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掌編は荒野を目指す――ショートショート集  作者: gaia-73
綺陶篇

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33/44

「唇に細い茎」


「吐くものがないのなら、」


 と伯爵は言った。


「せめてもっと、泣いたらどうだ」


 わたしはもう三日ほど前から、蟻の子しか吐き出していないのだ。


「そんな風に責めるなら、あんたが吸いだしてみればいい」


 わたしは後ろ手に縛られたまま、そう言う。


「あんたの高貴な、唇で……」


 言いかけたところで、腹を蹴られて革靴の先端が、突き刺さる。


「やはり貴様の喉は、しゃべるには向かんようだな」


 痛みに、蹲りながらも、わたしは、奴の望むものだけは決して、吐き出すまいとしていた。


「……あんたには屈しないさ。蟻の子がお似合いさ。色の白い赤ん坊だ」


「うるさい熟魔喉(エメスクビド)だ」


 伯爵の口には白い牙が見え隠れして。


「貴様の細い喉は、まだ俺を裏切るようか……」


 倒れ臥すわたしの首と下顎を撫でながら、伯爵はわたしの顔を見た。

 顔に手が伸びる。

 指が唇に触れる。

 唇に触れた指が、内側に伸びそうに動いた。


 わたしは伯爵から顔をすこし逸らした。


「伯爵さん……あんたは、欲しがるべきじゃ、なかったよ」


「何?」


 怪訝そうにする伯爵。


 しかし、確かに、真実だった。

 もう喉からは、蟻の子さえ、出てこなかった。


「……そうさ。……そう、あんたは蝶を、嫌っていたよな?」


 刹那、わたしの唇からは、嗚咽と共に細い《茎》が吐き出された。

 どばどばと音を立て地面へと溢れ出た。

 蠢く茎が地面に広がる。放射線状にぷよぷよとした細い茎が、長く這う。

 茎が、黄緑色の、すこしピンクがかった茎が、溢れ、引っこめようとした伯爵の指に、しっかと絡んで、離さない。

 

「貴様……これは何だ? 俺にまだ、逆らう積りか!」


 わたしは嘔吐を続けた。

 茎は長く、長く長く伸びて、辺りに、満ちる。


 そして吐き出した分だけ、わたしの足は、短くなってゆくのだ。

 繊維がほぐれるように、足先にあったものが茎にかわり、胃から、口から、湧き上がり撒き散らされた。わたしはもう、歩きたいとは、思わなかった。怒りに引きつる伯爵の顔を見ながら、わたしは茎へと、解体した。


「…………伯爵さん、あなたは、綺麗になれる」


「ふざけるなよ! 貴様のような下種が、何をほざく!!」


 わたしの吐き出した茎が、長い、長い長い茎が、いや、もはやわたしの肉体は吐き出す唇しか残っていないのだ。茎はまだ葉とも呼べない小さな突起を身に付けながら、伯爵へと、殺到した。


「もうあんたが欲しいものになればいいんだ。簡単な答えだよ」


 伯爵の身体には茎の通らない場所はもうなかった。

 茎は何重にも巻きつき内側へも突き入り、伯爵を締め続けた。

 伯爵の身は、もう見えなかった。

 茎の絡まりは、球体に近づいた。


 それは繭に似ていた。


「…………生まれ変わるがいいんだ。吐くことでしか叶わないなら、あんたこそ、嘔吐の中で溶けてしまえ」


 鼓動が聞こえていた。

 伯爵は肉体すべてから叫びながらわたしの中で生まれ変わるのだ。

 茎の繭は息の根を止めはしない。いつの日か美しい翅を中に満たすまで、わたしは、伯爵を暗い中で調教する積りだ。

 

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