「終電」
JRだけではないと気付いたのは、もう随分と大人になってからだった。
というのもボクの街には駅がひとつしかなく、乗り換えるには遠く名古屋まで出なければならなかったからだ。街は自転車の行動範囲内で完結していた。そんなだったから高校生になるまでは、電車にあまり乗ったことのない友人もけっこう多かった。ボクが電車に乗り馴れたのも、高校も終わりがけになった三年生になってからだったと思う。
だけどそんな風に触れる機会が少なく、電車が珍しかったせいもあったのか、ボクは電車のある特徴にかなり早い時期から気付いていた。幼稚園の遠足ではもうそれを見て疑問に思っていたから、きっとそれよりも前、名古屋に住む祖父母に逢いに行ったときにでも、敏く見つけていたのだろう。
つまりそれが何なのかというと、電車のドアである。
乗っているときは気付かない。
しかし日々の忙しい乗り降りで、ふと目に入る人もいるのではないか。
そう、電車の取手――内側はちゃんと大人の手の位置にあるのに、外側のは低く足下の位置に付いているのである。通勤ラッシュの朝や疲れて帰る夕刻には、ほとんどの人が気にも留めないが――大学生になり電車通学となったボクは、ある日JRから地下鉄へ乗り換える際、ふとその地下鉄の車両もまたドアの取っ手が足下にあることに気付いたのだった。
不思議だな、とボクは電車に揺られながら思った。
電車の加速が足から伝わって、ボクの脳みそも、なんだか加速していくような心持ちがした。
――そうだ、こんなのはどうだろう。
考えてみれば、実はそう大した不思議ではないのかもしれない。
例えばこういう解釈もできる。自動扉の電車の場合、ドアの外側には駆け込み乗車等で無理やり抉じ開けて乗り込まれることを防ぐために、ちょうどよい位置には取っ手がない。しかし付いていないと困る時があるから、線路に当局の方が立ったとき、開けやすい位置に取手を造ってあるという、つまりそういうことなのではないか?
納得のいく回答を得てボクはホッとした。
それに反応したように、電車の車輪がフォーッンと鳴った。
その音は虚しく夜の闇に響いた。
ボクの乗っているのは終電だった。
今日はたまたまゼミの飲み会で遅くなったのである。
車両にはボクしか居なかった。
吊るし広告が所在なく揺れ、ぱさぱさと寂しそうな音を立てた。
電車は疲れた声で車内放送を響かせたのち駅に停まり、自動扉がすぐにも圧搾空気の力で開くはずだった。
しかし、ドアはすぐには開かなかった。
ボクは予想外の静寂に少し腰を浮かし、ドアの外を窺った。
そこに、何かがいた。
黒い影のような、しかしそれには実体があり、ブヨブヨとうごめいている。
ボクの強張った身体はそれから、目を離させてはくれない。
そこで気付いた。それはヒトの群れだった。あまりにも大きな、全員が三メートル以上あるような、影のように黒い。まるで夜の闇が五体にくり抜かれたようなモノたちだった。
ボクは眩暈がした。何かがおかしかった。
ボクはどうして席に頭を押し付け、足を天井に向けているのか?
いつのまにか、ボクは席の上で腕を使わずに逆立ちをしていたようなのだった。
やがて、ドアが軋み始めた。
外の黒いヒトたちが乗り込もうとしているのだと分かった。
最前列のヒトリが、ドアの外側にあるあの、取手に身を屈めるようにして手を掛けていた。
ドアは一瞬抵抗したが、黒いヒトの力には敵わなかった。
ドアは開けられ、ヒトビトが列車に入ってくる。
――そうだ、ボクは何をしていたのだろう。
そうじゃないか。
ボクは還るところだったんだ。
見れば、知った貌ばかりだもの。
ボクは金属パイプで出来た席に座り直し、この乗り物の切符を、巡回してきた車掌に見せた。
線路にぶら下がって走るその乗り物には、もう影のようなヒトがいっぱいだった。
不思議な音律を持った車内放送が流れ、乗り物は動き出した。
そして、乗り物の中でボクは、ある疑問をずっと考え続けている。
――どうして乗り物の内側の取手は、ドアの、あんな中途半端な位置にあるんだろう?
初出:『天然水』Vol.51(2014年7月発行)
『小説現代』ショートショートコンテスト落選作。




