第120話:公爵の影
ゴルシュタット王国に反旗を翻し、建国を宣言した南リンブルク王国の牙城たるエルブルク城を二ヶ国宰相の異名を取るベルトラム率いるゴルシュタット軍は攻城僅か1ヶ月で攻略。反乱の盟主たるリーデンバッハ伯爵は命を落とした。軍勢の大半は捕らえられ捕虜となった。
リンブルク王国国王ウルリヒとその嫡子たるフリッツ王子も無事’救出’された。そして、ゴルシュタット軍と共に、ベルトラムのリンブルク内での領地であるシロスクへと向かったのである。
シロスクに到着したベルトラムは、盛大な戦勝の宴を催した。エルブルクに向かう前に行った出陣の宴では、戦いを前にと控えもしたが、もはや遠慮は無用。各部隊の将軍、士官らは大いに食い、且つ、飲んだ。そして最上の酒の肴である手柄話にも事欠かない。
ある者は、一番初めに城内に突入したのは自分だと声を高くし、ある者は、一番初めに敵兵を討ったのは自分だと胸を張った。そして更に酔いが回ると低下するのは知性だけではなく、品性も低下する。
質実剛健を旨とする彼らは、常日頃は敵であっても優れた者には賞賛を贈る美徳を表すが、心からそのような者はやはり少数だ。大半の者は、そうあるべきと自らに言い聞かせ意識して律しているに過ぎない。それはそれでやらぬよりはマシなのは当然だが、大量に居に収まった酒の洪水にその理性の堤防が決壊したのである。
「それにしても、あのリンブルク国王の様を見たか?」
「ああ。よくもあのような見え透いた嘘を並べ立てられるものよ」
「余は反乱を企てた者達に強引に連れ去れただけなのじゃ!」
ある者がおどけて国王の台詞を真似すると、どっと笑いが起こった。極少数の者がその下品に眉をひそめたが、多くの者はそれを皮切りにリンブルク王への罵倒を開始する。
「あれが一国の王とは情けない限りよ。あれでは反乱を起こしたリーデンバッハも浮かばれぬ」
「全くだ。今後はリンブルク王家の為に命を賭け忠誠を誓う者は現れまい。もっとも、あの愚かな王は、それすら気付くまいがな」
「いや、気付いていても己の命が惜しいのであろうよ」
「策謀は自分とリーデンバッハが企てた事。息子は関係ないとでも言えば、名誉と王家の血の両方を守れたであろうに、結局、王家の血だけは残ったが、それも名誉を失った穢れた血よ」
だが、その楽しい宴はゴルシュタット本国から来た一人の騎士の乱入によって中断された。その騎士が伝えた驚くべき報告に、酔いに酔っていた彼らも冷水を頭から浴びせられたように一瞬にして酔いが醒めたのだ。
ゴルシュタット本国に移送したリンブルク北部貴族達の軍勢が、突如、ゴルシュタット王都を急襲、占拠し、ゴルシュタット王国国王グスタフを捕らえたのだ。
まさか! リンブルクの軍勢の主である貴族達はリンブルク本国に留めてある。彼らはあくまでその家臣でしかなく、主の命を危険に晒そうというのか。
もはや戦勝の宴どころではない。しかし思考が追いつかない。酒を波々と注いだ杯を手に彫像のように固まっている。その彫像の群れの中、1人だけが思考する人間だった。
「首謀者は?」
と、もっとも重要な事をベルトラムは騎士に問うた。
「そ、それが分かりませぬ。ただ、リーデンバッハ伯爵と連携しての作戦だったらしいとは分かっております」
「なぜ、それが分かる?」
「はい。王都はリンブルク勢に占領されたものの、それ以外の地域を押さえるほどの戦力は彼らにはありません。王都から出た1人のリンブルク騎士を近隣の領主が捕らえたところ、リーデンバッハ伯爵宛の手紙が見つかったのです」
戦争が始まれば貴族達は私兵を招集し出陣するが、その全ての兵を引き連れる訳ではない。野盗などの襲撃に備え、最低限の兵士は領地に残しているのだ。
「なるほど。分かった」
ベルトラムは頷き、騎士を下がらせると諸将へと向き直った。彼らは、まだ頭が事態に追いついておらず、彫像と化したまま微動だにしない。
「最悪の事態と言う訳ではない。確かに我らの国王陛下は捕らえられたが、我らもリンブルク王を捕らえておる。後は、交渉次第だ」
そうだ。条件は5分と5分。悲観するのはまだ早い。ベルトラムの言葉に彫像達に生気が吹き込まれた。そうなれば彼らも有能な軍人だ。止まっていた頭が動き出す。
「宰相閣下。今からでも改めてリンブルク北部、いや、全土の貴族達を捕らえるべきです」
「うむ。そうしよう」
ベルトラムは進言通り、すぐさま王都に残る部隊にその命令を伝える伝令を出した。その他にも次々と提案がなされる。その度に、これはと思う提案は採用していく。だが、首を横に振るものもあった。
「貴族達を拘束するだけでは駄目です。すぐさま進撃し、リンブルク王都を占領しましょう」
「それはならん」
