「まどろみマンション」
まどろんだマンションの目は、柔い朝日によって覚まされた。爽やかな朝、うららかな日差し。昨日までの暗い梅雨空がまるで嘘だったような、そんな気さえしてしまう初夏の朝だった。庄内川の水面は輝き、マンションのそばを通る高架線路には、スズメが楽しそうにさえずっていた。
マンションは眩しそうに、爽やかな朝日へ手をかざした。とそこで、マンションは自分が人間の姿になっていることに気付いた。つまりは巨人だった。「アッチョンブリケーッ!」とマンションは言って、「しぇー」のポーズをとった。びっくりくりくりくりっくりである。(マンションは昭和の築造だった。)
そうこうしていると、地響きを立てながら目の前の高架を、JR東海の特急〔ワイドビュー〕しなの 383系が走り抜けていった。マンションは何だか恥ずかしかった。遠くに見える道路では、車の行き来がじょじょに忙しくなり始めていた。
マンションは焦った。住人たちはどうなったんだろう? そろそろ出勤や、登校の時間のはずなのだ。
住人達はまさか、自分の臓器の一部となってしまったのではないか? 血液に溶けてしまったのではないか? マンションは急に恐ろしくなった。それとも人間の皮膚には、無数の細菌がいて、皮膚を保護する役割を負っているというから、住人達はそれらに姿を変えてしまったのかもしれない、とマンションは思った。グヨグヨと不定形にうごめく住人達を想像してゾッとしながら、マンションは自分の物知り具合に驚いた。なぜだろうと思いながら頭を掻くと、そこには髪の毛に混じってアンテナがあった。なんだテレビ知識だったのかと、マンションは納得した(マンションはネットをよく知らなかった)。
とそんなことをしていると、マンションの前の道を小学生が駆けてきた。近所の子なのだろうか。手に通学団の小旗を握っている。黄色帽子の形状とランドセルの赤からして、きっと女の子なのだろう。マンションはドギマギした。というのも、彼女はマンションの前まで来ると、じっとマンションの足を見詰めて立ち止まったからだ(それにしてもあんまり驚かないな、と彼はその前に拍子抜けしていた)。きっと自分に住んでいた友達を迎えに来たに違いない。マンションは申し訳ない気持ちになった。
いつの間にか高架にいたスズメは飛び去り、代わりにカラスが電柱の上でカァと鳴いた。テレビの音が聞こえる家々が増え、朝ごはんの匂いが漂って来ていた。そしてマンションが女の子に声を掛けようとした、ちょうどその時、マンションのスネのあたりがパカッと開き、「おまたせ~」等と口々に言いながら2,3人の小学生たちが中から掛け出してきた。
待っていた子と一緒になって、笑顔で学校へと向かうと見えた。マンションは、「はわわ」とその出来事に驚いていたが、駆けていく子ども達の背中へ慌てて「いってらっしゃい!!」と声を掛けた。
子ども達はマンションの声に振り向き、きょとんとすることも無く手を振った。「いってきま~す!!」という元気な声が、人間になったマンションと、青い風の吹く街に響いた。
高架の上を、普通列車と快速列車がすれ違いながら通り過ぎ、その後にはまた、平穏な街だけが残った。




