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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
312/443

第220:対決

 サルヴァ・アルディナがランリエル皇帝となる。僅か10年前には、誰も夢想だにしなかった。ランリエル貴族達も、この快挙に気が大きくなった。


「西にグラノダロス皇国あるなら、東にはランリエル皇国あり!」


 そう公言する者も多い。中には、これを機に家の紋章を変える者も居た。今までの家紋に雌牛の意匠を追加したのだ。無論、ランリエル王家、いや、ランリエル皇家の雄牛の紋章を意識したものだ。皇家の紋章と同じ雄牛は使えないので、それに付き従うという意味込めたのだ。尤も、紋章などあまり’被る’のはよろしくないと、この雌牛の紋章が乱立する事態に、初めに使ったのは自分だと主張し、他の者に、お主は遠慮せよと言い出す者も続出した。時に、決闘沙汰にまでなったほどだ。


 面白いところでは、ランリエル爵位の急騰なども見られた。


 稀に、金に困り爵位を売り払う貴族がいる。ランリエルにもいる。その爵位がランリエルの皇国成りの発表前と後で2倍。戴冠式の後には、更に値上がりした。発表されたとはいえ、本当にそのような事があるのかと危ぶむ者も多かった。それが無事に戴冠式も終わり安心したのだ。発表前に売ってしまった者は、己の不運を嘆いたという。


 ちなみにラッジ子爵という、当の昔に領地を売り払い、残るは爵位だけという没落貴族が居た。彼の爵位は10倍の値が付いた。ラッジ子爵家の紋章の意匠が雌牛だったからだ。爵位の購入と同時に彼の(戸籍上だけの)養子となれば、大手を振って紋章に雌牛を追加できる。


 浮かれたのは貴族ばかりではない。庶民も浮かれた。サルヴァ皇帝は、セルミア王でもあるのだが、ロタ北部にあるその王都への移住者が俄かに増え始めたのだ。セルミア王都では屯田制を敷き、半農半士の屯田兵でも手柄を立てれば騎士として取り立てると宣伝している。それに火が付いた。


「セルミアは、サルヴァ皇帝にとって特別な地。そこで騎士に取り立てられれば、他の国の騎士とは格が違う!」


 ある村では、次男、三男ばかりではなく、長男までが父から譲り受ける田畑を弟に任せたと言い放ち、村を飛び出した。尤も、地域差もあり、皇国を名乗ったランリエルに、元祖皇国が怒りセルミア王都は踏み潰されるだろうという噂が流れた地域もあり、その付近では移住者は激減した。


 そして、その騒ぎは後宮も例外ではなかった。今までも大国ランリエルの次期国王の妃の座を巡り寵姫達は争っていた。しかし、今となっては、それも可愛い話だ。


 ランリエル皇国初代皇帝の初代皇妃の座が出現したのだ!


 百度生まれ変わっても、大皇国の初代皇妃などという機会は二度とこないだろう。彼女達は俄然やる気を出した。


 とはいえ、寵姫という存在は後宮の主と男女の仲という意味では直結し、その分他の令嬢よりは有利な面もあるが、あくまで搦め手だ。正面口は、外交の手段として、他国の姫を妃として貰うのが正統といえる。


 つまり寵姫とは、正規ルートでは妃になれない程度の貴族令嬢が、主の跡取りを産む事によって、妃の座を目指す裏ルートなのだ。


 だが、その裏ルートにも乗れない身分のアリシアがランリエル皇帝の子を産んだ。初代皇帝の第一子の母。アリシア・バオリスの名は、それだけで歴史に刻まれる。


 善良な者は素直にそれを羨んだが、邪な者はそれを妬んだ。そして、貴女の身分では望外の幸運。もう十分でしょ? と考えた。後は、’ちゃんとした貴族令嬢’に譲るのが正しい道ではないか。


 ご令嬢達の、私をサルヴァ陛下に推薦なさい攻撃が、アリシアに絶え間なく続いたのだ。


 部屋から一歩出れば、彼女が出てくるのを待ち構えていたご令嬢方に囲まれるのだ。無論、彼女達は偶然を装う。しかし、アリシアが廊下に出た瞬間、複数の扉が一斉に開きご令嬢がわらわらと出現したのには恐怖すら覚えた。どうやら、伝手を使ってアリシアの部屋付近の部屋を確保して潜み、侍女に命じて扉の隙間からずっと監視させていたらしい。


