第55話:公爵暗躍
ディアスが部屋を辞した後、シルヴェストル公爵は樫の椅子に座り、不快な軋む音すら耳に入らず、ディアスの言葉を反芻していた。
「サルヴァ殿下は、テチス海と内海を結ぶテルニエ海峡を手に入れ通行税を独占しようと考えております」
その言葉が、ディアスが払うドゥムヤータ胡桃への対価だった。
テルニエ海峡はコスティラ、バルバール、そしてドゥムヤータの国境が重なる地点であり、コスティラとバルバールが争っている時はそこが海路の防衛線となっていたが、ドゥムヤータは中立を守る代わりに通行税を独占していたのだ。そして現在でもそれは続いている。
ただし、余りにも高い通行税を徴収し、巨額の富を得ればコスティラ、バルバールも黙ってはいないと控えめだったが、サルヴァ王子がドゥムヤータ王となるならば遠慮はいらない。通行税は思いのままだ。
「なぜ、わざわざそれを私に?」
ここまでくれば、ドゥムヤータ胡桃を用立てて欲しいと言う話など、唯の口実だと公爵も理解している。
「実は、バルバールでもテルニエ海峡の通行税について議論が起こっているのです。ドゥムヤータに通行税を独占させていたのは、ご存知の通りバルバールがコスティラと争っていた為。ですがその状況も変わりました。ならばとドゥムヤータに通行税の分配についての協議を打診しようとした矢先だったのです」
「なるほど。確かにバルバールからすればそうでしょうな」
「それを以前の会議でランリエルにも伝えたところ、サルヴァ王子もなるほどと頷いていたのですが……」
そう言ったディアスは複雑な表情だ。
ランリエル勢力も一枚岩では無いという事か。と公爵は顎に手をやった。ケルディラとの戦いでは一致団結しているようにも見えたが、所詮はランリエルが力で押さえつけているだけなのだ。当然といえば当然である。サルヴァ王子がドゥムヤータ王になればバルバールは手が出せない。バルバールが提案したものを上からさらわれては面白くない。ディアスはその妨害に出たというところか。しかし……。
「どうしたのです?」
考え込んでいたと思ったら当然口元に笑みを浮かべた公爵に、ディアスが怪訝そうな視線を向けている。
「いえ。サルヴァ殿下から、少し貴方の話を聞いていたものですから。大切なものの為なら、いかな手も使うと」
その言葉に今度はディアスが笑みを浮かべる。
「私は極普通の事をしているだけなのですが、そのように言われているらしいですね」
「極普通……ですか?」
「大切なものが大切ではないものより大切なのは、普通ではありませんか?」
「それはまあ、仰る通りです」
「私はその通りにしているだけですよ」
ディアスは簡単に言うが、実際にそれを行動に移せる者はそうは居ない。世間体や立場。そして何より己の’良心’がそれを阻む。ディアスは、普通ではできない普通ができる男なのだ。
「そこまでして守りたいと思わないなら、本当は大切になんて思っていないのですよ」
ディアスは微笑み、それでは、と席を立った。
「ドゥムヤータ胡桃の揺り篭。私から奥方へ贈らせて頂きます」
ディアスの背に公爵が声を掛けた。ディアスは軽く振り返ると、再度微笑んで頷き、部屋から姿を消した。ディアスの言葉にはそれだけの価値があった。木の1本や2本より、ドゥムヤータの方が遥かに大事だ。
サルヴァ王子の目論見は分かった。テルニエ海峡は大陸との貿易の喉元。そこを抑えれば貿易の死命を制せられる。後の問題は、王子の申し出を受けるかどうかだが、ドゥムヤータが助かるならば安いものである。それを阻もうと伝えに来たディアスには悪いが、自分にとってバルバールよりドゥムヤータの方が大切なのだ。
いや。違う! 公爵が気付き愕然とした。だからこそ、ドゥムヤータの危機なのだ。
王子が望むのが通行税だけならば、テルニエ海峡の通行税の権利を譲渡しろ。その条件だけで済むはずではないか。それだけで済ます気がないからこそ王位を望むのだ。出兵の大義名分という理由もあるが、それだけで望むには一国の王位は軽くない。
口では選王侯の権利を守ると言いながらも、理由をつけては選王侯の力を削ぎ、最後にはドゥムヤータをランリエルに併呑させる。良くて属国だ。これでは、今からでもロタと和議を結んだ方がまだしもと思えてくる。そして、共にランリエルを攻めるのだ。散々、偉そうな口をきいたあの王子は慌てふためくだろうか。
駄目だ! 落ち着け! 苛立ちに、思考が乱れるのを公爵は感じた。自暴自棄になるのはまだ早い。と、自身に言い聞かせる。
何か手は無いのか。5ヶ国からなるランリエル勢力と3ヶ国の反ランリエル勢力。その2大勢力に挟まれながらもドゥムヤータの主権を守る。その為に、遥かランリエル王都まで来たのではないのか。何か手立てはと、公爵の頭に今まで得た情報が駆け巡る。
