「青魚の死」
見たまえ。
夜を照らす紅い光を。
それの滿ちる夜の交叉點を。
その紅さが、夜露に濕ったアスファルトに照り返すのを見たまえ。
通り過ぎるクルマのテール・ランプの紅が、それを笑うのを見たまえ。
俺たちと貴樣は、すでに別の次元さと嗤うのであろう。
「――貴樣は、まだ金魚のままか?」
「――俺たちは、すでに肉の身體に縛られてはいない」
地方都市の一角には、未だ白い身を色彩の鱗に覆われた魚たちが棲んでいる。
金魚は目を閉じ、その身の熱さを消し束の閒の眠りに就く。
靑魚が目を開き、カッと己の身を怒らせる。
その碧さが、夜露に濕ったアスファルトに、照り返すのを見たまえ。
通り過ぎるクルマのテール・ランプの紅が、それを笑うのを見たまえ。
俺たちの身體は、すでに表皮と中身の區別をしないと、嗤うのであろう。
「――コップ一杯分の臟器で生きるとは」
「――そんなものは、もう私じゃない。私は私によってのみ反應する」
2000年代より、この國から白い身を持った、色とりどりの魚が死滅をはじめたのを憶えているか。みな表皮で色を變えることなくその血肉自體が、鱗の色に發光する新しい光輝く街。
アイデンティティの終わりなき改造は、撞着語法でなく終わりを告げようとしているのだと、テール・ランプらは謳っていた。電氣の肉などもう時代遲れだ、と彼らは疾走するマシンに導かれて笑いさざめくのだった。
見たまえ。
あれから■■年經ったこの國を。
靑信號の中身はすでに發光ダイオードしかなく。
白い光に靑い色ガラスの時代はもう終わった。
光自體が靑くなり、白身の魚は滅んでしまった。
朝がきて、太陽の白い光が邊りを滿たす。
クルマのテール・ランプも、信號機も、街燈も、すべての透明なものに、朝の光が行き屆く。
そのとき、いつしか、
そこに顯れたのは、
巨大ないっぴきの、
魚だった。
紅い鱗を持ち、靑い鱗に覆われ、黃色い鱗が點在し、綠、オレンジ……鱗は無數で樣々だった。
みんな、
その魚だった。
單色の魚は死んだ。
だが、
見たまえ。
そのために、
もはや人は巨大な魚の臟器になってしまったのを。




