第176:勝利の片隅
ランリエル軍がテレス川を渡ったのを受け、コスティラらの残余の兵も渡河した。
当初の計画では、ランリエル軍が上流で敵を引き付け、手薄になった下流をカルデイ軍らが突破する予定だった。しかし、上流に向かうにつれ、川幅がかなり狭くなっているのに気付いたサルヴァ王子が作戦を変更したのだ。下流が手薄になると言っても全くの無防備であるはずもなく抵抗が予想されるが、ランリエル軍が渡河してしまえば、もはや局地的に渡河を防いでも無駄。ケルディラ軍はテレス川岸から撤退したのだ。
テレス川から撤退したケルディラ貴族達は、領地を守るべき兵すら動員しケルディラ王都に集結している。妻子を領地に残した彼らの胸には不安が重くのしかかっていた。しかし、今、王都を離れ領地に戻ったとて、何ほどの事が出来る。敵は圧倒的な大軍。生き延びる道は、王都の防衛力を頼りに籠城し敵の撤退を待つのみ。
立て籠もっている内に、敵将が病死した事例もある。天災で敵軍が壊滅した史実もある。敵国が他の国に攻められた事もある。その奇跡を待つしか道は無いのだ。妻子は大事だ。しかし、貴族として家名を残さなくてはならない。自分さえ生きていれば、後妻を貰い、改めて子を持つ事も出来る。養子という手もあるのだ。それが貴族というものだ。
テレス川上流域から渡河したランリエル軍、中流域で渡河したコスティラ軍、下流域で渡河したカルデイ、ベルヴァース、バルバールのそれぞれの軍勢は、ほとんど空となった貴族の領地を制圧しながら進軍した。通常、他国を侵略するのは簡単ではない。特に、人種的に遠ければなおさらだ。
ケルディラ人に、これからはランリエルの民としてケルディラ人と戦えと言っても聞くはずがない。ケルディラを力で押さえつけ制圧した後、ケルディラ人の抵抗勢力が散発すれば、ケルディラの民衆がどちらの側に付くのかは自明の理。サルヴァ王子も、カルデイ、コスティラの統治には頭を悩ましたものだ。
通常、軍勢が他国を侵略した時には略奪するのが当たり前だ。人種が違えばなおさらである。どうせ心から服従せぬ者達なのだ。力で抑えるしかなく、略奪もその一環である。
それどころか兵法書には、略奪は敵の食料を奪い味方の食料輸送の負担を減らす行為なので、大いに行うべし。という記述すらある。単純に考えれば、往復1ヶ月の道のりを千人の人夫を使い輸送すれば、その人夫に必要な食料は30万食。時には、大雨で補給隊が足止めをくらい、前線に辿り着いた頃には輸送すべき食料を人夫達が食べつくしていた。という事態すら発生するのだ。現地調達出来るなら、しない方がおかしい。
無人の野を進むが如き勢いで各地に進出するランリエル勢は、貴族の屋敷や城を数百の兵が取り囲んだ。残された貴族の妻子、兵士達が震えあがったころを見計らい、矢文を打ち込み降伏を促した。
アバガン城の城主ブリノフ伯爵の留守を守る伯爵夫人は、徹底抗戦を訴えたが命を惜しんだ兵士達が反対しやむなく開城した。兵士達は甲冑と武器を投げ捨て逃亡した。ランリエル勢も追う必要なしと見逃す。残されたのは怯える伯爵夫人とその娘。侍女達である。執事達も兵士と一緒に逃げていた。女達は兵士に囲まれた恐怖に逃げる事すら出来なかったのだ。
そこに数名の騎士を従えた使者が乗り込んできた。城に住む女達にとっても騎士の甲冑など見慣れた物。にもかかわらず、それは異界の魔物のように邪悪に見えた。今まではケルディラの法によって守られていた。しかし彼らにその法は適用されない。制限されない暴力の権化だ。
