第146:黒土
タランラグラにはそれぞれの土地に名前が付いておらず、タランラグラ南部で行われた戦いも、タランラグラの戦いと呼ばれた。バンブーナ兵は武装どころか防具も解除され、それはタランラグラ人に渡された。彼らが砦に蓄えた武器や防具もタランラグラ人の物となった。
集団戦を取得していない彼らだ。装備を得たとしても、やはり正規兵と正面から戦えば劣勢は免れないが、それでも今までとは雲泥の差だ。地の利もある。それに、取り敢えずはランリエルを信用し、バンブーナに潰された家や畑は、これからは北部に集中して作り直す事となった。今のタランラグラを攻めるならば以前のように千の重装歩兵では太刀打ちできず、大軍勢を北部まで移動させる必要がある。その費用は莫大となり、バンブーナも簡単には手が出せぬはずだ。
全てを剥ぎ取られ肌着一枚となったバンブーナ兵は彼らが乗って来た船で帰らせた。皇国は準備が整うまでランリエルと戦いたくはないとバンブーナに代理戦争を命じたが、すぐに再戦したくないのはランリエルも同様だ。ここで降伏したバンブーナ兵に無体をすれば皇国の顔に泥を塗り、双方望まぬまま再戦するしかない状況にもなりかねない。政治的な配慮だ。
敗兵と共に本国に戻った総司令チュエカは、王宮に入るとすぐに自ら進み出て処罰を乞うた。自らも甲冑を奪われ、肌着一枚の姿である。
「勝てざるに兵を置いたは我が無能に、戦わざるに兵を置いたは我が臆病にあります。兵達には一片の罪なく、責は全て私にあります」
責任を一身に背負うその姿に、兵士達から助命嘆願の声が上がった。
「チュエカ総司令は一騎敵陣に駆け込みました。総司令が臆病ならば、この世に勇者はおりませぬ」
「あの地のタランラグラ人が一斉に敵になったのです。チュエカ総司令でなくとも勝ち目はありませんでした」
「それどころか、あの状況でこれだけの被害で済んだのです。チュエカ総司令以外の、誰がなしえたでありましょうか」
チュエカを罰すれば、兵達が暴動でも起こしかねない勢いだ。貴族達の中にもチュエカに賞賛を送る者も多い。その罪は問われず、身分も総司令のままとなった。チュエカは兵士達と肩を抱き合い涙を流したという。
だが、屋敷に帰った彼は妻に漏らした。
「どうせ打ち首になるならとやってみたが、まさか、総司令のままでいられるほど上手く行くとは考えてもみなかった」
そう言って命拾いした彼は酒を一杯ひっかけ、妻を寝所に引き込んだ。
バンブーナが引き揚げた後、ランリエルとタランラグラとの間で、改めて今後の協議を行った。ランリエルとしてもバンブーナら皇国の進出を阻むならば、タランラグラにはある程度の発展をして貰いたいところだ。
しかし、ランリエルとしても無限の財力がある訳でもなく、タランラグラ人も恵んで貰ういわれはないと、無償での支援はその矜持が許さない。とはいえ、タランラグラの塩だらけの不毛の大地から対価となる物など得られない。そう考えていたが、あった。何の事はない、その塩である。
タランラグラで塩を取るのは簡単だ。通常塩を作るには地面に海水を撒き、それを乾燥させる。十分に乾燥させた後に塩の結晶と共に表面の土をかき集め、海水で洗って濃い塩水を作りそれを更に乾燥させて塩の結晶を作るのだ。だが、タランラグラでは辺りにある土をかき集めて海水で洗えば、その濃い塩水が出来てしまう。
無論、質が良いとは言えないが、その簡単な製造方法は、まさに子供でも出来る作業だ。タランラグラで大量の塩が作られる事となった。しかも、驚くべき安価でである。
ランリエルが、彼らから搾取しているのではない。彼らがそう望んだのだ。
「あんたらの金など貰っても仕方がない。それよりも、土と水をくれ」
代金を支払うというより物々交換だが、経費として考えた場合、ランリエル側が支払うのは、土と水を運ぶのに必要な人件費がそれに当たる。タランラグラの塩1樽に付き、ランリエルの土20樽と水40樽。そう決められた。それだけあれば畑が1つ作れるのだという。
