第130話:大軍勢の脅威
どうしてランリエルを討伐するのか。そう聞かれたある皇国人が答えた。
蝿が目の前を飛び回れば不快だ。時には怒りをあらわに追い掛け回す。しかしそれは蝿を恐れているのではない。
皇国軍はナサリオの本陣15万を5ケイト(約42キロ)後方に置き、65万を超える軍勢でボルガル平原に布陣した。戦力分散と言えば戦力分散だが、それは弱点を切り離したとも言える。
野戦においての勝敗は、大きく2つの方法によって決する。1つは純粋に戦闘で圧倒し敵の戦線を崩壊させる事。基本これが一般的だ。次の1つは少数の軍勢が大軍に打つ起死回生の非常手段といえる。敵本陣を突き敗走させるのだ。稀に本陣が敗走しても他の戦線が維持される奇跡もあるが、基本的には本陣が敗走すれば戦意喪失し、他の戦線も崩壊する。無論、簡単ではないが、時には強引に敵の戦線を突破し、時には囮部隊で敵の注意をそむけ別働隊が敵本陣めがけ一気に駆けるのだ。
兵力に劣るランリエルに勝機があるとすればその方法しかなかった。だが、本陣そのものが無ければそれも不可能だ。5ケイトも後方では気付かれない間に大規模な奇襲部隊が敵本陣に近づける訳がない。とはいえ、少数の別働隊では15万の敵本陣に太刀打ち出来ない。無論、眼前の敵も皇国軍本隊がその中核となるには違いないが、もっとも有力な戦力。その域を出ない。
「これで、正面の敵に勝つしかなくなりましたね」
「ああ」
王子の返答は短い。優位な地に布陣し敵の攻撃を防ぎ敵戦線の綻びを持つ。そこから一気にコスティラ外人部隊を主力とした突撃部隊で敵本陣を突く。その計画が崩れた。
残る勝利の方法は、2倍近い敵を正面から撃破するしかない。皇国軍から太鼓の音が聞こえ。地を埋める大軍勢が動き出した。
まずはベヴゼンコ率いるコスティラ王国軍とチュエカ率いるバンブーナ王国軍が衝突した。いきなりベヴゼンコが駆け出し軍勢もその後を追う。それは孤軍となるほどの突出だった。敵に退路を断たれれば取り込まれかねなかったが、すかさずギリス率いるカルデイ帝国軍がその間を埋めた。
大陸最強と呼ばれるコスティラ軍である。数において上回るバンブーナ軍に対し優勢に戦い進めた。赤ら顔の大男達が不揃いの武器を振り回し、お揃いの武器で隊列を組む敵を圧倒する。バンブーナ軍総司令チュエカは、巧みに受け流しつつ後退した。その反対に押されているのはカルデイ帝国軍だ。突出したコスティラ軍を孤立させようとするエストレーダ軍に猛攻をかけられた。だが、かろうじて持ち堪える。
メンデス丘に陣取るバルバール軍にはデル・レイ王国軍が襲い掛かった。デル・レイ軍はその象徴たるアルベルドは不在だが、それでも士気は高い。しかし、ディアスは高所の地の利を活かして矢の雨を降らせ防いだ。ベルヴァース軍もエストレーダ王国軍の攻撃を堅い守りで支える。
ランリエル軍には敵3ヶ国の軍勢が襲う。皇国の衛星国家は上位、下位に分かれる。政治的判断だろうか。コスティラらランリエルの属国と見られる者達へは下位国家の軍勢が襲い、ランリエルには上位国家が攻め寄せる。見くびられているとは思わない。だが、政治的判断を介入させるほど相手には余裕がある。
矢戦から始まり双方地面を血で濡らした後、整列した槍兵同士がぶつかる。隊列に綻びが見えれば騎兵が突入するが、戦いはまだ序盤。敵を蹴散らすのは叶わず数を減らし撤退していく。それが何度も繰り返されるのだ。
「限界まで後方部隊と交代せず持ち堪えよ」
王子が戦場を鋭く睨む。各国の総司令達の力量は信頼している。任せておけば大丈夫だ。だが、それだけにその手綱は自分の手から離れている。人任せには出来ない。勝利は自らの手で掴む必要があった。
「ですが、もし限界を超え敗走すれば他の部隊も巻き込まれ、戦線崩壊のきっかけにもなりかねません。危険なのでは」
軍事において、いつもならば王子の指揮に口を挟まないウィルケスが思わず意見した。彼とて将来の軍幹部候補。王子の指示の危険に気付いた。
「分かっている。だが、戦力に勝る敵に負けぬ戦いを続けても消耗していくだけだ。こちらが持ち堪えていれば相手も引き際を失う。逆に敵部隊を敗走させれば、それを拡大させ、敵の戦線こそを崩壊させるのだ」