ディアスと会えたのは僥倖だった。彼が言った通行税の話は真の思惑を隠す王子の擬態だったのかも知れないが、それなくば見破れなかった。彼を介してバルバールと組む事は出来ないか。サルヴァ王子も、バルバールは属国ではない。彼らが戦うというのを止める事は出来ないと言っていた。ならば、ドゥムヤータと組むのも止められないはずだ。
例えばドゥムヤータが独占している通行税を、バルバールの望み通りに分配すると言えばどうか。
いや、駄目だ。公爵の顔に歓喜が浮かんだが、それはすぐに消え、また落胆が支配した。
バルバールは小国。ロタ一国だけが相手ならドゥムヤータと合わせれば対抗出来るが、デル・レイ、ケルディラも先の戦いで傷付いたとはいえバルバールの戦力を遥かに超える。ロタ海軍も、バルバール海軍の艦艇数を上回るはずだ。勝算の低い戦いにバルバールが乗る訳が無い。
ならば、コスティラとも組めば……。いや、駄目だ。駄目だ。コスティラはランリエルの属国と言って差し支えないとサルヴァ王子も言っていた。ランリエルを飛ばしての同盟など不可能。やはり、ランリエル勢力の総力を挙げての支援が必要なのだ。
ガンっと。公爵の手が硬い樫の肘掛を打った。公爵の手から血が滲むが、その痛みすら心の乱れを紛らわせない。主人の様を、老執事のカズヌーヴが無言で見守っていた。
ドゥムヤータ本国から、また戦況を報告する急使が到着したのはそのすぐ後だった。公爵がランリエル王都に居るのを他に漏らさぬ為、昼夜駆けてきた騎士は何度も身元を確認され、苛立ちながらもやっと王宮に用意された公爵の部屋へと入り跪いた。
「カニャール伯爵、ブラジリエ伯爵、クラルティ子爵ら海岸線付近に領地を持つ6名の諸侯が戦線離脱! 自らの領地に戻りました!」
「くっ。前線はどうなっている。敵の侵攻は?」
「は。敵はデル・レイ王国軍、ケルディラ王国軍は今だ動かず、ロタ王国軍も現在は守りを固めております。海岸線攻撃により我が軍を揺さぶり、こちらの戦線が自壊してから動く計画なのではないか。各軍の司令官はそう考え、諸侯にはくれぐれも動揺しないで頂きたいと通達しているのですが……」
「実際、自分の領土が攻撃にさらされては黙ってはおれぬか」
「それに、敵の攻撃にさらされぬ内陸に領地を持つ方々との衝突も見受けられます。彼らがここは我慢のしどころと訴えても、海側に領地を持つ方々は、どうせ人事だから言えるのだと。さらに、今回戦線を離脱した諸侯を厳罰に処せよと訴えております」
騎士の報告に公爵は深い溜息を付いた。自分は耐えているにもかかわらず、領地に戻った者が罰せられないなど許されない。気持ちは分かる。だが、今彼らを罰すれば、ロタに寝返る。しかし、不問では前線に残っている者達が収まらない。
このままでは、ロタ側の目論見通り戦わずしてドゥムヤータは瓦解する。どうにかして短期決戦に持ち込めないか。そう問いかけると、戦いに関しては素人の公爵の為使わされた戦略眼確かな騎士は首を振った。
「敵がロタだけならともかく、やはりデル・レイ、ケルディラが参戦する事を考えると、うかつに前線を進ませる訳には参りません。敵地で優勢な敵と戦うなど自殺行為です。そして軍を退かせるのは進むよりも遥かに困難。追撃を受ければ全滅の危険すらあります」
やはり駄目か。所詮自分は軍事には素人。デル・レイの使者の言葉のまま条件を飲むべきだったのだ。そうすればこんな苦労をせず、今頃は選王侯達の中での上位、ドゥムヤータ内でも王の一族に次する権力を握れたのだ。それをなまじドゥムヤータの主権をと意地を張ったばかりに。
敵は、3ヶ国からなる連合国。それにドゥムヤータ一国では対し得ないなど、素人でも分かる事ではないか。それをランリエルなどを当てにして――。
待て! もしかして……。いや、そんな事がありえるのか。しかしもしそうならば、何か手があるのではないか。だが、自分は軍事には素人。他の助けが要る。そう軍事に明るく戦略眼確かな者が。
公爵は、跪いたままだった騎士に手を差し伸べ立ち上がらせた。
「貴公の名を聞かせて貰えないか。貴公の力が必要なのだ」
「ジル・エヴラールと申します」
「奇遇だな。私もジルだ」
公爵は笑みを浮かべ右手を一介の騎士に差し出した。地位も儀礼も関係ない。今はこの者が頼りだった。
しばらくの後、公爵の話を聞いた騎士ジルは、驚愕に目を見開いた。
「確かに、確かにそうで無いとは言い切れません。ですが、もしそれが事実ならば、話が違ってくる」
「貴公の目から見ても、可能性はあるのだな?」
