「ツバメノメモリア 」
5月も終わりのこの夕べ、街にはツバメが空を滑るようにして、電線の間をつるつると抜けながら互いにツンツンとさえずり合っているその姿を見ていると、そぅかもぅそんな時期になるのだなと妙に感傷的になるというか、懐かしぃいつかの校庭を思い浮かべてしまうこの私にとっては、これら黒く愛らしぃツバメというものこそが一種の故郷というか懐かしさを具現した気形であるよぅな気がしてくるのだけども、このツバメというやつは温かさを求めて旅をしなければならなぃ気の毒な気性の鳥類なのであって、私はだからこそツバメたちの作る巣といぅものは彼らにとっての温かさそのものだと思ぅのである。いつか少年の日のこれも恐らくは5月に、その巣をある場所で見たときは妙に納得させられ、またそれがその後の自分の人生を決定付けたことを思い出しながら、私はそろそろ店を開ける準備に取りかかると、眩しく照ってくる夕陽に小さな影として羽ばたく彼らツバメを、再び視界に捕えながら戸に暖簾を掛けたところで不意に、はぴるるぅと吹いた晩春の風によって彼らのうちで特に身体の小さな一羽が、めげたように引き返して来て店の軒下にある、そのほとんど外れにある自分の巣へと滑り込んでいったので、私はまたその光景が胸のノスタルジアを沸き立たせることがどこか嬉しく、あるいは何故か勿体なく感じたまま、店の中に入るか入るまいか少し考えあぐねた真似をしながら、巣の中にこもってその丸っこい小さな頭だけを覗かせているそいつを見ていると、あの日みたツバメの巣もこうやって寿司屋の換気扇の真横にあったことを思い出す。その時を精細に思い出すことにより、寿司職人になって既に久しくなった私はこの瞬間に初めて識った。そぅ私は誰かの懐かしさに成りたかったのだ。誰かの思い出の中の校庭に成りたかったのだ。遠くなってしまぅその校庭にある鉄棒の、錆びの中に跳んだわずかな薄緑色のペンキになりたかったのだ。とそしてそれはツバメにとっての故郷の匂ぃ、この私の店から馨る海、魚の生臭さ。お前たちの懐かしい海の温かさに、私はなれてぃるか? ここは、南洋の匂ぃに、いま満ちているか?




