★6 嫌だ、帰りたくない。
なんだかしょんぼりとした顔をしているベルナール様に、とりあえずお茶を出した。
『家出してきた』
などというあなたいくつだよ案件なのだが、本当にショックを受けている様子で話くらいは聞いてあげようと中に通した。
「で、なにがどうして家出なんていう子供じみた真似をしてるんです?」
しかもなんで家出先がここなんだ。
「…………」
視線は下に向けうつむいたまま、ベルナール様は出されたお茶を少し飲んだ。
「……した」
「?」
「兄上が……結婚した」
沈黙していた彼がぽつりと言った言葉に私は運んできた茶菓子を落としそうになったが踏ん張った。驚きはしたが……。
「それは、おめでたいことでは?」
三十路を過ぎていい話がなにもないと嘆いてきたのは他ならないベルナール様自身だったと思う。しかも彼は兄の嫁探しを積極的にしていた方だ。なぜ今更兄の結婚にこのような態度をとっているのだろう。
「ああ、めでたいな。とてもめでたい話だ、俺も兄上の結婚相手をずっと探して来ていたし、兄上が幸せになってくれるのならこれ以上望むこともないくらいだ」
そうだよね。人形だなんだと言われていても彼の心にはちゃんと兄への情があったし、私から見ればベルナール様は立派なブラコンだ。
「あ、もしかして子爵様が望まない相手とのご結婚……ということですか?」
ベルナール様がこんなに落ち込む結婚の理由があるとすれば、兄が不幸になるのが見えている結婚ということだろうか。しかし、心配になって問いかけた言葉はベルナール様が首を振ることで訂正された。
「いや、この結婚はまさに兄上が望んだものだ……ほら、以前シャーリーちゃんが言っていただろう? 兄上には慕っている人がいるようだと」
「そういえば……」
前にベルナール様のお屋敷に行ったときにシャーリーちゃんが言っていた。執事さんから聞こうと思ったけど結局はぐらかされたんだっけ。
「じゃあ、本当にいい話じゃないですか。なにをそんなにショックを受けているんです?」
「結婚の相手がアレじゃなければ俺だって喜んださ」
アレ?
お兄さんの慕っていた人に対してあんまりな言い方だ。ベルナール様がこのような言い方をするのは珍しい。彼が実は人の好き嫌いが激しいことは知っている。だが大人だから表面上は出さない。それをこんなに出してしまうとは。
「一体、どなたなんですかお相手」
あの素敵な子爵がお慕いする人が、性格が悪いとかそんなことはないと思うんだけど。
「……ア」
「え? なんて?」
ぼそぼそ過ぎて聞こえない、もう一回。
「――ミレディアだ!」
逆ギレしたみたいに大声を出してソファの上を転げた。
「えぇ!? ミレディアさんって、あの?」
「そうだ! 俺の部下で副隊長で幼馴染のあのミレディアだ!」
子爵とミレディアさんを並べてみた。うん、美男美女でお似合いのカップルですな。
「あれ? でもミレディアさんって女性がお好きなのでは?」
「俺もそう思ってこの話を聞いた時は意味が分からなかった。嘘をついていたわけではないし、あいつは本当に恋愛対象は女性だ」
自暴自棄になりかけているベルナール様がぽつぽつと話してくれたのは、二人の馴れ初めだ。ベルナール様によって社交界デビューを台無しにされたミレディア様はカーテンの裏に隠れて泣いていたのだが、それを慰めたのが子爵だった。
「当時、ミレディアは兄上のことを女性だと勘違いしたらしい」
ああ、今でも間違いそうになるくらい美人だもんね。勘違いしてもおかしくはない。
「それはミレディアの初恋だった。けどそのあと兄上が男だと知ってショックを受けたんだ。当時から彼女の恋愛対象の自認は同性だった。勝手に勘違いして勝手に裏切られた気分になってしばらくは兄上を避けていたようだ」
しかしクレメンテ家と接触する機会が多く、そしてミレディア様の負けん気の強さも相まってベルナール様とも親しくなっていき、避けてきた子爵とも兄妹のような間柄に深まっていった。
「そんな長い時間の中で兄上はミレディアを慕うようになったらしい。アレのどこがいいのかさっぱりわからないが」
文句を言うんじゃありません。
「しかしミレディアはああだろう? 兄上はもちろんそれは承知だった、だからずっと気持ちを表に出すことはなかったし、ミレディアはミレディアで途切れないくらい恋人がいた。まあ、誰とも長く続かなかったがな」
今思えば恋人と長続きしなかったのはどこか相手に兄上を求めていたからだったそうだ。
「なるほど初恋を引きずったままだったんですね」
そしてベルナール様が戻る少し前に二人に縁談の話が舞い込んだ。ミレディア様は貴族の娘として良家に嫁いで欲しいご両親と揉めた。良家でなくとも誰かに嫁いで子供を産んで家をついで欲しかった。だが彼女はそれを望まないし望めない。ミレディア様のご両親は藁にも縋る思いで縁談を出したのが子爵だったのだ。
「まあ、そこからは割愛する。結果は兄上の告白がミレディアの心を動かしたというだけだ」
「えー! そこが一番いいところでは!?」
「ヤダ。兄上とアレの恋バナなぞ口にしたくもない。あいつがべらべらと喋ったが記憶をなくしたいくらいだ! 記憶力のいい自分の頭を殴りたい!」
お屋敷は今お祝いムードいっぱいで、式に向けての準備が進んでいるらしい。
「嫌だ、帰りたくない。あいつがからかって『お姉さまって呼んで❤』とか言ってくるから思わず技をかけてしまって兄上に怒られたんだ」
相変わらず仲良しだよねこの幼馴染。
私はなんかもうアホらしくなってきて、ベルナール様の話を適当に聞き流した。しばらくしたら子爵から結婚式の招待状が届くかもしれない、楽しみだな。
「というかベルナール様」
「なんだ?」
「そんなに帰りたくないのなら帰らなければいいだけでは? 普段ベルナール様って城の宿舎にいますよね?」
「……」
しばらくの沈黙の後、彼は頭を抱えた。
「そうだった」
ベルナール様は、混乱していた。




