第171:聖王の野心
「着々と、と言ったところか」
深夜、ゴルシュタットの屋敷で報告を受けたベルトラムが小さく漏らした。樫の椅子の背もたれに体重をかける。彼の巨体をもってしても軋み一つならない頑丈な椅子だ。一般的には堅すぎると思われるその椅子がベルトラムには心地良い。以前、リンブルクの大貴族からドゥムヤータ胡桃の椅子を貰ったが、結局はこの椅子を愛用している。
ドゥムヤータ胡桃も堅い素材だが、この椅子の方がしっくりくる。どうにかしてベルトラムと懇意になろうと、5000サイト(約4.3キロ)四方の領地を手放してまで買い求めた椅子が倉庫で眠っていると知れば、その大貴族は卒倒するだろう。
「はい。アルベルド王は副帝に任じられ、皇国の全権を握りました。まずは宰相の首を挿げ替え、己と親しい者を後釜に置きましたが、それも好意的に受け止められています」
跪くダーミッシュは、常の姿だがその特徴の無い顔に表情を浮かべず、声にも特徴は無い。何となく聞き覚えはあるのだが、それが誰なのかと問われれば答えられない。
「相変わらず上手い男だ」
情報操作に長けたアルベルドである。改革を進めるには副帝と宰相は一致団結せねばならない。それゆえ、この人事は当然との世論を作り出していた。
「ただ、やはり上位国家の王達、特にベルグラードのバレンティ王、バリドットのサディオ王とは、折り合いが悪く、衝突する事も多いとか。アルベルド王は何かに付け、上位、下位に関わり無く衛星国家は平等に扱います。上位の王達にとっては承服しかねるのでしょう」
平等に扱われて何が不満なのか。多くの者が自然とそう考える。しかし、実際、上位国家は下位国家より国力が低い。それは彼自身の責ではなく、建国時に皇祖エドゥアルドがそう定めたのだ。その代りに席次は上にする。それを持って平等としていた。上位国家の王にしてみれば、国力は低く扱いも同じなら、それこそ不平等である。
「そのベルグラードとバリドットは長くないな。いずれ攻められよう。その後、衛星国家の上位、下位は無くなる」
「そこまで……読まれますか」
「アルベルド王は、紛れもない知者だ。しかし、だからこそ無駄が無さ過ぎる」
ベルトラムは違う。一見無駄どころか、間違いなく無駄な事すらやる。しかしだからこそ、彼の思惑を読もうとする者は惑わされる。その無駄にも何か意味があるのではないか。知に長けた者ほどそう考えてしまうのだ。
「上位と下位に国力の差がある。その分、上位の負担を軽くするのに何の不思議もない。それを同じ負担を背負わせれば、上位国家から不満が出るのを分からぬアルベルド王ではあるまい」
そして不満を出させてどうするか。不満が出れば改革は滞る。上下の格差が改革の妨げになるのだ。そして、上位、下位を無くすと宣言すれば、上位国家は猛反対する。ベルグラードとバリドットどころか、他の2ヶ国もこれには従えない。益々改革が滞る。
「改革の妨げになるとベルグラードとバリドットを討つ名目となる。国の名は残るかも知れぬが、国王の首はすげ代わるであろうな。同じ目に合いたくなければ、上位の他の2ヶ国は従うしかあるまい」
「アルベルド王の権力は、ますます強化されますな」
「しかし、そうなれば流石に皇国内でもアルベルドに疑問を持つ者も出てくる」
「それも力で押さえつけますか。副帝となったアルベルド王には、可能かと思われますが」
「それはどうかな。この世に万能の武器はない。アルベルド王の武器はその名声だが、時にはそれが足枷にもなる。敵対する者を全て力で抑え込めば、その名声が損なわれよう。上位2ヶ国を討ったはやむを得なかったと、しばらくは大人しくなるはずだ」
