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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
313/443

第221:背水

 女が湯浴みをしていた。白い肌に湯が滑り薄っすら湯気を上げている。


 胸は小ぶりだがコスティラ女らしいスラリとした肢体は妖精とも称される。細い手足。白い肌。淡い金髪が腰まで流れた。一見、非の打ち所のない完璧な美貌。しかし、脇腹には5ミール(約4センチ)ほどの傷がそれに異を唱える。汚れを洗い流す為、肌の上を滑らかに這っていた手がその傷に引っかかり止った。反射的に思い出すのは、あの時の事だ。


 ナターニヤ・バルィシニコフ。コスティラ公爵令嬢。


 アリシア・バオリスがアルファーノ伯爵令嬢の侍女に襲われ、アリシアを庇った。その時に受けた傷だ。


 一度目は何としてでも助ける。助けられなかったとしても疑われないほどにはだ。そして、もし二度目があれば、その時は見捨てる。周囲の者達は自分を信じてくれるはず。


 驚くべき事に、夢見る侍女の妄想は的を得ていた。アリシアどころか、軍略、政略において当代一流のサルヴァ王子すら、まんまと騙され彼女に感謝していた。それをあの侍女は、全く出鱈目の経緯を辿った挙句、落とし穴に落ちたらそこが目的地だったかのように奇跡的に正解に辿り着いていた。


 尤も、あの件はナターニヤが手を下したのではなかった。アリシアがサルヴァ王子のお子を孕んだ。その情報を密かに流した。そうすれば、貴族の誰かがやる。それは確信していた。


 アルファーノ伯爵令嬢の侍女を騙してアリシアを襲わせた男が誰だったかなど、彼女にも分からない。どこかの貴族がアルファーノ伯爵家に罪を被せアリシアを殺そうとしたのだろう。もしかすると、本当にアルファーノ伯爵の手の者だった可能性すらある。


 そして、その失敗でクレックス王を警戒させアリシアが厳重に守られた為に実行されなかったが、他にも複数の襲撃計画はあったのだ。その中には精密な計画のものもあり、もし初めにそれが実行されていれば、今頃アリシアは墓の下だった。


 それに……。いつかは自分の手でアリシアを殺す。その時が来る覚悟はある。無論、出来るだけ直接は手を下さない。その為に、アリシアの信頼は得ている。


 アリシアがまた妊娠する事があれば、彼女は真っ先に自分にそれを伝えるはず。自分を頼るはず。どこに行くにも、自分が付いて行く事になるだろう。人に襲わせるのに、これ程都合の良い話はない。


「アリシアがまた陛下のお子を孕みましたのよ。今日は、どこそこにいらっしゃるそうですよ」


 そう囁けば良いのだ。それで、誰かがアリシアを殺してくれる。それでも駄目なら……。その時は、自分の手で殺す。


「いきなり賊が現れアリシア様を……。私も必死でアリシア様をお守りしようとしたのですが……。侍女に襲われた時とは違い、体格逞しい男の方が相手ではそれも叶わず……」


 これで周囲の者達は信用してくれるはずだ。そしてサルヴァ王子は自分を選ぶ。


 セレーナが死に、その親友のアリシアを王子は愛した。だから、アリシアが死ねば、その親友の自分を愛する。そんな都合の良い事を考えてはいない。おそらく王子は、もはや誰も愛さぬだろう。自分を選ぶのは、’他に居ない’からだ。そして、家格の面で見ても、コスティラ公爵家の自分は妃として不足はない。


 政治的に見ても、支配下の国々との関係を強化したいなら、そのいずれかの国から妃を貰うべきだ。その中で唯一ランリエルと国境を接しないコスティラとは、それ故に他の国よりも結びつきを強くしたい。


 無論、王族でないのは不利だ。しかし、物事には裏の見方がある。ナターニヤの実家のバルィシニコフ公爵家には、王家の血が流れている。あまりランリエルに逆らうなら、バルィシニコフ公爵家の後ろ盾となり王家にとって代わらせる。あえて口に出さずとも、暗黙の威圧となる。その視点と、アリシアを失った王子の虚無に付け込み、王族でない不利を覆すのだ。


 ウィルケスが評価した通り、賢い女であるナターニヤは、そこまで考えていた。


 だが、思わぬ幸運が落ちて来た。わざわざアリシアを殺さなくても、その妃の座が転がり込む。まだ決まった訳ではないが、アリシアはその気だ。アリシアの推薦があれば、王子の虚無に付け込む必要はなくなる。


 王子の愛するアリシアの親友として、命を救った恩人として、王子の妃となる。王子の愛妾と妃は大の仲良しで、皆で幸せに暮らしましたとさ。だ。


「ばっかみたい」


 呟き、湯浴み場を後にした。


 侍女に手伝わせて身体を拭い、衣装を身に着けベッドに倒れこんだ。仰向けになり天蓋を見つめる。それは、見事な刺繍がなされていたが、彼女の目には映っていても意識には届かない。頭は別の事を考えていた。


