*8 あるきたくなーい!(sideリーゼロッテ)
私の世界は、常に不安と恐怖に包まれていた。
いつから私がその存在に気付いたのか、覚えてはいない。けれど、それを認識する前から、物心つかぬ幼子の頃から、私はずっと怯えていた。
気が狂うというのは、どういうことだろうか。
徐々に、徐々に蝕まれていくそれは、気づかないまま取り返しのつかないところまで至ってしまうこともある。だけど、私は、私の場合は最初からそれだけは理解していた。このまま、この体のなかに『それ』がいる限り、私は私の居場所を失うように黒く塗りつぶされ、私は私でなくなっていく。『それ』は私にとって代わろうとする。
強い願いに、漆黒の思いに押しつぶされる。
憎い、恨めしい、悲しい、寂しい。
渦巻くそれは、とても重い。
感情というものを理解しきれていない幼子の頃は、そのすべてがただただ恐怖だった。
ゆりかごの中で見る夢は、いつも暗く、赤く、冷たい。
知らないはずの、白い髪と赤い瞳の女が怨嗟の言葉を紡ぐ。意味が理解できなくても、それを聞き続けてはいけないということは本能でわかっていた。
だから眠るのがいつも怖かった。
『この子は、どうして寝てくれないのかしら?』
必然的に夜泣きが多くなる。
赤子から、幼児になっても治らない。それどころか、知識が少しずつ増えていくにつれて恐怖心は強くなる。
お母様は、夜中に泣き叫ぶ私に常にノイローゼ状態だった。
お母様はがんばった。きっと、とても。
けれど、なにひとつ報われることなくお母様は消えてしまった。
私がお母様がいないことに気がつける年になったとき、お父様はお母様は消えてしまった、としか教えてくれなかった。私の面倒をみるのに疲れて出て行ってしまったのか、それとも心労がたたって亡くなったのか。なにもわからない。
だけど幼子でもわかることがある。
私は、家族を得てはいけない。
私という存在は、常に周囲を傷つける。
だから、私に家族はいない。そう思ってはいけない。
お父様は、すでに狂っている。
狂っているけれど、愛は失っていなかった。
寄り添うのは、優しい狂人のお父様。
だけど家族じゃない。そんなものは最初から存在しない。
私は家族を『記号』として認識しなくてはならない。
そう、私に家族なんていないのだ。
愛情のすべてが、最後に行きつくのが狂気ならば『家族』に価値はない。いずれ失うと知っていて、どうしてそれを認められるのだろう?
『記号』と認識すべきだ、リーゼロッテ。
そこにあるのが『本物の愛情』であろうとも、その血を祟り続けるモノがある限り、終焉は己すら消滅する虚無なのだから。
私が未来に得るモノは、家族ではない。
呪いを封じ込める器を生成するだけの作業、行程。
『記号』で捉えろ、リーゼロッテ。
認識は正確でなくてもいいのだ。
ただ、ひたすらに己が破壊しつくされない選択を。
すべてを正しく認識するのは――――『呪いを受け継ぐ器』が作れた後でいいんだ。
そうしたら……ようやく、私は……世界を……すべての理不尽を……不幸を……口ずさんで、泣き叫びながら死ねるだろう。
そのときをずっと待っていた。
暗い塔の中で。
けれど、私を迎えに来たのはそんな待ち望んだものではなかった。
騒がしい音と共に、塔の窓ガラスをぶちやぶって入ってきたのは。
『私は謎の怪盗紳士。引きこもりのお宝、美しいご令嬢のハートをげっちゅ--』
予想斜め上すぎる変な女だった。
それから私の世界は一変した。天と地がひっくり返ったかのように、眩しすぎるその場所に眩暈を覚える。彼女についていったのは、間違いだったのだろうか。あのまま塔にいた方が、よかったのではないだろうか。
私は常に考える。
私は卑屈だ。何度も堂々巡りを繰り返す。生産性のない考えをぐるぐる、ぐるぐると。
そのたびに、あの人は、あの人達は、私を振り返る。
いつも後ろでよろよろと歩いている私を待つ。
ときには言葉で、ときには手を差し伸べる。
私はもう『それ』を正しく認識できてしまう。
呪いが残っている以上、いつか失うかもしれない恐怖。
本当は正しく認識してはいけないそれ。
けれど、私はあのとき『戦う』と決めた。最期に、己をも失うかもしれない結末を迎えようとも……『家族』と共に戦い続けようと。
――いつの間にか、私は怖い夢を見なくなっていた。
なんの夢も見ない。深く眠っている。安心して眠っている。
ふと朝日に目を覚ませば、食欲をそそる匂いが漂ってくる。扉の向こうで明るい声が聞こえる。
『おはよう』
私はそれを聞きながらまどろんで、二度寝するのだ。
私はそれを『幸せ』と認識した。
------------------------------------
「リゼちゃーん、朝ごはんできたけど食べる?」
ノックの音の後にサラさんの声が聞こえてきた。
私はもぞもぞと布団の中で寝がえりをうつ。夜更かしはする方だ。長年寝つきが悪かったせいもあって、早寝は苦手である。眠りの浅すぎた前に比べれば長時間の睡眠ができる。だがそれゆえに早起きができなくなった。昔に不眠症だったせいか? 寝ても寝ても眠いという状況。布団が気持ち良すぎ? いや、お屋敷の布団に比べたら安物だ。ベッドも決していいものではない。というか、確か聞いた話によればルークさんが前の住人が置いていった中古を修繕したものらしい。
どうしてこんなに眠いのか。居心地がいいのか。
ぴぴぴぴぴぴぴぴ。
あまりに寝坊助なので、ルークさんが目覚まし時計を作ってくれた。あのお兄さん、手先が器用である。
「うぅ~~~~」
ばんっ!
