〇46 殴って分かり合う
相手は思念のかたまりである。
ここがリーゼロッテの精神的世界である為、肉体的な強化をほどこすテンションは使えない。瘴気から身を守るすべは有効だが、ここで一番重要なのは強く心を保つことである。
だが気合でなんとかできるのならば、リーゼロッテの前のベルフォマ当主達も呪い殺されることはなかったはずだ。だからリーゼロッテもずっと恐怖に震えていたのだ。
リーゼロッテは、精神に潜った印象としてかなり精神力の強い部類に入る。性格はつんけんしているが、周囲に振り回されやすいツンかわな面もあり、他人と同調し、寄り添うことのできる子だと感じた。彼女がスイッチで切り替わるのは、伯爵かクイーンが仕掛けたものかもしれないが、それを実現できたのは彼女の元の精神力の強さゆえだろう。
呪いはベルフォマの血筋に絡みついている。何代か前のベルフォマ当主が呪われた土地であるあの場所を貴族の別荘地にしようとアルベナの魂が封印された石碑を壊したことが原因だ。責任を感じた後のベルフォマ当主が自身に荒ぶるアルベナの魂を石碑の依り代として封印した。それがベルフォマの血筋の悲劇のはじまりだ。あまりにも強すぎる呪いの力は、余波としてサラさんの家系の巫女になすりつけられ、こちらも悲劇を辿ることになった。
誰が悪いかといえば、アルベナなのだろうが……彼女の残滓を見る限り、相応の理由があったようだ。アルベナという存在自体、不思議なものだ。今の女神が守護するこの世界の人間とは色々な意味であり方が違う。
シリウスさんが教えてくれた。アルベナは分離によって数を増やす生物なのだと。だからアルベナの肉体が滅んだ後の世でも、封印からこぼれた、ベルフォマの血に潜むアルベナとはまた違うアルベナの魂から分離し、シリウスさんは生を受けた。
分離体は、アルベナとほとんど等しく、しかし個々に別の容姿と性格など別の個体として生きていく。その話が本当なら、封印されたアルベナの魂は複数あり、他の封印も壊れている可能性があること。そしてシリウスさん以外のアルベナの分離体が存在しているかもしれないということだ。
……今はそれは問題じゃないから、置いておくけど。
結局の問題の発端は、アルベナの一族(分離体)を滅ぼしつくしたという女神の存在だ。聖典にあるように、アルベナが悪魔のような存在で、土地を穢し、人の世を脅かしていたのならば殲滅戦も致し方のないことだったかもしれないが。
あの光景を見る限り、祖のアルベナが非道をしていたようにも見えなかったんだよな。
だが、現在進行形でアルベナの怒りをこりかためた呪いという形で、アルベナは牙を剥いている。
引きはがすことは、おそらく可能だ。だが、それができなかったのは確実な安全性がないのと、封印という役割を担っていたからこそ表向きは平和が保たれていたこの土地に、再び強力な呪いが蔓延することになる。
それは、今まで血と涙と流してきたベルフォマと巫女の一族の行いをすべてふいにすることになる。下手に封印を解除すると、アレハンドル村の森を中心に広範囲の周囲に住む人間が呪い殺される結果となり、土地は晴れることのない瘴気に満ちるだろう。
リーゼロッテの気概をかいたいし、できるならば呪いから解放したい。依頼を受けたからには、彼女の納得できる結果を出してこそ。
「あなたって、けっこう頭の中でごちゃごちゃ考えるタイプなのね」
「わかる?」
「ここ、私の世界でしょ。なんとなく、難しいこと考えてるみたいだったから」
リーゼロッテは、そう言いながらもぶんぶん華奢な体に似合わない戦斧を振っている。見た感じ、バルザンさんの戦斧にも似た感じの大ぶりの戦斧だ。あれを操れるのは、バルザンさんや見掛け倒しでもレオルドくらいの体躯と筋力が必要だと思ったが、彼女は別の力で斧を振っているようだ。彼女自身に魔力はほとんどないようなので、特殊なものだろうか。
