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第九話 老人の手紙


 親愛なる我が教え子、イザベラへ。


 この手紙を見てキミはさぞ驚いていることだろう。なにせキミと出会って10年以上が経つが、私がキミにあらたまって手紙を書くことなどこれが初めてだからだ。もしも読みたくなければ捨ててくれたまえ。私はそれでも構わない。


 私はキミに恨まれているだろう。


 当然だ、私はキミの両親を殺したようなものだからだ。


 キミの父親、つまり私の息子が私の元を離れるとき、私たちは親子の縁を切ったのだ。私は愛する

自分の息子を憎み、そしてその伴侶となる女性も疎ましく思った。いまなら神に誓っていえる、あのときの私は間違っていた。


 地位や名誉、家柄などにこだわってキミの父親の選択を否定したのだ、私は。しかし私にそんなことをする権利があっただろうか? ただ親だというだけで、人間が人間の行為を否定することが正当に許されるとでも――。


 そのことに気がついたのは、恥ずかしながらキミの姿を見てからだった。


 キミの母親が私の元へキミを連れてきたとき、私はなんと愛らしい子かと思ったのだ。そしてそれを自らの美しさを犠牲にしてまで育てたキミの母親を、とても高貴な存在に思えた。


 だが私はそのとき、また間違いをおかした。キミの母親にはずいぶんと口さがないことを言った。本当にすまない。私は自分の矮小さに気付かされたのだ。だが私はそれを認めたくはなかった。


 私はキミたちになにもしてやれなかった。その結果として息子は命を落とし、キミの母にも悲しい思いをたくさんさせた。


 キミの母親はあの後すぐに死んだ。私はそれすらキミに伝えなかった。こんなこと今さら書いたところで、私がただキミに許しを乞うているだけの懺悔録だ。だが言わずにはおられないのだ、本当に、本当にすまない。


 イザベラ、キミは私の元へきた当初、よく笑う子だったね。私はその笑顔に癒やされながらも、いつも心を痛めていたのだ。キミの笑顔がまるで私を糾弾しているようだった、私はキミの笑顔を見る度に、自らの罪を後悔した。


 だがやがてキミは笑うこともしなくなった。


 ……それは私のせいだろうか?


 キミが分別の行く歳になったから、私のことを憎んだのだろうか。私にとってそれは言い訳のできないことだ。


 私は本当に罪深い人間だ、キミの笑顔に心を痛めていたくせに、キミが笑わなくなったことにも耐えられぬほどの辛さを感じた。


 もしも人生がもう一度あるならば、はじめからやり直せるのならば、私はキミたちの家族を心から受け入れよう。だがそんなことはありえないのだ。時間というものは過去には進まない。


 だから私は、唯一のこった私の家族でもあるキミに私の全てを託そうと思った。


 私はこれまでの人生において、執事としてパブリックに生きてきたつもりだ。だからキミに対しても公平に接した。私が運営するメイドの養成学校にキミを入れたのも、そのためだった。


 キミはそこで私が期待した通りの成長をした。いいや、期待以上だった。


 手前味噌でも身内びいきでもない、キミは素晴らしいメイドだった。それはかつてのクリス、キミの憧れだという完璧なメイドの再来ではないかと思えるほどだった。


 私はキミに期待をよせた。3年前の試験だって、キミならばパスできるものと思った。そうなればキミは世界最年少のグランド・オブ・メイドで……あるいはそんな私の願望的な思いがダメだったのかもしれない。


 私はこの期に及んで、自分の地位や名誉に固執していたのだ。


 だがキミは試験に落ちた。キミはそれにショックを受けただろうが、私もずいぶんとショックを受けたのだ。だがそのおかげで、こんな言い方をしたら悪いかもしれないが、そのおかげで私はまた目が覚めたようなものだ。


 私は試験に落ちたキミを見て、はたして自分がキミのためを思ってキミをメイドにしたのかが分からなくなった。あるいは私はリシャール家の跡継ぎとしてキミを育てあげたのではないか? その考えを素直に捨てられない自分がいた。


 だがそうだとしても、私はキミに生きるための術を得てほしかったのだ。それだけは嘘偽りない真実だ。


 いま、キミは私の元を離れた。キミがいなくなった私の家は、キミがいたときよりもずいぶんと寂しいように思える。できれば帰ってきた欲しい……などと言ったらキミは困ってしまうだろうか。


 キミは私を恨んでいるだろうから、キミからすればできれば帰りたくなどないだろう。


 だが聞いてくれ、イザベラ。キミの父母がキミを愛したように、私もキミを愛していたのだ。私はキミに初めてあったとき、「キミは人のために生きられるか」と聞いた。覚えているだろうか? だがあれは間違いだ。私はキミに人のために生きてほしいのではない。キミにはキミの幸せのために生きて欲しい。


 だが私にはキミの幸せがどのようなものかが分からないのだ。私の人生は全て執事として主人に捧げ続けた。いまは新たな世代を育てている。そしてその新たな世代を担う存在としてキミがいる。


 だからこそ、もう帰ってこないキミに対して、私は離れた場所から応援の言葉を贈ろうと思う。


 頑張ってくれ、キミならば最終試験だってパスできる。キミは完璧なメイドだ。私の愛する孫娘だ。イザベラ、キミにできないことなどなにもない。


 キミが望むならば、全てのものが手に入るだろう。そしてキミは全ての人を幸せにできる。なぜならキミは、私がこれまで見た中でも一番のメイドだからだ。


 自信を持ってくれ、そしてできることならキミには笑顔ですごしてほしいのだ。それだけが、老い先短い私の望みだ。


 Adieu――(さようなら)。


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