第126話:大動員
大陸暦634年。それは激動の年だった。中央ではロタ王国に内乱があり、南部ではブランディッシュ王が謀殺され、北部ではゴルシュタット、リンブルクの王座がその主を変えた。そして東部ではカルデイ帝国皇帝により新たにセルミア王国が作られた。一年の内に4ヶ国の王が変わり、1国が興ったのである。
「さて、次に王が変わるのはどこの国か?」
「いや、1つ国が増えたのだ。次はどこかが消えるかも知れん」
「増えたといっても形ばかりの国ともいえぬ小国だろう」
「だが、その国王は’あの王子’だぞ」
「ああ、’あの王子’か」
あの王子という時、人々は無意識に声を潜めた。また一波乱あるのではないか。そう思わずにはいられなかった。
そのランリエルは今、平和を謳歌していた。デル・レイら反ランリエル勢力との決着は付いておらず外交的な非難は確かに国際情勢的、国外貿易的に問題だが、軍事的には現状、彼らから攻撃を仕掛けてくるとは考え難い。庶民の生活が脅かされる事は無いだろう。
サマルティ王子との王位継承権争いもサマルティ派の重鎮だったランリエル宰相ヴィルガをセルミア王国に送り2人を引き離してからは、サマルティ派は急速にその勢いを失っている。
1人残されたサマルティも一度受けた国王親衛隊の副将という職務を今更投げ出す訳にもいかず、不満を漏らしながらも何とか務めている。もしそれすら投げ出せば、サマルティ王子の評価は失墜。継承権争いどころではない。もっともそれも自業自得。サルヴァ王子からすれば王位を望むなど謀反と言ってよく、兄弟で王位を争ったという醜聞を広げたくないという計算が無ければ、たとえ弟といえど一生どこかの城に軟禁となってもおかしくないのだ。
そしてドゥムヤータとは資金提供により関係が深まり、しかもドゥムヤータがブランディッシュを降しその影響下に置いた。必然的にブランディッシュも’比較的ランリエル寄り’という状況だ。
サルヴァ王子の私生活では、長年想いを寄せていたアリシア・バオリスとついに結ばれ、全てが上手く行き過ぎるほど上手く行っている。
大陸北部のゴルシュタット、リンブルクでは反乱、騒乱、そして不慮の事故により両国の国王と王位継承権を持つほとんどの者が亡くなるという不運もあったが、それは両国の宰相ベルトラムの息子と娘が王位を継いだ。出来過ぎた話であり、きな臭い噂も囁かれるが、正義の使者ではないサルヴァ王子にはその真相を追究する義務は無い。友好関係を保つ為、旧王崩御の弔辞と新国王、新女王即位の祝辞の大使を派遣した。外交的にも順調だ。
だが、砂塵に塗れた1人の騎士によってその平穏は破られた。皇都に駐在する外交官から派遣されたその騎士は、昼夜駆けランリエル王都に辿り着いた。息も絶え絶えに語るその内容は驚くべきものだった。
「皇国が我が国の討伐を宣言しただと?」
王子の背中が一瞬にして汗に塗れた。衝撃に嘔吐感すら覚えた。なぜ、唐突にランリエル討伐なのか。自分のセルミア王即位にしても、あの時に少しでも皇国に反対の素振りがあればすぐさま取り消す計画だった。しかし返答は黙認だったはず。それがどうして今更問題になる。
「はっ! し、しかもランリエルのみならず、カルデイ帝国、ベルヴァース、バルバール、コスティラなど我が国と親しき国々も討伐の対象という事です」
青白く緊張した顔で頷く。その脳裏で素早く計算が成された。これはランリエルにとっては幸いだ。他の国々にとっては災難だが、もし皇国がランリエルのみが標的だと発表すれば、その国々は争ってランリエルから離反し皇国側について逆に我らに攻め寄せたであろう。それを彼らの不義とは思わない。誰もが自分の身は自分で守らねばならない。
それをそれらの国々まで対象とすれば、彼らはランリエルの元に集結するしかない。なぜ、その不利を皇国が選んだかまでは分からないが、これで我が方の戦力は30万を超える。対して皇国の動員は50万を超えるか。勝ち目は薄いが、皆無ではない。持久戦に持ち込めば防ぎきれるかも知れん。
「そして皇国は、こ、皇国」
