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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
157/443

第68話:牛乳は先か後か≪ミルクインファースト OR ミルクインアフター≫

 その日、東方の大国ランリエルの第一王子サルヴァ・アルディナの寵姫ナターニヤの侍女アドリアナは、日が差すランリエル王宮の廊下を歩いていた。侍女仲間からは鉄の女とも呼ばれ感情を表に出さぬ彼女の足は無意識に、廊下に四角く形作られた窓枠の日陰の部分を避け日の当たるところを踏んでいる。


 王宮は、後宮の煌びやかさの代わりに地味だが威厳が漂う。彼女は主人に付き従い西のコスティラ王国からこのランリエルにやってきた。いかな鉄の女とて、故郷を遠く離れるのは心安らかでは無かったが表面上は平静を保ち、今日もその主人の命を受け王宮に足を向けたのだ。


「アドリアナさん」


 不意に後ろから声を掛けられ足を止めた。それは聞き覚えがあるどころか、心に刻んでいる音色だった。心臓が飛び跳ねるほど高鳴ったが、それをおくびにも出さず振り返る。その挨拶は心持早口だった。


「これはマティーノさん。こんにちは」


 マティーノと呼ばれた男はランリエル王宮に仕える若い執事で、彼女が主人の言いつけで王宮に何度か足を運んでいるうちに挨拶を交わすようになったのだ。


 マティーノは身体の線が細い男だったが、コスティラ男は良く言えば体格が良く、悪く言えばゴツイ。祖国ではあまり見ぬ種類の男にまず目が引かれた。そして言葉を交わして見れば、祖国の粗野な男達と違い彼は物腰が柔らかい。


 彼女は幼い頃より侍女としての英才教育を受け、完璧な礼儀作法を身に付けた。それだけに祖国の粗暴な振る舞いの男を見るたびに幻滅していたが、彼はその点からも彼女の理想だった。


「また、ナターニヤ様からのお言いつけですか?」

「はい。サルヴァ殿下が今宵お越しになるので、その時の料理の準備をお願いに参りました」


 彼女の脳波は笑顔を作るように指令を送っているが、顔の筋肉はそれを裏切り表情を浮かべない。淡々と仕事をこなすのが優れた侍女と教育を受け、更に好意を持つ男性を前にして緊張に顔が強張った。声も抑揚が無く平坦だ。


「そうですか。ナターニヤ様は、以前サルヴァ殿下がご寵愛なさっていたセレーナ様と同じく黄金の髪と碧い瞳をお持ちですから、殿下も親しくしておいでのようですね」

「はい。サルヴァ殿下には、ナターニヤ様も良くして頂いております」


 もっともアドリアナもマティーノを前に緊張し胸を高鳴らせながらも、その言葉が社交辞令なのは分かっている。サルヴァ王子が特定の寵姫を贔屓にせず、満遍なく回っているのは周知の事実だった。だが、男の言葉は社交辞令だけでは終わらなかったのだった。


「実は、そのナターニヤ様の事で良くない噂を耳にしたのですが……」




 ナターニヤは鉄の女アドリアナを王宮に向かわせる一方、アリシアと他の寵姫を兼ねてから予定していたお茶会に招いていた。今宵王子を迎えるのだから本来ならばお茶会など中止し王子を迎える準備に勤しむべきだが、現在の後宮においてはある意味その王子よりも重要人物とされるアリシアを招いているのだ。中止には出来ない。


 それどころか、王子を部屋に入れた後あえて粗相を行い、昼間にアリシアをお茶会に招きその疲れだと語る計画すら立てていた。無論、アリシアを悪者にするのではなく、いかに自分とアリシアが親しいかを示す為である。


