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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
245/443

第154:細い糸

 それは賭けだった。


 ついに、数日後には皇帝からの呼び出しを受け賞罰が下される。アルベルドからその連絡を受けたナサリオは決意した。


 皇帝が自害せよと持って来させた毒酒。それを皇帝自身に飲ませる。それで殺す。私に死ねと言ったのだ。ならば、私が殺すのは当然ではないか。


 だが、自分は罪人。万一皇帝に拝謁する機会があっても身体の隅々まで調べられる。毒酒を持ち込み発見されては言い逃れ出来ない。


 だから賭けだ。蜘蛛の糸を渡るほど危ない賭け。だが、他に手はない。


 貴人を入れるとはいえ独房は独房。部屋に入れる物には細心の注意が払われ調べられる。武器になるような物は当然だが、自害させてしまっては責任者の首が飛ぶ。毒酒なども言語道断だ。だが、出ていく物には甘い。



「以前に屋敷から持ってきて貰った物だが、やはり要らなくなった。この手紙と共に我が屋敷の者に渡してくれまいか」


 警護の兵士にそう伝え葡萄酒と手紙を渡した。まだ罪が確定した訳ではない。宰相の任は解かれてもナサリオは皇族。兵士も最敬礼で受け取った。


 とはいえ、手紙は検閲をうける。この葡萄酒を貯蔵庫の一番手前の棚の一番上の段の右端に置け。そう書かれているだけだ。何の問題もないはず。


 翌日、昨日とは別の者と確認し兵士に手紙を託した。手紙にはこう書いた。


 貯蔵庫の一番手前の棚の一番上の段の右端にある葡萄酒の瓶が古くなっている。アボワースの14年物の空瓶に入れ替えて元の場所においておくように。


 もし、昨日と同じ者が検閲すれば怪しむだろうか。怪しまれれば終わりだ。昨日とは別の者が検閲すれば、なんと几帳面なと苦笑するだろう。


 更に翌日、次の手紙を、また別の兵士に託した。


 貯蔵庫の一番手前の棚の一番上の段の右端に置いてあるアボワースを母上にお贈りしろ。


 アボワースはパトリシオは好む葡萄酒だが、母の趣向にはあわない。それでも母が飲む危険もあったが、この時ナサリオは、あえてそれを考えなかった。


 翌日、別の手紙を託し、母に届けさせた。


 皇帝陛下に私の助命嘆願をして頂けないか。


 これで母が兄を屋敷に呼び寄せれば、母や兄にアボワースを振舞うだろう。母が兄に会いに行けば万事休すだ。


 皇帝が口にする物は全て毒味される。だが、母の手からならそれも甘くなる。母が手ずから息子に振舞うのだ。それに割って入って毒味はすまい。だが、母が他の者に用意させてなら毒味をする。


 母を呼ぶか、母が行くか。母が手ずから兄の杯に注ぐか。他の者に命じるか。その賭けになる。いや、兵士達の検閲を突破できるかも賭けだった。屋敷の者達が貯蔵庫の置き場所を間違えないかも賭けだ。母が兄に葡萄酒を振舞うとしてもアボワースを選ぶかも賭けなのだ。何もかも賭け。こんな計画、万一にも成功するはずがない。だが、今はそれに賭けるしかない。


 運命の女神が微笑み成功しても、皇帝が毒殺されれば徹底的に調べられる。毒酒がどこから持ち込まれたか。指示の手紙には、残すほどの物ではないので指示通りに行った後は、この手紙は捨てるようにとは書いてあるが、それでも記憶は残る。


 皇帝が殺されたのだ。屋敷の者達を拷問にかけてでも調べつくすだろう。そう長くない間に事は露見する。それまでに独房を出る。そして権力を握り真相を闇に葬る。二重、三重の困難を克服し、奇跡を起こさなくてはならない。


 この時ナサリオは追い詰められていた。皇帝暗殺に失敗すれば、自分どころか妻子の命はない。それを必死で考えまいとし、考えてしまえば、どうせ皇帝は妻子まで罪に問うかも知れないのだと無理やり自身を納得させた。