この時代、常には紳士的で戦場では勇猛果敢に戦う者など極一部。勇猛と乱暴は同義語だ。そしてケルディラ、コスティラ人は勇猛で知られる。ケルディラ人としても、他国を侵略すれば略奪し、婦女子を凌辱するのは当然という考えすらある。そして、それが今回は自分達がやられる番なのだ。
使者を前にした伯爵夫人は、赤みがかった金髪を綺麗に纏め服装には一部の隙もないが、震える手を握り締めていた。青い顔で精一杯の笑顔を浮かべる。彼女には娘が居た。自分の身は差し出してでも娘は守らなくてはならない。娘はまだ10を過ぎたばかりだが、男達は気にしないだろう。
「奥様、安心して下さい。サルヴァ殿下が宣言している通り、この戦いは、かつて袂を分かちた兄弟であるコスティラとケルディラを1つに纏める為のものです。コスティラ貴族とケルディラ貴族も兄弟のようなものです。どうして兄弟を痛めつけたりしましょう。兄弟の妻子を辱めましょう」
「え。あ。は、はい。わ、私もその通りだと思います」
思いがけない使者の柔らかい言葉。伯爵夫人は、頷くが油断は出来ない。どうせ、だから仲良くしましょうというのだ。そして、それは、肉体的になのだ。
頭の中で、取り囲む兵士の数を侍女の数で割ってみた。1人当たり30人ほど。自分を入れれば少し減る。しかし、命に代えても、そこに娘を入れる訳には行かない。
「私達は貴方達を歓迎致します。心から持て成させて頂きます」
無理をして笑顔を作る伯爵夫人の目に涙が溢れ滑り落ちた。スカートの上で握りしめる拳を濡らす。
「ですから、娘だけは……。どうか娘にだけは……」
戦いとはこういう事だ。負けるとはこういう事だ。民衆が罪を犯せば兵士が取り押さえる。兵士が罪を犯せば軍の憲兵が取り押さえる。しかし、軍隊が罪を犯すならば、誰が取り押さえるのか。
「奥様……」
使者の手が、伯爵夫人の涙に濡れた手に伸びた。夫人は反射的に逃げかけた手を更に握りしめる。この男に逆らっては行けないのだ。
「怖がらせてしまい申し訳ありません。奥様が心配なされているような事は起こりません。ランリエルのサルヴァ殿下は、略奪は勿論、ご婦人方への狼藉も禁じております。どうか安心して頂きたい」
「本当で……御座いますか?」
「勿論です。この地の制圧を命じられたコスティラ王国のバラバノフ将軍も、改めて配下の将兵に厳命し、兵士達は道に落ちている物すら拾わないほどです」
略奪を楽しみにしている兵士からすればとんでもない話だ。しかし、王子の頭にあるのは戦略、政略のみ。今後の統治を考えれば現地の貴族、民の恨みを買うべきではない。
「で、ですが、そのバラバノフ将軍のお心が変わられれば……」
やはり伯爵夫人の目には不安が浮かんでいる。使者に握られた手もそのままだ。
「そう心配なさらないで下さい。バラバノフ将軍もサルヴァ殿下のご命令を破れません。バラバノフ将軍が心変わりなされて、ご領地の女性に指一本触れようものなら将軍が殿下に罰せられます」
「将軍でも……なのですか?」
「はい。将軍とて殿下のご命令で動いてるのですから」
「本当に?」
「ええ。本当です」
「それでは、本当に私に達も、娘にも指一本触れないのですね?」
「その通りです。それに、ご主人であるブリノフ伯爵が帰順して下されば、領地も安堵して下さいます」
「ですが、ご出陣なされた方々にも、恩賞が必要で御座いましょう」
彼女とて貴族の一員である。領地をどうやって増やすのか。その知識はある。戦争に勝ったならば、占領した国の貴族から領土を奪って、自国の貴族に与えなければならない。