普通に戦えば数が多い方が勝つ。当然過ぎるほど当然な話だ。少数が勝つにはどこかで無理をする必要があった。
「我が軍左翼のドリノ連隊。崩れかけております!」
前線からの報告にウィルケスが王子に視線を向ける。万事飄々としたこの男の額に玉のような汗が浮かんでる。
「敵は?」
「は。アルデシア王国軍の前衛と思われますが、こちらもかなりの損害を出しております」
「ドリノ連隊には持ち堪えさせよ」
「殿下!」
「持ち堪えさせよ!」
副官と総司令が大声を上げあうという異常な光景に、伝令の騎士が戸惑い立ち尽くした。その騎士にムウリ将軍が近づく。純粋な指揮能力ならば王子すら超えるといわれるランリエル軍の宿将である。
「殿下のご命令だ」
騎士にそう言い、さらに顔を近づけ何かを言うと騎士は本陣から駆け出て前線へと向かう。
そのしばらく後、アルデシア王国軍の前衛は後退し他の部隊が取って代わった。ドリノ連隊も後退し入れ替わる。
「逃げられたか……」
王子が苛立ち呟いた。
戦場はそこだけではない。次には右翼のブルーニエ旅団が敵と激しく交戦しお互いに崩壊寸前となっていた。それを報告する騎士にやはり王子は厳命する。
「ブルーニエ旅団には持ち堪えさせよ。敵を撃破するのだ」
伝令の騎士は戦況を正確に伝える為、戦術眼に優れた者が任される。決して戦場で役に立たない者が使いっぱしりにされているのではない。その彼から見ても王子の指示は危険だ。戸惑うがウィルケスは何も言わず、再度ムウリが騎士に近づき言い聞かせた。
王子の命を受けたブルーニエ旅団は、最後の気力を振り絞り敵に突進した。思わぬ攻勢に敵の戦線が綻び始める。王子の執念がついに大軍勢に打ち勝った。そう思われた瞬間、敵の新手が出現しブルーニエ旅団に襲い掛かる。かろうじて気力で支えられていたブルーニエ旅団の隊列は一瞬で崩壊した。
「殿下……」
ウィルケスが青い顔で呟く。王子の背に冷たいものが駆け抜けた。だが、ブルーニエ旅団の隊列を突破した敵兵は、ランリエルのモスカ連隊、チェルチ大隊など複数の部隊に包囲され壊滅。一旦は大穴が開いた戦線も瞬時に立て直した。
「お前か……」
王子の怒りに燃えた鋭い視線がムウリを射抜いた。宿将はそれを正面から受け止める。敵を包囲した動きは、間違いなく何らかの指示を受けてのもの。そしてそれは、王子の指揮が破綻すると見抜いていたからこそだった。
「殿下のご指示は無謀で御座いました」
「貴様!」
激した王子がムウリに詰め寄った。鋼鉄の籠手がムウリの外套を掴んだ。王子の怒りに燃えた瞳が更に近づくがムウリは顔を背けない。ウィルケスが静かに見守っていた。
「お主が正しい」
王子の手がゆっくりと離された。王子にも分かっていた。中途半端に勝っては敵はすぐに部隊を入れ替える。敵が優勢ならばこちらが交代する。お互い崩壊するほど僅差の乱戦。そこから一方的に勝とうなど無理に決まっている。だが、普通に戦えばどちらが勝つのか。数が多い方が勝つ。当たり前過ぎて議論する気にもならない。
確かに、コスティラ人のような個々の武勇が優れているならば話は違ってくる。彼らの武勇は数の差を覆すだろう。だが、それも彼らが人数以上の戦力を発揮出来るというだけで、戦力に勝る相手に勝てる訳ではない。そして皇国全軍の戦力は、ランリエル勢全軍の戦力を遥かに上回る。人数を戦力と言い換えれば結局は同じ事だ。
しかし、このまま戦い続ければジリ貧だ。ならば無茶をしてでも状況を打破しようとしたサルヴァ王子と、たとえジリ貧でも無謀な作戦をすべきではないというムウリ。そして現状ムウリが正しかった。それは才能だけでは埋められない両者の経験の差だった。
サルヴァ王子が必死の指揮を続ける中、皇国軍は泰山の如く微動だにしない。その戦いぶりは、多くの血が流れる戦場に似合わぬ、粛々という表現が適切と思われるほどだ。攻める部隊が疲れれば交代し、守る部隊が傷付けば入れ替わった。極、普通に戦う。
