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◇41 なんの為に

 血の気が引いた。


 リーナの喉元には、本来なら人々を救う希望の光が宿っているはずの聖剣の刃。勇者は、すっかり気を緩めてしまっていた私達の隙を突き、リーナを乱暴に抱えて人質にとったのだ。

 会場内は、シンと静まり返った。

 誰もが勇者の凶行を信じられない目で見つめていた。


 私は震える足に叱咤しながら真っすぐに立ち、勇者を睨んだ。ルークとレオルドも事の大きさにすぐに気が付いて、身を起こす。


「ちがう、ちがう、ちがう……」


 勇者の翡翠の瞳は、なにも映していないかのように濁りきり、うわ言のような言葉が口を伝って出ていく。ルークに負けたことで、正気を失ったのだろうか。それにしては少し妙だが……。


「勇者、あなたのことをいい人だとは思ったことないけど……子供を人質にとるほどゲスだとは思わなかったわ」

「ちがう、ちがう、オレは……選ばれた。負けない、勇者は、誰にも」


 こちらの言うことが聞こえていないかのように、返答にはならない言葉の羅列が聞こえてきた。

 錯乱?

 なんだか気味が悪い。さきほどから感じている体の不調が増してきている気がした。ぐるぐる、ぐるぐると気分の悪さが渦のようになって回っている。

 異様な雰囲気は、ルークも感じられているようで彼は慎重に前へと足を踏み出したが。


「う、動くな!」


 私の言葉にはまったく反応しなかった勇者が、ルークの動きには敏感に反応した。リーナを拘束する腕の力が強まり、リーナが呻く。ルークはその場から動くことができなくなった。


「そうだ、オレは、弱くない。この世界が間違っている。この時間が間違っている。やり直そう、やり直せる。ぜんぶぜんぶ、巻き戻して、やり直して。だが、その前に」


 にたぁっと勇者は薄気味悪く笑った。


「シア、お前、土下座しろ」

「……は?」

「俺に恥をかかせたんだ、当たり前だろ? こいつの飼い主はお前なんだ、きっちり責任を果たせよ。みじめったらしく膝をついて、額を床にこすりつけて、泣いて謝れよ」


 もはや狂気の沙汰だ。

 言っていることが意味不明過ぎる。勇者の精神状態がおかしなことになっていることは、よく分かる。彼は昔からメンタルは弱い方だ。けれどやはり、これはどこかおかしい。

 勇者には悪態つきたい気分だが、リーナが人質にとられている以上、下手なことはできない。


 ……仕方ないな。


 私は、勇者に悟られないように精神を集中した。



『ルーク、ルーク、聞こえますか? 今、あなたの心に直接語りかけて--』

「え!?」

『口で返事しない! 平静を装って。念話よ、これかなり魔力使うんだから無駄打ちさせないで!』

『お、おう……すごいな、お前こんなこともできんのか』

『……数年前に司教様をビビらせようとして習得した悪戯魔法の一つ』

『あぁ……失敗して、司教様に吊るしあげられてるシアの姿が目に浮かぶわぁ……』

『んなこたぁ、どうでもいいのよ! いい、同じような内容をレオルドにも伝え済みだから、ルークもそのつもりで作戦に参加どーぞ』

『え? どうするんだ? 俺の場所からリーナを助けようとするとどうしても勇者の方が早く動けちまうぞ』

『そんな君に、私とレオルドからとっておきのプレゼントよ!』


 簡単な作戦を伝え終わると、私は念話を強制終了させた。体内の魔力が安定していない今、これをやるのは無茶だったが、勇者に悟られずにこちらの意図を周知させるにはこれしか手がなかった。

 あとはタイミングだが、それは問題ない。


「ルーク!!」

「ルーク!!」


 私とレオルドがリングに両手をついたと同時にルークは走り出した。それはまったくの同時だ。『よーい、どん』なんてわかりやすい合図はない。私とレオルドは互いの魔力の流れを感知して、それとなくタイミングを合わせた。ルークは魔力感知なんて芸当はできないので、ほぼほぼ野生の勘だ。一緒に生活した期間は半年ほど。それだけだけど、私達の息はいつの間にかぴったりになっていた。


 私とレオルドの魔法は、同時に発動した。


『おいコラ、俺様を呼ぶときはカッコイイ召喚呪文を唱えろって言ったろ!』

「非常事態でしょ!」

『けっ! リーナの為だ、このカピバラ様がひと肌脱いでやるぜ、ありがたく思えよ赤髪!』


 カピバラ様から眩い魔力が放出される。それと同時に短い脚でルークの背を蹴った。かなり容赦のない蹴りだ。ルークから、げふんっという可哀そうな声が聞こえたがここは我慢してもらおう。カピバラ様の渾身の魔力のこもった蹴りと、レオルドの爆風でルークは一気に勇者と間合いを詰めた。

