第215:閉ざされた道
その日、リンブルク王ラルフ・レンツことルキノ・グランドーニは、義父であるゴルシュタット=リンブルク二重統治の統括者ベルトラム・シュレンドルフに呼ばれ、その執務室へと向かった。
ベルトラムの執務室は、リンブルク王宮の傍に建てられた屋敷にある。質実剛健でなる義父は贅を凝らすのに興味がなく、白い壁の上に朱色の瓦屋根が乗るありふれた物だが、遠くから見ると何となく周囲から浮いていた。理由は単純だ。その屋敷がありふれた物ではないからである。
小国といえど文化的には進んでいるリンブルクでは、瓦の色も青や朱でももう少し淡い色が多い。リンブルク風のありふれた屋敷に囲まれたゴルシュタット風のありふれた屋敷。周囲から浮いて当然。しかし、それだけにリンブルク人は思い知らせれた。今、自分達はゴルシュタットの支配下にあるのだと。
ルキノに随行するのは秘書官のカミル少年だ。それと護衛の騎士が数名。屋敷に入りカミル少年に命じて到着の報告をさせると、すぐにベルトラムから執務室に来るようにとの返事があった。ただし、ルキノ1人でだ。
「少し、待っていてくれ」
「はっ」
政府の役職の大半が世襲制というリンブルクの慣習により、歳不相応の役目についているカミル少年は、いまだ緊張気味だ。とはいえ、ベルトラムの改革で、多くの役職で世襲制は廃止されている。ルキノが一言いえば秘書官の世襲制も廃止出来るのだが、カミル少年も危なげではあるが何とか役目は果たしているのでそのままにしていた。
もし、世襲制を廃止しカミル少年を更迭すれば、この少年は己の不甲斐なさに泣くだろうと容易に想像できる。それも、ルキノを躊躇させていた。ならば、カミル少年が成人した時に彼の役職はそのままで世襲制を廃止する積りなのかといえば、それはルキノも答えられない。
数年後に俺はまだリンブルク王なのか。それを考えずにはいられないのだ。
ルキノ・グランドーニ。それが本名であり、ランリエル王国の軍人だ。サルヴァ王子の命令でベルトラムと同盟交渉をしにゴルシュタットに向かい、その帰りに野盗に襲われている女性を助けた。するとそれがリンブルク女王だったのだ。そして結婚しリンブルク王となった。
御伽噺ならば、めでたしめでたしで終わる話だ。しかし現実には、自分はラルフ・レンツという偽名を使い妻すら騙している。いつまでも騙し続けられるものなのか。騙し続けて良いのか。
いずれ妻には真実を話す必要がある。そう考えているが、すでに後に引けないところまで来ている。とも感じている。どうにもならない状況だが、ルキノなりに結論は出ていた。
今、自分に課せられた役割を果たすべきだ。いずれ妻に話す時、話す前に秘密が露見した時、そのどちらにしても、妻に信じて貰うにはそうするしかない。自らの役割を投げ出す者を誰が信用するのか。生真面目なルキノらしい結論だ。
考えながら廊下を進んでいると、いつの間にか執務室の扉の前に到着していた。扉もゴルシュタット風の樫の分厚い物だ。扉を叩いた音も鈍く響き重厚さを感じさせた。
「入れ」
取次ぎの者は現れず、義父の声がした。その通り部屋に入ると、やはり部屋には義父1人だ。
余人に聞かせたくない話か。と、なればランリエル関連の話。つまり、ラルフ・レンツにではなくルキノ・グランドーニに用があるという事だ。
「ベルトラム殿。お呼びにより参上致しました」
いまだ自分を認めぬ義父は、義父と呼ばれるのを拒絶している。
「うむ。手間をかけるな」
ベルトラムの表情はいつも通り甘さを感じさせないが、思いがけない労りの言葉だった。思わず、ルキノがベルトラムの顔を見直すほどだ。抜け目ない義父は息子の視線を見逃さない。
「娘に泣き付かれての」
「クリスティーネ殿に?」
「うむ。お主を早く認めて欲しいと申しておった。お主の子を欲しいと」
「そ、そうですか」
義父の命で妻とは寝所を別にしている。子が欲しいと訴えるというのは、寝所を同じにさせて欲しいという事だ。それを義父に訴えるとは、妻はそこまで思い詰めていたのか。
義父には忠実な妻だ。寝所を別にしろとの言葉にも素直に従い不満はなさそうだった。それが、自分が考えていたよりもはるかに妻は思い悩んでいたのだ。それも、自分がいまだ義父に認められていない所為と思えば、申し訳なく思う。