騎士は激しく咳き込み言葉にならない。焦れた王子は騎士から報告書をひったくった。読み進めるが騎士の報告をなぞるばかりだ。そして、やっと騎士が咳き込んだところに辿り着いた。皇国が発表した動員する軍勢の数である。
「100……万」
王子の手から報告書が滑り、それは内容の重さに比べゆっくりと落ちた。
皇国軍100万の衝撃に、東方の覇者とも呼ばれるサルヴァ王子にして言葉がなかった。一言も発せず私室に戻り精神的復活に半日を要した。だが、翌日からはその時間的損失を取り返すように矢継ぎ早に命令を下す。
まず皇国へ弁明の使者を送る必要がある。ランリエル一の外交官と呼ばれるサントリクィドは休暇を取って故郷に戻り、両親からそろそろお前も嫁を貰えと詰め寄られ、地元領主の娘との縁談話の最中だったが王都に呼び出された。王子から直接話を聞いたサントリクィドは急ぎ皇国へと向かったのである。
次に皇国との戦いに備えるならば軍備を増強すべきだが、王子はそれをしなかった。戦争回避に向け弁明の使者を送りながら兵を集めては、笑顔の後ろ手で刃を研ぐのかと勘繰られる。今は皇国を刺激すべきではない。
その代わりにサルヴァ王子は大事業を命じた。それは交易路の整備である。他の事業のほとんどを中断し人員を割り当てた。荒地を開拓していた者、植林をしていた者が翌日から土を運び地面に埋まった巨石を穿り出した。
その貿易路はランリエル王都から東はカルデイ帝国、北はベルヴァース、南はバルバールからコスティラへと続くがそれだけでは終わらない。
「今は両国と諍いを起こしておりますが、それが永遠に続くを我が国は望んでおりませぬ。国交が復活したあかつきには貴国とも交易を行い共に発展するを望んでおります」
そう言ってコスティラからケルディラ、ロタへと整備を進めたのである。両国からは勝手に国交回復の話を進めるなと抗議があったが、所詮はコスティラ国内での事。彼らの言葉に強制力は無い。
もっとも交易路を作ると言っても今まで道が無かった訳ではなく、ほとんどの場所では道幅の拡張工事などだ。ただ、時には谷間を渡す巨大な橋をかける事もある。それら重労働に活躍したのはコスティラの元兵士達だった。
コスティラがランリエルに征服され軍備が縮小されると職を失った元兵士が続出した。カルデイ帝国も同じ状況だが、カルデイ帝国軍総司令ギリスは元兵士を救う為、ランリエル軍の外人部隊として雇って貰おうと積極的に運動している。それに比べればコスティラの元兵士達は放置されている。これは良くも悪くも自立意識が強い為である。国も彼らを助けなければという意識が無く、彼らも国に助けて貰おうとは考えてはいなかった。自分の酒代くらい自分でなんとかするのが彼らの国民性なのである。
身体が大きく膂力に優れた彼らだ。場所によっては普通の男2人より屈強な1人の方が作業しやすい場合も有る。各現場で引っ張りだこであり、作業責任者達は1人でも多くのコスティラ人を確保しようと、他の2倍、3倍の賃金を約束する現場まであった。
「馬も鎧も売っちまって酒代をどうしようかと思ってたところだ。まったくありがたい話だぜ」
「ああ。兵士をやってた時より稼げるくらいだ」
とはいえ剣だけは手放さないのは元軍人の誇りなのか、と思っていれば、酒を飲んだ翌日、腰の剣が自分のではなく他人の物と入れ替わっているのに気付いてもあまり気にしないのだから、他国者から見れば訳が分からない。
とにかく降って沸いた好景気に、職にあぶれた元コスティラ人兵士どころか痩せた土地を耕すくらいならと貧しいコスティラの農民までやってくる。コスティラ国内でも問題になるほどでコスティラ王家から控えめな抗議にあったが、サルヴァ王子はそれを黙殺した。
勿論、このサルヴァ王子の命令に首を傾げ、それどころか強烈に批判を浴びせる者もいた。常ならばサルヴァ王子の権力に表立って反対できぬ彼らだが、皇国に踏み潰されては王子の顔色を窺っても意味は無いのだ。
「この大事に交易路の整備、拡張ですと!? いったい何をお考えか! それだけの金があるならば、それを全て皇国に献上し皇国に叛意などある訳がないと申し開くべきではないか!」