 まさか、こんな唐突に距離を縮められるとは思わなかっただろう勇者は、それでも聖剣を自分の守りに引き戻した。

 激しい音と共に、ルークの剣と勇者の聖剣がぶつかり合う。片手では対応しきれないと判断した勇者はリーナを放り投げた。それをレオルドが上手く受け止める。

 ほっと息を吐いたが、ルークと勇者の戦いは続いていた。


「……なあ」


 小さく、ルークは勇者に言った。


「あんた、なんの為に勇者やってんだ……?」


 その言葉に勇者は目を見開き--。


 ピシッ。


 亀裂音が響いた。


 ピシッ、ピシッ、ピシッ。


 それはどんどんと大きく広がって行き……。


 最後には、バキンと大きく音をたてて折れた。


「……は?」


 勇者から、感情のこもっていない声が漏れる。なにが起こったのか、まるで分からないといいたげに。

 けど、私はなんとなく察していた。聖剣には確かに、心はない。人格もないから情もない。ただ、魔王を倒せる素養があるかどうか、はかる為だけの道具にすぎない。


 そう、時に聖剣という道具は、なにより非情な面を映し出す。


 --聖剣が折れた。

 それが意味するのは、勇者が勇者としての意味を、資格を喪失したということだ。

 勇者の素行の悪さでもなく。

 勇者の悪行でもなく。

 すべては、彼自身から魔王を倒せるだけの力がないと聖剣が判断した。


 聖剣は折れると、新たな主を見定めるまで聖剣の間で眠りにつく。勇者の選定をやり直すことになる。それはライオネル殿下が望んでいた結果だった。まさかこのような形で叶うことになるとは誰も思わなかっただろうけど。


 歓声は、あがらなかった。

 静かな、静かな、耳が痛くなるほどの静寂の中、息を殺すように警備の人間が勇者を捕らえ、引きずって行った。このような醜態を晒したのだ、勇者の資格すら失った彼がどうなるかは、法が決めることになるだろう。


 --優勝を称える花火が、虚しく夜空を彩った。






 *******************




 無理やりテンションを上げたアナウンスの中で、表彰式が行われ、私達は優勝のトロフィーと賞金を貰った。混乱と沈んだ気持ちを忘れようとしているかのように観客達に祝福されながら、私達は会場を後にして……。


「で、なんでこんなところにいるんですか?」

「いちゃ悪いか」


 なぜか司教様がいた。そしてこれまたなぜかイヴァース副団長もいた。不可解なことに司教様は無傷なのにイヴァース副団長以下、ベルナール様達第一部隊の人やアギ君達に至るまで全員ボロボロの装いだったのだ。

 よく見れば、会場内のあちこちが壊れているんだが。


「もしかして、司教様……酔っぱらって暴れました?」

「馬鹿が、俺が酔うか。掃除を手伝ってやったんだろうが」

「掃除!? 司教様が!? はたきを持たせたら、大聖堂中の窓ガラスぶちやぶった司教様が!?」


 驚愕のあまり昔の記憶が蘇った私に司教様は渋い顔をした。そしてそのまま私に近づいて胸倉を掴まれた。司教様は怖いが、無暗に女子供に手をあげる人じゃない。なにかやっちゃったんだろうかと冷や汗をかいていると、ポケットを探られた。


「ああ、これか」

「それは……」


 クレメンテ子爵がくれたお守りだ。それを司教様は顔色一つ変えずに握り潰して割った。

 握り潰して割った!? ちょ、待って握力どうなってんの!?