「ああいう人の話を聞かないやつは、ぶん殴ってこっちが上ってことを証明すればいいんじゃない?」
「リゼってば、脳筋~」
「失礼ね。教養は高いわよ」
それはなんとなく察せられる。呪われているとはいえ、仕草の端々から育ちの良さが分かるし、頭もそう悪くはなさそうだ。だが、戦斧をぶんぶん振って、殴って勝てば解決と真顔で言っている彼女は理性のとなりに脳筋が座っていそうである。
「……不思議ね。物心ついたときにはもう絶対的恐怖の対象だったアレが、こうやって対峙していてもあんまり怖くなくなってる」
友好的な解決策は、見当たらない。だが、彼女を立たせる芯は今、力強く存在していた。
「私が欲しかったのはきっと、慈悲の言葉なんかじゃなくて一緒に戦おうって言ってくれる人だった。待っていたのは、聖職者じゃなくて--戦友だった。そう思うと、あなたって本当らしいわね」
そう小さく笑う彼女は、つきものが落ちたかのようだ。
待っていたのは、聖職者じゃなくて戦友か。そうか、そうかもしれないな。リーゼロッテは最初から、私が聖女であることなんて知らなくて、むしろシスターかと勘違いして驚いて『ありえない!』と否定した。
私はそれに対して、憤りもしないし傷つきもしない。そうだろうなと。
彼女は失礼というよりは、私の本質のようなものを見ていただけかもしれないな。
「そうねぇ。私としてもそんなものより、誰かに背中を信じて預けられるような……そんな頼れる女になりたいや」
ずっと、ずっと昔から。たぶんそう思ってた。
「よーし、ぶん殴るか。お姉さんもちょっと不良みたいに縄張り争いやりたくなったよ」
「お姉さん? いくつなの、あなた」
「19歳になりましたー」
「え!? 嘘!?」
「え、そこ驚くとこ? さすがに傷つくよ!」
「ちょっと童顔だし、なにより胸がない! どこに捨ててきたの!?」
「誰が捨てるかぁーー! 落ちてたら盛りたいくらい欲してるわぁーー!」
胸の平らな妙齢の女性を知らないのか、この子は。
「そういうリゼはいくつなの!」
「16だけど」
「な、なんだってーー!?」
雰囲気的に私より一個下くらいかなと思ってお姉さんぶりましたが、予想以上に下でした。成人してませんでした。
子供でその立派なお胸は詐欺なのでは!?
半分よこせ!
「なんで一気に殺気だつのよ!? 戦友撤回するわよっ」
「それは嫌なので後でひとり孤独に涙でまくら濡らしとくね……」
嗚呼、無情。
「……うーん? こっち、けっこう無駄な話してたよね?」
「ええ、とても身にならない無駄話をしていたわね」
「動かないね?」
「動かないわね」
無駄話といっても数十秒くらいなもんだし、呪いから目を離していたわけでもないがアレは別にこちらに向かってはこなかった。ただただ、怨嗟を吐き出し続けリーゼロッテの世界を呪いで覆いつくしていく。
「感情のかたまりに意識はないにしても、こちらを攻撃対象とみているわけじゃないのかな?」
リーゼロッテがさきほど引きこもりの意地を見せて、戦斧でかなり強めの攻撃をしたにもかかわらず、敵対心がこちらに向いていない。
「殴って分かり合う作戦は無理だったのかしら……」
「最初から無理だと思いますけどね」
「河原で殴り合えば、昨日の敵は今日の友だと聞いたのに」
「どこ情報ですかね」
人格がすでに消失してるからな。ここで『滅ぼす』が一番いい方法になるだろう。だが、アレは強すぎる。聖魔法で成仏させることはできず、聖女の力は反対にアレの呪いを強めてしまう。
そういえば伯爵ってどうやって呪いを制御しようとしてたんだっけ?
----指輪!
すっかり忘れとった。伯爵はすでに人間に戻ることもできず、クイーン側にも見放された様子。今は力尽きているが、人外になった代償に命そのものが失われるだろう。哀れだが、伯爵がしてきたことを考えれば報いだとも言える。
あの指輪、どこにいったんだっけ?