「あら。アリシア様。これは奇遇ですわね。お散策ですか? 私も今から、その積りでしたの。良ければご一緒しましょう」


 彼女達は、ほとんど一言一句同じ台詞を同時に放ち、アリシアを取り囲んだ。彼女達はアリシアを包囲したまま移動し、アリシアにはなすすべがない。庭に到着しても景色を楽しむ気など微塵もなく、出てくる話題は皇帝のお世継ぎ問題ばかりだ。


 言葉を飾り、時には親切そうに、時には心配気に言う内容は、要約すれば、貴女にランリエル皇国皇帝のお世継ぎを産むのは役者不足だから身分を弁えて私を王子に推薦なさい。というものだ。


 こ、怖い。


 普段は勝気なアリシアだが、今の彼女には、このご令嬢達が常軌を逸した化け物の集団にしか見えない。彼女達にしてみれば、もはや体裁を取り繕っている場合ではない。という事なのだが、アリシアの知ったことではなく、ただただ恐怖の対象だ。


 いっその事、じゃあ、貴女お願い! と、適当な令嬢を指差してしまいそうになるが、それはナターニヤに止められていた。


「いい? 選ばなかった女達が貴女を恨むから、絶対に、誰か1人を指名しちゃ駄目よ。貴女達の誰を選んだら良いか分からない。何てのも言っちゃ駄目。少しでも、その気があるってところを見せたら付け込まれるわ。とにかく、のらりくらりとかわすのよ」


 長大な堤防も蟻の一穴から決壊するとは有名な言葉だ。少しでも王子に紹介する気があるところを見せれば、彼女達は何としてでも個人的に接触してくる。


「貴女と私だけの秘密にして下さいな」

 といい、それを断っても、絶対に秘密にするから、秘密にするからと粘着する。何とかして、蟻の穴から潜り込むとするのだ。


 ナターニヤの忠告に従い、何とか言質を与えず逃げ切ったアリシアだったが、部屋に戻ると精も根も尽き果てたようにベッドに倒れ込んだ。


 あーーん。もう!


 このような時は、可愛い娘の寝顔でも見て癒されたいところだが、残念ながらその娘は乳母がかかりっきりで見ている。アリシアは自分で育てたかったが、王族の子育てとはこのようなものだ。それでも、母が相応に身分のある者なら融通も利いたであろうが、身分の低いアリシアでは、それもままならない。


 ならば、サルヴァ王子に泣き付けば良さそうなものだが、元来、男に泣き付くという発想が苦手なのだ。それに、マリセラ王妃のいびりから王子に守って貰った事から、逆に、これ以上、王子に迷惑はかけられないと考えてしまってもいる。


 しかし、ストレスが溜まるのも事実。その捌け口となるのは親友ナターニヤだ。元々は対等の付き合いだったが、最近では、貴族社会に詳しいナターニヤの知識に従うしかないところもあり、少し依存気味だ。


「エレナ。ナターニヤ様をお呼びして頂戴」


 アリシアは気軽に命じたが、命じられた方は気軽に返事をしなかった。


「また……ですか?」

 と、表情を曇らせる。


「またってなによ?」

「最近、ナターニヤ様をお呼びになってばかりではありませんか」

「それの何がいけないのよ」


 確かに頻繁に呼び出されるのは面倒かも知れないが、当のナターニヤには遠慮しないでと言われている。寵姫など、主を部屋に招かれない時は他の寵姫とお茶会や散策するしかない。実際ナターニヤも、お茶会や散策の最中だったら、それを抜け出すいい口実。とも言っていた。


「で、でも……」

「でも、何なの?」


 エレナは、以前からナターニヤを怪しいと睨んでいた。なぜなら、何となく怪しいからだ。以前、アリシアが教われた時もちょうどナターニヤが一緒にいて身を挺してアリシアを庇ったが、それも信用を得る為だと思う。


 もし次に襲われる事があれば、その時には見捨てて、いや、自ら手を下しても、皆はあの女を疑わない。とはいえ、証拠は全くない。


「あの方は、何か怪しい気がするんです」

「何が?」


 アリシアにはエレナのいう事が分からない。分かるはずもなく、不思議そうにエレナを見つめる。


「だ、だって、アリシア様に親しげに近づいたり、妙にアリシア様を庇ったり、怪しすぎます!」


 アリシアの視線が虚ろだ。この子大丈夫? と目が語る。そしてそのような視線は、している方は無意識でその気はなかったりするが、された方は敏感に察するものだ。その視線に耐え切れずエレナが叫んだ。


「あの女はアリシア様を殺そうとしているんです!」

「いい加減になさい!」


 パチン! と頬を打つ音が部屋に響いた。一瞬、エレナには何が起こったのか分からなかった。頬の辺りで音が鳴ったのは分かったが、何の感触もない。しかし、じわじわと痛みを知覚し熱くなる。


「ア、アリシア様の馬鹿!」

「エレナ! 待ちなさい!」


 侍女は、主人の制止を聞かず部屋を飛び出した。纏めていた髪が、ぶたれた衝撃で少しほつれ風に揺れている。主人に信じて貰えなかった侍女は、どうすれば良いかを考えながら走っていた。ただ、分かっている事が1つある。


 今、私はヒロイン!