「仰る通り、恩賞は必要です。今回の戦いでサルヴァ殿下はケルディラ王家を滅ぼすお心は御座いませんが、その領地は大きく削られるでしょう。恩賞にはそれらを当てるお考えです。そして、勿論、帰順なされなかった貴族の領地も召し上げる事になりましょう」
優しげだった使者の瞳が一瞬冷たく光った。分かり易いほど分かり易い脅迫である。正義の味方は脅迫などしないが、サルヴァ王子は正義の味方ではない。どう理由を付けてもランリエルはケルディラを侵略しているのだ。侵略する正義の味方など居るはずがない。
将来、自分が皇国に滅ぼされ無い為にケルディラを攻めたのだ。そして、自分が死にたくないから他人を殺すのは正義ではない。だがやる。生きるとはそういう事だ。
「……分かりました。主人には私から手紙を書きましょう」
「おお。分かって下さいましたか」
「はい。ですが……」
「ですが?」
「そのバラバノフ将軍にお会いし、直接お言葉を頂きたいのです」
伯爵夫人の手に重ねられていた使者の手に、更に伯爵の手が乗る。会話をするだけにしては、近すぎるほど夫人の顔が使者に近づいた。夫人の涙はいつの間にか乾いている。
使者は今更ながら夫人の美貌に気付いた。王子の命令に、押し倒したい衝動を堪える。
「将軍から領地安堵のお言葉が欲しいという訳ですな。分かりました。将軍にそうお伝えしましょう」
使者は将軍の直接の部下ではない。降伏の交渉を任された文官である。彼の任務は貴族達を口説き落とす事だが、将軍が会わないと言って交渉が決裂しても、会った上で決裂しても、それは将軍の失点であり自分の責任ではない。彼の仕事はここまでである。
「それでは、失礼致します。将軍にはすぐに早馬を出しますのでしばらくお待ち下さい」
使者は帰って行ったが、当然城は囲まれたままだ。侍女達は戦々恐々として暮らし、伯爵夫人は怯える娘を抱き寄せた。
「大丈夫です。貴女は必ずこの母が守って見せます」
数日後、使者から将軍到着の連絡を受け、侍女に命じて晩餐の用意をさせた。百名ほどの騎士を率い入城した将軍は、コスティラ男らしい体格を有していた。ケルディラ女らしいほっそりとした肢体の伯爵夫人の倍ほどの横幅がある。
侍女達を整列させ伯爵夫人が屋敷の前まで出て出迎えると、将軍は騎乗したまま乗り付けてきた。
「お招きにあずかった。領地の安著を保証して欲しいとか」
挨拶もろくにせず愛馬から降りながら要件を切り出す。良く言えば親しみやすい、悪く言えば品の無い男だと言うのは、愛馬から降りる将軍の足が地面に着地する前に判明した。
「はい。将軍だけが頼りなのです」
「は。は。は。心配するな。私に任せておけば間違いない。お前の領地は安堵してやろう」
伯爵夫人といえば宮廷でも一目置かれる存在。舞踏会では、多くの貴婦人が夫人に挨拶しようと列をなすのだ。それをお前呼ばわりに侍女達の顔が曇る。夫人は、一瞬侍女達に視線を向け制すると、改めて将軍に目を向ける。
「将軍にそう言って頂き、安心いたしました。今日は将軍を心から持て成させて頂きます。ご自分の屋敷と思い、おくつろぎ下さい」
夫人が頭を下げると、貴人を晩餐に招く女主人にしては大きく胸元の開いた衣装から、豊かな乳房の半分ほどが覗く。頭を上げた時、将軍の視線は胸に釘づけだったが、それを隠そうともしない。好色そうな笑みを浮かべていた。
「うむ。お言葉に甘えよう」
尊大な態度の将軍だが、彼にしてみればこれでも十分紳士的である。軍人にとって占領地で略奪、凌辱するのは狩りに行って獲物を獲るのと変わらない。それをサルヴァ王子の命令で我慢しているのだ。獲物の方から、狩らないでくれて有難うございますと、果実を運んでくるくらい当然である。
