「唇に細い茎」
「吐くものがないのなら、」
と伯爵は言った。
「せめてもっと、泣いたらどうだ」
わたしはもう三日ほど前から、蟻の子しか吐き出していないのだ。
「そんな風に責めるなら、あんたが吸いだしてみればいい」
わたしは後ろ手に縛られたまま、そう言う。
「あんたの高貴な、唇で……」
言いかけたところで、腹を蹴られて革靴の先端が、突き刺さる。
「やはり貴様の喉は、しゃべるには向かんようだな」
痛みに、蹲りながらも、わたしは、奴の望むものだけは決して、吐き出すまいとしていた。
「……あんたには屈しないさ。蟻の子がお似合いさ。色の白い赤ん坊だ」
「うるさい熟魔喉だ」
伯爵の口には白い牙が見え隠れして。
「貴様の細い喉は、まだ俺を裏切るようか……」
倒れ臥すわたしの首と下顎を撫でながら、伯爵はわたしの顔を見た。
顔に手が伸びる。
指が唇に触れる。
唇に触れた指が、内側に伸びそうに動いた。
わたしは伯爵から顔をすこし逸らした。
「伯爵さん……あんたは、欲しがるべきじゃ、なかったよ」
「何?」
怪訝そうにする伯爵。
しかし、確かに、真実だった。
もう喉からは、蟻の子さえ、出てこなかった。
「……そうさ。……そう、あんたは蝶を、嫌っていたよな?」
刹那、わたしの唇からは、嗚咽と共に細い《茎》が吐き出された。
どばどばと音を立て地面へと溢れ出た。
蠢く茎が地面に広がる。放射線状にぷよぷよとした細い茎が、長く這う。
茎が、黄緑色の、すこしピンクがかった茎が、溢れ、引っこめようとした伯爵の指に、しっかと絡んで、離さない。
「貴様……これは何だ? 俺にまだ、逆らう積りか!」
わたしは嘔吐を続けた。
茎は長く、長く長く伸びて、辺りに、満ちる。
そして吐き出した分だけ、わたしの足は、短くなってゆくのだ。
繊維がほぐれるように、足先にあったものが茎にかわり、胃から、口から、湧き上がり撒き散らされた。わたしはもう、歩きたいとは、思わなかった。怒りに引きつる伯爵の顔を見ながら、わたしは茎へと、解体した。
「…………伯爵さん、あなたは、綺麗になれる」
「ふざけるなよ! 貴様のような下種が、何をほざく!!」
わたしの吐き出した茎が、長い、長い長い茎が、いや、もはやわたしの肉体は吐き出す唇しか残っていないのだ。茎はまだ葉とも呼べない小さな突起を身に付けながら、伯爵へと、殺到した。
「もうあんたが欲しいものになればいいんだ。簡単な答えだよ」
伯爵の身体には茎の通らない場所はもうなかった。
茎は何重にも巻きつき内側へも突き入り、伯爵を締め続けた。
伯爵の身は、もう見えなかった。
茎の絡まりは、球体に近づいた。
それは繭に似ていた。
「…………生まれ変わるがいいんだ。吐くことでしか叶わないなら、あんたこそ、嘔吐の中で溶けてしまえ」
鼓動が聞こえていた。
伯爵は肉体すべてから叫びながらわたしの中で生まれ変わるのだ。
茎の繭は息の根を止めはしない。いつの日か美しい翅を中に満たすまで、わたしは、伯爵を暗い中で調教する積りだ。