「そこでだ。お主に大役を任せようと思う。娘にも、それをやり遂げれば、お主を認めると言ってある」
「本当で御座いますか」
思わず声が大きくなったが無理もない。このような事を言い出すなら、半分認めて貰えているのも同然だ。
「逸るな。あくまで、やり遂げればだ」
「は」
とはいうものの、最終試験にまで辿り着いたのだ。気が急くのも無理はない。
「それで、どのような役目なのですか?」
「皇国のアルベルド王をつり出すのだ」
「アルベルド王?」
「そうだ。しかも、余人の手を借りず、お主自身でアルベルド王に直接会い交渉するのだ」
「私が……」
「我らはランリエルと表向きは敵対しつつ、裏では手を結んでおる。だが、アルベルド王は知らぬ。それを利用しアルベルド王に我らと共にランリエルに攻め込もうと持ち掛けるのだ。そして、ランリエル領奥深くに攻め込んだアルベルド王の軍勢の背後を我らが突く。それで勝敗が決する」
確かに、サルヴァ王子はそう目論んでいた。その為に、自分は使者として選ばれたのだ。だが、それをするにしても時期が早いのでは。ゴルシュタットもランリエルも先の戦いが終わったところだ。軍人であるルキノから見ても、腰が落ち着いていないように思える。
しかし、そこは百戦錬磨のベルトラム。彼自身も元軍人でもある。そして大政治家だ。ルキノの顔付きで言わんとしている事を察した。
「今は国内を鎮めるべきと言いたいのであろう。確かに我がゴルシュタット、リンブルク。そしてランリエルなども混乱が収まり切ったとは言いがたい。だが、相手のある事は相対的に判断すべきだ。皇国とて収まってはおらん」
相対的。確かにそうだ。しかし、その相対的に見ても、皇国にとって衛星国家は準国内のようなもの。すなわち内乱だ。それに比べこちらは外征である。皇国で戦場となったベルグラード、バリドットの民が皇国に刃向かうとは考えられないが、ケルディラ、ロタはどうだろうか。ロタは南北に分かれたとはいえ元の国王が治める事になった以上、反乱は考え難い。だが、ケルディラはそうは行かないはずだ。ランリエルが今動くのを是とするのか。
「無論。政治的にもの」
ベルトラムが重ねて言った。
リンブルク王となり、政治の何たるかを学習し始めたばかりのルキノだ。こう言われては、ぐうの音も出ない。ベルトラム自身、ルキノが反論出来ぬと分かってての言葉だ。
「国内に問題がある時は、皆の目を外に向けさせたいものだ。納まってはおらんからこそ他国に介入するのだ」
物事は全て多面的。だが、軍事に比重を置くルキノの視点は自然偏る。ベルトラムは、ルキノの死角から忍び込みその判断を眩ました。
「して、サルヴァ殿下……。ランリエルはこの策に同意しているのでしょうか」
「いや、まだ伝えておらぬ」
平然と言うベルトラムに、ルキノは目を見開いた。
「しかし、戦いを起こすという策を、同盟相手であるランリエルに承諾なしに行って良いものなのでしょうか」
「お主の方こそ、はっきりさせるべき時が来たのではないのか」
「私がですか?」
「お主は、我が娘婿のリンブルク王なのか、サルヴァ王子の腹心のランリエル士官なのか」
痛いところを突かれた。ルキノ自身は、リンブルクとランリエル。そのどちらにも良いように動きたいという考えはある。それが甘い考えだとも分かった上で、目を背け問題を先送りにしてきた。
「ここで即答出来ぬからこそ、お主を認める訳には行かぬのだ。万一ランリエルと手を切る事になれば、お主は娘を捨てランリエルに走るのであろう」
一瞬の間。しかし、妻への愛情を疑われる言葉に、全てを振り切った。ここで躊躇しては妻を失う。理性より感情が言葉になる。
「いえ。その時には、ランリエルを捨て妻を、クリスティーナ殿を取ります」
「ならば、この役目。見事、やり遂げて見せよ」
「ですが、私がサルヴァ……ランリエルの士官でなくとも、同盟相手に知らせず、勝手に戦いを起こす計画を進めるなど、信義に悖ると思うのですが」
「逸るな。皇国軍が攻め寄せるまでランリエルに知らせぬと言っているのではない。アルベルド王が話に乗り、現実味を帯びた段階でランリエルには伝える。それとも、お主がアルベルド王と交渉する前にランリエルに伝え、失敗すれば、リンブルク王の失態で計画は頓挫したと弁明せよというのか」
「そ、そのような訳では……」