宰相ナサリオが本陣と共に5ケイト後方に居る為、皇国軍を率いるのは総司令バルガスである。主だった高所はランリエル軍に取られ平地に陣を敷いた。その彼の傍には戦場を見渡す物見台が建てられ、随時戦況を報告している。本来なら彼が全軍の統括者だと目されていたが、ナサリオによってその座を奪われた。もっとも彼はそれを妬んではいない。
まあ、良い。そう考えていた。50歳を超える彼は前線の武将としてならばともかく、全軍の統括者としては適齢ともいえる。だが、そうとはならずほっとした。そうも考えていた。能力に不安があるのではない。彼は今回の言いがかりに近いランリエル討伐を快く思ってはいなかった。それを宰相がやるというなら、宰相に任せれば良いのだ。
とはいえ、戦いとなれば軍人として手控えする気はない。そして、だからこそランリエルを侮る気持ちもなかった。ナサリオから全軍への指示は受けている。彼はその指示の範囲内で裁量を振るうのだ。そして、まあ、勝てるだろう。そう考えていた。
「まだ敵を打ち破れんのですかな」
バルガスが目を向けるとやけに姿形の良い甲冑を身に纏った壮年の男がいた。兜を従者に持たせあらわな顔は退屈そうだ。その甲冑も美しさだけを追求し爪先から籠手まで見事な金銀の細工がなされているが、軽くする為に鉄板は薄く、実際に戦闘を行えば剣の斬撃1つで切り裂かれる代物だ。
「ブリオネス王。戦いとはそう簡単に決着が付くものではありません。早朝から戦い日が暮れても決着が付かない事も珍しくはない」
「しかし、皇帝陛下も宰相閣下も早々に打ち払う事をお望みであろう。我が国のレナート連隊は勇猛果敢。彼らを投入すればあのような者どもなど蹴散らしてご覧にいれようものを」
そのレナート連隊とやらをブリオネス王自ら率いるならご自由に。そう言い放つ誘惑をバルガスは一瞬で押さえつけた。
「貴殿のアルデシア王国軍は後詰。その一部のみを前線に向かわせるのは混乱の元になりましょう」
「そうか。それは残念ですな」
白々しい。これだから軍人でない者が戦場に出るとろくな事が無いのだ。他の王達のように自らは後方に控え戦いは軍人に任せてくれる方が遥かにやりやすい。
今回、衛星国家の中で自ら軍勢を率いて来た王は3人。その内2名は直属の騎兵隊と共にナサリオの本陣にいた。それが戦いは本職に任せようという見識によるものなのか、戦いを恐れる臆病からか、宰相の近くに居た方が良いという政治的な意味か。そのいずれなのかは、バルガスには興味がなかった。
しかし、ブリオネスは前線に出て来た。そうなればバルガスも軍の配置を考えねばならない。皇国の序列では軍総司令と衛星国家の国王は同格。とはいえ国王を戦死させてしまっては面倒だ。
結局、衛星国家8ヶ国の軍勢の内、前線に出ず戦っていないのはブリオネスのアルデシア王国軍のみ。ランリエル勢と戦っているのは他の7ヶ国の軍勢だ。
「しかし、ならば前線の者達に命じて激しく攻めさせればよろしいではないか」
「戦いはまだ始まったばかり。敵は余力があります。ここで猛攻を仕掛けても敵に致命的な打撃は与えられません。仕掛けるなら、敵が疲れきった時です」
「それでは時間が掛かり過ぎましょう。猛攻に猛攻を重ねれば敵が疲れるのも早まるはず。あやつ等に皇国軍の力を見せ付けてやりましょうぞ。あのような者どもにいつまでも手こずっていては皇国軍の権威が失墜しましょう」
ブリオネスがやけにせっつく。国王自ら前線に出て来たのは、それによって自軍を後方に置かせ被害を少なくしようとの考えかとバルガスは読んでいたが、別の思惑もあるのか。もしかすると、自分の進言によって勝利した。と武功を誇る算段か。
先ほどのレナート連隊投入の言葉にしても、ああ言って置けば、自分も戦闘に参加する意思はあったとの弁明にもなる。自軍に被害は全く出させず武功は得る。そこまで考えているとすれば、五月蝿いだけの国王かと思っていたが、かなりの食わせ者だ。
「速さを競うような、つまらぬ真似をする積もりはありませぬ。100戦すれば100勝する。それが皇国軍です」
結局、バルガスはブリオネスの言葉に乗らなかった。まずは衛星国家の軍勢に戦わせ皇国軍本隊は温存。それが皇国軍の慣例でありバルガスもそれを守っているが、不必要に衛星国家の兵達に出血を強いる気はなかった。
