第185:末路
ブランとグレイスの戦いは互角だった。だが、2人以外にはブランが劣勢に見えた。ブランが負ければ軍勢も敗走すると考えたバルバストルがグレイスに矢を放った。その矢がグレイスの乗馬に当たり落馬したのである。
「貴様、なぜ邪魔をする」
ブランの燃える目にバルバストルは怯んだが、この戦いでブランと接しその性格をある程度把握していた。その発する獣気、雰囲気から受ける印象と違いブランは身内には優しい。味方を殺すはずはないと、その怯みが顔に出るのを抑えた。
「この戦いの勝敗は、お前がグレイスに勝てるかにかかっているのだぞ。邪魔などと言っている場合か」
「他に手助けされては勝ったとは言えぬ」
「何を甘い事を言っているのだ。お主一人の矜持の為にみすみす勝利を逃す積りか。早く、止めを刺せ!」
個人の勝敗より、軍勢の勝敗を優先するべき。一見バルバストルの言い分が正しいかに見えるが、それは誤りだ。リュシアンはそう見た。
すでにブランも満身創痍。グレイスに勝ったとて数名の騎士に襲いかかられれば討ち取られる可能性は高い。しかし、ブランが一騎打ちでグレイスを倒していれば、敵はその武勇に恐れおののき、やれば勝てるとも思わずブランに背を向けるだろう。我が軍はブランを先頭に敵兵を蹂躙できる。
だが、このような手段ではそれが叶わない。グレイス将軍は卑怯な手で負けたのだと敵兵は怒りをもってブランに襲いかかる。そしてブランが討たれた我が軍は数通りの力しか発揮できず敗北する。
だが、今はそれを説明する暇もなければ時でもない。敵味方の前で、負ける理由を説明してどうする。それよりも、起こった事態をどう収拾するかだ。
バルバストルが介入した事で一騎打ちの状況は崩れた。ブランとバルバストルが言い争っている間に、バルバール騎士達がグレイスを助け起こしている。騎士達に守らせながら替え馬を用意させ、改めて騎上の人となった。その様子にブランは口を閉ざし、バルバストルがブツブツと悪態を漏らす。
「おい。もう話は付いたのか」
グレイスの言葉に乱れはない。戦棍を何気に地面に突き立てている。バルバストルの介入に怒りを覚えつつも、グレイスが落馬した事に意気消沈していたバルバール兵から歓声が上がった。ロタ軍の勝機は完全に去った。リュシアンだけではなく、全員がそれを理解した。バルバストルも舌打ちし後ろに下がった。
虎牙槍はすでにただの棒。それでもブランが進み出ようとするが、リュシアンが駆け立ちふさがる。グレイスは平然としているように見えるが、落馬の衝撃は易いものではない。もはや一騎打ちに応じないだろう。ブランがかかっても、周りの騎士達が立ちふさがるはずだ。そしてそれを非難する資格は自分達にはない。
もう、勝てない。ならば負けぬ事を考えるべきだ。
リュシアンが、兜を脱ぎ棄て叫んだ。
「停戦を申し入れる!」
「貴様! そのような話、通ると思うか!」
「馬鹿げた事を言うな! 卑怯な手を使い、それが失敗すれば停戦など虫が良過ぎるわ!」
バルバール兵から怒声があがる。
「ただでとは申さぬ! 我が軍の主将。シャルル・ブランの首を差し上げる!」
敵味方、双方からどよめきが起こった。怒声を上げたバルバール兵が唖然と口をあけた。その混乱が収まる前にリュシアンが矢筒から矢を抜き取り構え放つ。その矢は特別な仕掛けでもしてあるのか笛の音をあげブランへと奔った。
リュシアンの膂力は対した事はないが、グレイスとの戦いに傷付いたブランは、至近距離から放たれた矢の衝撃を受け止めきれず落馬した。棒きれと化した虎牙槍が乾いた音を立て転がる。さらに大きなどよめきが起こる。
「おい。まだ死んでないだろ」
敵味方、騒然とする中冷静に指摘したのはグレイスである。こちらも兜を脱ぎ棄てると大地に赤黒い血が滴った。思いの外の深手に、先ほどとは別のどよめきが起こる。