どかんっ!
がしゃんっ!
うるさい音に私は無意識にベッドから手を出して目覚まし時計をぶん殴った。吹き飛ばされた目覚まし時計は物悲しい音をたてて壁に打ち付けられたあと、床に転がった。音は止まった。
「リゼちゃん? あぁ、もうまた目覚まし壊しちゃったのかしら?」
サラさんの声と足音が遠のいていく。私を起こすのを諦めたようだ。私の部屋には鍵がかかっている。それはギルドの人間が信用できないとかではなく、私は寝起きが最悪なので迷惑の上塗りを避けるためのものである。
結局、起きたのはお昼近くになってからだった。
「おはようございます……」
身支度を整えてリビングに行くと誰もいなかった。
「あ、おはようリゼちゃん。ご飯、冷蔵箱に入ってるから温めて食べて」
声だけが聞こえてくる。リビングは玄関と仕切りだけでつながっており、ギルドへ仕事を依頼しにきたりする人を案内する場所がある。サラさんは受付に採用されたので、玄関近くの仕切りの先で受付業務をしているのだろう。
軽く返事をして、私は台所を漁り、サラさんが作ってくれていたごはんを発見した。世には魔導式レンジというものがあるが、このギルドには導入されていないようで、面倒だがフライパンで軽く温め直した。
ぼーっとした頭でごはんを食べる。
完全に自業自得だが、あったかいできたてのご飯が食べられるのはだいたい夕飯だけ。団らんは賑やかで、まだ慣れないが嫌ではない。ギルドの中でなら部屋からでることも少しずつできるようになってきた。王都観光は……いいきっかけだったのだ。
ボードには、それぞれメンバーの行動予定が書かれている。
*リーナ→蒼天の刃ギルド手伝い。アギ君と勉強。
*シャーリー→蒼天の刃ギルド手伝い。アギ君と勉強。
*レオルド→臨時講師
*サラ→受付、連絡業務
*リーゼロッテ→自由
*シア、ルーク→国外出張
リーナちゃんとシャーリーちゃんは他ギルドへお手伝いに。たぶんアギ君との勉強会にあわせたついでだろう。レオルドさんは、臨時講師、サラさんはいつものように受付の業務。
……お姉様とルークさんは国外出張……聖教会の総本山か……。
私と教会は相性が悪い。私が、というよりは私の中の悪魔が、だが。自分の指にはめられた黒紅の指輪を眺める。製作過程に謎が多い指輪ではあるが効能は確かなようで、あれから一度も暴走の気配はない。少し前にお姉様に付き添ってもらいながら王都の大聖堂に行ったが問題なかった。安心しはしたものの、やはり得体のしれない指輪である。完全には拭い去れない。だから今回、私はついていかなかった。お姉様、ルークさん、司教様という少人数で乗り込んだのも今回は偵察が主な内容だ。クレメンテ子爵の依頼を受けるか否かはそれから決めるという結論が出ている。
「私は……自由……か」
リーナちゃんやシャーリーちゃんにも予定がある中、私だけが自由。仕事を割り振られていない。そりゃ、昼近くまで眠りこけ、外に出ることもままならず初対面の人間とは顔も合わせられない上にしゃべれない人間に仕事ができるわけもない。
王都と人に体を慣れさせていく時期だからと、みんな甘やかしてくれるがそれだけでいいとも思っていない。本人の努力は必要だ。
「サラさん、あの……なにかできることはありますか?」
サラさんの業務手伝いならできることもわずかにある。だから最初はまずサラさんに仕事がなにかないか聞く。
「そうねー、シアちゃん達が出張しているから仕事はセーブ気味だし、処理する案件も少ないのよね」
サラさんが割り振る仕事がなくて困っている。
「あ、あの……さ、散歩したいなーって思っているので、その外のちょっとした仕事でも」
おずおずと切り出せば、サラさんはちょっと驚いた顔をしてから微笑んだ。
「そう、じゃあちょっとお使い頼んじゃおうかな」