 お茶会の参加者は、以前アリシアが王子の兜の持ち主の婚約者だと打ち明けた時と同じ面子だ。アリシア自身は望んではいないが、アリシア派と寵姫達の間では呼ばれている。


 もっともアリシアは普段は他の寵姫と関わらない為、実質ナターニヤの取り巻きだ。そして彼女達自身も、ナターニヤを取り巻いていない時は他の寵姫達に取り巻かれていた。派閥外の寵姫達はアリシア派に潜り込もうと必死なのだ。こうしてアリシアも知らぬ間に、彼女を頂点としナターニヤが実権を握る後宮の序列は完成しようとしていたのである。


 しかしそのようなものをアリシアが嫌悪しているのはナターニヤも重々承知し、他の寵姫達も感じている。その為お茶会では権力闘争の事などおくびにも出さず、他愛も無い話題を表面上はにこやかに交わしている。


「私は、牛乳≪ミルク≫にお茶を入れるのが美味しいと思いますの」

 味の分からぬ貴女には分からないでしょうけど。


「あら。後から牛乳を入れる方が、濃さを調整しやすくて便利と思いますけど」

 合理性を言うものを考えない古臭い人だこと。


「私は、どちらも美味しいと思いますけど」

 どっちでも同じじゃないの。


 アリシアは、意味があるとは思えない会話にうんざりし侍女のエレナに小さく耳打ちした。

「次にお茶のお代わりを持ってくる時に、紅茶を後と言っている令嬢と先と言っている令嬢のお茶を逆にして持って来てね」


 自分でもちょっと意地が悪いと思ったが、それだけうんざりしていたし公表しなければ誰が傷つくものでもない。アリシア1人が精神的に溜飲を下げるだけだ。無論、他の寵姫の侍女達も居るが、エレナが「私が持って行きますね」と一言言えば事足りる。


 しばらくしお代わりをエレナが持ってきた。アリシアの言いつけ通り、好みとは逆のお茶を寵姫達の前に置く。その時アリシアとエレナは一瞬視線を交わし悪戯っぽい笑みを向け合った。


 だが、紅茶を後に入れると主張していた寵姫が、カップに口を付けた途端表情を曇らせた。困惑した表情で一瞬アリシアを見ると静かにカップをソーサに置き、それ以上口をつけようとしない。


 まさか分かるの? どうせ口先ばかりと思っていたアリシアは、どうやら本当に味をきき分けられるらしいその寵姫の味覚に舌を巻き背中に冷たい汗を流した。もしかしてと、紅茶を先にと言った寵姫を見たがこちらは特に気にした様子は無い。


 本来ならその寵姫は、エレナが間違えてお茶を置いたのだと失態を責めるところだが、侍女の落ち度は主人の落ち度でもある。後宮の頂点に君臨するアリシアを責められるはずは無い。いや、それどころか青ざめ震え始めたのだ。


「あ、あの……わ、私≪わたくし≫、アリシア様のお気分を害しましたでしょうか……」


 もしかして苛めたと思われてる? 意地悪をしたかといえばしたのだが、後宮内での虐めなどアリシア自身も受けた事があり最も軽蔑する行為。苛める気などは毛頭なかった。しかし、状況はアリシアがその寵姫にわざと違うお茶を出させて苛めていると見える。


「ち、違うんです。え、えーと……」


 アリシアも思わぬ事態に焦り舌が上手く回らない。これではアリシアがその寵姫を苛めようとし、それがばれて返答に窮しているようにも見える。しかも客観的に見れば正義はその寵姫にあり悪者はアリシアのこの状態も、アリシアはこの場の神である。アリシアが苛めるなら他の寵姫もそれに倣う。むしろ競争相手を蹴落とす絶好の機会だった。


 他の寵姫達の冷たい視線が彼女を取り囲んだ。寵姫達は、アリシアが紅茶を入れ替えさせたとまでは分かっていないが、アリシアが何かしらの虐めをしたのだとは確信した。その視線に彼女が更に震え上がる。


 後宮の主アリシアに睨まれ、他の寵姫からも標的にされてはもう終わりである。後宮から逃げ出すしかない。いや、それどころか自分の意思で後宮から逃げても、王子以外の男と通じ追い出されたのだとあらぬ噂を広められかねない。もしそうなれば、他の男性との縁談も不可能。一生が台無しとなってしまう。