 アリシアを殺し、虚無になった陛下の心に付け込む。その計画のはずが、今、彼女自身がその虚無に囚われていた。


 私を妃に勧める気があるなら、早く言えと思う。だが、あの侍女による襲撃事件が無かったら、ここまでアリシアに信頼されていただろうか。おそらく、無くても信頼されていただろう。


 あの襲撃事件は無駄だった。大国ランリエルの妃になる為なら、殺人とて辞さない。その覚悟があった。だが、人を殺して、それが無駄だったとなれば、何の為に魂を穢したのか。


 手は穢れてないかも知れない。直接、自分の手にかけたのではないからだ。だが、死ぬと分かっていてやった。やらせた。王子の子を腹に宿した寵姫を襲って死罪にならないはずがない。アリシアを襲撃した侍女達は死罪となった。自分が死なせたのだ。


 大国の王子の関心を得る為に娘をその寵姫とする。親に売られて娼婦になるのと、どれほど違うのか。違う。と思いたい。そう認めれば惨め過ぎるから。他の寵姫達も同じだ。その為に、王子の心を射止めようと必死になっている。お目こぼしを得ようと必死になっている。


 お金の為に娼婦になった。という女に人々は軽蔑の目を向ける。だが、家族を助ける為に娼婦になったのです。といえば、誰もが同情し、時には尊敬さえしてくれる。


 王子の妃になれば、我が家の為になる。お父様が出世出来る。有力貴族に下げ渡して貰えれば、お父様も喜ぶだろう。それが寵姫の存在意義。そうとでも思わなければ、ただの娼婦。そうとでも思わなければ悲しすぎる。


 にもかかわらず

「私、陛下の妃なんて興味ありませんわ。おほほほほ」

 のはずのアリシアが王子の心を射止めた。


 王子にしても

「妃など興味がないところが良いのだ」

 だ。


 話が違う! 王子に見合う貴族令嬢達を集めたのではないのか。確かに、サルヴァ王子自身が望んだのではない。当時、クレックス王が家臣にそそのかされ王子の後宮を開いた。だが、王家に集められた。という事に変わりはない。美食を求めるというから一流の料理人を集め腕を磨かせていたら、庶民の素朴な味が良かったと言われるような理不尽さだ。


 もし今、寵姫達が絶大な権力を握れば、間違いなく2人を殺している。アリシアとサルヴァ王子をだ。だが、現実それは叶わない。叶わないので、考えもしない。叶えられる状況ならば、考えているはずだ。


 この時、アリシアがサルヴァ王子が王子でなかったとしても愛していた。などという戯言は関係ない。現実、サルヴァ王子はいまや王子どころか皇帝。現実に生きて何が悪い。


 なので寵姫達は自分自身の心すら偽り、今でも王子の心を得んと、殺したいほど憎いはずのアリシアに媚びへつらっている。確かに王子の心はアリシアが射止めた。それでも、妃の座は空いているのだから。


 ナターニヤも諦めてはいなかった。寵姫達の中で一番上手く立ち回っていた。一番、妃に近かった。その為に何でもやる覚悟があった。やった。侍女が死罪になると分かっていて、そそのかした。だが、目的の為には必要だった。そう自分を納得させていた。しかし、妃の座はナターニヤ本人が思うよりも更に近かった。そのような事をしなくてもアリシアはナターニヤを王子に勧めていた。


 確かに元々寵姫。王子に身を捧げる女だ。この例えはふさわしくないかも知れない。だが、ナターニヤの心は今、家族の為に歯を食いしばり屈辱に耐え、身体を売って得たお金を握り締め家に帰ってみれば、これを使ってちょうだい。と大金を持って友人が待ち構えていたような、やるせなさ、口落ちさが満たしていた。


「もし貴女が王妃になりたいとか思っているんだったら、どうかな……て」

 アリシアはそう言った。


 確かに悪気はないのだろう。だが、どうしてもっと早く。そう思わずにはいられない。今更、そんな話は聞きたくなかった。自分の力でやり遂げる。その方が、自分の罪も肯定出来た。だが、その罪が浮いている。もっと早く言わないからだ。アリシアの所為だという感情が、憎しみの感情すら沸き上がる。しかし、やはり自分がやった事。その現実は変わらない。一度決めた覚悟が揺らいでいる。


「やってやるわよ」


 ベッドの上で呟いた。


「やってやるわよ!」


 もう一度、更に強く呟き、起き上がった。する必要のなかった罪を犯した自分は可愛そう。などとは思わない。可愛そうなのは、騙され死罪となった侍女だ。そんな事は分かっている。自分がここで投げ出しては、死んだ侍女が浮かばれない。そんな訳はない。侍女は、私を妃にする為にアリシアを襲ったのではない。そんな事は分かっている。



 ナターニヤは侍女も連れず、後宮と宮殿を隔てる扉を越え、アリシアの部屋へと向かっていた。エレナが使いとして来て、アリシアが呼んでいると告げたのだ。


 以前、アリシアとサルヴァ王子が結ばれる前は、ほっそりとした身体の線が出る淡い色の衣装を見に着け、妖精の如くと言われていたが、今では地味な色の厚手の物だ。アリシアと王子が結ばれたのを祝福し、身を引いたという演出だ。