「はい!」
働かざる者食うべからず。というかここまでついてきて惰眠を貪るだけの人間になりたくない。お金に繋がることはまだできないが、やれることはやる。
渡されたお金を握りしめ、おでかけスタイルに身を固めた私は、気合を入れて外へとつながる扉を開けた。
『メモに書かれた薬草と本を買ってきて欲しいの』
仕事に使うための必要資材のようだ。私はポシェットに入れたお財布がなくなっていないか常に確かめ、メモをぎゅっと握りしめて商店街へと歩いた。馬車も使えるが、体をならす目的もあるので散歩する感じでゆっくり歩いている。
「ぜぇーはぁー……」
しかしその気持ちも十五分歩いた程度で音を立てて崩れた。商店街遠い……いや、私の足が遅い。なまくらな足は、早くも音をあげている。貧弱すぎる。これでは荷物ができたら歩いて帰るのは無理かもしれない。サラさんから渡されたお金の中には、馬車代も入っている。馬車を使ってもいいんだよ? と暗に言ってくれているのだ。
だが甘えられない。馬車代を浮かせるということもできるのだ。ギルドに一番貢献できてないやつが豪勢に馬車を使うとかない。
ゆっくりと、本当に牛歩の速度で休憩を何度も挟みつつ商店街へと辿り着いた。
「も、もうこの時点で死にそう……。か、帰りはさすがに馬車にしよう。荷物運べないし……」
そこは割り切る。達成できないのが一番ダメだ。
私はメモを開いて必要なアイテムを確認する。薬草なら、魔法雑貨屋に大抵のものは揃っているはずだ。王都観光で色々と見て回った時に色々と教えてもらった。その知識が役に立つ。いくつかお店をみつけてメモに書かれた薬草を探した……のだが。
「このひとつが見つからない」
いくつかの薬草はみつけて購入できたのだが、どうしてもこのひとつが見つからなかった。『マンドラゴラの涙』。マンドラゴラの根とかそういうのはあったのだが、涙がない。マンドラゴラシリーズは並んでいるし、もしかしたら店頭に置いていないだけで倉庫にあるかもしれない。ならば、店員さんに聞くしかない。
店内を見回せば店員さんがいる。だが忙しいのか、店内を急ぎ足で歩き回り、レジを打ちを繰り返している。店員さんが一人しかいない。
……声、かけづらい。
ただでさえ、親しくもない人に声をかけるのが苦手なのにそう忙しそうにされるとさらに気後れしてしまう。
「あ、あ……」
とかしているうちに、店員さんがどっか行ってしまう。
肩を落としつつも、私は店を出た。お店はここだけではないし、探せるだけ探そう。そうして本屋で本を買いながらマンドラゴラの涙を探した。
ない。
ない。
ないないないない!!
マンドラゴラの涙ってそんなレアなの!? マンドラゴラなんて抜いたら泣くじゃない! 涙のひとつくらい軽く採取してよぉ!
心の中で逆ギレである。
どうしよう。どうしよう。
店員さんに聞けばいい。それはわかっている。だが、話しかけられない。
ふらふらとした足取りで表通りを歩く。
疲れた。帰りたい。でも仕事が達成できていない。こんなお使いもできないなんて呆れられてしまう。いや、そうでなくても私が自分に絶望する。
私は自分を奮い立たせ、膝を叩いてもう一度、一番品揃えが良かった最初の店へと戻った。
店員さんはまだくるくると忙しそうにしている。しばらくタイミングを見計らう。そしてチャンスが巡ってきた。私の近くに来たのだ! これならなんとか通り過ぎざまに声をかけられるのでは!?
すみません、マンドラゴラの涙ありますか?
すみません、マンドラゴラの涙ありますか?
すみません、マンドラゴラの涙ありますか?
よし! 脳内シミュレーション完了! いけ! リーゼロッテ! 私ならできるっ。
「あの、す、すみませんっ」
精一杯声を出したはずだった。だけど。
す、素通りされたぁぁぁぁ!!
