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掌編は荒野を目指す――ショートショート集  作者: gaia-73
暁蒼篇

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19/44

「錠剤の庭」

 

「お嬢様。お薬をちゃんとお飲みくださいな……」

 

 またメジャーズばあや(・・・)のお小言が始まった、とパティは思った。

 パティは寝たきりの少女で、夕食後の今しどけなく着くずした浴衣で、蒲団に半身を起こしていた。

 彼女はメジャーズ女史から目を逸らし、開いた障子から庭を見ていた。

 見事な日本庭園が、そこにはあった。

 

「わかっているわ。いつも飲んでるでしょ?」


 彼女は不機嫌に言う。

 メジャーズ女史は首を振る。


「嘘おっしゃい。また、たくさん庭にお捨てになって」


「だって40錠なんて、どうしたって多すぎるじゃないの。明らかに副作用が怖いもの」


「でも、これはお嬢様の健康のためなんです……」


 女史もその量には疑問だった。しかしそれでも、彼女はその錠剤をパティに勧めるしかない。薬の過剰は彼女の病気が、それほど重いということだと思ったから。



    ○



「パティはまた、薬を飲まんか……」

 

「ええ旦那様」


 旦那様、と呼ばれた和服姿の男性は悩ましげに、眉間に手を添えた。

 畳の敷かれた書斎である。イグサの匂いと壁を埋め尽くした本棚の書物の匂いが、呼吸以外にも皮膚から染み込んで、脳髄にじわじわと届いていくようだった。

 

「でも少し、量が多すぎやしませんか?」


 メジャーズ女史は、不安そうに、どこか不満そうに男性に問いかける。


「いやしかし、そうでなければ効かんのだよ、あの薬はな……」


「はぁ……」


 男性は少しの間まぶたを閉じていたが、何かを決心したように口を開いた。


「もう隠し立てもできないか。君には、知っておいてもらおう。あの薬のことを」


「あの薬には、何か秘密があるのですね?」


「その通りだ。あれは、超能力を発現させるのだ」


「超能力?」


 怪訝な声で、メジャーズ女史が問う。


「あの薬の場合、手を触れず物を自由に動かすことのできる、”PK”という能力が現れることを助ける」


 男性は、机の引き出しから、自分のノートを取り出した。

 彼は"変態心理学"の学者である。

 変態心理学の中でも、特に"心霊心理現象学"の博士(はくし)だった。


 あの薬も、彼の研究の成果なのだ。


「どういうことです?」


「つまり、もうあの子の足は治るまい。ならばその能力で、せめて自分の身体を、動かせるように……とな」



    ○



 パティは眠っていた。


 夢の中で彼女は泳いでいた。


 四方まで見渡す限りの海。

 空は燃えるように赤いが、太陽はどこにも見えない。

 雲は無数に、ミジンコのようなゾウリムシのような姿で、るぅぅぅ、るぅぅぅと空をたゆたう。

 吹けよ風、という声。

 なぜならばここには、肌に触れる温もりしかないではないか?

 私の浮く下にはおそらく、巨大な魚が口を開け、ぬるぬると雲を見上げて。

 凛とした足先の痺れに、私はそれが海面を嫌う甲冑魚であると知るのだろう。

 魚の体表には苔じみた海藻が群生し、さながら沈み切れずにいるアトランティスのようで。



 浮力が消えていく。

 海の表面張力は燃え尽きたのやもしれない。

 水平線の赤さが、鮮度を増すにつれ。


 ずるぅり、ずるり、と、沈み込む……。



 海の底は気持ちがいいよ。

 アトランティスといっしょに沈もう?



 とそれが、聞えたのは夢なのか、わからないままパティは目を開けながら、そこが夢の続きのような気がしてふらふらと、まばたきを数回した。綺麗な日本庭園が見える。白い砂利の敷き詰められた、石灯籠(いしどうろう)の輝きの白く、小ぶりな木々の枝青々として。


 しかしその白い砂利かと見えるものは、それは近づいてみると実は、砂利以上に無数の錠剤であることを、彼女は()っている。


 錠剤の庭だ。

 と彼女はいつも思う。


 私に捨てられた錠剤で出来た庭の白さだ、といつも思う。


 そこで「おや?」と彼女は気付いた。

 いつもより月光が近い。


 月が大きい。

 

 そこで、庭が鳴いた(・・・・・)


 それは、アトランティスの声だった。


 彼女は日本庭園の中に、浮いている……。



「海の底は、気持ちがいいね」

 

 と彼女は笑った。


 部屋は見当たらない。

 塀のない一辺が見える。

 しかし地平線も水平線も、そこからは見えなかった。


 月に向かって、夜を航海していた。



 錠剤の庭が、私だけを連れて。


 


 

     ○










 

 その日、

 ついに捨てられた大量の錠剤によって、

 彼女の庭が、超能力に目覚めたのである。

 

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