第167:密使
リンブルク女王とラルフ・レンツとの結婚。そしてラルフ王即位の祝辞の使者がランリエルから到着した。ラルフの正体は、思わぬ偶然が折り重なり、身分を偽ったサルヴァ王子の腹心の部下ルキノ・グランドーニである。しかし王子は、あえてルキノの顔も事情も知らぬ者を派遣した。
「クリスティーネ陛下とラルフ陛下のご結婚。ランリエルとしても喜ばしい限りです。我がクレックス王も、心から祝福をと、お言葉をお預かりしてまいりました」
型通りの祝辞を述べる使者にラルフ王の視線は何かを訴えるかのようだ。使者も何かありそうだとは感じながらも、それを察せずにいた。動いたのは使者の後ろに控える随員の男だった。
ラルフ王に視線を向け続け、王がその気配に視線を合わせると小さく頷く。それだけで王は理解した。サルヴァ王子と連絡を取る為に派遣されたのはこの男。王も微かに頷く。しかし、今は出来る事はない。男にとって、今のは顔合わせである。自分が部屋に忍び込んでも驚かぬように。その合図だ。
深夜、男は宿の窓から忍び出た。王宮の城壁を越えるのはそう難しくない。城壁とは軍勢を防ぐ物。言うなれば巨大な網であり、大魚は捕まえるが小魚は取り逃がす。それで王や王妃を暗殺から防げるのかというものだが、逆に言えば小魚だから通れるのだ。その小魚を防ぐに十分な数の兵士で警護しているである。
問題は、どうやってその警護をかわすかだ。とはいえ、昼間に顔合わせが終わっているので、王に見つかっても人を呼ばれる心配はない。
やはり窓からか。普段は厳重に閉じられているが、今日は開け放たれているはず。王自身が手引きするのだ。警護の兵士もそれは盲点だ。
男は人影のない城下町の路地を音も無く駆けた。王宮の城壁付近になると、民家も途絶える。城壁近くまで民家があれば、万一敵に攻められた時、敵の攻撃拠点になってしまう。夜目を鍛えた男は城壁の上を行きかう兵士に目を向けた。兵士達がどこからどこまで歩くのにどれだけの時間がかかるか、指を折って数える。その方が、頭の中で数えるより正確だ。
兵士達の動きを読み、兵士同士がすれ違い戻ってくるまでに、6つ数える間だけ誰も監視していない一角が出来るのを見極めた。兵士達を見ず一気に駆ける。この時ばかりは頭の中で数える。5つまで数えた時、城壁に辿り着いた。息一つ乱れない。
城壁にへばり付けば取り敢えずは安全だ。城壁の真下を覗き込む兵士は意外と居ないものである。万一下を見られても、今は深夜。暗闇に紛れ気付かれない。そのまま城壁にそって移動し、死角となるところから城壁を登った。腕に金属のカギ爪を付け軽々と上に辿り着いた。頭だけ出し兵士が居ないのを見て取ると、一気に登り切った。そのまま反対側の壁にへばり付き、音も無く地面に着地する。
城内には建物も多く庭もあり、身を隠す場所には事欠かない。問題は王の部屋がどこかという事だ。男は、王宮に視線を向けた。
まあ、構造を見れば大よその予測は付く。後は、ラルフ王が明かりを付けて置くぐらいの知恵があれば良いのだが……。
見たところ、王の部屋辺りであろう場所に明かりが付いている部屋は3つ。その3つの部屋を窓から覗き、王がいるかを確認しなければならない。この3つの部屋にいなければ、少し面倒になる。
じゃあ、まあ、行くか。
しかし男が動こうとした時、脹脛に何かが当たる感触があった。複数だ。次の瞬間、燃えるような激痛が走る。一瞬にして両足が矢で針鼠になっていた。足以外に怪我はない。
しまった! 待ち受けていたか。
跪き懐に入れていた短剣を構えるが、物陰から出てきた男達は10人を超える。ほとんどの男が矢を構えている。警護の兵士の姿だが、足音は聞こえない。