そして、こちらが動くならばその時を利用する。皇国とランリエル。その間を縫うようにしてリンブルクまで手に入れた。しかしまだ皇国とランリエルには及ばない。せめて、こちらが付いた方が勝つ。こちらが勝敗の鍵を握る。その程度の力は欲しい。
「皇国の動きに注意せよ。アルベルドがベルグラードとバリドットを討つ。こちらも、それと同時に動ければいう事はない」
「畏まりました」
「とはいえ、勢力を伸ばすならばケルディラに向かうしかあるまいな」
ゴルシュタットとリンブルクが他に領地を接するのは皇国の衛星国家だ。それに手を出すのは自殺行為である。少なくとも現時点ではだ。
「しかし、ケルディラはランリエルも狙っていましょう。コスティラとの統一を名目に既にその一部を我が物としております」
「ああ。それを我らが取れば、ランリエルは抗議しような。アルベルド王には、いずれ話を通さねばなるまい」
サルヴァ王子ではないのか? それを指摘すべきか、ダーミッシュはしばらく考えていた。
ベルトラムに無視されたサルヴァ王子だが、それを知る由もなく、他の事に頭を痛めていた。とはいえ、そのベルトラムに付いてだ。執務室に入ってすぐ、銀髪の部下が待ち構えていたのだ。深夜、王子を叩き起こす緊急性は無いが、影響が大きい事案だ。
「ルキノに接触するのに失敗し、連絡を取り合うのはベルトラム殿の検閲を通さねばならぬだと」
執務室に低く響いたその声には、抑え切れぬ怒りが含まれていた。銀色の頭部が項垂れる。
「は。返す言葉もありません。ベルトラム殿はラルフ王がルキノ殿と知っています。ならば、こちらが密かに連絡を取ろうとするのを待ち構えていて不思議ではない。それを考慮すべきでした」
前回の失敗の後、気を持ち直したかに見えたカーサス伯爵だが、再度の失敗にその頭髪のように顔色が白い。
「あえて申しますが、私など、ベルトラム殿の部下の足元にも及びません。それが良く分かりました」
「しかし、私には伯爵しかこの手の仕事を任せる者はおらぬ。出来ませぬと、逃げられても困るぞ」
「分かっております。分かっております。ですが、その現実を認めなければ、さらなる失敗を重ねましょう」
屈辱を抑える為、伯爵が自身の太腿の辺りを掻き毟る。上等な生地がズタズタに解れていく。その光景にウィルケスが眉を潜める。
これまで伯爵は、大きな失敗は無かった。それが、ベルトラムを相手にしだしてから失敗続きである。上には上がいる。それは分かっていたが、ここまで差を見せつけられるとは。
「彼らを出し抜こうなどと思って行動すれば、必ずや虜となりましょう。如何に彼らを避けるか。そう考え動くしかありませぬ」
「どうやら、そのようだな」
その声も、やはり怒りを含んでいた。
ベルトラムに中身を確認されるなら、ベルトラムと敵対する行動など不可能。まだ交渉を開始したばかりだが、それでもベルトラムが一筋縄ではいかぬ人物だとは分かった。剛質。ベルトラムを語れば、まさにその一言に尽きる。中身が閲覧されるならば、それを逆手にとって、などと言う小細工が通じる相手ではない。
「ルキノに、リンブルク国内の情勢を伝えよ、程度も言えぬ。これでは、連絡を取れぬのと変わりないではないか」
王子の苛立ちに伯爵は口を閉ざした。重苦しい空気が部屋を満たす。伯爵は微動だにしない。沈黙を破ったのはやはり王子だった。目を瞑り伯爵から顔を背ける。
「すまない伯爵。私は今、苛立っている。私の今の言葉は聞き流して貰いたい。私には伯爵が必要なのだ」
「……勿体なきお言葉。ありがとう御座います」
伯爵が銀色に光る頭を下げた。感動に打ち震える、などという質ではない伯爵の目が赤くなっているのにウィルケスも気付いた。
「私も皇国軍には手も足も出なかった。しかし、勝てぬ相手にも必ずや活路はある。その活路を見出すまで、負け続けても仕方あるまい」