「……あれ?」


 人さまから貰ったお守りになにをするのかと怒ろうかと思っていたのに、急激に起こった体の変化に驚いた。


「どうだ、体が軽くなっただろ」

「え、あ、はい」


 さっきまであっただるさや眩暈などがすっかり消えた。


「スィードから貰ったんだろ。あれは呪言を吸い取る魔道具だ。念のために仕込んでおいたが正解だったな」


 呪言……やはり、あの不調は誰かに呪いをかけられたからだったようだ。


「あ、ありがとうございます……」

「別に……あーくそ、無駄に動いた。イヴァース、馬車用意しろ。そして酒に付き合え」

「断る。俺はこれから殿下達を迎えに行く」

「ちっ、付き合い悪ぃな。じゃあ、ベルナールでいいや」

「なんですか、そのやけっぱちな誘い」


 心底嫌そうな顔でベルナール様は肩を落とした。ベルナール様が負けるところを見たことがなかったので、彼がこれほど身を汚している姿を見るのは初めてかもしれない。


「あの、なにかあったんですか?」

「ああ……まあ、事情の説明は後でな」


 言いにくそうにしているので、あまり楽しい話ではなさそうだ。


「シアちゃん達ーー! 優勝、おめでとーー!」


 少し重い空気になっていた場に明るいライラさんの声が響いた。ライラさん達、ご近所さんがぞろぞろとそろい踏みでこちらに笑顔で手を振ってやってくる。

 色々と思うことの多かったギルド大会だけど、今夜だけは優勝のめでたさに酔いながら騒ごうと思う。


「ねえ、ライラさん達が明日一日パーティー開いてくれるみたいなんだけど、今夜はどうする? レオルドはおっさん組で酒盛?」


 ライラさんと話している途中でレオルドがおっさん組に無理やり絡まれていた。ベルナール様は上手く逃げたみたいだ。


「うぅーん、メンバーが司教様とジオさんとジュリアスさんと師匠ってだけでもう頭痛がするんだが……」


 レオルドが頭を抱えてしまった。このメンバーだとレオルドが一番若いのか。気を回さなくちゃいけない役回りになりそうだ。それに司教様は永遠に酔わない底なしだ。あっさり潰されて床に転がされてる可哀そうな光景しか想像できないな。


「よし、ならば私が代わりにその酒盛りに付き合おうじゃ……」

「あ、ごめんねシアちゃん! 司教様とシアちゃんが一緒だと国中のお酒がなくなっちゃうからパスね。出禁になりたくないもの」


 誘われて集まってきていたジュリアス様に笑顔で却下された。ラミィ様からの私のお酒に関する情報はすでに出回っているらしい。

 えー、そこまで空気を読まないようなことは……。


「俺と飲み比べできなくて残念だったな!」

「私の方が飲めると思いますけどぉ?」


 ああ、ダメだな。司教様と一緒だと喧嘩腰になって負けず嫌いが発揮されそうだ。撤退しよう。


「どうしようどうしよう」


 レオルドが檻に入れられた熊みたいにぐるぐる回ってる。


「リーナとルークはどうする? どこか食べに行こうか?」


 リーナはちらりとルークを見上げた。ルークは唸りながら少々考えて、答えを口に出す時は恥ずかしそうに顔を半分手で隠した。


「……食べたい」

「え? なにが食べたいって?」

「し、シアの飯が食いたいって言った! 三か月ぶりだし!」


 お……おおう!

 変なところに空気が入って咽た。

 ええ、なにそれ可愛い!


「ふふふふふふ、ほほう、私の手料理が食べたいと?」

「なんだよ、いいだろ別に」

「もちろんいいわよ。なににしようかなぁ、ルークが好きなのはハンバーグ、牛筋の煮込み、ポトフ……うぅーん材料足りるかな!」


 冷蔵庫の中を思い出しても足りなさそうだったので、夜遅くまで営業している商店へ駆け込んで買い物をした。結局レオルドも私のご飯が食べたいからと司教様との酒盛りを逃げてきた。

 まあ、今晩はギルドメンバーだけで宴もいいだろう。

 明日も楽しみだ!





 *********************



「勇者の処遇、決まったって?」


 牢番をしている兵士が、同僚に聞いた。先日のギルド大会で勇者でありながらも凶行を働き、今までにも多くの耳が痛くなるような話もあって、勇者の資格を失ったクレフトは牢に放り込まれていた。といっても犯罪者達よりかはいくぶんかましな牢で、いわゆる普段は貴族の身分を持つ人間が入れられるようなところだ。

 食事も掃除も行き届いている。

 それでも色々うるさいかもと思っていた牢番達だったが、意外にもクレフトはずっと静かだった。思えばここに運ばれてきた時も、どこか虚ろな表情だった。


「ああ、国外追放って感じになるみたいだ。色々問題行動も多かったし、ギルド大会では小さい女子に刃を向けて人質にしたっていう話だ。処刑できないなりに、臭いものに蓋をする形にしたんだろうよ」


 牢番達はほっとしていた。クレフトの扱いについては、二人とも困っていたのだ。腫物をつつくようなもので、どう接していいのかも分からない。とっとと、この牢から出ていってもらえれば、ありがたい。

 そろそろ食事を持っていく時間だったので、彼らは盆を持ってクレフトの牢を訪れた。


「おい、食事だぞ」


 ノックをしたが返事はない。

 まあ、いつも通りだ。ため息をつきながら、牢番は扉を開いた。


「--うっ!」


 扉を開いた瞬間、異臭が鼻をつく。まさかと、牢番は部屋の奥へ視線を向けると--。


 おびただしい量の赤い血が床に広がっていた。

 まさか、自殺……そう思ったが、彼が凶器を持つことはできない。それに……。


「死体が……ない?」


 残っているのは血液だけ。

 そして……。


「……文様?」


 血で描かれた、不思議な文様が壁一面に広がっていた。


 ――第二章・ギルド大会編――完。

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