叛意とは家臣が主君に背くという意味だが、ランリエルは皇国の臣下ではない。不適切な言葉だが誰もそれを指摘しない。このボルディエス大陸の全ての国は皇国の臣下。それが無意識下での皆の認識なのだ。だが、サルヴァ王子にも擁護者はいる。
「いや、サルヴァ殿下は交易路の整備によりランリエルに野心無しと態度によって示そうとなされておるのだ。何せ軍備に向ける資金までこの大事業に向けているのだからな」
国中の鍛冶屋という鍛冶屋が剣や甲冑を作らず鶴嘴≪つるはし≫やスコップを作っているが現状だ。平和的といえば平和的な光景である。
だが、批判者、擁護者の弁を前にしてサルヴァ王子は沈黙を守り、事業は進められたのだった。
討伐軍100万。その数を聞いた各国の軍総司令達の反応は様々だった。
ベルヴァース王国軍総司令テグネールは、現実味を帯びないその数に沈黙を守り、カルデイ帝国軍総司令ギリスもやはり沈黙したが、彼の場合は十分に現実を受け止め表情は硬かった。コスティラ王国軍総司令ベヴゼンコは豪快に笑ったという。そしてバルバール王国軍総司令ディアスが漏らした言葉は驚愕、恐怖よりも呆れた。と表現すべきものだった。
「これはいったい何の冗談なんだい?」
「冗談……ですか?」
従弟のケネスは困惑顔だ。100万の討伐軍などそれこそ冗談ではすまされない。
「私がサルヴァ殿下と戦った時のランリエルの戦力は12万と言われていた。それを5万が精々の私達が東西どころか南の海上にまで振り分け何とか5分に戦っていたんだ。それが100万? 冗談じゃない桁が違う。私は別世界にでも迷い込んだのかい?」
確かにかき集めて5万が限界の者からすれば100万の軍勢など冗談にしか聞こえない。これが戯曲の演目ならばその違和感に客は首を傾げる。
「皇国は凄い大国だって聞いていましたけど、こんなに力を持っていたなんて……。領土の広さだったらランリエルや僕達の国を合わせたらそう変わらないのにどうしてこんなに差があるんですか?」
「そうだな。単純に人の数が多いんだ」
「同じような面積なのにですか?」
「ああ。ただでさえ大陸中央部は農業の技術が進んでいるんだが、更に皇国は大陸屈指の穀倉地帯を数多く抱えている。領土の広さだけでは国力は計れないよ」
人口は食料の生産量とほぼ比例する。過去の人口を調査するのに生産高から割り出したり、逆に生産高を推測するのに人口を参考にするのもその為である。
しかも国境はすべて配下の衛星国家が固め安全だ。通常国境付近などは隣国との戦争を恐れ開拓も進まないが、皇国の人々にとってその危惧は不要である。国内の治水工事なども賦役として衛星国家に行わせ生産高は比類ない。
「それで100万ですか……」
「ああ。しかも兵士の大半は領内から集め外人部隊はほとんど居ないらしい」
「皇国といえばお金持ちで戦うのなんて他の人に任せているのかと思ってましたけど、そうじゃないんですね」
「皇祖エドゥアルドの遺訓らしいね。かつてそれをやった巨大国家があったが最後には雇っていた傭兵達に国を乗っ取られてしまった。国家の軍事を他国人に任せるのは危険なんだよ」
「でも、ランリエルは積極的にカルデイの外人部隊を雇っているみたいですけど、それは大丈夫なんですか?」
「それはカルデイとの融和政策もあるが、実際そうしなければ軍備の増強が追いつかないんだ」
「追いつかない、ですか?」
「ランリエルは東西の国々を従え急速に国力を増大させた。だが、人口が急に増えた訳じゃない。征服した国々からの税収が増えただけだ。この状況で自国民だけで兵をそろえれば、働き手をなくした村々で田畑が荒廃してしまうよ」
「そうですね……」
ケネスは感嘆の声を漏らした。それぞれの国にはそれぞれの思惑があり、その行動の裏には深い考えがある。そしてそれを知るディアスとて誰かから教えて貰ったのではなく、自分で調査し考察したはずだ。ただ何気なく各国の行動を見るのではなく、なぜその行動なのか。それを考える事が必要なのだ。
「しかし、皇国軍100万と言っても衛星国家の軍勢も含めてだし本当に100万かと言えばそうじゃないだろう。こういう時には相手を威圧する為にも多く発表するものだからね。ランリエルだって実際より多く軍勢50万を称している」