事実、サルヴァ王子は皇国軍に負け続けて活路を見出し最終的に勝利したのだ。そして今、サルヴァ王子は、皇国軍を相手にしているかのような威圧をベルトラムから受けていた。勿論、物理的には皇国軍ほどの脅威ではない。しかし、精神的には皇国軍に匹敵した。
こちらが動き相手の動きを誘導する。サルヴァ王子の策にはその傾向がある。皇国軍ですらそうやって退けた。それが、ベルトラムには全く通じない。完全に主導権を握られている。
「私も少し頭を冷やす。伯爵も下がられよ」
「は……」
伯爵が一礼し退出すると、緊張から解放されたウィルケスは小さく息を吐いた。しかし、サルヴァ王子に声はかけない。王子は、顎に手を当て俯き加減に目を瞑り、見るからに思案に耽っている。
いざともなれば、ルキノを呼び戻すしかない。しかし、それはルキノとて、やろうと思えばいつでも出来た。それをせずにいるのは、余程、妻となったクリスティーネ女王を愛しているのか。その妻を捨てて戻って来いと言えるか。言えば妻を捨ててでも戻ってくる。そういう男だ。少なくとも自分が知っているルキノならばそうする。
もし引き揚げさせねばならぬ事態が発生すれば……。その時はルキノに妻を捨てさせねばならない。自分がアリシアと離れられるかと問われれば、それこそ身が引き裂かれる思いだ。しかし、それを言いだせば、兵士一人一人にも大切な者がいる。自分には出来ない事を、他の者にやらせるのだ。
善人になるな。皇国との戦いでバルバール王国軍総司令ディアスに言われた言葉だ。確かにそうだ。善人には何も出来ない。相手にするのが善人だけならば、自分も善人で居られる。しかし、それは夢物語だ。
世を離れて暮らす賢人ならば、悪人と対するに善人を貫き死ぬのも、それは趣味として良い。だが、自分の敗北が多くの者の運命を狂わせる。善人としての敗北など許されない。
ベルトラムを相手に後れを取ったカーサス伯爵だが、その他に関しては以前通り上手くやっている。皇国の情報を不足なく伝えてくれている。
元皇国宰相ナサリオの処刑。ナサリオの妻子が、実はアルベルドの妻子であったという事実。アルベルドの副帝への就任。そしてブエルトニスの新王が、アルベルドに近づいている事も。
ナサリオはランリエルを攻めた皇国軍の統括者だった。そのナサリオが皇帝殺しの大罪人として処刑された。しかし、それももはやサルヴァ王子にはどうでもよい。ナサリオの妻子がアルベルドの妻子であったというのも、どうでもいい。問題は、アルベルドの副帝だ。
サルヴァ王子と敵対する反ランリエル同盟。世論を味方につけ対抗して来ていたが、その総戦力は、ランリエル側の総戦力の半分以下。それが、その盟主たるデル・レイ王アルベルドが皇国の副帝となった。皇国ごと反ランリエル同盟になったと見るべきか。
皇国のプライドは高い。たとえランリエルと敵対しようともケルディラやロタと手を組む事はない。その認識を改めねばならない。
「ケルディラやロタは中立。そう考えていたのだが……」
「皇国に手を貸せと言われて、断れるものではありません」
漏らした王子の独り言に、ウィルケスが即座に応えた。王子が報告を受ける時には傍に控えているので状況は把握している。
「しかし、それを言いだせば、ドゥムヤータなども怪しくなってくる」
「ドゥムヤータ? まさか。外交の表面上の顔はともかく、選王侯のシルヴェストル公爵は、かなりランリエル寄りとお見受け致しましたが」
「それでも、ランリエルと心中してくれるほど愛されている訳ではあるまい。他の国が皇国よりランリエルを選ぶとすれば、勝算があるのも当然だが、いつ、自分が皇国に理不尽に踏み躙られるか。その恐れがあるからだ」
「その、いつ、になるまでに皇国を倒せるものなら倒したい、と」
