第194:帰国
皇国の内乱が終結すると、ほどなくしてランリエル、コスティラらの連合軍とケルディラとの戦いも終わりを迎えた。これは、奇しくもとうほどではなく、内乱終結の報を受けたサルヴァ王子の判断によるものだ。
「いかな皇国といえど今は連戦する余力はあるまい。自らの勢力圏を攻められたのならともかく、財政を傾けてまでケルディラとの戦いに介入するとは思えぬ。だが、希望的観測で行動するのも愚かな事だ」
元々、対皇国戦を想定して領土拡張政策に出たサルヴァ王子である。肝心の皇国との戦いの最中に占領地で反乱がおこっては本末転倒だ。通常の占領地政策と比べれば甘過ぎるとも思える方針をとっていた。
占領地での略奪など当然の時代だ。かつて各国の王家の力が弱かった時代には、領主同士の戦いを止められず私戦は当たり前だった。その戦う理由も相手の領地を奪う為なのを隠しもしない。その後、王家の力が強まり貴族間での戦いが抑えられ、食糧事情も改善されてそこまでの殺伐さはなくなったが、それでも勝てば略奪して当然という意識は残っている。
「どうして略奪してはいけないのだ!」
「そうだ。命をかけて戦った当然の権利ではないか!」
将兵達はそう主張し
「もし奴らが攻めてきて勝てば、躊躇なく我らの国を略奪するのだぞ!」
とも言い、そして確かにその通りなのだ。
善悪ではない。長年にわたって行われてきた’そういうもの’を禁止するのは並大抵ではない。
それどころか、当のケルディラ領民すらも、略奪されるのはやむなしと考えていた。それを望みはしないが’そういうもの’なのだ。
「どうか、これで私達の村を略奪するのはお許し下さい」
そう言って、近くに駐屯する部隊に自ら貢物を差し出す村すらあった。
その中には数名の女性もいた。顔を泣きはらした彼女達の中に、どこか冷めた諦め顔の女を見つけて話を聞くと、みんな今回の戦いで死んだ兵士の妻だという。働き手をなくした彼女達を厄介者と村を守る為の道具としたのだ。
「なんてひどい事を」
話を聞いた1人の騎士がそうつぶやいたが、その女性から受けたのは感謝の接吻ではなく、憎悪の唾だった。
「人の旦那を殺しておいて、なに善人ぶってんだい!」
結局、その’貢物’は受け取らず女達も村に帰される事になったが、何人かの女が村に戻るのを拒絶した。村人の仕打ちを考えれば当然ともいえる。だが、女が身一つで軍隊に残るには身体を売るしかない。そして、女から唾を吐きかけられた騎士は、その女を毎夜買い続け他の兵士には指一本触れさせなかった。その女を国に連れ帰った。
無論、禁じられているにも関わらず略奪を行う部隊もある。そのような場合は処罰せねばならないのだが、関わった全ての兵士を処罰するのは現実的ではない。部隊の責任者を処罰する事になる。国軍とはいえ封建社会の軍隊は、その多くは貴族の私兵だ。部隊の責任者とはその私兵を纏める貴族である。貴族達は自分が処罰されてはたまらないと、兵士達を監視せざるを得ない。
ケルディラ王家に対しても、王都を囲んでからは力攻めをせず交渉による開城を求めた。当初、ケルディラ王は退位、ケルディラ王子は王位継承権の放棄。ケルディラ王女とコスティラ王子を婚姻させ新たなケルディラ王とする案で交渉していたが、それに加え、その王女と王子との間に産まれた子をケルディラ王室の血を引く子を結婚させる事で合意したのだ。無論、ランリエル軍の駐屯、ランリエルへの賠償金なども条件に含まれている。
「まだ結婚もしていない男女の男の子か女の子か、それどころか産まれるかも分からない子供との婚姻の約束に意味があるとは思えませんけどね」
尤もな疑問を漏らしたのはサルヴァ王子の副官ウィルケスである。
「何、ケルディラも一旦は我らの要求を突っぱねたものの、先の見えぬ籠城に不安になっていただろうからな」