「お前は何者だ。言う気がないならそれでもいい。すぐになんでも喋るから殺してくれと言うようになる」
「取りあえず、その足からじっくりコトコト煮てやろう。勿論、繋げたままでな」
「腹が減ったなら食わしてやってもいいぞ。どんな味付けが好みだ? それとも焼く方が好きか?」
これを、にや付きながら言うのではなく、男達は無表情だ。それだけに脅しではないと思い知る。
「……ランリエルのサルヴァ殿下の命で、ラルフ王にお伝えしたい話があって来たのだ」
生きながら煮られ、それを食わされるなど御免こうむりたい。その拷問に堪えられる気がしない。ならば、傷が浅い内に喋る方が得策だ。それに、待ち構えていた以上、この程度は喋るまでもなく相手も分かっているはず。
「それ以外に、お前は何を知っている」
「サルヴァ殿下も、ラルフ王の即位には驚いていると。計らずともベルトラム殿を欺くかのようになってしまったと苦慮なされている」
実は、万一捕まった時には、ランリエル側の事情は喋って良いと言われていた。この話ならば、むしろ、サルヴァ王子に悪意はないと伝えられる。
今回の任務はルキノことラルフ王と連絡を取る事だが、サルヴァ王子の最終的な目標はランリエルとゴルシュタットとの同盟結成である。当初の任務が失敗した以上、次に考えるべきは敵意が無いと示す事だ。捕まらない為に戦うなど不要どころか、無駄に敵対してしまう。
「その話は本当か」
「お主達もある程度の事情は聞いていよう。リンブルク貴族達がクリスティーネ女王を襲うなど我らの知らぬ事。それをサルヴァ殿下の部下であったラルフ王が偶然通りかかって助けるなど、予測しようがない」
「いや、俺達はそんな話は聞いていない。今夜、ラルフ王の部屋に忍び込もうとする者がいるから捉え、何が目的か吐かせろと命ぜられただけだ」
「では、お主達の上の者の前に連れて行ってくれ。こちらに聞かれて困る事は何もない。そこで話をしよう」
男達が視線を交わし無言の会話がなされる。それは思いの外長く続き、幾人かが小さく首を振ったり頷いたりする。本当に無言で会話をする手段があるのかも知れない。
「とにかくお前を捕える。上にはそれから伝えよう。お前をどうするかは上が判断する事だ」
「分かった。しかし出来れば拷問は勘弁して欲しい」
「それも上が決める事だ」
「お前の話に嘘があれば、お前の明日の朝飯は目玉焼きになる」
その目玉焼きが、何の目玉なのか、考えたくはなかった。
その後、彼らの上の者と話す事が出来、ランリエル側の事情を説明した。その結果、足煮込みやら目玉焼きなどを食べずに済み解放されランリエル側の立場も理解して貰えたが、やはり、ラルフ王との接触に関しては不利な立場に立たされた。
「理由はともかく、我が方の城に忍び込まれるのは看過出来ん。次に見つければその時は始末させて貰う」
「分かりました。ですが、こちらとしてはラルフ王と接触する手段を確保したいのです」
「それは、私が判断出来る事ではない。ベルトラム様と話されよ」
尤もな話だが、自分はベルトラムと公式に会える身分ではなく、そもそも権限も与えられていない。どうやらこの手の仕事については、この者達一人一人が自分より格上らしく、次こそ間違いなく殺される。
「分かりました。ベルトラム殿には改めてサルヴァ殿下から人が送られ話されるでしょう」
今日の事はベルトラムにも伝えられるはずだ。ラルフ王と連絡を取るのは失敗したが、サルヴァ王子がベルトラムに敵対する気がないのが伝わるだけでも良しとしなければならない。とはいえ、再度ラルフ王の部屋に忍び込むのは論外。次は敵対行為と判断される。ランリエル側の選択肢はかなり絞られたのだった。