「そうだ。そして、皇国が他の国々と手を組まず孤高の存在であったのも、そう恐れさせる一因だった。しかし、皇国と手を組めば、いつ、は来なくなるのではないか。そう考えても不思議ではあるまい」
国力的には、皇国以外の全ての国々を集結して、やっと互角。いや、それでも皇国には僅かに劣る。それが現実なのだ。それほど皇国は強大である。よく退けられたものだと思う。
「皇国以外の国々と手を組み対抗するはずが、皇国こそが、その国々と手を組む、ですか。避けたい未来ですね」
「ああ。特にドゥムヤータは戦力だけの問題ではない。我が軍が、前回と同じくケルディラで皇国軍と対峙している時に、ドゥムヤータ経由でテルニエ海峡を渡ってバルバールに皇国軍の別働隊が上陸すれば、我らは退路を断たれる」
「それを警戒しテルニエ海峡付近で迎え撃てば、コスティラ全土とバルバールの大半は皇国軍に蹂躙されてしまうと……」
そして、ドゥムヤータが味方ならば、ケルディラやロタに進出した皇国軍に対し、逆にこちらがその退路を断つ事が出来る。そしてそれはゴルシュタットも同じである。皇国軍をランリエル、ドゥムヤータ、ゴルシュタットで三方から包囲する。これが理想形である。サルヴァ王子は、その理想に向かって手を尽くしているのだ。
「しかし、皇国こそが、ロタやケルディラどころか、そのドゥムヤータやゴルシュタットとも手を組みかねないのですね」
「そうだ」
それをさせない為にはどうするか。ドゥムヤータ、ゴルシュタットをこちらに引き寄せるにはどうするか。友情などを期待するのは馬鹿げている。
やはり、何かしらの利益を与えるしかあるまい。皇国よりランリエルに付いた方が得をする。分かりやすい話だ。問題は、どのような利益を与えるかだ。
その時、部屋を辞したはずのカーサス伯爵が駆け込んで来た。一旦屋敷に戻ってから急ぎ来たのか、汗だくである。
「殿下。今、皇国に潜ませていた部下から急使が届きました。一大事です」
「どうした。まさか、この状況でまた皇国軍が動いたか」
「はい。そのまさかです」
「なに!?」
自分で言ったものの、現在の状況で皇国軍の再侵攻は意外だった。大軍ならばその準備を隠し切れない。それが、今まで伯爵にその尻尾を掴ませていないならば、大軍勢ではありえない。そして、皇国が動く時には大軍勢を動員するという先入観が王子にもあった。
「それが、皇国軍が向かったのはランリエルではありません。皇国、いや、衛星国家のベルグラードとバリドットなのです!」
「皇国が衛星国家を攻めただと……」
あまりにも予想外だった。確かにアルベルドの副帝就任時に、その両国とは揉めたとは聞いていた。しかし、それでここまで事態が悪化するとは。
ベルトラムに読めた事がサルヴァ王子には読めなかった。その差は、ベルトラムがアルベルドの最終目標が皇帝だと看破しているか否かである。土台が違えば、完成像も変わる。
副帝として皇国を収めるだけならば、温情処置で混乱なく改革に当たればいい。しかし、将来、アルベルドが皇帝になるには、多くの支持が必要だ。多くの者を従える必要があるのだ。そして、恩知らずは多いが、怖いもの知らずは少ない。逆らえば潰される。それを思い知らせる必要がある。
そして、この段になればサルヴァ王子も理解した。ベルトラムとは逆の順路で辿り着いた。ここまでやるからには、副帝では終わるまい。アルベルドの最終的な目標はグラノダロス皇国皇帝の座だ。
そして、アルベルドが皇国を完全に手中に収めたならば、それまでとは比べ物にならない脅威となる。逡巡している間はなかった。
この数日後、ドゥムヤータとゴルシュタットにランリエルの使者が超特急で発せられた。それはそれぞれ、ロタとケルディラを共に攻めようというものだった。