籠城は決して間違った選択ではない。数年籠城し守りきった例など幾らでもある。しかし、逆に数年籠城して飢えに苦しんだ挙句に陥落した例もある。お互い、相手はどれだけ粘れるのか。その我慢比べだ。そして相手が中々根を上げねば、こちらよりも耐えられるのではないかと、その不安が心を蝕む。
その意味では、籠城戦とはいかに相手の心を攻めるかの心理戦だ。元々ランリエル側の要求は、破格の好条件だった。それを拒否していたのはケルディラ側の意地であった部分が強い。今回の追加条件は、ぎりぎり均衡を保っていた彼らの精神の天秤に、銅貨一枚乗せた程度のものだが、ランリエル側に更に譲歩させた。という精神的勝利をケルディラに与えてやったのだ。
「籠城していて外部の情報を得られない彼らに皇国の内乱が終結したのを教えたのも良かったようですね。それを聞いた時は、わざわざ教えない方が良いのではと思ったのですが」
「ああ、皇国の内乱が終結したのを彼らが知れば、皇国の介入を期待して籠城を続けるのではないか。そう主張する幕僚もいたな。確かにその意見も的外れではない」
実際、ケルディラ城内では、皇国はランリエルの領土拡大を望まぬ。ならばケルディラ救援に動くはずだ! という意見が一時大勢を占めた。
しかし、ケルディラは、そもそもコスティラと同国。コスティラ貴族と縁のあるケルディラ貴族も多い。ケルディラ陥落時には領土の保障と十分な報酬を約束されている者も居た。王子は、その者達にこう言わせたのだ。
「ならばこそ、ランリエルは皇国の介入前にいかに犠牲を払おうともケルディラを落とそうとするはず。今は開城交渉を続けていますが、いざともなれば力攻めにつぐ力攻めで王都を血の海に変えるでしょう。その時には開城の条件どころか、我らの幾人が生き残っておるか」
確かにその通りだ。ランリエルにはその力がある。追い詰められれば開城交渉など捨てて武力に訴える。ランリエルからの譲歩は、真綿で包んだ、棘だらけの最後通牒だった。
丁寧な文章の上に、
「これが最後の譲歩。これで首を縦に振らねば、武力で攻め落とす」
その文字が透明のインクで書き添えられていたのである。
「ケルディラ王女とコスティラ王子との婚姻ならケルディラ王室の血も残せるし、王女と王子との子が女児であれば、ケルディラ王室の直系が王位に返り咲く事も可能だ」
ケルディラはそう自身を納得させ開城したのだった。
実際、ケルディラが支配下に収まるならば、その王統がケルディラ系だろうとコスティラ系だろうと王子にはどちらでも良いのが正直なところだ。王子にとって重要なのは、その時までにランリエルによる支配体制を完成させる事だ。それがなされれば、どちらの系統でも統治は上手くいき、なされなければ乱れる。
尤も、それも先の話だ。今は、今の問題がある。
「ケルディラが降伏したのは良いですが、その西側がゴルシュタットに占領されたままです。さっそくケルディラからも、取り返して欲しいという要望が出ているそうですが」
「ああ、頭の痛い話だ」
問題の困難さを素直に認めた王子が額に手を添えた。
ゴルシュタットによるケルディラ西部の占領は、認めつつ認めずの方針を立てた。現在は占領されているが将来必ず取り返す。と宣言したのだ。
その実、裏ではゴルシュタットと手を組む計画だ。ケルディラ西部の占領を現在のところ認めた事で、現実に向け一歩、いや、二歩、三歩、踏み出した。無論、ゴルシュタットとの秘密裏の同盟がなれば、ケルディラ西部を取り返すという’将来’は’同盟している間’は先延ばしだ。
とはいえ、ケルディラにとってはすぐにでも取り返して欲しいところ。その要求をかわさなくてはならない。西部の領主には、ケルディラ王都に籠城していた為にその事実を知らず、戦いが終わって領地に戻れると思ったら、領地はゴルシュタット軍に占領されていた、という話もある。