グレイスの指摘通りブランは死んではいない。リュシアンの放った矢は音が鳴る鏑矢だ。先端が重く衝撃はあるが甲冑を貫く貫通力はない。
「確かにシャルル・ブランは死んではおらぬ。仕留め損なったは私の落ち度。ならば、私の首も差し出そう」
今度は、バルバール軍からはどよめきよりも感嘆の声が上がった。あの矢を放った男は敵軍の副将かなにかだろう。それが停戦の条件に主将の首を差し出すなど、何たる事かと思ったが、まさか自分の首まで差し出すとは。その潔さに心打たれた。
そしてロタ兵の心も突き動かされる。一騎打ちはブランの劣勢。その上バルバストルの卑怯な振る舞い。戦意を喪失しかけていた彼らだが、ブランとリュシアンを死なせるものかと武器を握りしめる。
「ブラン殿! リュシアン殿! 我らはまだ戦えまする!」
「その通り。御二方を犠牲にしての停戦など不要! 我ら、最後の一兵まで戦わん!」
意気消沈し一当てすれば崩れるかとも思われたロタ兵が奮い立つ。この分では乱戦でブランを討ちとっても、いや、討ちとればなおの事、最後の一兵まで戦いかねない戦意の高さである。武器を天に突き上げ雄叫びをあげる。敵であるバルバール兵すら感動に打ち震える者もいた。
何なんだこの茶番は。
熱狂する敵味方を見るグレイスの視線は醒めている。
兵達を酔わすブランの獣気は天性のものであり才能だ。逆にいえば才能だのみかと考えていたが、思いの外有能な演出家が後ろに付いていたようだ。
「停戦と言っても、ここで引き上げて、後日再戦などというなら話にならんぞ」
「勿論だ。我が方はもはや手は出さぬ」
グレイスが顎を撫でた。手の平に血がベットリと付き、怪我をしているのを思い出す。自分達の王都は見捨てるのか、とはあえて聞かない。兵士達は状況に呑まれ忘れているかもしれないが、この敵の副将は分かっているはずだ。それを指摘しては、相手も引けなくなる。
「分かった。いいぜ。停戦を受けよう。お前達、2人の首も要らん」
2人の首を差し出せと言えば、ロタ兵は収まるまい。ロタ兵の士気は高く、それを破るにはこちらも相応の被害を覚悟せねばならない。彼らを討ち破ればロタ王都までの道のりはガラ空きだが、王都自体にはそれなりの守備兵がいる。ここで大きな被害は出したくはないのだ。ブランの首より勝利を優先せよ。ディアスの指示でもある。
この時になってやっとブランが起き上った。虎牙槍を拾う動きは緩慢だが、それでも落馬の痛みを感じさせなかった。
「お前も、それで良いんだな?」
グレイスがブランに問うた。ここで、まだ戦うといわれると面倒なのだが、それは無いと感じていた。
「俺にそれを決める資格があるとは思わん」
自分の意志ではないとはいえ、味方が介入し敵将を落馬させた。その上で戦う気にはなれない。ブランもリュシアンに落馬されられたが、それも味方のした事だ。グレイスがやると言うならやるが、やらぬと言う以上、その先は無い。
「じゃあ、2000サイト(約1.7キロ)程、東に後退しろ。それを見届ければ俺達は西に進む」
無論、その後はロタ王都を目指す。
「分かった」
ブランが頷きリュシアンが答えた。この状況に顔を青くしてるのはバルバストルである。
ブランが劣勢と見て起死回生の一撃の積りでグレイスに矢を放った。しかしそれが原因で停戦である。しかも、これでは敵前逃亡だ。いや、グレイスの軍勢を通せばロタは滅びる。帰るところすら無くなるのだ。
兵達はそこまで考えてはいまい。騎士達はブランに心酔し、その決定に従う考えだ。だが、権力、そして財力と切り離された軍隊に未来はない。食うに困って崩壊し、行きつく先は野盗になるのが精々だ。
俺には野心があるのだ。野盗になど落ちぶれてたまるか!
