「ゴスロリドリル」
暗い廊下の向こうから、歩いてくる人影が見えた。
手には武骨な、電動ドリルがあった。
✞
研究室からの帰り路だった。
私はゴシック・ロリータで着飾った、その昏い少女に出会ったのだ。
その昏さは美しさなのだが、その話をここではすまい。
彼女は廊下の向こうから、ふらふらとやってきた。
半ばどうでもいいが、その廊下はこの移民舟の水道本流から漏れ出した水によっていつも濡れている。ふやけた床は彼女が歩くたびに、ぎし、ぎし、と古風な音を立てる。なぜその少女が豪奢なドレスを、それもよりによって真っ黒いドレスなんて着ているのか分からなかったが、更に分からなかったのは彼女がドリルを持っていたことだ。
薄い黄色であたりの壁を照らす、天井の発光建材が、彼女のぬるぬると濡れた大きな目を、はさはさと反り返る長いまつげをクルクルと巻いた黒髪を、そっと照らしていた。
少女の背後からは断続的に、この舟の航界管制装置が発するパルスが聞えていた。
わたしにはそれがまるで、幼い日に聞いたセミの声のように思えたのだった。
私は震えながら後ずさった。
少女が私を殺しに来るなんて、そんな妄想をしていたわけではない。
しかしその少女を見たとき、私は自分の心の奥から、彼女がやってきたような気がした。
床はキュッと音を立てた。
舟の揺れは無く、その通路をやってくる彼女はそこでやっと、私がいることに気付いたようだった。
少女は私を見て「けひゃっ」と笑った。
どうやらゴスロリ姿の少女は、本当に私を、「標的」として認識したらしかった。
✞
どこまでも追ってくる。
彼女の身のこなしはまるで獣、黒い姿はまるで悪魔のようだ。
私は、本物の少女に殺される。
「君たち女性にとって少女とは、私たち男性から見た少年よりも、まぁ人にもよるが、肯定的に受け取る人が多いような気がするね。つまり、懐かしがることを好むというのかね」
私には先生の言うような、そんな少女の価値は分からない。
私は少女でいただろうか。過去の私は今とどう違うのか、本当に少女だったのか、それが分からない。少女の仮面でも被っていた……それもまた、事実なのかもしれない。
そうでなければ、私は今でも大人に成り切れていないのかもしれない。
心に抜け落ちた少女が、今になって私を追ってくるなんて、なんだか、喜劇的ではないか?
壁に走る無数の水道支流が、私の走り抜ける風圧でメキメキと軋む。
追っ手は、全力で走っていても引き離せない。
近道でショートカットしているんだ。
一般舟員には知られていない非常通路があるのかもしれない。
ふくらはぎが引きつってきた。
緊張のせいなのか。まさか疲労のせいなのか? 私は長距離走は得意なのに。
そういえば、同じ方向ばかりに曲がらされている気がする。
足が、攣りそうになっていた。
ふと気づくと、追ってきているはずの足音がしない。
私は、振り向きながら、足をもつれさせ、立ち止まった。
止まった途端、それまで気付いていなかったほど、可笑しなほどに、息が切れはじめた。
ハハハっと、荒い息のまま乾いた笑い声を上げる。
とそこで、左から来た。
私は右に逃げようとして、出来なかった。
今まで全て左に曲がっていたから、左足がとっさに動かなくなっていた。
黒いゴスロリ少女が目を見開いた笑顔で、手にしたドリルを突き出してくる。
避けられない。
背中から倒れ込んだ私に覆いかぶさるようにして、少女が跨ってくる。
ドレスの端が私の頬に触れていた。
彼女のドス黒い瞳が、私の目いっぱいに広がる。
唇を奪われている。
少女のキスは、化粧品の芳香化合物の味がした。
そして心臓の上あたりに、激しく回転する、ドリルの衝撃が走った。
ガ、ガガガ、ガガガガ、ガガガガガガガガガガ………………………………………
✞
「……ふぅ、」
しばらくして、少女の声がはっきりと聞こえた。
「もぉいいよ~~」
『え?』
死んでない。
というかこれは、……
全身のネジがしっかりと締められていた。
なんだ……。
私は力が抜けた。
私は、新品のように曲がりにくいハンド・マニピュレータで胸部を撫でた。白い合成タンパク質も漏れ出していない。
あの握られていたのは、実はドリルでなく電動ネジ回しだったのである。




