第四話 休日の過ごし方
イザベラが家を出ていくと、栗栖はさっそくスマホをいじりだした。たまには自分で周回するのも良い、と思った。
今はイベント期間ではない。なのでまったり周回ができるのだ。
「おい、お前なにしてるでーす」
「なにって見て分かるだろ。ソシャゲだよ、ソシャゲ。お前もやりたいのか? やり方おしえてやろうか?」
というかこのエセ日本語を駆使するロリメイド、スマホを持っているわりにまったく使っているところを見ない。この前ちょっと見た時は画面がバキバキに割れていたが。
ちなみにイザベラはスマホを持っていない。持っていたこともあるらしいが、今は持っていないそうだ。
「そんなことしてる場合じゃないでーす!」
「なんでだよ。周回は俺にとってもっとも心休まる最高の時間なんだ」
うそ、ただ何も考えなくて良いだけだ。そのくせ終わってみれば時間をドブに捨てたと思ってしまう、恐ろしい時間でもある。
ソフィアはジタバタと足を動かす。
「なんだよ、騒々しい」
「早く行くでーす! お前も急ぐでーす!」
「なにがだよ」
「お前、気にならないですカ!」
興奮でソフィアの声が裏返る。
「なにを?」
先程からこの女は何を言っているのだろうか。父親はだんまりとワインを飲み続けている。たぶんもう少しで潰れて眠る。
「いいですか、お姉さまがいま一人で出かけていったのでーす」
「そうだな。俺がそう勧めたんだ。せっかくの休みだからな、家の中にばっかり居てもダメだろ」
「だからこそ、気にならないですか? お姉さまがいまから一人でどこに行くのか」
「……気になる」
よく考えたら休みの日のイザベラって何をするんだ? 勝手なイメージでいえばカフェにでも行ってオープンテラスでコーヒーでも飲むのか。プレーンでオーガニックなパンも食べるかもしれない。あるいは――オーシャンゼリゼ、やはりイザベラにはパリのような街が似合いそうだ。
「なにするんだろ、いまから」
「だから追うでーす」
「それはストーカーとかいうやつではないのか?」
「だからどうだというでーす! 今ならまだ間に合いまーす! お前がいかないならわたしは一人で行きまーす!」
「あ、おい。ちょっと待てよ。誰も行かないとは言ってないだろ!」
「二人とも、程々にね」
父親はそれだけ言うと机に突っ伏した。酔いつぶれたようだ。
ソフィアは中身の残っているワインの瓶を持ち、家を飛び出す。栗栖もそれに続いた。それにしてもソフィア、これは酔っ払って正常な判断を失っているのではないだろうか。
「どっちだ?」と、俺は聞く。
「たぶんあっちでーす! 街の方に行ったに決まってまーす」
「そうだな」
二人は走っていく。少し行くとイザベラが居た。慌てて電柱の影に隠れる。
イザベラはどこぞのファッションモデルのような格好をしている。まっさらなワイシャツにハイライズのジーンズ、首元にはシルバーのネックレスが輝いている。
イザベラはサングラスを額の上にのせて、小さな犬の首元を撫でていた。どうやら散歩中の犬を捕まえて遊んでいるらしい。
「お、お姉さま……あんなにおめかしして!」
「むしろお前はお洒落くらいしろよ。なんでまたメイド服なんだよ」
「わたしこの服しかもってませーん」
「え、お前それ洗濯とかしてんのか?」
妙なゴスロリメイド服だ。いかにも暑そうで……汗とかもかきそうだ。
「同じの何着も持ってるに決まってまーす」
「決まってるのか」
イザベラは犬と戯れるのに満足したのか、飼い主に会釈して歩き出す。どうも犬が好きなようだ、前にもマラソン大会の練習中に犬と遊んでいたことがあった。
街へ向かって歩いていくイザベラ。栗栖たちは隠れているが、通り過ぎた犬がこちらに吠えてきた。
「しー、静かにするでーす!」
「おい、イザベラが行くぞ。走れ」
「わかってまーす!」
「いったいどこへ行くのかな?」
「さあ、分からないからこうして追っているでーす」
「たしかに。というかフランス人って休みの日なにしてるんだ?」
「なにもしてないでーす」
「え、なにも?」
「家で家族と過ごす人が多いでーす。休みは休むから休みというでーす」