 これしか。これしかないのだ。もはや私にはこれしかない。



 その日、皇帝パトリシオは異母弟であるデル・レイ王アルベルドの訪問を受けた。他国の使者にとっては砂漠に埋もれた砂金のように、同国の貴族達からしても昼間の星のようにお目のかかるのが困難な皇帝に、信頼篤いアルベルドはすぐさま通された。


「パトリシオ兄上。義母上から面会の申し出があったそうで御座いますな」

 以前、皇帝に言われた通り、2人の時はパトリシオ兄上と呼ぶようにしている。


「耳が早いな。以前お主が言った通り、母の願いを聞けば、実際はそうでなくとも母に説得されて許したと見られてしまう。なので断ろうかと思っておる。母には心配かけるがな」

「ならば、兄上が義母上の屋敷に向かわれては如何で御座いましょう」


「余が母の屋敷に? それでも同じであろう」

「いえ。貴族達の嘆願も多くなり、皇帝がナサリオ兄上をご赦免なされるのではないかという噂も広がっております。兄上が義母上の面会を許しその願いを聞くのではなく、義母上の屋敷に出迎かれ、ナサリオ兄上をご赦免する予定である事をご報告なされる。その態を取れば、皆も義母上の願いを聞き入れたとは言いますまい」

「なるほどの……」


 一見同じに思えても、些細な事で人の印象は変わる。真の意図、真の姿を隠し、都合の良い印象にすり替える。アルベルドが最も得意とするところだ。


「どうせならば、ナサリオ兄上もお呼びになるのも良いかも知れません」

「ナサリオを? 独房から出してか?」


「はい。あくまで一時の事とはしますが、ナサリオ兄上を独房から出せば、なおの事、義母上の願いでご赦免なされたのではないと皆は知りましょう。ナサリオ兄上も長きに渡る独房生活でお疲れです。皇帝陛下としてではなく、兄としてナサリオ兄上を労われるのもよろしいかと」

「そうか。そうであったな。余もここ数年。いや十数年。ナサリオを臣下として見てきた。弟として見てやれていれば、諍う事もなかったであろうに」


 突然、兄弟愛に目覚めた皇帝だ。それを持ち出せば意のままに動かすのは容易い。尤も、そうでなくともアルベルドの手にかかれば難しくはないのだが。


 こうして、皇帝がその母であるイサベルの屋敷に出向き、ナサリオも独房から出される事となった。更に義母弟アルベルドも同席する。


 独房から出され、母の屋敷で皇帝と会う。その連絡を受けたナサリオは一時呆然とした。このような機会が来ようとは、まったく予想していなかった。


 この面会が、罪を赦免される事前連絡だと知らぬナサリオは、一瞬、皇帝と会う前には身体を調べられるのも忘れ、毒酒を手元から放した事を後悔したほどである。


 毒酒は母の手に渡ったのか。母は兄にそれを振舞うのか。用意していなければ、兄はアボワースという葡萄酒を好きだったはずと母に助言すべきか。いや、少しでも気取られる事はすべきではない。しかし、皇帝が死ななければ自分は終わりだ。多少、危険でもやるべきか。


 迷いあるナサリオは、思考を巡らしつつ皇帝に会うに相応しい衣装を整えたが、思考に没頭し着替えた記憶がないほどだ。窓枠に鉄格子が嵌められ、外から鍵がかかる馬車の中でも迷いは消えない。


 強引にでも皇帝を殺すか。証拠が残るなら殺さない方が良いか。皇帝が自分を罰する気ならどうせ殺される。ならば強引にでも殺すべき。だが、強引にやって失敗して己の仕業だと露見すれば妻子まで殺される。だが、皇帝を生かしておけば、妻子まで罪に問われるかも知れないのだ。やはり、強引にでも殺すか。