「とにかくやっと終わりましたね」
確かに当初の侵攻の速さを考えれば予想外に時間がかかった感もあるが、長期化したのは占領後の統治を考え強攻策に出なかった為だ。全体としてはゴルシュタットの介入があったとはいえ短期間に終結したといっていい。
しかし、ウィルケスの言うとおりサルヴァ王子には、やっと、という気持ちが強かった。普段は、己の立場に配慮し感情を抑えているが、一刻も早くランリエルに帰国したい理由があった。ウィルケスの言葉もその心情を汲み取ってのものだ。
「急いで帰国すれば、アリシア嬢のご出産に間に合いそうですし、決済が必要な書類も残っていますが、それは私が殿下の代わりに処理しておきます。殿下は早くご帰国なさって下さい」
副官とは秘書のようなものだが、それに加えて上官の職務を代行する事もある。無論、軍勢の指揮を任せることはなく、書類の決裁などが中心だ。
「そうか……。しかし、ゴルシュタットとの境界線も、まだまだ安心出来ぬしな……」
責任感と帰国したいという心情に揺れ歯切れが悪い。目を瞑り眉間に指を当て思案するが、決めかねている。
「ベルトラム殿は、確かに一筋縄ではいかないお方ですが、今、向こうから手を出して、ゴルシュタットに益はないはずです。将兵には、くれぐれもゴルシュタット軍との衝突を避け、現占領地の確保のみに努めよと通達を出せば、問題も起こらないでしょう」
ウィルケスは言い切り、それでもまだ渋る王子を強引に送り出した。本来なら副官に追い出される王子ではない。強引に帰国させられるのだから仕方がない、という精神的言い訳を身に纏った自主的な帰国である。世の中には、誰もが幸せになれる欺瞞というものも必要なのだ。
渋っていた王子も、帰国が決まればその後は早かった。凱旋帰国の態を取る為、ランリエル国内に入ってからは、主要都市では出迎える民衆に手を振りながらゆっくりと進まねばならなかったが、それでも通常の日程より10日も早く王都に到着した。
王城の門を潜った王子を真っ先に出迎えたのは、愛するアリシアではなく、父であるクレックス王だった。王子と13歳しか違わぬ若い国王が、満面の笑みで両手を広げている。
「おお。やっと帰って来たか。アリシアもお前の帰国を待ちわびておるぞ」
為政者としてはともかく、家庭人としては王子よりよほど有能と言われる国王は、王子の両腕を強く掴んだ。その腕から、父の愛情が伝わってくる。
出陣した時は、アリシアの事は秘密であり、それが露見すれば彼女の命が危ない。そのはずだったが、帰国してみれば、父が戦勝の祝いの言葉よりも先にアリシアの名を呼ぶ。
今まで時を無駄にしていたのではないか。とも思う王子だったが、王子と他の寵姫との間にずっと子が出来なかったからこそ、クレックス王もアリシアを庇護する気になったのだ。アリシアと結ばれ露見するのが数年早ければ、確かに王子の懸念通り、彼女は亡き者になっていた可能性もあった。それに、セレーナの事で王子が過敏になっていても無理はない。
とはいえ、王子もここで足止めを食ってばかりはいられない。
「父上。ありがとう御座います。それでは失礼致します」
戦場から帰ってきた子と出迎えた父との会話とは思えぬほどそっけなく通り過ぎた。
しかし、そこに新たな母が現れた。美しい母は孫が生まれるような年齢には見えないが、実際は50歳を超えるはずだ。胸元をきっちり閉じた上品な栗色のドレスを身に纏っている。
「サルヴァ。よく無事で帰りました」
流石に母として息子に甘いのか、真っ先に無事を喜ぶ。
「はい。大丈夫です。母上」
「それは良かった。アリシアも安心するでしょう。アリシアは初めての出産。早く行っておやりなさい」
母の微笑みは慈愛に満ちている。