私の決死の覚悟も虚しく、声量が足りなかったのか、それとも店員さんが別のことに気をとられていたからかすーっと通り過ぎてしまったのだ。
追いかけてもう一度声をかける力は、私にはまだない。
がくっと私の全身から力が抜けた。
どうしてこうなるの。
なんで私はこうなの。
自分の無能さに泣きたくなっていると。
「てーいんさーん、よんでるよー?」
「りぜおねーさん、よんでるです!」
可愛らしい声が二重奏で響いた。
顔をあげれば、店の入り口に二人の天使が……リーナちゃんとシャーリーちゃんがいた。二人とも手提げをさげている。お手伝いと勉強会の帰りだろう。そういえばもう夕方だ。
二人の声に店員さんがはじめて私が声をかけていたことに気がついたようだった。
「えっ、あ、すまないね。なにか入用ですかな?」
「あ、ああ、あ、あのっ、ま、マンドラゴラの涙っ」
シミュレーション通りにいかない口が、そう言うと店員さんは理解してくれた。頷きながら、倉庫に在庫がありますととりに行ってくれたのだ。
予想外にもミッションをクリアできた私がぽかーんとしていると。
「リゼおねーさん、おつかい?」
「え、う、うん」
「おそと、でれてますね!」
にこにこと二人が微笑む。とても嬉しそうだ。
「このぶんなら、いつでもそとであそべるようになるひも、ちかい?」
「たのしみですね!」
ねー! と二人が顔を見合わせて笑いあっている姿が愛らしい。
「あの、ありがとうね。店員さん呼び止めてくれて」
「おやすいごよーよ。シャーリー、こえはおおきいほうなの」
「りぜおねーさん、こえだしていたのに、おじさんべつのことにむちゅうできづいていないようでしたので」
おじさんがわるいのー! と二人が頬を膨らませる。
そうしていると店員さんが戻ってきて、マンドラゴラの涙を無事に購入することが出来た。ちょうどギルドへ帰る途中だという二人を連れてギルドへの帰路についた。
「馬車を使おうかな」
私の足が生まれたての小鹿状態だというのもあるが、歩いていくとしても荷物を少女達に持たせるわけにもいかない。
「シャーリーはへいきよ?」
「りーなも……」
と言おうとして、リーナちゃんは口をつぐみ、再び口を開くと。
「いえ、りーなはへとへとです。ばしゃにのりたいです」
「はっ! しゃ、シャーリーもばしゃのりたーい! あるきたくなーい!」
急なシャーリーちゃんの駄々っ子。
演技なのは丸わかりだが、二人の優しさにほっこりする。ここは意地で徒歩を選ぶ場面でもない。馬車乗り場で馬車に乗る。馬車に乗ればギルドまでそう時間はかからない。
馬車の中で二人の天使はうとうとしはじめた。
朝からギルドの手伝いに行って、午後は勉強会だ。疲れているんだろう。
……この子達はすごい。私なんかよりよっぽど。生きた年月が、人の価値を高めるわけではないと思い知る。二人に助けられなければ私はお使いすらできなかったのだ。
ぎゅっと膝の上のスカートを握りしめる。
なんのために王都へ来たのか。
孤独になりたくなかったから?
希望にすがりたかったから?
