第101話:信用売り
その日、ドゥムヤータ王国公爵ジル・シルヴェストルは洋上に居た。王都に近い港から船を出しテルニエ海峡を経てランリエルを目指した。この辺りは気候が良く僅かに塩分を含んだ風が、船首に立つ公爵のそう長くは無い髪を揺らした。
目的は親交を深める為ではない。もっと散文的な理由である。今回は軍事的な話ではないので軍事での相談役であるジル・エヴラールは同行しない。
「公爵様! そんなところに突っ立ってちゃ濡れますぜ!」
船長の口調は荒いが親切心から出た言葉も耳に入らず、眼前に広がる海の広さにある人物の姿を重ね合わせ思案に没頭していた。
以前ランリエルに向かった時にはサルヴァ王子と対決し勝利した。結果的にランリエルにも利するのだから、こちらの言う通りにしろ。端的に言えばそういう話だった。だが、一歩下がって見れば、それが揺らぐ。引いて見れば、あまりにもランリエルに都合が良過ぎた。
その策を思いついた時、状況に絶望していた自分には闇に照らされた一筋の光に思えた。だが、それはサルヴァ王子の手にぶら下がる灯りだったのではないか。
ランリエル王国第一王子サルヴァ・アルディナ。彼の真の姿を見極める必要があった。それによって自分は、ドゥムヤータは――。
その時、一際大きな波を船首が切り裂いた。波飛沫が甲板を濡らす。
「だから言ったじゃねえですかい!」
今度の叫びは、ずぶ濡れとなった公爵の耳に届いた。
更に陸路を経て王都フォルキアに到着した公爵は、その日は前回の訪問時に既知となったとある伯爵の屋敷を宿とした。屋敷の主は、親交を深めたいらしく晩餐の後の酒席に公爵を誘ったが、旅の疲れがありますので、と断った。
本当はもっと政財界の大物から、是非、自分の屋敷にとの誘いもあったが、誘いを断りやすいようにあえて格下を選んだのだ。
翌朝、先行させて送ったドゥムヤータ胡桃のベッドで旅の疲れを落とし目を覚ました。公爵が帰った後は、滞在させて貰った礼にと置いていく約束になっている。その代わりに随行の者達の分を含めて滞在費は伯爵持ちである。
前日の内に王宮に送ったサルヴァ王子との面会を求める使者の返答が、昼前に承諾との返事があったので少し早いが王宮へと向かった。
王宮には国王に面会を求める貴族で満ちていた。その多くが地方に領地を持つ者達である。河川の氾濫や山火事などの災害、更には領地問題に相続問題など、貴族達の陳情を聞くのが国王の役目である。彼らはその為に遠路はるばる王都にやってくるのだ。
もっとも王宮に居るのはそのような者達ばかりではなく、地方に広大な領地を持ちつつ王都に屋敷を構え、年間のほとんどを領地に戻らず生活する者も居る。その内の1人がシルヴェストル公爵の姿を見つけ話しかけてきた。
「これはシルヴェストル公爵。お久しぶりです。先日は見事なドゥムヤータ胡桃の鏡台を頂き有難う御座いました。妻も日々鏡に向かうのが楽しみだと喜んでおります」
前回の訪問時に、ランリエルとの同盟が成ったと内外に誤認させる為、ドゥムヤータ胡桃の品々をばら撒くようにランリエル貴族に振舞った。対象になった以上、この男もそれなりの有力者のはずだが公爵は覚えていなかった。
「お久しぶりです。喜んで頂けたなら、私も贈った甲斐があったというものです」
相手の名前を呼ばずに挨拶した公爵は、ボロが出ない内に退散しようとしたが、公爵と親しくなりたい男は逃がさない。
「王宮には何のご用ですか?」
と、話を振って来る。
「勿論、クレックス陛下への陳情ではないですよ。ですが、凄い数の貴族達が集まっていますね。恐れながらランリエルの実権はサルヴァ殿下が握っていると噂に聞くのですが、実際は、クレックス陛下のご威光も健在というところですか」
「そのようです。サルヴァ殿下もクレックス陛下には頭が上がらないのか、意外にも――おっとこれは御内密に」