樽は空いたなら返してくれれば良いものをとランリエル商人達はぼやいた。雨水を溜めるのに使うのだと、いくつかが戻ってこない。今までは石を積み上げ、その隙間に草を詰めて水が漏れないようにした溜め池を作るなど、かなり苦労していたのだ。
タランラグラの戦士ヤスフェは丘ともいえぬ僅かに盛り上がった大地に立っていた。それでも、草木が生えぬタランラグラでは、かなり遠くまで見通せる。
彼はタランラグラの中核とも言える部族、タランラグラ族の戦士達の纏め役として戦った。初めにランリエルの士官ジュリオを襲ったのは彼の主導だった。それで、いつの間にかそうなっていた。
かなり長い時間眺めていると、不意に後ろから
「何を見ている?」
と話しかけられたが、気配を感じていたのか驚いた様子はない。
「辺りを見ている」
振り向かず答えるヤスフェの言葉は聞くまでもないものだった。もっと具体的に聞きたいのだが、タランラグラ人の特徴なのか、こういう事が良くある。しかし、逆に彼らからすれば、聞くまでもない事を聞くなと考えているかも知れない。確かにヤスフェの声はどこか面倒くさげだった。
ランリエル軍上陸部隊の士官クレルドである。サルヴァ王子が上陸し全権を委譲した後も、現地の第一人者としてヤスフェとも顔を合わせていた。
ヤスフェに殺された前任のジュリオとは友人だった。それはヤスフェも知っている。だが、彼からの謝罪はない。彼からすれば、あの時点ではランリエルは味方ではなかった。謝罪の必要を感じていないのだ。それをクレルドも理解した。タランラグラ人はそのような世界で生きる者達なのだ。友人を失った悲しみはある。だが、それをヤスフェへの恨みとはしなかった。
「畑か?」
「ああ」
ランリエルから運ばれてくる土で、石を積んだ畑が数多く作られ始めていた。交換の塩を取られたタランラグラの白い大地は、黒くその色を変えている。塩を取った後の土は、元の場所に戻されるのだ。
「あの黒いところで作物が取れるようになるというのは本当か?」
「俺達が連れて来た者が、そう言っているらしいな」
ランリエルからは塩田や農業に携わる者達が協力に来ている。
塩田の印象が強い為、初めは表面の土を洗って塩を取っていたが、どうやら地中深いところの土の方が多くの塩を含んでいるのが分かった。タランラグラにも雨は降り、その雨で塩が溶けて地中に沈んでいくのだ。当たり前と言えば当たり前の理屈だ。その為、かなり深くまで掘られるようになった。無論、表面の土も無駄にはしない。それを洗って塩を抜いてから元に戻す。その土に残った僅かな塩分を更に雨が流し、表面の土から塩が抜けていく。その黒い部分が少しずつ広がっている。
数年後、十数年後、数十年後。いつかとは言えないが、そのいつかになれば、土など運んで来なくとも、この大地で作物が取れるようになるのではないか。ランリエルから来た中にそういう者がいた。そうかもしれんと頷く者も多数いた。
「まあ、それもずっと先の話だ。しばらくは、これまでのように石を積んで畑を作らねばならん。しかし、あれだけの石を積むのは大変な作業だな」
「今までは土も遠くから運んでいた。これくらいなんともない」
「そうか」
視線を畑に向けたままのヤスフェの横で、クレルドも畑を眺めた。何十もの畑が作られている。
「これでは、スィムバ(獅子)の儀式も何もないな」
「なんだそれは?」
「畑を作るのをスィムバの儀式というのだ。1人で畑を作りあげた時、獅子を倒すほどの身体を得られるとな」
「確かにあんな物を1人で作られるなら、獅子にも勝てそうだ」
クレルドも軍人として鍛錬を積んでいるが、ヤスフェの身体はそれよりも逞しい。
「だが、一度にこんなに沢山の畑が作られている」
「そうか。確かにこれではスィムバだらけだな」
その時、ふっと何か息が吹きぬける音がクレルドの耳を掠めた。その音に目を向ける。
「お前も笑うのだな」
「なに?」
「お前は今、笑っていた」
「そうか。俺は笑っていたのか」
ヤスフェは少し驚いた顔だ。
「笑う事が出来るのか」
そう言ったヤスフェの歯は、やけに白く見えた。




