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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第152:長兄の尊厳

 ランリエル王都にある後宮の侍女エレナは日々悶々としていた。主人であるアリシアは後宮では他に大差をつける第一の権力者であり、にもかかわらず飾るところの無い尊敬すべき女性である。尤も欠点もある。いや、あった。それは貴族でないという事だ。


 しかし、その唯一の欠点も消滅した。サルヴァ王子がセルミア王となり、アリシアにセルミア王国の男爵位を与えたのだ。これで主人は完全無欠である。


 にもかかわらず彼女が悶々としている理由は、主人の交友関係だった。事もあろうに主人の命を狙っているコスティラの公爵令嬢ナターニヤが主人の親友だというのだ。


 どうしてアリシア様は、あんな女と仲良くしているのかしら!


 ちなみに、主人とナターニヤが友人であるそもそもの原因は、彼女がナターニヤのお茶会に主人を無理やり出席させたからなのだが、当然、彼女は既に忘れている。


 ナターニヤは毎日のようにアリシアの部屋に来ては、お茶を飲みくつろいでいる。アリシアとお喋りする事もあるが、何をするでもなく部屋にいるだけの時もある。エレナからすれば自分の部屋に帰れ! と言いたいところだ。


 確かに以前はその優雅さに憧れた。だが、最近では化けの皮も剥がれた。今も自分の部屋から本を持ち込み読んでいた。だったら部屋に帰れ! と言いたいのだが、それはひとまず置く。問題なのはその姿勢だ。なんと長椅子に仰向けに横たわり、足をはみ出させぶらつかせているのだ。元々村娘だったアリシアですらしない、はしたなさだ。


 やっぱり、令嬢然としたその裏に別の顔があったのだ。なので主人の命を狙っているに違いない。


 ちなみに、主人の命を狙っているとの根拠は、サルヴァ王子の副官ウィルケスと自分とは恋仲であり、にもかかわらずそのウィルケスとナターニヤとの関係が王宮内で噂になり、自分とウィルケスとの間に割り込む者は悪女に違いないというものだ。この時点でおかしいのだが、それはひとまず置く。後宮第一の権力者であるアリシアの命を狙うならば、後宮での権威、ひいてはサルヴァ王子の妃の座を狙っての事となりそうなものだが、それだとウィルケスとの間に割り込んだというのとは辻褄が合わないが、無論、彼女は気にしない。


 ナターニヤが主人を毒殺しないように部屋に居る間は目を光らせているが、個人的な話があるからと遠ざけられる事も多い。銀は毒に反応して変色するというので、やむを得ず主人のお茶は銀の食器を使っている。


 ちなみに、銀の食器はアリシア様が欲しがっていると後宮の役人に言うとすぐに用意してくれた。流石、後宮一の権力を持つアリシア様だ。


 今も、アリシア様から下がるように言われたので、渋々部屋を出た。


 侍女が部屋から姿を消したのを確認すると、長椅子に寝そべるナターニヤがアリシアへと目を向けた。


「最近、あの子、私を睨むんだけど何なの?」

「え、ええ。どうしたのかしらね」


 以前はナターニヤに憧れ、ナターニヤ様を見習えとしつこく言っていた侍女の豹変ぶりにアリシアも困惑顔だ。


「もしかして、そんな格好しているから幻滅したんじゃないの?」

「この部屋にいる時ぐらい気を抜かせてよ。自分の部屋だと行儀よくしろって侍女達がうるさいのよ」


 侍女達は祖国から連れて来た者達で、それだけに自分の主人が元をただせばナターニヤ本人ではなく、その父の公爵である事を良く分かっている。その公爵から、ランリエルで娘がぼろを出さないようにと厳命されているのだ。


「だからって私の部屋でくつろがないでよ」

「別に良いじゃない」

「まったく!」


 そう言いながらもアリシアの口元には笑みが浮かぶ。庶民の出で、貴族令嬢達との生活に馴染めなかったアリシアだ。ナターニヤのご令嬢らしくない振る舞いは心地よい。


「それはそうとして、サルヴァ王子とはどうなってるのよ?」

「どうって、いつも通りだけど?」


「実は妊娠したとかはないの?」

「な、ないわよそんなの」


 突然の生々しい話にアリシアが頬を赤らめる。


「うーん。どうなっているのかしらね」

「どうなってるのって?」


「この後宮には沢山の寵姫が居るのに、誰も殿下のお子を妊娠しないのよ? やっぱり、殿下に問題があるんじゃないの?」

「そうなのよね……」


 他の女との子を作られないのは良いと言えば良いのだが、自分との子も出来ないのは困る。尤も、出来たら出来たで、自分の子が将来王位になどという話にもなりかねず頭が付いて行かないのだが、それはそれとして、愛する男との子が欲しいと考えるのは自然な事だ。