 馬車が止まったのは、その結論が出たと同時だった。屋敷には母以外にアルベルドも既に到着していた。2人が立つ傍らのテーブルの上にアボワースの瓶があった。


 やったか! 蜘蛛の糸を渡る綱渡りに成功したのだ! これで後は皇帝さえ来れば。皇帝を殺せる。妻子を取り戻せる。運命の女神は自分に微笑んだ。ならばやるべきだ。


 しかし、アボワースの傍に置いてある杯が目に入った瞬間、ナサリオの視線が厳しくなる。

 しまった。銀の杯を使うのだったな。当たり前のように使っていたので失念していた。毒が銀に触れれば黒く変色する。どうにかして皇帝の杯を別の物に変えられないか……。


「随分とやつれましたね……」


 その声に現実に戻ったナサリオの前に、久しぶりに会う愛しい息子の姿に涙を浮かばせた母の姿があった。美貌を保つ為に莫大な金を投じる彼女の頬に涙が流れ、最高級の白粉を溶かしていく。


 パトリシオを差し置いてナサリオのみを愛してきた。聡明で愛する前皇帝にナサリオが似ていたからだ。しかし、聡明なるが故に、ナサリオこそが次期皇帝に相応しいというイサベルの声に耳を貸さなかった。やむなく、ナサリオは宰相となり、その手腕を振るった。そして名宰相の名声を得た。しかし、名宰相になったがこそイサベルは満足しなかった。やはり、ナサリオこそが皇帝に相応しかったのだ。そう信じて更にナサリオを愛し、パトリシオを出来の悪い息子と蔑んだ。


 だが、今やつれ果てたナサリオの姿を見て、それが間違っていたと知った。幸せに穏やかに暮らす。それ以上の何が必要なのか。こんなにやつれ果ててまで、何を求めるのか。愛しい者と穏やかに暮らす。それが一番なのだ。


 一時独房から出されたとはいえ、まだナサリオの赦免が決まった訳ではない。多くの警護の騎士が周りを取り囲んでいる。彼らが見守る中、大粒の涙で白粉を流し、その下から年老いた肌を露出させる皇母イサベルがナサリオの手を取った。


「私からもパトリシオに、貴方を許すようにお願いします。大丈夫です。貴方とフィデリア様とユーリには指一本触れさせたりしません」

「母上……」


 母が妻を嫌っているとは知っていた。息子を溺愛する母が、息子の嫁を認めないのは良くある事だ。その母が、妻を守ると言ってくれた。兄に毒酒を飲ますのに、母を巻き込もうとした事をナサリオは恥じた。


「皇帝陛下のご到着で御座います!」


 白髪頭の執事長の言葉に警護の騎士達が身構える。急いで皇帝が進む道を空けるが、微妙にナサリオの動きを制す位置を取るのを忘れない。ナサリオを囲む数倍の騎士に守られ皇帝は部屋に入った。


「これは母上。お久しぶりです。ナサリオも久しぶりだな。かなりやつれたようだが、独房生活はきつかったか」


 本当はナサリオを助けようとしているのをアルベルドが伝えてくれている。そう信じる皇帝は気楽なものだ。


「は。皇帝陛下のご命令ならば、仕方がなき事で御座います」


 母の手を取り目頭に涙を滲ませていたナサリオだったが、皇帝の言い草に一瞬にしてその涙は乾いた。母を巻き込もうとした事には反省した。だが、兄を殺す決意に変わりない。


 こうなれば独房から出されたのも好都合だ。ここで兄を殺し、すぐさま権力を握る。自分は皇帝の弟にして元宰相。今いる警護の騎士達などとは格が違うのだ。この者達を率いて王宮に乗り込み、王宮を押さえる。


「パトリシオ。私からもお願いします。どうかナサリオを許してやって下さい。確かにランリエルなどという下賤の輩に多少の傷は付けられはしましたが、だからと言って皇国の威光が寸分も陰るものではありません。次にはこの地上から消せば良いのです。そうすれば先の傷も消え失せましょう」


 愛しい息子を想う母の言葉に、屋敷の者達が驚きの表情を浮かべた。普段のイサベルは美しく毅然とし、これほどの年齢の息子などいないかのようだ。それが、今の彼女はただの母だった。兄を殺す決意だったナサリオも思わぬ母の言葉に、それも一瞬忘れた。