他国者の公爵が言うならともかく、流石にランリエル貴族の自分が自国の国王を軽んじる発言をするのは不味いと思ったのか慌てて言い直した。
「聞いた話では、相続問題で揉めた兄弟が、それぞれクレックス陛下とサルヴァ殿下に陳情を行い、その結果クレックス陛下に訴えた方が有利な採決になったとか」
「ほう」
公爵は演技ではなく感嘆の声を漏らした。父王を差し置き王子が実権を握るなど批判されそうなものだが、このような時に父を立てればその批判を逸らす事が出来る。
その後、何とか男から脱出し、公爵自身も名前を覚えている有力者と談笑し友好を深め、面会の時間となりサルヴァ王子の副官の案内で部屋に通された。部屋に入ると副官は無言で王子の後ろに立つ。王子と公爵は、副官が存在しないかのように挨拶を始めた。
「お元気そうだな。シルヴェストル公爵」
「サルヴァ殿下こそ、御健勝のご様子で何よりです」
この時、サルヴァ王子は妙に機嫌良く見えた。前回会った時は探るような視線を感じ圧迫感を覚えたものだ。その威圧から喋らなくても良い事までつい喋ってしまい、失敗も犯したものである。
本題に入る前にと2、3言葉を交わす。
「そういえば、先ほど王宮で出会ったさるお方からお聞きしたのですが、クレックス殿下への陳情と殿下への陳情が対立した時には、クレックス陛下の陳情が優先されるとか」
「まあ、私も父上には逆らえんという事だ」
「それは、クレックス陛下の顔を立て、ご自身が権力を握っている批判を逸らす為ですか?」
不躾な質問だ。子供っぽい顕示欲とは自覚しているが、貴方の考えは読めていると意思表示したい気持ちがあった。
「なに。父上に面倒な仕事を押し付けただけだ。ああすれば、貴族達は父上のところに集まるからな」
確かにそういう効果もある。しかしそれが本心なのかは、王子のすまして苦笑を浮かべる表情からは読み取れない。やはりサルヴァ王子が一枚上手で底が見えない。
「そういえば、ブランディッシュとの戦いでは災難だったな。状況を伝え聞いただけだが、私から見ても負けるはずのない戦いだった」
「はい。お陰で貿易に手を出していた貴族達が破産寸前です」
「ああ。そもそもの発端は、ブランディッシュが通行税の引き上げを行った事だったな。戦いにより物の動きが止まった挙句、再開しても増税とは商売をしている者にとっては大きな痛手だ」
「実はその事でランリエルと取引をしたく参上しました」
「ん? ランリエルがその状況を助けられるとも思えんが。まさか我が国の兵を借りてブランディッシュを討とうと言うのか? 残念だが、それは出来ぬ話だぞ」
散々、西侵の野心ありと疑われ国益を損なっているランリエルだ。ロタの時のように元敵対国家からの援軍要請ならば国交改善の為と釈明出来るが、一応は中立国家と見なされるドゥムヤータと、同じく現時点では中立のブランディッシュとの戦いには兵を送れない。介入すればドゥムヤータを取り込み、ブランディッシュを征服しようとしているのだと見られる。
「分かっております。兵を借りるならばバルバールから借りるのが筋だという事も。ですが、今日は別の物をお借りしたく参りました」
「その言いようでは、バルバールを借りたいという訳ではなさそうだな」
「勿論です。バルバールはランリエルとは対等の盟友。それを借りるなどといえば、バルバールへの侮辱で御座いましょう」
「無論、その通りだ」
公爵の際どい言い草にも、サルヴァ王子は笑みを浮かべた。やはり、今日の王子は機嫌が良さそうだ。
「今日はランリエルに金を借りに来ました」
「金、だと?」
「そうです。金です。貴族達が破産寸前なのは通行税の引き上げだけが原因ではありません。経営の甘さも大きな要因です。今をしのぎ経営を見直せば利益は出るのです」
実際、増税によりコストが上がれば商品価格も自然とそれに見合って上がっていくものだ。その波さえ乗り越えれば、以前よりは利益は少なくなろうとも商売は成り立つ。