「そういえば、サルヴァ殿下って小さい頃から武芸に励んでいたって言うじゃない?」

「ええ。そう聞いているわね」


「馬にも乗っているのよね」

「それはそうでしょうね」


「それでね。馬に乗り過ぎるとあんまり良くないらしいわよ」

「何によ?」


「だから、子供を作るのによ」

「え? 本当なの?」

「そうらしいわ」


 でも、どうしてなのかしら? と、考え始めたアリシアだったが、すぐに顔を赤らめ思考を停止した。うら若い乙女が考えるにはあまりにも生々し過ぎた。


「何、赤くなってるのよ。寵姫なんだったら、これくらい当たり前よ」

「そ、そんな事言ったって……」


 貴族の御令嬢が寵姫になるのは家の為。王家の世継ぎは産んで、実家を栄えさせる為だ。それ故、後宮に入る前には母や、時には専用の教師からよくよく言い聞かせられるのだ。だが、アリシアには教師など存在せず、後宮に来てからも寵姫らしからぬ寵姫だった。


 しかし、以前の教養あふれ清楚で妖精のような気品にあふれていた姿から見れば、ナターニヤの豹変ぶりはどれほど数の猫を被っていたのか。お淑やかに見えたのは、その猫の重さで身動きが取れなかったからに違いない。


「とにかく、当たりにくいなら数をこなすしかないわね」

「ちょっと。もうやめて!」


「何を言ってるのよ。重要なのよ」

「やめて! やめて!」


 顔を赤らめ耳を塞いで絶叫しつつ、大人の話はしばらく続いたのだった。


 その後、サルヴァ王子から今夜、部屋に来るとの手紙があった。届いたのは既に昼過ぎで、いつもよりかなり遅い時間だ。


 急に会いたくなったという事なんだろうけど……。

 それはそれで嬉しいのだが、連絡にも途中途中で人の手を介すので時間がかかり、結局サルヴァ王子が来るのはかなり夜遅くになる事となった。


 ただでさえサルヴァ王子は夜が明ける前に帰ってしまうのに、数をこなせないじゃない!

 いやいや、違う違う。と顔を赤くし首を振った。昼間、散々生々しい話を聞かされたのでつい意識してしまう。


 その時、扉が叩かれ、まだ顔が赤いのを意識しつつアリシアは扉へと向かった。だが、幸いにも部屋に入ってきたサルヴァ王子は深刻そうな表情でアリシアの変化に気付いていない。そうなれば、そうなったで、気付かない鈍さに不満なのが乙女心というものだ。


 とはいえ、かなり深刻そうなので、そうも言ってはいられない。


「どうなされたのですか?」

 とサルヴァ王子に円卓の前の椅子を勧めた。


「今なら、サマルティの気持ちが少し分かるな……」

 王子はやはり深刻そうに呟くように言った。


「サマルティ殿下と言えば、殿下と王位を争ったというお方ですか? 確か次男の自分を差し置いて、三男のルージ殿下がベルヴァースの王位継承者となったのに不満だったとか」」

「ああ。最近は大人しいがな」


 事実は、サマルティ王子の裏で暗躍していた元宰相のヴィルガとその友人セリオ伯爵をセルミア王国に送り遠ざけた結果なのだが、相手がアリシアとて、流石にそこまで政治的な話はしない。相談に乗って欲しい時もあるが、万一にでも巻き込む気は無いのだ。


 しかしアリシアにしてみれば、サルヴァ王子があれだけ打ちのめされた王位継承の話が蒸し返され、更に急に会いたいとの手紙。どれほど重大事件が起こったのかと考えてしまう。


「ベルヴァースのアルベルティーナ王女と結婚したルージから手紙が来た」

「もしかして、ルージ殿下に何かあったのですか?」


 サルヴァ王子は円卓に右肘を付き、理不尽な何かに耐えるかのように手で顔を覆う。軽く目を閉じしばらくして開いた。


「頭では分かっているのだ。仕方がない事だとな」


 何がサルヴァ王子をこんなにも苦しめているのか……。

 アリシアも無意識に姿勢を正した。


「兄を差し置いてなどという積もりはない。喜ぶべき事だともな。だが……」

「サルヴァ殿下。ルージ殿下がいかがなされたのです?」


 サルヴァ王子は、何か打ちのめされたようにも見える。しかし、それにしても、喜ぶべき事でこれほど打ちのめされるというのがアリシアには予想出来ない。


 もしかしてルージ王子が正式にベルヴァース王になったのだろうか。でも、現ベルヴァース国王のトシュテット陛下が亡くなったのなら、喜ばしいとは言わないはず。トシュテット陛下がご存命中に退位なされ、ルージ殿下に王位を譲られたのだろうか。ならばランリエルにとっても喜ばしい事だ。


 それでルージ殿下が先に王になったのが不満なのだろうか。でも、サルヴァ殿下はそのような事には執着しない人だ。それにサルヴァ王子だって既にセルミア王なのだ。ベルヴァースに比べても小さな国だが、その代わりにサルヴァ王子が将来継ぐランリエルは今では超大国。そう妬む必要はない。


 いったい何が……。


「アルベルティーナ王女が、ご懐妊なされたそうだ」

「そ、それは、おめでとう御座います……」


 アリシアはそう言うしかなかった。そして、サルヴァ王子の気持も少し分かった。

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