「わ、私……」


 彼女はそれだけ小さく呟くと、目に涙を浮かべ始めた。


 不味い! アリシアは、何とかして自分がちょっと悪戯をしただけで、苛める気など毛頭ないと説明しなければと思ったが、どう言えば良いのか思いつかない。ちょっと悪戯してみただけなのですよ。と言ったところで、こうなって見ればやっぱり苛めた事になる。それでは解決しない。


 事態を傍観していたナターニヤが、素早く、そして他の人間に気付かれぬようにエレナを呼び寄せ事情を問いただした。エレナはナターニヤを主人の親友だと認識している。どうやら不味い事になっているとも察して正直に話し、ナターニヤが頷く。


「アリシア様は、本当にデルフィナ様が大好きなのですね」


 不意の言葉に、ナターニヤ以外の寵姫。アリシアまで含め全ての人間の視線がナターニヤに集まった。デルフィナは今まさにアリシアに苛められていると見られる女性だ。それがどうしてアリシアが好意を寄せている事になるのか。


「デルフィナ様のお言葉が正しいと証明する為に、侍女に命じわざと反対のお茶をお出ししたのです。流石はデルフィナ様ですわ。アリシア様のご期待通り、ちゃんと違いをお感じになられたのですもの」


 他の寵姫と違い、ナターニヤはアリシアの性格をある程度正しく把握していた。アリシアは虐めを毛嫌いし、貴族社会で重要視される教養や裏表のある会話にもうんざりしている。そしてエレナから聞いた話から、苛めではなかったと推測するのは簡単だった。


 アリシアもナターニヤの言葉に救われた。自分の所為でデルフィナの一生が台無しになっては幾ら謝っても許される事ではない。


「そうなのです。デルフィナ様なら、必ず分かって下さると思っていましたわ。やっぱり、牛乳に紅茶を入れる方が美味しいですわよね」


 アリシアはデルフィナの手を取り微笑んだ。デルフィナも安心し他の寵姫達は雪崩をうって寝返り、デルフィナの味覚と教養を褒め称えた。その中に、牛乳は後からの方が良いと主張していた寵姫も混じっているのはご愛嬌である。


 アリシアを含めた寵姫達が引き上げると、ナターニヤは改めてお茶を用意させ一息ついた。お茶会の日にサルヴァ王子訪問の連絡があるとは間が悪いと思っていたが思わぬ収穫があった。


 虐めを嫌うアリシアは、それだけにデルフィナを苛めたようになってしまったのに罪を感じていたはず。それを自分の機転で救ったのだ。アリシアに貸しを作り、これまで以上に親しくなれる。


 気分良くお茶を飲んでいると、そこに王宮に使いにやっていたアドリアナが血相を変えて帰ってきた。


「ナターニヤ様。大変です!」

「そんなに慌ててどうしたの?」


 お茶会の成功からナターニヤは余裕の表情だ。だが、そんな主人に侍女は更に慌てる。


「落ち着いている場合ではありません! ナターニヤ様の良からぬ噂が流れているのです!」

「良からぬ噂ですって?」


 これにはさすがのナターニヤの顔色も変わる。貴族社会にとって噂話ほど怖いものは無い。真実より噂を重要視するのが貴族会社。噂こそが真実であり、むしろ、噂にならなければ裏で何をしようとそれは無いと同じである。


「どのような噂というの?」

「あの男です! あの男とナターニヤ様が恋仲であると噂になっているのです!」

「落ち着きなさい! あの男とは誰なのです?」

 もっともナターニヤ自身も落ち着いているとは言いがたい。


「殿下の。サルヴァ殿下の副官のウィルケスという男です!」

実際、お茶を運んでくる時にあらかじめミルクを入れてくる事は無いと思いますが、それは話の都合上という事で……

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