用意された晩餐の席は、少し異形だった。十数人が一度に会食できそうな長大なテーブルに用意された食器は2組だけ。しかも、向いわせではなく横並びだ。
「確か、娘がいると聞いていたが?」
「申し訳御座いません。娘は最近体調がすぐれず……。部屋で寝かせております」
半分は本当だ。10を過ぎたばかりの少女は、兵士に囲まれて生活に耐えられず怯えて暮らす日々だ。しかし、娘を出席させない重要な理由は他に2つあった。1つは、万一将軍が少女嗜好で娘に食指を伸ばさないかと危惧した事と、娘にこれからの母の姿を見せない為だ。
「それよりも、席にお座りになって下さい」
「うむ」
晩餐が始まり食事が次々と運ばれ、夫人は料理を小さく切り分け上品に口元に運ぶ。その横では、夫人の十倍の大きさの塊を将軍が頬張っている。
「将軍のように男らしく食べる姿は、ほれぼれ致しますわ」
「は。は。は。戦場ではゆっくりと食べてなどいられんからな」
右横に座る伯爵夫人は少し身体捻り将軍に顔を向けている。その捻られた衣装の胸元が開き、乳房のふくらみが見て取れる。
「夫も今回の戦いには領地の兵を率いて出陣し、コスティラ軍の対岸に居たのですが……。伝わって来た話だと、テレス川の上流でランリエル軍が渡河したのを聞いて、戦いもせずに撤退したとか。なんて情けない……」
「なに。上流で渡河され撤退せずに居ては、ランリエル軍に背後に回られていた。何もご主人が臆病な訳ではなかろう」
思いがけない主人への擁護だが、将軍にその気はない。考えている事をそのまま喋る裏表のない男なのだ。コスティラ軍では、思慮深い男は参謀となり、この手の男が将軍になる傾向がある。兵士達にはこの手の男が人気があり、兵もいう事を聞く。兵士を動かせるのが将軍としての資質なのだ。
「でも……。夫が将軍のように逞しかったらと……。そう思うと、つい……」
近寄り将軍の太ももに手を置いた。その手がじっとりと汗ばんでいる。傾いた上半身では、胸元が先端まで見えそうなほどだ。
「確かに、男は強いのが一番だからな」
がははは、と笑い。夫人を抱き寄せた。いつの間にか部屋から侍女達が姿が消えていた。しばらくして部屋から、激しく肉と肉がぶつかり合う音と獣の声が漏れていた。
将軍が愛馬に跨り、兵士を率いて夜道を駆けて行く。伯爵夫人は窓からそれを見送った。
「出てらっしゃい」
「は、はい。奥様」
音もなく扉が開き、隣の部屋から出て来たのは、若い侍女である。
「見てましたね?」
扉は閉められず少し開いていた。それ故に音がしなかったのだ。
「ご命令通りにしました」
激しい男女の交尾を目撃した侍女の顔は赤い。
「もしあの男が約束を違えて夫の領地を奪おうとするなら、あの男が私を力ずくで凌辱したとランリエルのサルヴァ殿下に訴えます。貴女はその時に証言するのです。分かりましたね?」
「はい……」
降伏すれば領地を安著し略奪もしない。そして伯爵夫人は夫に降伏するように訴える積もりだ。しかし、それでも難癖をつけ、抵抗が見られたと討伐するのも将軍の胸先三寸。手を打たねばならない。
訴えても将軍は、夫人から誘ったのだと主張するだろうが、第三者の証言があればこちらが有利だ。それでも、勝者の言い分が通るかも知れない。しかし、やらぬよりはマシだ。
彼女は伯爵夫人である。夫から領地の留守を任された。娘は一番大事だ。しかし、領地も大事なのだ。領地は守らなくてはならない。どんな手を使ってでも。
伯爵夫人の視線は、侍女との会話の間もずっと窓に向いていた。将軍との情事の跡が太ももに流れた。