「はい」
王子も話が早いと母の横を通り過ぎようとした、その時、母が更に言葉をかけてきた。
「私も経験がありますが、初めての出産ほど不安なものはありませんでした」
「はい」
やむを得ず足を止めた。
「我が子が産まれて来る喜びはあります。ですけど、健康に産まれてくれるのか。何か障害を持っていないか。そう思うと胸が張り裂けそうでした」
「はい」
「私は死んでもいい。この子だけは無事に産まれて欲しい。そう思っていたものです」
「はい」
「お父様は、貴方が産まれる時はまだ13歳の少年といってよい年齢でしたが、それでも私の手を握り締め、励まして下さいました。貴方も、アリシアを励ましてあげるのですよ」
「はい」
早く行っておやりなさい、の言葉に反し母の言葉は長い。父と同じように強引に突破したいのだが、母の話は終わりそうで終わらないという微妙な線を進む。もう少しで終わりそうだから、そこまでは聞いていようと思うと、更に続くのだ。まるで蜘蛛の糸に捕らえられたかのように脱出できない。
「アリシアの初めてのお産。貴方もしっかりしなければなりませんよ」
「はい」
母の締めの言葉に王子の返事が心持強い。
やっと終わったと、母の横をすり抜けようと一歩踏み出しかける。
「貴方の次のチェレーゼの時には少しなれましたが、それでも、不安はありました」
まだ続くだと!? まさか、全員分話すのではあるまいな。
愕然とした王子だったが、その考えはまだまだ甘かった。兄弟全員の出産どころか、話は子育ての苦労にまで突入した。やっと解放された時には、太陽の位置が大きく傾いていた。
苦難を乗り越え、やっとアリシアの部屋に辿り着くと、両脇を警護の騎士で固める扉を控えめに叩いた。しかし返事がない。どうしたものかと、つい騎士に目を向ける。騎士もその視線は感じたものの、答えるべき言葉を持たず、必死で前を向き気付かぬ振りをする。
そうしている内に扉が静かに開かれた。ぎりぎり人の頭が通るほど開くと、アリシアの専属侍女エレナが顔を出す。
「申し訳御座いません。殿下が凱旋なさった聞き、ずっと待っていたのですが、中々殿下がおこしにならないので……。つい先ほど、少しだけ横になると」
王子に対し侍女が頭だけ出して対応するのは、どう考えでも無礼にあたるのだが、主人を起こしてはならないという事しか頭にない侍女に、その意識はない。
「分かった。だが、そこを通してくれ。顔を見るくらいなら良いだろ」
「あ、は、はい」
扉を更に少し開け、王子が滑り込む。足音を立てずにアリシアに近づくと王子の背後で静かに扉が閉じられた。
王子が更に近づくと、仰向けに寝るアリシアのお腹が、毛布の上からでも膨れているのがはっきりと分かる。自分の子がその中にいると思うと、言いようのない暖かいものが胸に込み上げてくる。
手紙で伝えられた時も、喜びに胸が苦しくなるほどだった。だが、実際にその目で見ると、更に感情があふれてくる。それが喜びなのか感謝なのか。そして愛おしさなのか。それも分からぬままアリシアの傍に跪いた。
毛布からはみ出たアリシアの手を握る。妊娠しているからか記憶にある彼女の手の温もりより僅かに熱い。顔も以前より少し丸みをおびている。
王子に手を握られたアリシアの瞼が動く。侍女が言ったように横になったばかりで眠りが浅かったのだろう。見開き、すぐに王子がいるのに気付いた。王子の手をやさしく握り返し微笑む。
「お帰りなさいませ殿下。よくぞご無事で」
「ああ」
朴念仁の王子は気のきいた台詞を吐けなかったが、その代わりに彼女の唇に自らの唇を近づけたのは、王子にしては上出来だった。
アリシアは、幸福感に包まれ王子の唇を受けた。
その頭の片隅で、興味津々に覗き込んでいる侍女を、後で叱ってやろうと考えていた。