 途中、多くの兵士とすれ違う。以前はクレックス陛下の命令でアリシアの部屋を厳重に警備していたが、その王は退位した。今では、サルヴァ王子が直接命じている。その所為か、以前よりも兵士の数が増え蟻の這い出る隙間もないほどだ。


 とはいえ、所詮は男の考える事。蟻は阻めても毒蛾は見過ごしていた。ご令嬢の群れにはただの案山子だ。アリシアがご令嬢達に囲まれ庭に連れ出されても、一緒に散策に行ったとした考えず、遠巻きに賊の襲撃に備え突っ立っている。だからこそ、アリシアはご令嬢達に追い詰められている。


 その案山子の群れを抜けアリシアの部屋の前に辿り着いた。扉を叩くとエレナが顔を出す。


「ナターニヤ様。お待ちしておりました」


 にこやかに微笑む侍女に違和感を覚えた。確かに以前は憧れられるようだったが、最近ではまるで親の仇のような視線を向けて来ていた。この変貌は何なのだろうか。


「ええ。アリシア様のお加減が悪いのですってね」

「はい。でも、ナターニヤ様がいらっしゃったので、すぐに元気になると思います」


 ウィルケスから今のところは調子を合わせておけと言われているエレナだが、肝心のナターニヤからすれば不自然な事この上ない。とはいえ、扉の前で長々と思案するものではない。


 それでは、と部屋に入るとアリシアが長椅子に崩れるようにもたれ掛かっている。あまり行儀の良いものではないが、それだけ気を許している証拠だ。とはいえ、本人も自覚はあるようだ。


「こんな格好で御免なさいね。少し疲れちゃって」

「気にしないで。それより大変そうね」

「そうなの。一歩部屋を出ると、大勢で待ち構えているんですもの」


 ならば部屋から出なければ良さそうなものだが、それも気が滅入る話だ。それに、今ならご令嬢達が居ないと見計らって出てみると、彼女達の方が一枚上手なのか、やっぱり居る。という状況だ。しかしこの分では、本当に部屋に引き篭もるしかないところまで追い込まれつつある。


「やっぱり、陛下には相談しないの?」

「ええ……」


 部屋の前には兵士が並んでいるのだ。サルヴァ王子に言えば、その兵士達がご令嬢を排除してくれるのは分かっている。だが、王子に心配をかけたくない。王子は今、グラノダロス皇国との戦い。周辺各国との外交。皇帝になった事による諸問題。それらに手一杯だ。


 サルヴァ王子が、アリシアを選んだ理由を、多くのご令嬢、寵姫達が、貴族令嬢とは違った庶民的なところが好まれたのだと考えているが、実際は、そのような薄っぺらな理由ではない。彼女が、彼の一番の理解者だからだ。とはいえ、理解し過ぎるのも考えものだ。今のアリシアは、それによって自らを縛り、にっちもさっちも行かなくなっている。


「少しくらい、陛下に甘えても良いんじゃなくて?」


 本当にアリシアが王子に訴え、問題が解決してしまっては不味いのだが、親身に相談に乗っている態を見せなければならない。それに、そうは言っても、アリシアが首を縦に振らないのは予測済みだ。


「いいの。陛下は今大変なんだから。つまらない事で煩わせてしまっては悪いわ」


 アリシアは、庶民として平凡な男と結婚すれば、良い奥さんになるんでしょうね。と、ナターニヤは思う。平凡な男と愛し合っていれば、しなくても良い苦労だった。しかし現実、大陸の覇者とも呼ばれる男を愛し、愛された。アリシアはそれを受け入れた。ならば、その選択の責任は取らなければならない。


「でも、貴女、それで大丈夫なの?」


 アリシアの表情が曇る。大丈夫でないからナターニヤを呼んだのだ。


「え。う、うん」


 アリシアが口篭る。その理由をナターニヤは正確に見抜いている。以前、一度アリシアから話のあった、自分をサルヴァ王子に勧めるという話を、もう一度しようか考えているのだ。もしナターニヤが受ければ、陛下の妃問題は終止符が打たれる。ご令嬢達がアリシアに群がる必要も無くなる。多少のお目こぼしを狙う者は絶えないだろうが、それでも今とは雲泥の差だ。


 とはいえ、焦ってはいけない。


「どうしたの?」

 と気付かぬ振りをする。


 あくまでアリシアが強く望むから。王子にしても、そこまでアリシアを追い詰めていたのなら、と受け入れさせる。その為には、自分はしばらく知らぬ存ぜぬを通す。アリシアから王子。王子から自分に、という形になれば理想的だ。


 ナターニヤはアリシアの気持ちを理解しつつ韜晦し宥め続けた。ナターニヤの思う壺だ。もうしばらくすれば、王子の愛するアリシアが、跡継ぎ問題の為に親友ナターニヤを陛下に薦め妃となる。庶民もその美談を称賛するだろう。彼女の計画は順調だった。


 だが、策略を巡らす者は、よくある事を失念する。それは、自分こそが策略の標的になっているかも知れないという事をだ。

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