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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
246/443

第155:後見人

 グラノダロス皇国皇帝が、実弟、元宰相ナサリオにより毒殺。ナサリオはすぐさま捕らえられ、独房に戻らず牢獄へと直行した。アルベルドは皇帝の遺体を馬車で王宮に運び、国葬の準備を命じる一方、文武の大臣、官僚を急遽招集した。皆が集まりだしたころには、既に深夜となっていた。


 詳しい事は知らされず、とにかく急ぎ出仕せよと命じられた。広大な謁見の間に詰め掛けた彼らが見たのは、玉座に座るパトリシオの長男で6歳になるカルリトスと、その傍らに立つアルベルドの姿だ。


 カルリトスはまだ状況が把握出来ていないのか、きょときょとと辺りを見回す。他からはどう見えようと、少年にとっては父は偉大な皇帝だった。周囲にいる従者、執事、教育係達は口を揃えて、お父上は偉大な皇帝陛下であらせられますと言う。その父が死んだ。父の次に尊敬していた叔父に毒殺されたのだ。


 6歳の少年の脆弱な神経はそれを支えきれず、まるで夢を見ているかのように現実感がない。思考すら出来ず言われるまま玉座に座る。尤もそれは、王宮のほとんどの者達がそうだった。アルベルドに命じられた通りに手配し、幼き皇太子を深夜叩き起こして着替えさせたのだ。


 だが、事情を知らされず集まった者達は、いくら皇太子でも皇帝を差し置き玉座に座るなどどういう事かとざわめく。ほぼ人が揃ったと見たアルベルドは、前置きなしに本題に入った。


「本日夕刻。皇帝陛下がご崩御なされた」


 口々に呻き、大音量のざわめきが鳴った。尤も、その幾人かは皇太子が玉座に座っている事に予感し、そして更に少数の抜け目ない者達は既に情報を集めていた。そしてそういう者に限って、

「まさか皇帝陛下……」

 と、泣き崩れる演技を忘れない。


「皇帝陛下を害したは、実弟のナサリオである」


 ざわめきが爆発し轟く。それが鳴り止まぬのにアルベルドは、かなりの時間を待たなくてはならなかった。


「ナサリオは人を使って己の屋敷にある毒入りの葡萄酒を皇母イサベル様の屋敷に持ち込み、それを皇帝陛下に飲ませたのだ。だが、今はその手口を論じる時ではない。問題はこの国難にどう立ち向かうかだ」


 今度は小さくざわめく。やはり収まるのを待つ。


「皇国は揺るがぬ。この程度で揺るがぬ。だが、如何な巨大な船でも、自ら巨石にぶつかれば座礁しよう。特に昨今、巨大な岩が眼前に立ちふさがっている」


 その巨石とはランリエルだ。皇帝不在、いや、皇太子カルリトスがすぐに即位しようと僅か6歳。ランリエルに対抗できるのか。皆の心に不安が広がる。


 実際、皇帝の行政、運営の観点から見れば、それを全て臣下に任せるパトリシオなど居ても居なくても同じ。ならば6歳の子供が皇帝でも同じである。だが、人には感情がある。未来を予測する知恵もある。その知恵が不要の不安を見せる。そしてそれは、ランリエルの脅威を印象付けたアルベルドの誘導によるものだ。


「今、皇国の舵取りをしくじる訳にはいかぬ」

 少しだけざわめきが起こったが、アルベルドはそれも収まるのを待った。


「すぐにカルリトス殿下にご即位頂き、新たな皇帝として立って頂かなくてはならない。だが、如何に俊英なるカルリトス殿下とていまだ幼きが現実。成人なされれば稀代の名君となるを疑う者はおらぬであろうが、成長なされるまでそれを支える者が必要であろう。不肖このアルベルド。皇帝陛下の叔父として支え木となる所存」


 大きなざわめきが起こった。アルベルドは何気なく言ったが、それは皇帝の禁忌だ。だが、親皇帝が幼いのも事実。誰かが国政を見なければならないが、他に誰が居るのか。皇国一の政治家であるナサリオ自身が、皇帝殺害の容疑者なのだ。そして、次に名をあげるならば、聖王アルベルドしかない。