たぶん、そう。私は光に群がる虫のようにお姉様に、このギルドにすがりたくなってしまったのだ。いつまでもこのままでいいはずがない。
変わらなければ。
変わらなくちゃ。
早く、早く。
焦りが胸を焦がす。
そんな瞬間、馬車が大きく跳ねた。石を踏んだのだろうか。大きく揺れたのはその一度でそれ以降はなにごともなく進む。子供達もよほど疲れていたのか眠ったまま。ただ体勢は大きく崩れてドミノ倒しのように私の方へ上半身まるまる私の方へ倒れ込んでいた。
子供特有のおひさまのような匂いがする。
高めの体温が心地いい。
思わず二人の頭を撫でると、夢の中で楽しいことがあったのか二人ともふにゃっと笑った。
『リゼおねーさん、あそんで』
ハモる二人に、私は思わず笑った。
油断すると下の方ばかり見がちで、ひねくれた思考で、根暗な問答を繰り返す私の頭。それでも私は救われた。血から解放はされていなくても、忍び寄る黒いなにかが確かに存在するとしても。
私の心は、すでに救われたのだ。
優しさに甘んじるばかりではダメ。だけど、その優しさを支えに私はきっと頑張れる。
鐘がなる。
これは大聖堂の鐘の音。
不思議と、私の心に響く。
不安、焦燥、恐怖。
教会に関係するものと接触すると暴走していた過去。
きっと、なにか理由がある。
今の私には、まだできることが少なすぎる。
けれど、私もギルドの一員であると胸を張りたいから。
何度でも勇気を振り絞る。
あのとき、お姉様がしてくれたように……私は、もう一人で戦うのではないと知ったから。
「……アルベナ」
私はあなたが知りたい。
私の中で延々と苦しむあなたと向き合うことができたのなら。
その先に、もしかしたら前へ進むための標があるような気がして、私は窓から大聖堂の高い塔を見つめた。
----------------------------------------------------------
王城の一画、王国騎士団詰め所。
第二部隊を率いる隊長オルフェウスは、忙しく業務をこなしていた。王国騎士団はいくつかの部隊に分かれているが実質第一部隊の隊長を筆頭に第二部隊の隊長がそれを補佐する形式になっている。だが今回、あろうことか第一部隊の隊長であるベルナールが真偽不明の教義違反で聖騎士に連れて行かれたという。その事実が、多くに伏せられたせいでやばいくらいの仕事量が今、第二部隊の隊長オルフェウスにのしかかっていた。
もう五日家に帰っていない。
もう三日、寝ていない。
仕事が終わらない。
死相が出始めているオルフェウスだったが、根が真面目な彼は仕事を放って帰ることができなかった。器用に分担するのも下手だった。実力はあるのだが、一歩ベルナールに及ばないと評価されてしまうのはその点だろう。逆にベルナールは仕事を他人に押し付け――ではなく、割り振りが上手い。そのうえでさらに違う(おいしい)仕事までこなすのでいくら真面目にオルフェウスが頑張ってもベルナールの仕事に追い付かないのである。
ベルナール君ならこれくらいやってるから、オルフェウス君もできるよね?
笑顔で仕事を持ってきたあの文官に殺意を抱いたが、オルフェウスは我慢した。ベルナールにライバル意識のある彼にとって、できないとは言えなかった。高い矜持が仇になっている。
意識が朦朧としてきた。これでは仕事効率は落ちる一方だ。ミスを連発するのもいけないので、一度仮眠をとるべきと徹夜四日突入直前でようやく思い至った彼は仮眠室へと向かおうとして、通信機が鳴っているのに気がついた。
声を遠方に届ける技術は貴重なため、騎士団でもあまり多く支給されていないが、こまめに連絡を受ける必要のある隊長には配られていた。息を吐きながらも仕事だと、気合をいれて通信に出ると。
『報告、定時報告。こちら第一部隊、リーゼロッテ監視任務中のライアッハであります』
あー、定時報告の時間だった。
朦朧とし過ぎていて、忘れていた。ラミリス伯爵の事件で重要参考人であり、要注意人物とされたリーゼロッテ・ベルフォマ。その監視を第一部隊が担っていた。ベルナールがいない今、その報告をまとめるのもオルフェウスの仕事になっていた。
しかもここ数日は、シアが不在なこともあり監視は強めになっている。といっても遠くからの見守りは変わらないが、時間や報告数が多い。しばらく問題がないのもあって、その程度ですんでいるといえばすんではいるのだが……。
頭痛がしてきた頭を押さえながら、オルフェウスは報告を待った。
『今日は、尊かったです』
「は?」
オルフェウス、目が点。
『一生懸命にお使いをがんばるリゼちゃん。それを助けに現れる天使達。これが尊い以上のなにがあるんですか』
「は?」
オルフェウス、一度頬を叩く。
『俺達、なんども助けに行こうとしましたが……ここで俺達が手を出すのも違うと思いまして。本当に、本当に大変でした。でもあの子は達成したんです。すばらしい成長です。全第一部隊が泣きました』
オルフェウス、耳を澄ませると通信機の向こうから複数の男泣きが聞こえる。
『これからも俺達は見守っていきます。とりあえずリゼちゃん達がギルドに入ったのを見送ったらリゼちゃん頑張ったねパーティするので二時間ほど時間を――』
オルフェウスは、わけのわからない報告を聞いた後、通信機を切った。
とりあえず、報告書には今日の日付のところに問題なしと記入した。
そして。
「……寝るか」
ひさしぶりの家に帰った。仮眠なんてそんなものでは、この怒涛の疲れは癒せない。
とりあえず。
「ベルナール、戻ってきたらおぼえてろよぉぉぉぉぉ!!」
本人のあずかり知らぬところで、私怨が増えた。




