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エピローグ1


 その日は家にイザベラがいなかった。


 栗栖は昼前に目覚めたときからそれを予感し、そして居間に行くことによってその予感を確信に変えた。


「お前はいつもお寝坊でーす。お姉さまがいなければこんなもんでーす」


 甘いハニートーストに齧りつきながら嫌味を言うソフィアを華麗にスルー。イザベラが出て行く前に作ってくれた自分の分のハニートーストを食べる。


 父親が起きてきた。


「ああ、今日かい」


 父親もすぐに気が付く。


「そうでーす」


「いまごろもう最終試験、始まってるかな?」と、誰も答えを知らない質問を栗栖はなげかける。


「そんなの分からないでーす。機密事項でーす」


「まあ、気長に待つしかないさ。首を長くしてね」


「そうそう、お前首を洗ってまつでーす!」


 栗栖は朝食を平らげるとスマホでソシャゲを起動する。イザベラがいない休日というものを久しく味わうべきなのだろうか、しかしそれが味気ないものであるということがすぐに分かってしまう。


「クソゲーだよなあ」と、お決まりの文句を言う。


「じゃあやめるでーす」


「それでもやっちゃうんだよな、中毒性ってやつ?」


 しかしゲームに集中することができない。ミスタップがいつもより多いし、気が付けばぼーっとしていて画面を押すのを忘れている。心ここにあらずだ、しかしそれは栗栖だけではない。多かれ少なかれ、ソフィアも栗栖の父親も同じ気持ちなのだ。


「受かると良いね」と、父親が最年長としてまとめるように言った。


 栗栖とソフィアは無言でうなずいた。


 それにしてもこのソシャゲ、どうして演出のスキップがないのだろうか、このせいでしち面倒くさいムービーじみた必殺技を見なくてはいけない。そりゃあ最初こそ面白くみられるが、何度も見ていると飽きる。それに周回の邪魔だ。


 運営に要望でも出しておくか。


 しかし烈日極まる夏休みの午前中にやる行為としては、あまりにも陰湿なキャラクター性をの含む行為である。栗栖は断腸の思いでそれをやめた。


 イザベラはいまごろ、最終試験を受けているのは確かである。しかしその会場は誰にも教えてはいけない規則なのだ。


「つうかさあ、親父さあ。母さんがメイドだったってなんで言ってくれないんだよ」


「別に言うことでもないでしょ。というか何回か言ったけど信じてくれなかったじゃない」


「そうだったかな」


 たしかに母親がメイドの恰好をしているのは何度か見たことがある。けれどそれはコスプレイヤーとカメラ小僧の関係かと思っていたのだ。


「あー、くそ。気が散るなあ。イザベラ早く帰ってこないかなあ!」


「お前もうるさいやつでーす。というかお前、お姉さまに振り向いてもらえるとでも思っているでーす? 身の程を知れでーす!」


「うるせえな、このロリメイド!」


「ロリじゃないでーす。これでも21歳でーす」


 あ、とソフィアがなにかを思い出したかのように手を叩いた。


「そういえばお前、やっぱり諦めるしかないでーす」


「なにをだよ」


「お姉さまのことでーす。お姉さまには心に決めた人がいるそうでーす!」


「なにっ!」


「一度聞いたことがありますが、小さい頃にパリで素敵な男の子に出会ったそうでーす。その人を生涯の主人にするのだと言っていましたー。お前じゃあ、恋に恋するお姉さまのお眼鏡にはかなわないでーす」


「パリねえ……」


「そういえばトウヤくん、むかし家族でパリに行ったよね」


「うーん、なんとなくだけど覚えてるなあ」その瞬間、雷にうたれたような衝撃が走った。栗栖は、一瞬にして過去のことを思い出したのだ。「そういえば、母さんと……」


 その記憶はいままで心の奥底に蓋をしていたのだ。母親のことは忘れようと心に努めてきたのだ。


 けれど最近は母親のことも問題なく思い出せる。イザベラが家に来てからだ。


「そういえば俺……パリで女の子に会ったなあ」


 可愛い女の子だった。プラチナブロンドの長い髪をした、メイド服の女の子。


 あれはまさか――。


 そのとき、家の電話がなった。


 時刻は十一時。先程食べたハニートーストは朝ごはんだろうか、昼ごはんだろうか。そういうのをブランチと言ったりもする。


「お姉さまでーす!」


「待て、俺が出る!」


「ふざけるなでーす!」


 取っ組み合いのケンカになる。こうなれば相手が女だろうと関係ない、というかソフィアのことを異性として意識したことなど一度もないのだ。


「おーい、二人とも。早くしないと切れちゃうぞ」


 ケンカは終始ソフィアの優勢だったが、一瞬の隙きをついて栗栖のパンチが土手っ腹の良いところに入った。ぐへ、とソフィアはダウンする。


「はい、もしもし」


 とびつくように電話に出る。


『あ、ご主人様ですか』


 玉を転がすような声。はたして、電話の相手はイザベラであった。


『あのですね、ご主人様、私――』


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