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第八話 三次試験とイザベラの笑顔


 栗栖と老人は駅の近くの公園にあるスターバックス・コーヒーに入った。


 その店は県内では有名だった。数年前に世界で一番美しいスタバに選ばれたとかで、いまでも若者にはデートスポットとして人気だ。


 公園は川沿いにある総合公園だった。もともとは船溜まりだったらしく、桟橋などが今も残っている。時期によっては遊覧船なども運行している。外国人観光客もよく来るらしい。近くには新しく出来た美術館があり、まさしくこの県の中心地というにふさわしい美しい場所だった。


 おおよそ見ず知らずに近い人とチェーンの喫茶店に入るというのはなんだかおかしな感じがする。自分はいま他人から見てどのように映るのだろうかと栗栖は考える。まさか孫と子には見えないだろうし、友人というほど歳も近くはない。妙な組み合わせだと自分でも思う。


「なにか飲みましょう、ここはわたくしが出しますから」


 断るのも失礼なのだろうか、分からなかった。大人と一緒にこういった店に行くことなど初めてだ。これで相手が山崎だったらサンキューで済むところなのだが。


 しかし結局は「ありがとうございます」と、栗栖は甘いコーヒーを注文した。


「さて、どこから話ましょうか。それよりも、貴方はイザベラからどれほどのことを聞いてるのですか?」


「俺は、イザベラのことをほとんどなにも知りません」


「そうですか。それはたぶん、あの子が話したくないからでしょう。でしたらわたくしも彼女について一から十まであれこれと貴方に伝えるべきではないのかも知れません」


「でしょうね」


「なればこそ、わたくしはイザベラの話ではなくわたくしの見たイザベラの話をしましょう。彼女自身の話については、彼女本人から聞くべきでしょう」


「イザベラは教えてくれるでしょうか、俺はいまだに彼女がどうして俺の元に来たのかすら知りません。いえ、実は自分でも無理に聞こうとはしなかったんです。なんだか怖い気がして、聞いたら全てが終わってしまうような気がして。そんなこと、ないとは思うんですが」


「あなたの元に来た理由ですか。わたくしもそれを最初は疑問に思いました。イザベラを日本に送るのは反対でした。なにせ彼女は今、大事な時期だったからです」


「S級メイドの昇級試験」


「その通りです。3年前の試験で彼女は最終試験まで進むもあえなく落選させられました。そのときに試験管をしていたメイドは、イザベラにこういったようです。貴女には『なにか』が足りない、と。

 イザベラはこの3年間、ずっとその『なにか』を探し来たようです。しかし見つからなかったのです。そして一次試験を受かり、二次、三次と進むにあたってどうしてもその『なにか』が必要だった。彼女はそれをこの日本の地に求めたのです」


「分からないな、どうして日本なのでしょうか」


「わたくしも最初はそう思いました。しかしイザベラが向かった先が彼女の息子のところだと知ってある程度の納得をしたのです」


「彼女――? それってもしかして母さんのことですか。貴方は俺の母さんを知っているのですか?」


「知っているもなにも、貴方のお母様は日本で初のグランド・オブ・メイドです。つまりはS級のメイドです。この界隈で知らぬ者などいませんよ。もぐりだって知っています」


「俺の母さんが、メイド?」


 まさか、と思う半面、そういえば昔コスプレをした母親を、父親が被写体にして写真を撮っていたことがあった。あれはもしかしてコスプレではなく、母親の正装だったのではないだろうか。


 そもそも栗栖は母親がどのような仕事をしていたのかは知らないのだ。


「子供が産まれてから一線を退きましたが、それはそれは優秀なメイドでしたよ。なにせパーフェクト・オブ・パーフェクトという二つ名を持っていたほどです。ご存じないのですか?」


「完璧な、メイド……。すいません、なにも知らないんです」


 しかしこれで謎が解けたような気がした。


 父親は栗栖になにかを隠していた。そもそも父親はどこかメイドの事情に明るいような節があった。


 そしてイザベラが日本に来た理由、それはS級メイドである母を頼ってきたのだろう。まさか母が死んでいたのを知らなかったのだろうか。


「あの子はクリスを尊敬しているようでした。なのできっと、日本に来れば『なにか』をつかめると思ったのでしょうね」


「しかし母は死んでいた」


「ええ」


「イザベラは知らなかったんですか? 母が死んでいたことを」


「知っていたはずですよ」


「じゃあなぜ?」


「さあ、そこまでは。ただ彼女には彼女なりに考えがあったのでしょう」


 沈黙が訪れた。


 二人の間にはイザベラという共通の話題しかなかったが、そのイザベラが謎すぎてこれ以上彼女について話すことなどなにもなかった。


 なんとかひりだすようにして、栗栖は会話の糸口をつかんだ。


「しかしどうして俺のところに貴方はいるのですか? これはイザベラの試験だ、二次試験がそうであったように、イザベラを監視するべきなのではないですか?」


「それは違います。三次試験の内容はそのメイド、あるいは執事が使えている主人を見ることです。なのでわたくしは栗栖トウヤ様を見ていたのです」


「俺を……」


 いきなり責任重大だった。もしかしたらイザベラは自分のせいで試験に落ちるかもしれないのだ。栗栖は自分の今日一日の行動を思い返してみる。そうおかしなことをしたわけではない。