「私にも多くの者達が当座の資金を借りに来るのですが、とても私個人の資産ではまかない切れません。既に国庫からも捻出しているのです」
「公爵個人に融資しろという話なのか?」
「いえ。紛らわしい話をして申し訳ありません。ご融資をお願いしたいのはあくまでドゥムヤータ王国に対してです。今後は、貴族達への融資は国庫から行うと決定したのですが、その資金のご融資をお願いしに来たのです」
「しかし、ロタ王国からの賠償金と今までの貿易の利益でドゥムヤータは潤っているはずではないか? それを考えれば、資金不足になるとは思えぬのだが」
「仰るとおりです。ですが、国庫の全てをそれに向ける訳には参りません。今後は以前ほどの貿易の利益は望めないかも知れませんが、だからこそ量で補う必要があります。可能ならば、その分の資金についてもご融資頂ければ幸いです」
「ふむ。しかし、もしその貴族達が破産寸前から、破産そのものになったらどうする? 破産したので払えないでは、納得できるものではないぞ?」
「ご安心を。お借りするのはあくまでドゥムヤータ。個々の貴族達の状況に変わりなく、ランリエルへの支払いはドゥムヤータが責任を持って行います」
「では、ドゥムヤータが破産すればどうする?」
王子の瞳に悪戯っぽい光が浮かぶ。やはり食えぬ人だと、公爵の瞳も光応じた。
「無論、担保は用意しております。この中からお選び下さい」
そう言って3枚の契約書を並べた。それぞれ金を駆り、その返済が滞ったなら記載されたものの権利を譲渡するという物だ。
「2つ選んで良いか?」
「駄目です」
どうやら冗談を言ったらしい王子に、こんな人だったのかと公爵は戸惑いながらも反射的に答えた。今日のサルヴァ王子は機嫌が良いだけではなく、どこか浮かれているようにも見える。王子と公爵が気付かぬところで、事情を知るウィルケスがにやける口元を手で隠した。
「次期ドゥムヤータ王国の玉座に……、シルヴェストル公爵の領地か……」
ドゥムヤータ王国は、その名にそぐわず厳密には王家を持たない。現在の王が崩御すると、次の国王は7人の選王侯が選ぶ。それをランリエルが望む人物にするというのだ。次に公爵の領地。これは単に公爵の領地を得るだけではなく、公爵に成り代わり選王侯の1人になるという事だ。公爵自身は全ての権利を失い、それだけの覚悟が見て取れる。
2つともドゥムヤータの命脈を握るとも言える価値が有る。特にサマルティとの事を考えればドゥムヤータ王も捨てがたい。だが、あくまで借金を返しきれない時の担保。確証の無いもので宥めようとすれば返って混乱を招きかねない。
「これが良いな」
と、王子から伸びた腕が掴んだのは3枚目だった。摘み上げヒラヒラと揺らす。
契約書をまるで無価値な紙切れのように扱われては相手も気分を害そうというものだが、公爵は怒るどころか
「それでよろしいのですか?」
と、笑みさえ浮かべた。
「ああ。私には一番価値のある物と思える」
そう言いながらも、やはりヒラヒラと揺らした。
「はい。確かに」
だが、それはほとんど価値がない物だった。いや、得たところで利益よりも労の方が大きい。それどころか、現在、ドゥムヤータにその権利があるのかも議論が分かれるところだ。
地図を見ればドゥムヤータの東側の領土となる。だが、別の地図ではそれはドゥムヤータではなく、地名が空白だったり、またはこう書かれていたりもする。タランラグラと。
遥か昔は海の底だった。それが数百年前の地震で海底が隆起し陸地となったのだ。権利は当然陸続きのドゥムヤータにあるが、そんな塩分だらけの土地には何の作物も育たない。餌がないので家畜どころか野生動物も居ない。漁をすれば魚は取れるが、わざわざこんな不毛の土地でなくても漁は出来る。
