。場所はランリエルとの国境のカルデイ側。テッサーラは、そのランリエル側だ。同じくランリエルとカルデイとの戦場となる地域で、人口は少なく開発も進んでいない。以前は、ある貴族の領地だったのだが、百年以上前にカルデイ帝国軍に攻められ当主は討ち死に。妻子も亡くなった。親類縁者は居たが、貰っても面倒なだけと相続を放棄し王家の直轄領となっている。
だが、面積は広大である。国境に戦場になりやすく命の危険も多いにもかかわらず、少ないながらも住む者もいる事からも分かるように、土地もそこそこ肥えている。ウィルケスの兄が相続するバルレート子爵家の領地など比べ物にならない。
国王に任命されるとしても、豆粒ほどの領地を貰い名目だけの王。と考えていたウィルケスは眩暈がしそうになった。
「ず、随分と思い切った事をなさいますな」
現実感が伴わず、まるで他人事のようだ。
「驚いたか?」
「勿論です」
「よし。お主が驚くならば、他の者達はもっと驚くだろうな」
王子の瞳が、いたずらが上手く行った子供のように笑みが浮かべ輝く。
沸騰と冷却の狭間を行き来していたウィルケスの血液が、一気に冷却に傾いた。背筋が凍りついたように冷たくなる。
まさか。人々を驚かせる為だけに部下に広大な領地と王位を与えようというのか。自分がその恩恵を受ける対象とはいえ、正気とは思えない。権力の乱用である。
将来は名君になると期待されていた跡継ぎが、実際に頂点に立った途端、自制心を失い暴君と化す。珍しくもない話だ。今までも実権を握っていたとはいえ、制度的には上にクレックス王が居た。クレックス王がサルヴァ王子を廃嫡する事も可能だった。しかし、その枷が無くなり、王子の精神が暴走したというのか。
「誰か王位を与えるに丁度良い者が居ないかと考えていたのだ」
絶句するウィルケスに気付かぬのか、普段は飄々とする副官が絶句しているのに満足したのか、笑みを浮かべたまま王子の話は続く。
「ランリエルは皇国となったが、ただ名称が変わるだけでは意味が無い。その権威は、今までと違うのだと皆に知らしめる必要がある。一国を与える。これ以上、分かりやすい話はあるまい」
一国の国王を意のままにする。する力がある。それを示す事により皇帝サルヴァ・アルディナの力を内外に示す。それを王子は考えていた。しかし、どこかの王を廃嫡するのは無理がある。ならば、新たに王を起たせなければならないが、それにも理由が必要だ。
しかも王子は’他愛も無い理由’を望んでいた。こんな事で王国を作るのか。と皆に思わせる。功臣に国を与えるより、遥かに権力の大きさを示せるというものだ。
とはいえ、その他愛もない理由も、人々の共感を得られるものでなければならない。奇策が次々と湧き出る王子ですら、中々思い浮かばず、半ば諦めかけていたところにナターニヤとウィルケスとの対決。
その2人の、国王としか結婚しない、ならば国王になる、の会話が耳に入ると、その瞬間王子の頭は回転しだし、他の会話をほとんど聞いていないほどだった。
ナターニヤが王子の愛妾アリシアの親友だとは有名な話だ。ウィルケスは元より王子の腹心の部下。その愛を取り持つ為に1国を与える。人は、この手の話を好むものだ。これは良いのではないか。と、王子は思い付いてしまったのだ。
「それで、私を王にすると?」
「ああ。お主もナターニヤと結ばれるのだ。異論はあるまい」
王子は断言し、ウィルケスが口を挟む余裕すら与えない。
しかも、ウィルケスは副官のままとする。一国の王を副官とするのだ。ランリエル皇帝が、どれほど偉大な存在かと示せる。無論、その為にはウィルケスは国を与えられても、サルヴァ王子の傍に居なければならない。国政は、宰相を任命し、その者に任せる事になる。
「ナターニヤ殿も王都に住めばよい。アリシアも喜ぶだろう」
王子は、更に何かを思いついたのか顎に手をやり小さく頷く。
「ふむ。ならば、いっその事、全ての国の国王、王妃をランリエル王都に住まわせれば良いか。お主のようにランリエルにて役目を与えてもよい。ランリエル皇帝支配下の王国ではなく、ランリエル皇帝の臣下の王とするのだ」
もはや、ウィルケスが居ないかのように王子の独壇場だ。
今は無理だ。皇国との戦いの前に強行すれば反発が大きい。しかし、皇国との戦いに打ち勝ったならば、ランリエルは絶大な力を持っているはず。その時こそ断行する。
ランリエル配下の国々も、国王がランリエルに住んでいるなら反乱を起こせない。問題は、国元で政治を任されている者が国を乗っ取ろうとする事だが、その時は責任をもってランリエルが制圧する。誰もが勝ち目がないと理解するだろう。
そして、それはランリエル国内の皇室の権力強化にも繋がる。
国王と臣下の関係とは、一般的に国王が強いと思われがちだが、実は逆である。国軍の比率からしても、貴族達の総兵力は王家の直属兵を遥かに上回るのが普通だ。つまり、貴族達が一致団結し敵対すれば王家は滅ぶ。何をするにしても、貴族達が一致団結して敵対しない範囲で、という制約が付く。その制約を外す。例えランリエル貴族が一致団結してもランリエル王家、いや、ランリエル皇家には敵対出来ない。その体制を作るのだ。
各国の王家をランリエル皇家の下に置く。各国の王家を臣下に組み入れる事により、ランリエル貴族とは別の戦力を持つ。ランリエル貴族達が一致団結しても勝てない。貴族達にそう思わせる。各国の王家こそ、一致団結してランリエル皇家に従うとは限らないが、貴族達とて博打は打てない。一致団結しても勝てないかも知れない。その可能性があるだけで、軽率には動けなくなる。
その王子の計画にウィルケスは唖然とした。
「言うまでもないが、民に重税を課すような愚行はするな。税は軽くするのだ。お主に悪評がたつと、王に任じたランリエル皇帝の名にも傷が付く。その逆も然りだ」
王子の頭の中ではすでに決定事項である。ここまで決まってしまっていては、ウィルケスも断る言葉はない。
だが、王子の考えは理解出来た。いつも通りの王子の奇策。ならば、ウィルケスにとって、それは’日常’である。彼の精神状態も通常運転に移行する。
「ところで、確認したい事があります」
その表情からは余裕すら見え、口元にも笑みが浮かぶ。
「なんだ?」
「副官としての給与は、今まで通り頂けるのでしょうか?」
王子の顔にも笑みが浮かんだ。
「勿論だ」
「ならば、テッサーラ王の件。ありがたくお受け致しまする」
お道化た副官は、仰々しく一礼したのだった。
さて、どうやら本気で、あの女を口説かなくてはならなくなったようだ。