「謝りますパトリシオ。今まで私はナサリオのみを愛して来ました。貴方もそれを感じていたのでしょう。でも、それ故にナサリオを罰しようというのなら、悪いのは私です。私が全て悪いのです。貴方をもっと愛していれば。ナサリオと同じに貴方を愛していれば……」

「母上……」


 思いがけない母の言葉に、パトリシオの目にも涙が浮かぶ。ナサリオと同じく貴方を愛す。ずっと聞きたかった言葉だ。もしかすると、弟の名声に嫉妬したのも、母から認められたかったのかも知れない。


「母上……。勿論です。ナサリオは我が弟。間違っても処罰など致しませぬ」

「本当ですか?」

「はい。独房に入れたのも、すぐに許せば先の戦いで戦死した貴族達が収まらぬゆえ、アル……」


 皇帝が計画の発案者に視線を向けると、アルベルドは皇帝にだけ見えるようにそっと口元に指を立てた。内緒だ。という合図だ。自分の名を出さず、皇帝1人の考えによってナサリオを許す。そうした方が良いとパトリシオを言い包めてあった。


「あ、いや。とにかく、やはりこの皇国にはナサリオは無くてはならぬ者。貴族達からもナサリオを赦免して欲しいとの声が大きくなって来ました。今こそナサリオの罪を許す時と、今日はそれを母上にお伝えに参ったのです」

「ほ、本当で御座いますか!」


 イサベルより先にナサリオが叫んだ。

 私を許さないという心と、貴族達の嘆願との板挟みとなった皇帝は自分に自害を命じたのではなかったのか? 母に言われ心を変えたのか。だが、今日は初めから許す積もりで来たという。それに兄は演技など出来る人ではない。心からの言葉に思える。


 もしや、兄上の側近の誰かの陰謀か。私が居なくなれば自分が出世出来ると考える者も多い。あり得る話だ。兄の名を騙り私を殺そうとしたのだ。おのれ! おのれ!! 独房から出れば、必ずや見つけ出し目にもの見せてくれる!


 しかし、ならば私は兄上を誤解していたのか。兄上はこんなにも私の事を考えてくれていた。あれほどの大敗を犯した私をだ。これほど愛されていたとは……。


 私もどこかで兄上を軽んじていたのかも知れない。自分の方が有能だと。出来の悪い兄を支えてやっているのだと。それが知らず知らずに態度に出て、兄上はそれを敏感に感じ取っていたのだ。愚かな事だった。


 これからの人生の全てを兄に捧げよう。そして自分の名声は全て兄上のものに。兄上をグラノダロス皇国の中興の祖。ランリエルなどと言う小国に大敗した宰相の失態を挽回し、皇祖エドゥアルドに勝るとも劣らぬ皇帝。兄上の名を歴史に刻むのだ。


「兄上……。ありがとう御座います。ありがとう御座います。全てを。これからは私の全てを兄上の為に捧げまする」

「ナサリオ……」


 兄弟は涙を流し抱き合った。その光景に母も涙を流す。この美しい光景に警護の騎士達も涙を流した。部屋の片隅では、涙を流す侍女の肩を別の侍女が抱いているが、その侍女の目にも涙が浮かぶ。


 ちっ! 狂ってやがる。この茶番に、アルベルドは小さい舌打ちを口腔の中で弾かせたが、顔の筋肉は制御しきり笑みを浮かべる。


 十数万の人間が死傷した大敗の罪を、家庭円満と片付ける気か。どれほど傲慢な奴らだ。心の底から自分達、皇族以外の人間には血が通っていないと思っているに違いない。


 それほど皇族の家族愛が何よりも尊いならば、ランリエルに行って、サルヴァ王子の目の前でこの茶番を演じて見せよ。高貴なる皇族の方々の家族愛に、サルヴァ王子も跪いて皇族の方々を傷付けた罪に涙して謝罪するだろう。


 やってられるか! 顔に笑みを浮かべたまま、葡萄酒の瓶へと手を伸ばした。皇帝の為に用意された金の細工がなされた銀の杯を外し、その横の飾り気のない銀の杯にやや乱暴に注ぐ。銀は毒に反応する為、皇族、王族の器に使われる事が多い。片手に葡萄酒の瓶を持ったまま、杯に一口付けた。


「うっ!」


 思わず呻いた。これは……!