ドゥムヤータは、折角の天から降って来た、海から浮かび上がって来たその土地を放置していたのだ。そして、気付いた頃には奇妙な人々が住み着いているのを発見したのである。その人々は黒い肌をしていたのだ。
その後に分かった事だが、どうやらその者達は他の大陸で奴隷として集められ酷使されていたらしい。それが船を奪って逃げ出しここに流れ着いた。彼らの操船技術は未熟で、更に遠い彼らの祖国までは辿り着けなかったのだ。
そして、草木も生えぬ不毛の地でも奴隷よりはマシと、漁業だけを糧に住み着いたのである。また、最近では他の土地から地道に塩分を含まぬ土を運び僅かながら作物も作っているという。
彼らはまた奴隷にされるのを恐れドゥムヤータ本土には近づかないし、こちらから手を出さなければ害もない。一度、面白半分で家臣を引き連れ入った貴族が居たが、ここを追い出されては住む場所が無い彼らの必死の抵抗にあい、ほうほうの態で逃げ帰ったという。
しかも彼らの繁殖力は強く、初めは数百人だったのが、更に逃げてきた者達も含め今では数万人はいるという。一応は一番初めに流れ着いた集団の頭目一族が王家を名乗っているが、実際は沿岸部に点在する漁村の村長達の合議制らしい。タランラグラという国名も、元々は王家を名乗る一族の部族名だという。
もし彼らから土地を奪おうとすれば決死の覚悟の数万の老若男女を敵に回し、しかも取ったところで何ほどの価値も無い。そんな土地の権利書など確かに紙切れ同然である。だが、だからこそ金には代えられぬ価値があった。
担保を取らぬのではなく、あえて無価値の担保を取る。しかも価値有る担保を選べるのにだ。それによりランリエルはドゥムヤータから’信用’を買ったのである。信用を売ってしまった以上、ドゥムヤータはそれに応えなければならない。
現在、反ランリエル勢力の手前、ドゥムヤータはあくまでバルバールとの独自同盟であり、ランリエルとは表立っては同盟を組めない。だが、この借用書は同盟の意味を持っていた。
「それでは、必要な額は財務大臣と詰めてくれ」
そう言って、ヒラヒラと揺らしていた紙切れを公爵に返した。公爵も笑み頷く。
流石にここで、金額を任せるなどという無責任はしない。そこまでしては、それは度量が大きいのではなく、ただの馬鹿である。
シルヴェストル公爵が部屋を辞した後、今まで存在を消していたウィルケスが王子に近づいた。
「以前お会いした時より、随分と落ち着いていましたね。前はもっと余裕なさげでした」
「鏃≪やじり≫なき矢は飛ばぬという。重き責任と決死の覚悟が人を成長させるものだ。前回の事でシルヴェストル公爵も思うところがあったのだろう」
「そうだとすると、それは殿下が散々苛めたからではないですか?」
「苛めたなど人聞きが悪い。私は私の立場で交渉を行っただけだ。それを公爵が重圧と感じたらならば、それは公爵の器量の問題だ」
そのサルヴァ王子の言いように、随分と身勝手だな。と思ったウィルケスだった。
ドゥムヤータに帰国したシルヴェストル公爵は、衣服を整えるとすぐさまフランセル侯爵の屋敷に向かった。戦況を聞く為である。
そう、ドゥムヤータとブランディッシュは今だ戦争状態である。交渉によりルバンヌ城をブランディッシュに明け渡したが、あくまで城に篭っていた将兵の解放交渉であり、停戦交渉ではないのだ。
ブランディッシュの軍勢が城に守備兵を残し引き上げ、ドゥムヤータもジョイブールの砦に兵を残し引き上げ睨み合いの状態だった。公爵がランリエルに向かうのと前後し、ルバンヌ城奪還の軍を派遣したのである。それに対しブランディッシュも迎撃の軍を出したのだ。
いつも会議に使っている部屋に入ると、他の選王侯達も集まっていた。リファールの暴れん坊こと、リファール伯爵も居た。前回の敗戦の責を取り今回は居残りである。
「戦況はどうなりましたか?」
その声に、リファールの暴れん坊がジロリと目を向けた。
「負けだ」