 だが、その聖王である事が禁忌なのだ。その問題に皇国の重鎮ブルトスが反対の声をあげた。


「確かにアルベルド王の名声は聞き及んでおりまする。ですが、アルベルド王はその称号が示す通り、デル・レイの国王。衛星国家の王族が皇国の政治を壟断するは皇国の国策に反しまする」

「この大事に、そのような慣習に捕らわれてどうするか!」


 アルベルドの怒声が響く! ここが正念場。ここで他の家臣に皇帝の後見人の座を奪われても取り戻す自信はあるが、時を無駄にするのには違いない。ここで皇国の権力を握る。


「慣習では御座らん。皇祖エドゥアルド陛下のご遺訓で御座います」

「皇祖エドゥアルド陛下のご遺訓と申せば全てが通ると考えている事こそが慣習だ! 皇祖エドゥアルド陛下のご遺訓は平時を旨としたもの。今は非常の時。偉大なる皇祖エドゥアルド陛下が、平時と非常の区別が付かぬとでも言うか!」


「それは詭弁で御座ろう!」

「何が詭弁か。では、敵が城下に迫っても、皇祖エドゥアルド陛下のご遺訓と唱える気か」


 詭弁である。アルベルドは意図的に論点をずらした。衛星国家の王族を皇国の政治にかかわらせないのは、衛星国家の力の均衡を崩れさせ、ひいては皇国の支配体制にひびを入れかねないからであり、それ以上に皇国自体が乗っ取られないかねないからだ。


 論じるなら、この国難を乗り切るのと、その危険性のどちらを取るのか。それを議論すべきだ。だが、アルベルドはそれを避けた。まさに皇国を乗っ取る気だからである。


「そこまでは申しておらぬ。だが、今はまだ、そこまでの状況では御座らん」

「皇帝陛下が毒殺される以上の状況などあるものか」


 この世の全てには’程度’というものがある。アルベルドもブルトスも、自身が主張する’程度’に今の事態を引き寄せようとしていた。そしてこのような議論は、両者の’程度’の感覚の違いでしかなく、所詮は水掛け論。そしてそれは仕掛けたアルベルド自身が知るところだ。結局は、ブルトスの周りにいた者達がブルトスを宥めて黙らせた。そして、そうなっても玉座の隣にアルベルドは残る。


「他に異議を唱える者は居まいな!」

 と勝者の態度だ。


 とにかくこの場を梃子でも動かん。カルリトスの傍に立つ者が権力を握れるのだ。仕掛けられた議論は全て潰す。水掛け論だろうがなんだろうが、論破されなければ、この場から排除されない。


 そして実際、皇国の未来に不安を覚える者も多い。無敵と思われていた皇国軍が敗れた。その衝撃が心に残っている。それを成したランリエルに、覇者サルヴァ王子に対抗できるのはデル・レイの聖王アルベルドのみ。その構図は、アルベルドの巧みな情報操作により、この大陸では決定事項だ。


 確かに今までにない状況だ。ならば今までにない処置も必要なのではないか。衛星国家の王に皇国の国政にかかわらせる危険は承知しつつも積極的に反対する事も出来ない。結局、反対する者は多くなく、アルベルドは数名の反対者を時には論破、時には水掛け論に持ち込み潰し、玉座の横を死守したのだった。


 正式にアルベルドが新皇帝の後見人として任命された訳ではない。それを任命する権限を持つ新皇帝カルリトスが茫然自失の状態だ。しかし、アルベルドが皇国の国政を牛耳るのを、少なくとも新皇帝を補佐するのを黙認された。残りは制度を後付けるだけだ。



 皇国での住居に戻ったアルベルドは、しばし休息を取った後、ナサリオを入れた牢獄へと向かった。皇帝の後見人となったアルベルドである。付いて来るなと言いつけると、看守や警備の騎士はその命に従った。脱獄の危険を考えれば論外だが、制度より地位が優先されるのが封建社会というものだ。