「では、ゴルシュタットに向かいますか?」
「いや、しばらくここに留まる」
ざわめきが起こった。王都を占領しないとしても、それでもゴルシュタット本国に向かうべきではないか。それを本国から遠く離れたこんなところに留まるのはなぜなのか。
「先ほど、リンブルク貴族達を捕らえよと命じたが、それは徒労に終わるのではないかと私は考えている。お前達も疑念に思ったであろうが、主を捕らえられていては兵は動かぬ。おそらく今頃は加担した者達は全てリンブルク王都から脱出していよう」
「た、確かに。ですが、それと我らがここに留まるのとどう関係が」
「貴族達は軟禁といえど見張りは着けていた。それが密かに脱出出来たとなると、考えたくは無いが我が軍に奴らと通じている者が居る可能性がある。腹に毒を抱えたまま動く訳には行くまい」
まさか。この中に裏切り者が居るのか。諸将は無意識にお互いの顔を見合わせ、隣の者と視線があうとばつが悪そうに目を逸らした。しかし、その中にも仲間を疑いたく無い者も多い。
「宰相閣下の仰ることも分かりますが、我がゴルシュタットはリンブルクに比べ遥かに大国。あえて、彼らに組みして、その下風≪かふう≫に立つ理由があるとも思えません」
「格下の相手の風下に立つに見合う見返りがあるか。そもそも風下に立つ気がないか。そこまでは私にも分からん。だが、分からぬからこそ調べねばなるまい。調べねば、無いと言う確証も得られぬのだからの」
そう言われては、ぐうの音も出ない。こうしてベルトラム率いるゴルシュタット軍本隊は、シロスクに留まる事となった。
「これも任務ですので……」
係りの者は申し訳なさそうに士官達の持ち物を検査し、リーデンバッハらと連絡を取った証拠が無いかを調べた。軍勢は王家直属の兵と貴族達の私兵の混成軍の為、士官といっても貴族である事も多い。他の国では自分の変わりにお抱え軍人を代理にするのも一般的だが、質実剛健を旨とするゴルシュタットでは、多くの貴族が自ら出陣しているのだ。
更にベルトラム自身が取り調べを行った。とはいえ、6万を越える大軍である。士官も多い。他の者達に任せれば数を稼げるというものだが、その挙句取り逃がしては本末転倒である。
そうしている内にリンブルク王都に派遣していた者から報告が来た。だが、その内容に、常に冷静沈着なベルトラムが、信じられぬというように再度問いただした。
「北部貴族達が全て王都に居ただと?」
「はい。1人も欠ける事無く」
いち早くベルトラムからの取り調べを終えて問題なしと役目に復帰している彼の幕僚達が顔は見合わせた。畏怖する上官の予測が外れたのにも驚いたが、では、実際、リンブルク北部軍を指揮しゴルシュタット王都を襲撃したのは誰なのか?
「もしや、彼らは自分の命を賭して起こしたのでは?」
「自分達はどうなっても良いと、軍勢にゴルシュタット王都を攻めさせたというのか?」
「はい」
「それほど気概のある者達とは思えぬが……」
やはりベルトラムの歯切れは悪い。考え込み俯いていたが、不意に気付いたように顔を上げた。
「我が王の御身を盾に、北部の軍勢からリンブルク貴族達を解放せよとは言って来てはいないのか?」
「いえ。今のところそのような話は来ておりません」
ベルトラムは、また考え込むように俯いた。そしてそれは、ベルトラムだけではなく幕僚達から見ても確かに不可解だった。
命を賭けるのと命を捨てるのとは違う。賭けとは勝てば助かるという事だ。そして彼らは見事ゴルシュタット王を捕らえ賭けに勝ったはず。それがどうして、その勝ち札を使わぬのか。
「ただ、北部の軍勢を率いているのはシュバルツベルク公爵らしいとの話も……」
「なに? 貴族達は全て王都に居るという話ではなかったのか?」
「はい。確かに公爵は王都に居るとの事です」
「では、公爵が軍勢を率いているという話はどこから出たのだ?」
「それが、なにぶん敵軍の話なので詳しくは……。リンブルク王都を脱出した公爵が軍勢と合流し指示を与えた、という話が内部から漏れて来たという事です」
「いったい、何がどうなっておる」
流石のベルトラムも、状況が掴めぬのか怪訝そうな顔をした。幕僚達には更に訳が分からない。
「これでは、益々動くに動けんな」
結局、更に人を使って状況を把握するように命じ、軍勢はこのままシロスクに留まる事になった。そしてその一方、
「北部の軍勢だけの単独行動とは思えん。リーデンバッハも繋がっていたはずだ。何か手掛かりがあるかも知れん」
とエルブルク城にも人をやり改めて調べさせた。
そして、更にベルトラムが諸将を取り調べ日々を過ごしていると、果たしてリーデンバッハが寝所として使っていた部屋で、なんと内通していたゴルシュタットの軍人、貴族達の名前が記された密書が見つかったのである。