「可能性は……あります」
「事実ならば、今からでも戦況を覆せるか?」
「いえ、さすがにここまで戦況が悪化してしまっては、それを立て直すのは難しい。それに生半可な事では、虚が実に変わりかねません」
「そうか……」
「ですが、公爵のおっしゃる通りならば、必ず何か手立てがあるはずです」
「そうだな」
こうして2人のジルは、次の朝日が昇るまで対策を語り合ったのだった。
ランリエル王都で行われる各国の要人を集めた会議は、ケルディラとの戦後処理などもあり異例といえるほど長引いていた。開催から既に半月を超えている。通常ならば3日、長くとも8日で終わる会議がだ。
その間にもシルヴェストル公爵は積極的に動いた。ランリエルの有力貴族や閣僚、さらに会議に出席する各国の代表とも次々と面会を求め、ランリエルとの同盟に口添え願えないかと口説いて回ったのだ。
その際の贈り物とするのは、貴族達の垂涎の的たるドゥムヤータ胡桃の品々だ。
「輸出規制など気にするな。出せる物は全て。既に買い手が付いている品々もランリエルに持ってくるのだ。後は私が何とかする」
実際、後はどうするかなど考えずに公爵は言い放ち、本国に使いを走らせた。さらに運ぶ船が足りないと、ランリエルの港に停泊していた商船にも依頼しドゥムヤータへと向かわせたのである。
「これで、どうか良しなに」
と公爵からドゥムヤータ胡桃の椅子を約束された男爵は、これで自分も上流貴族の仲間入りだと歓喜し、ドゥムヤータ胡桃の巨木3本を受け取る侯爵は、全てドゥムヤータ胡桃製の家具で囲まれた書斎を夢見た。
そしてとある子爵夫人は頭を悩ませていた。以前、しつこく自分に言い寄る伯爵を諦めさせる為、無理難題の積もりでドゥムヤータ胡桃の寝台≪ベッド≫を用意出来るなら貴方のものになりましょうと伝えたのだ。その伯爵からドゥムヤータ胡桃の寝台を手に入れられそうだと手紙が来た。伯爵のものになるのは遠慮したいが、ドゥムヤータ胡桃の寝台での情事は魅力的だ。
子爵夫人が決めかねていると、夫が歓喜して屋敷に戻って来た。
「ドゥムヤータ王国のシルヴェストル公爵とお会いしたのだが、私にドゥムヤータ胡桃の寝台か、食堂に置く長テーブルのどちらかを贈ってくれるというのだ。君はどっちがいい?」
「テーブルがいいわ」
子爵夫人は即答した。寝台はどうせ伯爵が貰うのだから、テーブルを選ぶのは当然だ。テーブルならば友人を呼んで自慢が出来る。
無論、彼らも公爵には最大限の協力を約束した。毎夜どこかの屋敷で行われる舞踏会では、その話で持ちきりだった。
「今後は、ドゥムヤータ胡桃を優先的にランリエルに提供して頂けるとか」
「真に、良きお話で御座います」
と、既に同盟が成ったかのように皆は話題に花を咲かせたのである。
ランリエル社交界がドゥムヤータ胡桃の狂騒に沸き立つ中、シルヴェストル公爵はサルヴァ王子に面会を求めた。無論、ランリエルとの同盟に付いてだ。すでに有力なランリエル貴族のほとんどが公爵の味方であり、王子は孤立無援だ。だが王子はまったく意にかえさない様子で、ウィルケスを背後に従え公爵の対面に座った。
「随分と派手に動いているようではないかシルヴェストル公爵。精力的で良い事だ。我が父にも多くの品々を贈って頂いたそうだな。父からも、くれぐれも公爵には礼を伝えてくれと申し付けられた」
「恐れ入ります」
王子の皮肉にも公爵は笑みすら浮かべる。ランリエル王都へと向かう馬車の中での、王子に気圧されていた公爵とは人が違ったかのようだ。
「しかし公爵。まさかそれで私をドゥムヤータ王とせずにランリエルの協力を得られると思っているなら、余りにも考えが甘いというものだな。本気でそう思っているのか?」
「いえ、まさかそのような」
「では、ドゥムヤータ王になった私に手心を加えて欲しいか?」
「そういう訳でも御座いません」
公爵は笑みを浮かべ答える。余裕を見せる公爵に王子の視線が鋭くなった。
「では、何が望みというのだ。私がドゥムヤータ王となれば、貴公を選王侯の中でも上位にしてやる事も出来る。この王都まで共に来た誼で、そうも考えていたのだが、これは気を変えた方が良いのかも知れんな」
「それもお断り致します。選王侯は皆が同格だからこそ成り立つのです。誰か1人が突出すれば、すぐにもその体制は崩れましょう。それに……」
「それに……なんだ?」
「貴方はドゥムヤータ王にはなれません。選王侯は貴方をドゥムヤータ王に選ばない」
「なに? 私をドゥムヤータ王にせず、どうするというのだ」
鋭い視線を向ける王子に、シルヴェストル公爵も笑みを消し鋭い視線で返した。
「ランリエルの支援は、不要だと申し上げているのです」