ダミアンが奪いとろうとして失敗した後、どうなった? うやむやになっていたが、伯爵が持ったままだったような気がする。怪物に姿になったときに、どこへいったか見えなくなったが。
一か八かにはなるが、あの指輪が一時的にでも呪いを御せるものならば。
「リゼ、少しの間だけがんばれる?」
「え? どこか行くの?」
少し不安な顔をみせたリーゼロッテに、私はぽんと背中を叩いた。
「リゼが奮い立ってくれたおかげで、実行可能になりそうなものがあるの。ほら、あの指輪」
「あ! --でもあれ、大丈夫なの?」
「それが問題ではあるんだけど、現状可能性は一番高くなると思う」
リーゼロッテは少し考えて、そして頷いた。
「信じる」
「期待に応えるよ、お嬢様!」
術を切って、自分の体に精神を戻すと。
「ほぎゃあああーー! とか言ってる場合じゃねぇーー! なぜにベルナール様に俵担ぎされているという不名誉なことになっているか気になりますけど、急ぎなので下ろせーー!」
「守るにもなかなか邪魔で」
「邪魔って言わないでくださいよ!」
「だから文句言われるっすよって言ったのに」
隣で戦うルークは、もう少しソフトな提案をしたらしいがベルナール様が面倒くさいと言ってこうなったようだ。ベルナール様は、意外と雑です。
私は暴れながらも床に降ろされ、すぐさま指輪を探した。クイーンのフィールド魔法で場は様変わりしているが、ものがすべて紛失したわけではない。瓦礫なども聖堂のものがあたりに散らばっているから、このあたりだと思うのだが。
指輪は綺麗な箱に入っていた。指輪そのものが単独で転がってしまったとしたら見つけるのは困難だけど。
幸運はあった。
伯爵が持っていた箱が、転がっている。半分口が開いた箱の中には、確かにあのとき見た指輪が光っていた。やはりあまりいい感じはしない禍々しい指輪だが……。
とにかくなんとか手に入れないと!
真っすぐと全力で走った--が。
【オノレ オノレ! ワガ ノゾミ ジャマハ サセヌ】
げえぇぇ! 虫の息同然の怪物伯爵が行く手を阻んでしまった。
なんて執念だよ、このおっさん!
力はもう供給されないし、重ねた戦闘でボロボロの怪物伯爵を倒すことは可能だ。だけど、時間が!
【ワレ ノ モノダ! スベテ スベテ!】
「強欲すぎんでしょ!」
仕方がない。伯爵をなんとしてでも速攻でやるしかっ。
バンッ!
…………え?
急に耳朶を叩いた銃声に目が丸くなる。
近くに仲間はいない。銃を扱うベックさんとキャリーさんはもっと向こうだ。だが、確かに銃声は響き、怪物伯爵の頭に風穴が空いていた。
【ナ ナニ … ?】
「父上……すみません。ですが、もう……」
かすれた声が、震えた声が、怪物伯爵の後方から聞こえた。慌てて視線を合わせれば、そこに立っていたのはズタボロの銃をかまえたままのダミアンだった。
父親に撃たれた傷からはおびただしく血が流れ、足元にはひきずってきたのか赤い道ができていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。僕は最後まで役に立たない息子でした。父上を敬愛していました。怪物でもなんでも……でも、僕は本当は小さい頃にまぐれでいい成績をとれたときに気まぐれでお菓子をくれた、父上が----」
【オノレェェェェ! ゴミ ノ ブンザイデ!】
「ダミアン!」
双方ボロボロだが、普通の人間であるダミアンの方が弱い。一撃でもくらったら死んでしまう。助けようとしたが、ダミアンと目が合った。彼は首を振って、視線を動かした。先には指輪の箱が落ちている。
怪物伯爵の相手をしている時間はない。
今もリーゼロッテは必死に戦っているのだから。
けど、ダミアンを見捨てるわけには。
『行っていい。父上と決着をつけるのは僕だ』
頭の中でダミアンの声が響いた。
ダミアン、念話が使えるの!?
驚いたことに、彼は魔法を扱う才があるようだ。
少しだけ足踏みはしたが、私は振り切って指輪の箱へ走った。彼の決意は固そうだ。たとえ、伯爵が自分に対して親愛の欠片も持っていなくても。
背後から、銃声と激しい魔術の衝突する音が鳴った。
私は同時に指輪の箱に辿り着き、指輪を掴んだ。
禍々しい指輪があやしい赤黒い光を放つ。
これはやっぱりまずいやつか? まずいやつなのか?
それでも可能性が欲しいんだよこっちは。ダミアンはこの指輪が伯爵がおかしくなる拍車をかけたと思って、破壊しようとしていたけど。
禍々しい気配を帯びた光は、私を飲み込んでいき----。
「……あれ?」
なんということでしょう。
あれほど重かった肩が、すっきりと。
肩こりが治りました。
ついでに軽く痛んでいた腰痛も治りました。