 石畳の廊下を乾いた足音を鳴らし進み、ナサリオがいる牢獄の前に辿り着いた。今までのような貴人を入れる整えられた部屋ではない。積み上げた石がむき出しの、牢獄そのものの牢獄。備え付けられた寝具も粗末な物だった。


 その寝具の麻の掛け布団が人の形に盛り上がっていた。


「ナサリオ兄上……」


 その瞬間、麻の掛け布団を跳ね飛んだ。ナサリオが駆け寄り、冷たい鉄格子に阻まれしがみ付く。皇国宰相として君臨していた男の威厳は微塵もない。


「誤解だ! 誤解なのだ。アルベルド! 私は兄上を殺してなどいない!」


 必死の形相のナサリオに、アルベルドは両手で顔を覆い肩を震わせた。


 駄目だ。笑いそうだ。あの冷静沈着なナサリオがこれほど取り乱すとは予想しなかった。皇国を支える大政治家も、能力はともかくその精神は所詮、血統によって守られてきた苦労知らず。命の危機に脆弱さを露呈した。


 ランリエルに敗北した後、そのまま崩れずに持ち堪えた。それは見事だったが、所詮それは死んだのは他者であり、自分ではない。自分の命がかかればこの程度だ。


 必死に笑いを堪えた。我慢出来なくなりナサリオに背を向け肩を振るわせる。ナサリオからは嘆いて見える。やっと笑いを収めたアルベルドが改めて向き直ると、神妙な面持ちを作り上げていた。


「ですが、兄上の屋敷の者達を取り調べたところ、兄上のご指示であの葡萄酒を義母上の屋敷に届けたと申しております」

「そ、それは」

 ナサリオは目に見えて狼狽する。


「やはり、兄上のご指示なのですね。残念です。パトリシオ兄上は貴方を許そうとなされていた。それなのに……」


 そこで言葉を区切ると、片手で顔を覆って俯いた。やはり、笑ってしまいそうだ。


「違うのだ! 私はもう兄上を殺す気はなかった。信じてくれ!」

「ですが、殺す積もりで毒入りの葡萄酒を用意したのでしょう。パトリシオ兄上はそれを飲んだ」


「だが、お主は大丈夫だったではないか! 兄上は同じ物を飲んだのであろう。ならば私が用意した物で死んだのではないはずだ!」

「宮廷の医者に調べさせたところ、確かに葡萄酒だけでは毒ではなかったそうです。ですが、パトリシオ兄上の杯の内側に塗られていた薬と交われば毒に代わる代物であったと」


「そ、それでもだ。それでも私は兄上を殺す気はなかったのだ。私はそんな物は知らん。嵌められたのだ」

「では、ナサリオ兄上が用意した物と交われば毒に代わると知っていた者が、パトリシオ兄上の杯の内側にその薬を塗っていたというのですか?」

「そ、そうだ。そうに違いない」


 アルベルドが額に手をやり、首を振りながら少しうんざりしたように溜息を付いた。


「誰がそのような言葉を信じると言うのですか」

「本当だ! 本当なのだ!」

「そうは言っても、パトリシオ兄上を毒殺する積もりであの葡萄酒を用意させたのには違いないではないですか」


 ナサリオは愕然と目を見開いた。確かにそうなのだ。皇帝を毒殺しようと用意した。この事実がある限り言い逃れは出来ない。なぜだ! 助かるはずだった! あの時は、兄上を殺さなければ自分が殺されると思っていたのだ。