次の夜、ラルフ王の部屋の窓を叩く者がいた。
やっと来たか。ラルフ王ことルキノは、急ぎ窓を開け男を迎え入れた。人目を忍ぶ為か。布を巻き顔の大半を隠しているが、僅かに見える目元は謁見の間で見た男のものだ。尤も、昼間のように明るいとは言えぬランプの光の元ではあるが。
「どうした。来るのなら昨日の内にかと思っていたのだが」
「当日だと警戒する者も居るかと考え、1日、日を置きました」
「そうか。警戒されるなら当日も翌日もあまり関係ない気もするが」
ルキノが釈然とせずつぶやく。常ならば不満を表にだす男ではないが、愛する妻を得ながらもリンブルクでの日々は孤独だ。それが彼を焦らせていた。らんりえるとの、サルヴァ王子との接触を一日千秋の思い出待ちわびていたのだ。
「はい。ですが、ルキノ様と連絡を取らぬ訳には行きませぬ。日を置いたのは万一の配慮です」
「なるほど。分かった。それで、サルヴァ殿下のご様子はどうだ。私がリンブルク王になったと聞いて驚いておられよう」
「申し訳ございませぬが、私は、サルヴァ殿下のご様子まで聞く立場に御座いません」
「そうか。そうだな……。それで、殿下は私にどうしろと言っている」
「とにかく、ルキノ様がどうしてリンブルク王になる事になったのか。それを聞きたいと」
「それもそうだな」
そう前置きし語ったのは、カーサス伯爵の調査した通りと言うより、ルキノがベルトラムに語った通りと言うべきだろう。とにかく同じ内容だ。偶然、盗賊に襲われているクリスティーネを助けたというものである。
「分かりました。サルヴァ殿下にお伝えいたします」
「うむ。それで、今後私はどう動けばよい?」
「は。今はベルトラム殿と敵対すべきではないとサルヴァ殿下はお考えです」
「それはそうであろうな。私も元々は、ベルトラム殿との同盟の為にゴルシュタットに向かったのだ」
「ですが、皇国を警戒すればそれが表に出るのは好ましくない。表面上はゴルシュタットとランリエルが敵対するように見えても、それは擬態である。それに惑わされず、リンブルク王としてベルトラム殿の命に従うようにと。それによってベルトラム殿の信頼も得られるとの事です」
「なるほど。承知した」
ルキノが頷く。性格的に謀略に向かない男だが、知能が低い訳ではない。自分では思いつかないだけで、他の者の策を弄するのを嫌悪はしない。ましてや、サルヴァ王子の命ならば、逆らう気持ちは微塵もなかった。
「それでは、これで失礼致します。それと、この割符をお持ち下さい」
「割符?」
「はい。これで御座います」
それはギザギザに割れた小さな鉄の板だった。表面には何やら模様が刻まれているが、何を刻んでいるのかは、これだけでは判断出来ない。
「それにこれを合わせれば、1枚の絵になります。もし人に見つかっても、親しいご友人と共に持っている、とでも言い訳して下さい」
更に男が取り出したギザギザに割れた板を合わせると、ギザギザ同士がぴったりと合わさり絵が完成した。うさぎが稲を咥えるリンブルク王家の紋章だ。ルキノの記憶では、確か平和の象徴らしい。リンブルク人を称するラルフ・レンツがこれを持っていても何の不思議もない。
「分かった。サルヴァ王子の連絡に、お主以外の者が来たらこれで確認しろと言うのだな」
「いえ。私自身が来てもです。何があるか分かりませんので」
「なるほど。確かに」
今まで一人で耐えてきたルキノだ。それがやっとランリエルとの繋がりが出来た。その安心感、開放感に笑みを溢すが、男が言った、私自身が来ても、その意味を考える事はなかった。