戦いはなおも続いた。衛星国家7ヶ国の軍勢とランリエル勢の軍勢はほぼ同数。勇猛でなるコスティラ軍の攻撃を支えるバンブーナは劣勢だが、全体としては互角の状況だ。
さて、そろそろ動くか。
「ブリオネス王。貴国の軍勢は左側に迂回してコスティラ軍の側面を突いて頂きたい。我が軍の第二師団はバルバールの側面を突きます。敵は地形を利用して我が軍を包み込むように布陣しておりますが、我らはそのさらに外側から敵を包囲します」
「コ、コスティラ軍を!」
「左様。自慢のレナート連隊の力、見せて貰いますぞ」
コスティラの巨人達を相手にしろとの言葉に怯んだブリオネスだったが、ついさっき自分で自慢した以上断れない。苦虫を口いっぱいに頬張りながら伝令を走らせた。結局、前線まで来ながら自分では指揮を執らぬようだ。もっとも兵士達にとっては幸いだろう。そして、皇国軍第二師団も動く。
アルデシア王国軍と皇国軍の一部が左右に動き出した。それはランリエル勢からも見えるはずだが、彼らにそれを防ぐ余力はない。このまま左右から押し潰しそれで決ま――。
「第二師団が側面を突く前に、バルバール王国軍、撤退を開始しました!」
物見台から、特に目が良いと選ばれた兵士が叫んだ。バルガスも目を凝らすと、確かにバルバール軍の旗が慌しく後退して行く。
「バルガス殿! 敵は我が軍の動きに恐れをなし逃げ出しましたぞ!」
ブリオネスが捲くし立てた。バルバール軍の側面に向かっているのは皇国軍第二師団だが、まるで自軍の手柄と言わんばかりである。
「バルバール軍は以前の戦いでも、味方だったコスティラ軍を裏切り自軍だけ撤退したとか。今度も自分達だけ助かろうとしているのであろう。敵を一気に押し潰しましょうぞ!」
ふむ。バルガスはゆっくりと顎に手を伸ばした。
バルバール軍が撤退し、その相手を失ったデル・レイ軍は、ベルヴァース軍に襲いかかった。守りに定評があるベルヴァース王国軍総司令テグネールだが、正面、側面、合計3倍を超える攻撃に持ち堪えられたのは僅かな時間だ。だが、その僅かな時間を刻む砂時計の砂は宝石の粒だった。
その間にコスティラ軍、カルデイ軍は後退に成功したのだ。ベルヴァース軍が敗走した背後をランリエル軍が守る。とはいえ、2倍の敵に包囲され、もはや勝機はない。ランリエル軍も撤退を始めたのだった。
敵の追撃を受け、必死で逃げる。そしてある地点を越えた。そこにはバルバール軍が伏せていた。ディアスの策だ。
「一番裏切ると見られているのは、我が軍ですのでちょうど良いでしょう」
戦いは一進一退。だが、数で負ける側にとってそれは将来の敗北への道だ。そう見て取ったディアスがサルヴァ王子に進言した。バルバールを守る為ならばランリエルを裏切るのも辞さない。だが、皇国はバルバールも討伐対象と宣言しているのだ。それでも、もしかしたら許してくれるかも知れない。それに賭ける気は今のところはなかった。もっと確実ならば話は変わってくるが……。
旗を隠し地面に伏せるバルバール兵の前をランリエル軍が必死で駆けていく。その後ろからくる皇国軍を一旦はやり過ごし側面から襲い掛かるのだ。息を潜めその時を待った。
ディアスもその更に後方で皇国軍が来るのを待っていた。だが――。どうした事だ? 訝しみ斥候を出した。本来なら敵に見つかるかも知れずやりたくは無かったが、悪い予感がした。そして斥候が戻り最悪の報告がなされた。
「敵は追って来ません。軍勢を纏めております!」
大軍が少数の軍勢に負ける時のその多くは油断からだ。逆に言えば油断しなければ大軍が負ける事はまずはない。深追いも禁物だ。戦えば勝つのは分かっているのだ。負ける要素を全て切り落とせば残るは勝利のみ。分かり切った勝利を積み重ねれば良いのである。
弱点となりうる本陣を切り離し、奇襲に備え斥候を多く放ち、伏兵に備え深追いもしない。そして戦えば勝利は間違い無しの大軍。
これは勝てないな。この時、バルバール王国軍総司令フィン・ディアスは敗北を認めた。そしてそれはベヴゼンコ、テグネール、ギリス、そしてサルヴァ王子すらもそれは同じだった。