「言って下されば……。私を救う気だったと兄上が言っていてさえいれば……。私も兄上を殺そうなどとは……。なぜ言って下さらなかったのだ!」


 まあ、言っていたんだがな。と、アルベルドは手で隠し口元を皮肉に歪ませた。目だけは真剣そうに取り繕う。


「はい。私もそう思います。パトリシオ兄上さえ、そう伝えていてくれれば、と。きっと、急に許すと言ってナサリオ兄上を喜ばせようとしていたのでしょうが……」

「なんだ! なんだ! その子供じみた考えは! ふざけるな! どれほど私が苦しんだと思っているのだ! どれほど……」


 鉄格子を掴みながらナサリオは崩れ落ちた。あまりにも馬鹿馬鹿しい。そんな理由で苦しんでいたのか。やはり、奴には人の苦しみなど分からないのだ。


「確かに、ナサリオ兄上には同情いたします。ですが、皇帝を毒殺したという事実は変えられません」

「違う。それは違う。私は兄上を殺してはいないのだ」


「まだ言うのですか。ナサリオ兄上が皇帝を殺す為に用意させた物を飲み皇帝が死んだ。それは殺したというのです」

「う、うわぁぁぁっ!」


 ナサリオが泣き崩れた。確かにそうだ。その事実は変わらない。他に犯人がいても、自分の罪は消えない。


「ですが、兄上。私は信じます」

「しん……じる?」


 呆然と異母弟を見詰めた。皇帝を殺した。その事実は変わりようがない。何を信じてくれるというのだ。


「はい。あの時、確かにパトリシオ兄上とナサリオ兄上は和解なされた。それを信じます。ナサリオ兄上がパトリシオ兄上を殺す気はなかったという事も信じます」

「アルベルド……。ありがとう。ありがとう……」


 鉄格子越しにアルベルドの手を取った。ナサリオの頬が涙に濡れた。


「私がナサリオ兄上をお救いして見せます」

「ほ、本当か!」


「はい。ナサリオ兄上をお救いし、フィデリア義姉上やユーリとも一緒に暮らせるようにして見せます」

「お、おお」


 夢のような言葉だ。それがかなうならば、もはや地位も名誉も要らぬ。家族3人で暮らせるならば、全ての地位と財産を失っても構わない。


「ですが、私がどう考えようと、兄上は皇帝殺しの罪人。その事実は消えません」

「う……」


 反射的に否定しかけ口を噤んだ。認めたくはないが、確かにそうだ。それを認めた上でどうするかなのだ。


「そして義姉上とユーリは皇帝殺しの妻と息子。共に首を刎ねられる運命にあります」

「ま、待て! それは待て! 違うぞ!」


「落ち着いて下さい。兄上とお2人で暮らせるようにすると言ったではないですか」

「そ、そうか。すまない……」


 まったく頭の悪い男だ。人間とは追い詰められるとここまで頭が悪くなるものなのか。大陸屈指の大政治家だった皇国宰相ナサリオが、このありさまだ。


「とにかく今しばらくは、お2人はデル・レイに留めます。長くは難しいですが、何とか理由を付け引き伸ばしましょう。その間にお2人を助ける方策を探るのです。勿論、兄上も」

「頼んだぞ。頼んだぞ。アルベルド」

 ナサリオは義母弟の手を押し抱いた。


 そこは、お願いします、だろ。いつまで自分が上位者と思っているのか。全く、傲慢な男だ。


「お任せ下さい。貴族達の中には、女神とも称されるフィデリア義姉上の首を刎ねるのは勿体無い。慰め者にしようなどという者も居りますが、義姉上を決してそのような目にはあわせません」

「フィデリアを慰め者にだと! 我が妻だぞ!」


「分かっております。そうならぬように尽力いたします」

「頼むぞ。必ずやフィデリアを救ってくれ」


 頼むぞ、か。どうしても、お願いします、とは言わんのだな。まあ、良い。精々、自分の妻が他の男に弄ばれる悪夢に苛まれるがいい。じっくりと料理させて貰う。母を殺されてから20年。この時を待っていたのだ。簡単に終わらせると思うな。


「それでは、また来ます。兄上も早まった事はせぬように」

「分かった。良い連絡を待っておるぞ」


 言葉は落ち着いているが、アルベルドの手をしっかりと握るその手からは、必死さが伝わってくる。


「はい」


 アルベルドが背を向け遠ざかると、その背中を、頼むぞ、頼むぞ、と、ナサリオの声が追いかけた。その声に、やはり、お願いします、とは言わないのだな。とアルベルドは思った。

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