しかも更に驚くべき事に、その中にはかなりの有力者も含まれていた。どうしてそのような者達がと人々は我が耳を疑ったが証拠は有る。そして当然、本人達は認めない。
ベルトラムの幕僚達は対応に苦慮し頭を抱えこんだ。
「いかがなされますか? 密書では、国王陛下を生け捕りゴルシュタットの実権を握る手はずだったとあります。そしてリーデンバッハはその見返りに、リンブルクの独立を果たす計画であったと」
上官であるベルトラムにも問うたが、ベルトラムといえど万能ではない。常になく決断力に欠いた。
「影響力もある方々だ。密書1つで罰する訳にも行くまい。とはいえ無条件で信用できる状態でもなかろう。今しばらく、このシロスクで謹慎とさせて貰うしかないな」
流石の宰相閣下も、この事態には受身に回らざる得ないのか。幕僚達は改めて事の大きさを思った。
「だが、これでひとまず疑わしいと思われる者達は分かった。明後日の朝、リンブルク王都に向け出発するぞ。それまでに準備をしておけ」
「遂にですな」
「うむ。そうだ。シロスクで謹慎する者達の軍勢も連れて行くので、それらの兵達は分散させて各隊に指揮させよ。もし本当に敵と通じており、我らが居なくなった後で反乱でも起こされては面倒だからな」
「は。出発までにはご指示通りに」
こうして、シロスクに滞在すること実に1ヶ月。やっとゴルシュタット軍は出立した。勿論、捕らえてあるリンブルク国王親子も一緒だ。
軍勢と共にリンブルク王都に到着したベルトラムは、早速、貴族達を調べた。だが、報告にあった通り、貴族達は誰1人欠けず王都にいる。
シュバルツベルク公爵の屋敷にはベルトラムが自ら乗り込んだが、やはり不信なところはなかったと幕僚達に語った。では、リンブルク北部の軍勢を率いているのは誰なのか? 彼らは今も活動しており、貴族達の誰かがゴルシュタット王都襲撃の時だけ駆けつけ、その後急いでリンブルクに戻ってきたなどという事ではないはずだ。例え指示を与えて戻ってたとしても、今リンブルクに居ては捕らえられ命を落とす危険もあるのだから、それは自殺行為である。
「とにかく、ここに軍勢の一部を残し我らの王都に向かうぞ。リンブルク北部の軍勢がシュバルツベルク公爵の指示を受けているというなら、こちらもその公爵を連れて行くまでだ」
ベルトラムは命じ、こうして軟禁されていた公爵は数ヶ月ぶりに屋敷の外に出て、ベルトラムの配下が厳重に見張りゴルシュタット軍と共にゴルシュタット王都へと向かったのである。
道中では、ベルトラム自身が公爵への尋問に当たった。疑わしいが、彼も一国の公爵。十分な証拠が無い以上、有る程度の待遇は必要である。小さな家ほどもある巨大な馬車での軟禁生活だ。そこに日々ベルトラムが訪問するのである。
だが、やはりその成果は芳しくない。
「ずっと王都の自身の屋敷に居た、というばかりだな。公爵の屋敷には私の部下を派遣し見張っても居たのだから、確かにそうなのであろうが……。しかしそうなると、北部の軍勢を操っているのは誰なのか?」
珍しく幕僚達に愚痴らしきものまで漏らし始めた。だが、ベルトラムに分からぬものを彼らに分かるはずもない。信頼し尊敬する上官が首を捻りながら姿を消すと、彼らも不安に囁きあった。
「ベルトラム様すら状況が掴めないとは、いったいどうなっているんだ?」
「ああ。こんな事は始めてだ」
「なにせ、ここに居る者が率いる軍勢と対決しに行くというのだからな」
「いっその事、北部の軍勢に向かって、シュバルツベルク公爵の命が惜しければ降伏しろとでも言って見るか?」
その者は冗談で言った積もりだったが、他の者は一瞬呆気に取られたような顔をし顔を見合わせた。
「それは意外といい考えかも知れん」
「うむ。やって見るだけの価値はある」
「奴らがどういう反応をするかは分からんが、やって損はあるまい」
予想外の皆の反応に、今度は発言者の方が呆気に取られている内に他の者達はこぞってベルトラムの元に押しかけ進言し、ベルトラムも、
「それは面白いかもしれん」
と笑み頷いたのだ。
しかも、当のシュバルツベルク公爵に伝えると、公爵自身もそれは楽しみだと笑い転げたという。
だが、幕僚達が奴らはどんな反応をするのかと内心楽しみにしながらリンブルク王都まで進軍した時、更に驚くべき知らせが届けられた。
豪胆と言われるベルトラムすら呆然とし、幕僚達は声もない。ゴルシュタット王都が落とされた時も思考が停止したが、その比ではなかった。皆、顔面蒼白となった。まさに白痴になったかように口を閉じるのすら忘れだらりと涎を落とす者も居た。
ゴルシュタット王家が皆殺しにされたのだ。