 ふと、あることが気になった。


「では主人のいないメイドはどうなるのですか?」


 イザベラだって少し前、つまりは栗栖のところに来るまでは一時的に主人を持たなかったはずだ。なにせ彼女はお屋敷をクビになっていたのだから。


「そのような者はすでに試験にあたいしません。即座に不合格となったでしょう。……じつのところを言うと、わたくしは試験管として試験の内容を事前に知らされておりました。もちろんそれをイザベラに伝えることはしませんでしたが。

 あの子が努めていたお屋敷から追い出されて、わたくしの元へ帰ってきたとき、わたくしがどれだけがっかりしたことか。これで今年の試験もダメなのだとそう思いました。だからある意味では、彼女から日本に行きたいと言われたとき、それは渡りに船だと思ったのです」


「少なくとも首の皮一枚はつながった、と」


「その通りです。そして栗栖トウヤ様。あとのことは貴方にゆだねられたのです」


「試験は……まだ終わってないんですよね」


「いいえ、もう終わりましたよ」


「俺が聞くのはおかしいことだと思います、イザベラの試験なのですから。けれど、どちらか知りたくもあります」


 老人は懐から二枚の封筒を取り出して、それを机の上に置いた。


 封筒には「W・S・O」のマークだろうか、紋章が描かれている。それが三次試験の合否の書かれた通知なのだろう。先程、老人は後日郵送するつもりだったと言った。


「この二つ、どちらかが合格であり、どちらかは不合格です」


「はい」


「選んでみますか?」


「冗談はよしてください、これを選ぶのは貴方の仕事のはずだ」


 栗栖はバカにされたような気がして、強い口調で言った。


「これは一本とられましたね。どうぞ、こちらが貴方とイザベラに渡されるべき封筒です」


 老人は向かって右側の封筒を迷いもなく選択した。栗栖が受けとると、その封筒は思ったよりも厚みがあり、中には何枚かの紙が入っていそうだった。片やもう一方の封筒は薄そうだ。どちらが合格の通知なのだろうか、判断がつかなかった。


「イザベラと見てみます」


 栗栖はそういって封筒をします。


「そうしてください」


 二人はどちらからともなくコーヒーを飲み終えると、店を出た。代金は約束通り老人が払ってくれた。


 外に出ると、ちょうど新幹線がところだった。この公園からは駅がよく見えた。老人はそれをまるで無表情で眺めると、「この国は裕福だ」とつぶやいた。そういう表情はイザベラが浮かべるものとまったく一緒で、たしかに血の繋がりを感じた。


 ふと気がつくと、備え付けられたベンチにイザベラが座っていた。見失ってから、こんな場所にいたのか、と思った。もしかしたらソフィアが言う通り美術館にでも行っていたのかもしれない。


「イザベラがいますよ」と、栗栖は老人に言う。


「本当ですね」


「会っていかないんですか?」


「いえ、わたくしは彼女に合わす顔がありませんから」


 その言葉の意味は分からない。老人には老人の事情があるのだ。


 イザベラはベンチに座り、滝のように上から水が流れ落ちる噴水を見ていた。だが水はいま出ていない。だというのに、じっとその噴水を見つめているのだ。まるで水が出るまでまばたき一つしないとでも決意しているようだった。そのため栗栖たちの方にはまったく気がついていない。


 もちろん距離もある。むしろ栗栖がイザベラを見つけたことのほうが幸運といえるべきものだった。


 イザベラの近くには子供がいた。子供は公園を楽しそうに走り回っている。ちかくにいる大人は母親だろうか、元気よく走る子供にたいしてちょっと疲れているようにも見えた。


 ああ、転けるぞと栗栖は思った。子供というのは危なっかしく走るものなのだ。


 そして予想通り、子供はけつまずいた。


 すぐ近くにいたイザベラもそれに気がついた。すぐに子供に駆け寄って、なにか言葉をかけている。最初は泣いていた子供だが、すぐに笑いだした。イザベラも笑う。それを見て、老人は驚いたようだった。


「あの子は、笑うのですか?」


 ソフィアも同じことで驚いていた。フランスにいた頃のイザベラはいったいどれだけ無表情だったのだろうか。


「笑いますよ、たまにですけど」


「そうですか」


 老人は目を細めてイザベラを見ている。それは孫を見る祖父の目だ。そして、安心しているような目でもあった。


「貴方様のおかげですね、ありがとうございます」


「そんなはずありませんよ」


「いいえ、きっとそうですよ」


 そうだろうか、とイザベラを遠くから眺める。やはりそんなことないと思う。栗栖は自分がイザベラに対してなんらかの影響を与えるような人間であるとは思えなかった。だってイザベラは初めて会ったときからずっと完璧で、栗栖によって変化するようなやわな部分は持ち合わせていなかったはずだ。


 そういうことを言おうと思ってもう一度老人の方を向いたとき、老人はまるで煙のように消えていた。


 いったいどこへ行ったのだろうか。もしかしたら最初からそんな人間はいなかったのではないだろうかとすら思った。けれど栗栖は先程の封筒を持っている。


 老人は確かにいたのだ、そしてイザベラの三次試験は終わった。


 一刻も早くこの封筒をイザベラに渡そう、そう思って栗栖は歩き出した。少しだけ遠くにいるイザベラに向かって――。



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