「じゃあ、皇国軍100万って言っても、もっと少ないんですか?」
「ああ。多分、70万から80万ってところだろう。もっともそれでも大変な数だ」
生死をかけた戦いの勝敗はどうやって着くのか。実は子供の喧嘩の理屈だ。つまり’相手を怖がらせれば勝ち’だ。恐怖にかられ敗走すれば戦いは負けだ。戦術を駆使して戦いを有利に進めるのも、いうなれば相手に不利な戦いをさせ自分が死ぬのではないかという恐怖を与える為である。無論、相手を殺しつくすまで戦いが続く事もあるがそれは稀であり、多くの場合においてその前に死への恐怖から敗走する。そして80万より100万の方が相手を恐れさせる。
「それでこちらはどれくらい集められるんですか?」
「そうだな。おそらく30万は優に越えるだろう。40万は達しないと思う。各国を征服し強大になったランリエルがその国力をすべて軍事に回していれば40万も越えただろうが、そうではなかったからね」
ランリエルは今まで軍事以上に内政に力を注いでいた。長期的に見れば更に国力が上がり軍勢も40万に達するであろうが、今この状況だけをかんがみれば、もっと軍事に力を入れていればとも考えてしまう。
「皇国の半分ですか……」
ケネスの声は暗い。ディアス家にやってきた当初ならまだしも、ディアスの下で軍略を学ぶ事数年。2倍差くらい作戦で逆転出来る! などという妄想は抱かない。敵軍の2倍の戦力ならば油断しなければ勝利は間違いなし。多くの者がそう考える。ならば2分の1ならば敗北は間違いなしだ。
「皇国軍を迎え撃つなら戦場はどこになるんですか?」
その問いに愛弟子の成長を感じディアスは笑みを浮かべた。
2倍の戦力差を覆す作戦など都合よく転がってはいない。だが、稀に存在するとすれば多くの場合、それは戦場となる場所の地形による。国力が2倍のコスティラをバルバールが防ぎ続けていたのも、その地形の利があったからだ。
「私としては我が軍がコスティラ軍を防いでいたコスティラとバルバールとの国境で迎え撃ちたい。あそこならば実際に戦えるのは両軍の極少数だ。もっともそれもしばらくの間かも知れないが」
「しばらくって、どういう意味です?」
「皇国軍は国境の山岳地帯を人数にものをいわせて切り崩しかねない。そうなれば天険の利なんて言ってられないよ」
「切り崩すんですか? 山を?」
確かに軍隊と土木工事は切っても切り離せない。この世に土木作業をしない軍隊は存在しないと言っても過言ではない。戦場に到着して陣を敷くのは建築作業であり、敵城を破壊するのは解体作業だ。行軍の為に山林を切り開き道を作るのも通常任務の内である。それでも山を切り崩すとはケネスの想像を越えていた。
「ああ。それでもまだ国境を守る方が戦いには有利だ。しかし……サルヴァ王子はそうはしないだろう」
バルバール国境で敵を迎え撃てばコスティラは皇国軍に蹂躙される。そして皇国軍は征服するのではなく滅ぼすのだ。サルヴァ王子はコスティラを見捨てない。皇国の大軍と正面からぶつかる事になる。
ランリエルと戦った時、ランリエル軍の力を削ぐ為にカルデイ帝国を攻めた。カルデイの無辜の民を攻めたのだ。そして、サルヴァ王子は彼らを救う為に戦いが不利になるのを承知でカルデイに援軍を向かわせた。
だが、自分とサルヴァ王子との戦いの勝敗を分けたのはカルデイ軍の介入だった。彼らがサルヴァ王子に味方しバルバールは負けたのだ。運悪く負けたのではない。サルヴァ王子が勝ったのは幸運ではない。お互いの行動の結果であり、それは必然だった。あの戦いは間違いなくサルヴァ王子の勝利だ。
しかしサルヴァ王子。今度はコスティラ人が感激し窮地を救ってくれるなんて、そんな事は起こらないと思いますよ。貴方はランリエル王国第一王子として、ランリエル王国軍総司令として、ランリエル王国とその民を守る事を最優先とすべきだ。その為には他の全てを見捨てる覚悟が必要だ。私がバルバール王国とその民を守るためならばランリエルを裏切るのもいとわないように。