「なに、アルベルド王は我らとランリエルが手を組んでいるのを知らぬ。我らがケルディラ全土を支配する為に、皇国の力を借りたいと求めても疑いはすまい。もし、交渉が失敗しても、それで我らとランリエルとの関係がばれるものでもなかろう。お主が、余程の失敗をしなければだが」
「勿論です。わざわざランリエルとの関係がばれるような事は口にしません」
「ならばよい」
ベルトラムが重々しく頷いた。
「アルベルド王に会う手筈は、我が配下の者を使い整えてやる。これは外は勿論、内にも秘密にせねばならぬ話だ。子飼いの部下を持たぬお主には難しかろう」
「はい」
先の戦いの活躍もあり、リンブルク王として周囲から認められ始めているルキノだが、自由になる金すら殆どない。寝食は国王として最高級の物が用意されるが、いざ金を使うとなればその用途が問われる。欲しい物があると言っても、ならばこちらで用意いたします。それは如何様な物でしょうか? と問われるのだ。まさか、隠密に働く者を雇いたいとは言えない。
ちなみに、サルヴァ王子に仕えるカーサス伯爵は、驚くべきことに無給である。サルヴァ王子の要求に応える為、組織の運営にかなりの資金を投入しているにもかかわらずだ。無論、明確に金をばら撒いて買収せよ。という指示が王子から出たのなら、その金は用意されるが、それ以外は伯爵の持ち出しなのだ。
その代わりに王子は、何かと伯爵に目をかける。サルヴァ王子の覚えの良いカーサス伯爵。その評判が対価である。サルヴァ王子とお近づきになりたい貴族は、カーサス伯爵にすり寄り、伯爵はそれによって様々な’美味しい話’にありつく。封建社会の王族と貴族との関係とはそのようなものだ。
ベルトラムやアルベルドは部下に金を払っているが、それは相手が貴族ではなく、その道の職人だからだ。職人には金を払う必要がある。
カーサス伯爵のような信頼できる臣下を持たず、自由になる金もないルキノは、裏仕事を任せられる者は持てないのだ。
「アルベルド王は、中々の曲者だ。難しい交渉になるだろうが、だからこそ小細工は不要。小細工を弄すれば足元をすくわれかねん」
「アルベルド王といえば、賢王との評判ですが」
「ふ。曲者でない賢王などいるものか」
ベルトラムが鼻で笑う。
政治は綺麗ごとばかりではない。綺麗ごとでなりたつならば、神父にでも任せれば良いのだ。たちまち、自称慈善家の貴族が群がり、国には難民が溢れるだろう。かつてある国の国王に心優しい愛妾がいたが、その愛妾の言葉のまま政治を行い、貧民国への援助を繰り返し自国の民は飢えに苦しんだ。また、とある賢王は、別の国の大軍に攻め込まれた時、敵が渡河しているところ攻撃しようと進言した部下に対し「敵の弱みに付け込むなど賢人のする事にあらず」と退けた。戦いは負け、多くの者が死んだ。
「賢王だろうと、いや。賢王だからこそ、その権勢を保つには裏の顔が必要だ。心してかかれ」
「はっ」
一旦、心が定まればルキノも有能な男だ。その瞳に、もはや迷いはない。
「相手が曲者であるが故に、お主は愚直で応じろ。我らはケルディラを手に入れられ、皇国としてもランリエルの力を削げて両国の為になる。それだけを訴えればよい。お主も心からそう信じろ。下手な小細工や中身のない美麗字句は、底が知られる」
下手が手練、手管に優れた者に技巧で挑むは自殺行為だ。力技。実践では、正面からの体当たりに達人が吹き飛ばされる事もある。
その後もベルトラムの薫陶、手筈の説明は続いた。ルキノが辞する頃には深夜となっていた。扉に向かうルキノの背を義父の声が追いかけた。
「これだけは覚えて置け。私とて、お主を我が息子と呼びたくない訳ではない。だが、お主がサルヴァ王子の腹心のままでは困るのだ」
「はい」
今まで散々冷たい態度だった義父だ。どうやったら認めて貰えるのか。認めて貰える日など来ないのでは、とすら考えた事もある。その義父からの思いかげない言葉に思わずルキノの声が震えた。
「他愛もない男だ」
ルキノが姿を消して暫く経ち、その呟きが執務室に響いた。
ルキノは自分の判断でベルトラムの命令を受諾したと思っているが、一から十までベルトラムに誘導されていた。横道は全て塞がれ、立ち止まりそうになればおびき寄せられた。無論、この先の道もだ。その道は、クリスティーネには繋がってはいなかった。