 主人が悪女に騙され、それを訴えるが当の主人に信じて貰えない。しかし健気な侍女は諦めず悪女の正体を暴き、主人は涙を流して自分の不明を侍女に詫びるのだ。完璧な筋書きである。


 ぶたれたのは思いの外痛かったが、これも、展開的には必要だった。これがあるからこそ、自分の正しさが証明された時の爽快感が増すというものだ。


 その後、そのお詫びにアリシア様の養女にして貰えば、ジュリー王女様の義姉になれる! そうすれば、ウィルケス様との結婚も夢ではない!


 身分の差で結ばれぬ貴族と侍女との忍ぶ愛も悲劇的で良いが、やはり、皆に祝福されて結ばれる王道展開も捨てがたい。


 その為には、あの女の悪事を暴かなくてはならないが、証拠は全くない。証拠を掴まなければならないのだが、どうやればいいのか全く分からない。となれば、心の婚約者に助けを求めるしかない。無論、秘めた関係なので正式に婚約したのではない。


 皇帝の第一子を産んだアリシアの侍女ともなれば、宮廷でもかなり顔が利く。しかも、侍女が陛下の副官を個人的に呼び出すとは誰も夢にも思わない。宮廷の役人にウィルケス様を呼んで欲しいと伝えると、役人も、アリシア様が陛下への言付けを、侍女と副官を介して伝えようというのだろうと素直に応じてくれた。


 やって来たウィルケスにエレナは泣き付き、ナターニヤの非道を訴えた。令嬢達の攻撃にアリシアが精神的に追い詰められ、それをナターニヤが助言し癒しているという内容だ。


「だから、きっと悪い事を考えているに決まっています!」


 ウィルケスは、計らずもアリシアと同じ視線になりそうだったが耐えた。その代わりに表情が消える。エレナは自信満々でウィルケスの言葉を待った。ウィルケスが口を開いたのは、しばらくしてからだった。


「ところで話は変わるが、赤髪の少女、という本を読んだ事はあるか?」

「ええ。勿論です。今でも毎晩、ベッドの中で繰り返し読んでいます」

「そうか」


 ウィルケスが、納得したという感じで深く頷いた。


 少女の聖書と呼ばれる本で、何の変哲もない小川や獣道を、夢のしずくの運河とか妖精の通り道とか、かなり痛い妄想をする女の子が主人公なのだが、ある時期の少女達は夢中になる。大抵は大人になるにつれ目が覚め、その記憶は闇に葬られるが、稀には生涯、信仰を続ける者も居る。この侍女も出会った時はあどけなさも残る少女だったが、今ではそれなりの年齢だ。どうやら、完治する時期を逸したようだ。


 とはいえ、ウィルケスもナターニヤを怪しいと踏んでいる。何が根拠かと言えば勘である。一見、夢見る侍女と同じようにも思えるが、そこは根本的に違う。侍女のはまごう事なき妄想だが、ウィルケスの勘は経験則の発露である。優れた彫刻家が、どうやってそれほど精巧に彫れるのかと問われ、木の中に埋まっている物を掘り出しているだけと返答するのに、やや似ている。


 勿論、その勘だけで判断しているのではない。勘を根拠に疑いの目で見れば、不審なところが見えてくるのだ。


 侍女のいうところでは、ご令嬢達の攻撃にアリシアは精神的にかなり参っているらしい。その解決の為、頻繁にナターニヤを呼んでいるという事だが、その割りに一向に問題が解決しない。


 ウィルケスは、ある意味ナターニヤを買っている。後宮での立ち回りも上手く度胸もあり、賢い女だ。その彼女が本気で動けば、これ程アリシアが追い詰められたりはしないはずだ。


 わざとアリシアを追い込み、自分を頼るように仕向けている。おそらくそんなところか。


「よし。分かった。私が何とかしてやろう」

「本当ですか!」

「ああ。任せておけ」


 皇国の侵攻などもあり目を放してしまったが、もしあの女が本当に何かを企んでいるなら危なかった。今までは運が良かっただけだ。あの女はアリシアの出産にも立ち会ったという。アリシアが産んだのが男の子だったら……。殺されていても不思議ではないのだ。


 そろそろ、あの女ともけりを付ける時だ。

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