 今まで静かだったアルベルドの呻き声に皆の視線が集まる。その中でナサリオの顔色が瞬時に青くなる。


「な、何を飲んでいる!」


 ナサリオは慌ててアルベルドの手から瓶を取り上げた。これはすり替えた毒酒。それを飲んだのか! アルベルドが死ぬ! どうする!! 折角兄上と和解できたのだ。これからという時になんという不運!


「え? いや、置いていたので飲みましたが……。何か不味かったですか?」


 アルベルドが平然と応えた。確かに舞踏会でも祝典でもない。乾杯をする為の物ではないのだ。口を湿らせる為に置いていた。彼らは家族であり、このイサベルの屋敷ならば、皇帝を差し置いてという間柄でもない。


「い、いや。しかし、何ともないのか?」


 毒酒を飲んだはずのアルベルドはぴんぴんしている。遅効性の毒なのか? いや、自害するようにと持って来たのだ。他の者の独断ならば、私には即死して欲しいはず。遅効性のはずがない。だが……。

 視線をアルベルドの杯に向けたが、黒く変色した様子はない。


「ええ。この葡萄酒が、どうかしたのですか?」

「それならば良いのだ。気にするな。気にする事はない」


 良かった。たまたま母上の屋敷にもアボワースが置いてあっただけなのだ。兄が来るというので用意させたのかも知れない。自分が持って来させようとした毒酒は、どこかで紛失したに違いない。おそらく貯蔵庫のどこかに置き間違えたのであろう。やむを得ぬ。屋敷に戻ったら貯蔵庫の中の物は全て捨てさせよう。


「何を騒いでおる」

「いえ。失礼致しました。久しぶりに独房から出たので、少し勘違いをしてしまい……。恥ずかしい限りです」


 ナサリオの苦しい言い訳も、それほど苦労をさせてしまったのかと、今のパトリシオには申し訳なくも感じる。


「そうか。まあ、よい。折角だ。私も頂こうか」


 弟の失態を取り繕うように金細工の銀杯を手に取り

「は」

 とナサリオがすぐさま注ぐ。その光景に、アルベルドが周囲に気付かれぬ程度の醒めた視線を向けた。


 今まで散々憎しみあっていたものを、よくもまあ、こんなにも簡単に和解出来るものだ。きっと、初めから大して憎くなどなかったのだ。本当に憎ければ許す事は出来ない。永遠に、未来永劫憎み続ける。私は決して忘れぬ。和解など許さぬ。


「うっ。うがぁっ!」


 突然、皇帝が吼え、口から何かを吐き出した。一瞬、今飲んだ葡萄酒かと思ったが、葡萄酒より遥かにどす黒い。


 床に倒れた皇帝は、

「おごっ!」

 と更に黒い血を吐きのた打ち回る。


「兄上!」

「パトリシオ!」

「皇帝陛下!」


 家族が駆け寄るが、もがき苦しむ皇帝が動かなくなるのはすぐだった。目を見開き虚空を見る。偉大なる皇帝のあっけない最後だった。取り囲む騎士達も呆然とし動けない。


 アルベルドが床に転がる皇帝の杯を手に取った。見ると内側が毒に反応し青黒く変色している。


「ま、まさかナサリオ兄上。これに毒を!」

「い、いや。違う」

「ですが、私が飲んだ時にも様子がおかしかった」

「違う。違うのだ!」


 どうして。どうしてこうなった! 兄上と和解し、母上も兄に謝罪した。全てが上手く行ったのだ。理解ある皇帝の元、愛する妻と子を呼び戻し、宰相として手腕を振るう。理想的な未来がすぐそこまで来ていたのだ。


「兄上! 兄上! 目を覚まして下さい!」


 これは何かの間違いだ。兄上は死んではいない。突然、眠られただけなのだ。兄上さえ目を覚ませば。起き上がれば。起き上がれば!


「兄上! 兄上ぇぇっ!!」

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