「投降する! 私はバルバール軍に投降する!」
バルバストルの言葉に、驚きと、次には侮蔑の視線が集中する。裏切った味方どころか敵からもだ。言った方もその視線には気付いていたが、今はそれを気にかける時ではない。ロタが滅ぶなら、バルバールで出世する。ロタには人脈もある。ロタ攻略や統治に自分は役に立つはずだ。粗略にはされぬ。
卑怯な裏切り者を前にバルバール騎士がグレイスに目を向ける。グレイスが無言で頷いた。それで決まりだ。相手の気が変わらぬ内にと、バルバストルが腰の剣を騎士に預けた。弓はとうの昔に手放している。
ブランが無言で背を向けた。一瞥すらしなかった。リュシアンも無言で背を向ける。兵士達は裏切り者に冷たい視線を投げかけつつ後退していったのだった。
「まったく。青臭い奴らだ」
去りゆく敵の背に呟いた。利害が一致したので停戦を受けたが、リュシアンの考えはどこまでもブランの名誉と命を守る事だった。それをグレイスは見抜いていた。とにかく、またも決着は付かなかった。奴らはいずれまた挑んでくる。それがいつになるのか分からない。だが、必ず来る。それは確信に近いものだった。
残されたバルバストルは、しばらく放置された後、急ごしらえの天幕に呼ばれた。グレイスの顔の治療もあり、今日はここで野営するのだ。万一のロタ軍の再来に備えつつも、夕飯の準備も始められていた。
「ロタ王都を攻略するのに、攻めやすい個所などはないか?」
挨拶もなくグレイスが問うた。顔の半分に包帯が巻かれ血が滲んでいる。
「は! 王城の西側の壁が崩れかけております。本来なら修復するところだったのですが、現在の王都ロデーヴから、ロタ北西のシャトワールに遷都を行う予定だった為、放置しておりました。今頃急いで修復しているでしょうが、完全ではありますまい」
「なるほど。分かった」
「この程度の話で良ければ、いくらでもお聞き下さい」
「そうか」
「はい」
さっそく自らの利用価値を示したバルバストルは満足げな笑みを浮かべた。このまま上手く立ち回り、バルバールによるロタ占領政策の重要な地位を占めるのだ。
「ところでな」
「はい」
「痛えんだよ」
言うと同時に剣を抜き斜めに切り捨てた。バルバストルは何が起こったのか理解出来ぬ不思議そうな顔だった。その不思議そうな顔のまま後ろに倒れた。死に顔も不思議そうだった。グレイスが、面倒くさそうに血に濡れた剣を従者に渡す。従者は早速、布で剣を拭き始めた。
バルバストルの矢で落馬したグレイスである。尤も、それを恨んで切り捨てたのではない。簡単に言えば気に食わなかった。それだけだ。
「どう思う?」
部下に聞く。部下も、死んで当然の男が死んだ程度にしか思っていない顔だ。平然としている風に見えて、僅かに口元に笑みすら見える。
「私は何も見ておりません」
「お前は?」
別の部下に聞く。
「その者が武器を隠し持ち、グレイス将軍を害そうとしていたのを将軍が気づき切ったように見えました」
「よし、それで行こう」
上層部には、その通りに報告されたのだった。
戦場を離脱したブラン達だったが、バルバストルが考えた通りその崩壊は早かった。兵士達は分かっていなかったが、彼らの行いは敵前逃亡である。ロタ北部で城に籠る味方に合流する事も出来ず、西へ西へと進んでいた。そうすると兵士達も不安になり、やっと自分達の置かれた境遇を理解したのだ。戦場を離脱してから3日目の夜には百名ほどが逃亡し、翌日にはその倍、さらに次のにはその十倍の兵が消えていた。元々3千足らずの彼らである。平たく言えば、ほとんど居なくなったのだ。
残ったのは僅か5百ほど。ほとんどが元ブランの独立騎兵隊の隊員である。
「なに、あんなに大勢いても養えん。それに、勝手に戦場を放棄した俺達は命令違反のお尋ね者だ。今ならまだ、俺達の命令に従っただけと言い訳できる。帰る当てのがあるなら故郷に戻った方がよかろう」
「故郷に帰ると言えば、食う物を分けてやったものを」
補給というものを考えていないらしいブランの言葉にリュシアンが苦笑を浮かべる。食料に困るのは自分達も同じ。分け与える余裕はない。尤もブランは、食う物が無くなれば狩りでもすれば良いと考えているのかも知れない。
ロタ王都を目指すグレイスらバルバール軍を補足するのに急行せねばならなかった為、足手まといとなる荷駄の数は少なく3千の兵が数日食いつなげるだけの食糧しかなかったが、大半が離脱して食いぶちが減り1ヶ月程は食いつなげる。
「それで、これからどうする? この人数でバルバール軍に挑む訳にもいくまい」
ブランは己の武勇を謙遜しないが自惚れもしない。僅か5百でバルバールと戦うのは不可能だ。
「バルバールと戦うなら、他国に身を寄せるしかないな。そしてバルバール、ひいてはランリエルに対抗する勢力となればおのずとその数は絞られる」
「皇国。いや、デル・レイか」
「ロタの前国王はデル・レイにいる。デル・レイがロタに介入する為の大義名分には事欠かない。後はデル・レイ王アルベルドをどう説得するかだ」
「確かにな」
ロタが完全にバルバールとドゥムヤータに征圧されれば、ブラン達以外にもデル・レイに逃げるロタ騎士は多いはず。それにブランの武勇は大陸全土に轟いている。今回、またもグレイスとは勝負付かずで終わったが、それゆえ、人々は前回のブランの善戦をまぐれとは考えず、2人を完全に互角と見る。多くの兵が集まるだろう。
「では、デル・レイを目指すか」
「ああ」
ブランとリュシアンが馬首をデル・レイに向けると他の者達も続く。2人はしばらく無言だったが、不意にどちらからともなく口を開いた。
「どうにかしなくてはならんな」
「ああ」
2人の胸中に浮かんだのは小柄な赤毛の女の姿だった。