「なんだ哲学的だな」
「日本人は忙しすぎるでーす。休みの日くらいは家でごろごろするのが良いでーす」
「まあたしかにな」
「でもお姉さまは映画が好きなので、もしかしたら映画を見にくかもしれないでーす」
それは初耳だ。イザベラは映画が好きなのか。今まで一度もそんな話は聞いたことがなかった。
「あとは美術館なんかも行くかもしれないでーす」
「なんにせよ芸術的な休日の過ごし方だ」
ここらへんにはそのどちらもある。とくに美術館なんて今年建て替えられたばかりでテレビでもよくその話題をやっている。
しかしイザベラはどうやらあてもなく歩いているようだった。土地勘のある栗栖からすれば明らかに遠回りな道を選んだりする。散歩をしているだけなのだろうか。
やはり彼女の容姿はここでも目を引く。十人が十人振り返る美貌なのだ。誰もが彼女を見るだけで時を止めたように動かなくなる、男女問わずだ。いうなれば見慣れている栗栖ですらときにドキッとするのだ。美人は3日で飽きるという言葉があるけれど、あれはきっとブスが考えたものに違いない。
中には果敢な男が――あるいは身の程知らずともいう――イザベラにナンパをしようと声をかける。そんなとき栗栖は飛び出して止めようとしたがソフィアが静止する。
「お姉さまなら大丈夫でーす」
するとイザベラはフランス語でなにかを言う。
こうされては話しかけた方もおずおずと撤退するしかない。試したものはいないがこれで無理にでも会話を続けようとしたら、たぶんイザベラは暴力的に相手を排除するだろう。
見慣れている栗栖たちには分かったのだが、イザベラは他人から話しかけられるだけでちょっとイライラするようだった。
一人であることが好きなのかもしれないし、違うかもしれない。
「どうですか、大丈夫だったでーす。それでもヤキモチやきますか?」
「そりゃあな、イザベラに男が話しかけるだけで嫌なんだ」
「それってお前、独占欲ってやつでーす」
「うるせえな、自分でも分かってるよ」
「愛は束縛とは違いまーす」
やがてイザベラは駅に来た。夏休みの駅前は若者が多かった。イザベラはあたりをキョロキョロと見回す。栗栖とソフィアは遠く離れた場所で監視している。
「なにか探しているでーす?」
「さあ、どうだろうな。そういうふうにも見えるが」
いったい何を探しているのだろうか、イザベラはそこらへんにいた人の良さそうな老人に話しかけて道を聞いたのだろうか、はまた歩き出す。
イザベラが目指していたのは栗栖もよく行くアニメショップだった。駅前にある地方銀行のすぐとなりにあるアニメショップだ。地下にあるので初見ではなかなかどこにあるのかわかりにくい。
ソフィアはイザベラを追おうとする。だが栗栖がそれを止めた。
「待て、やめるんだ」
「なぜでーす?」
「あそこは中が狭いんだ。入ったら確実に中でかち合う」
「ほー、そうなのでーす」
というわけで、栗栖とソフィアは外でイザベラを待つことになった。
いったいイザベラはあんな店に何をしに行ったのだろうか、彼女が入っていく理由など一つもないはずなのだが……。
「出てこないでーす」
「イザベラにアニメ趣味はなかったよな」
「クールジャパンでーすね、たぶんないと思いますが」
栗栖もそう認識していた。
じっとアニメショップの入り口、兼、出口を見ている。イザベラは出てこない。そんなとき、プルプルとソフィアのスマホがなり出した。
「おい、マナーモードにしておけよ」
「日本人はみんなそう言いまーす。パブリックな場だからといってマナーモードにしておかないと怒るだなんて狭量でーす。取り敢えず電話なので出まーす」
はい、もしもしと言いながらソフィアが少し離れていく。もしもし、というのは明らかに日本語での応答なのだが、ソフィアに電話をかけてくる相手に意味が伝わるのだろうか。
と、思っていたらソフィアは電話口で襟をただして緊張しだした。一瞬で酔いも覚めてしまったという顔だ。
「はい、はい。分かりました。はい、それではそうします」
電話はすぐに終わった。
だがその後ソフィアの顔は真剣なものになっていた。仕事モードなのだろうか。
「おい、お前」
「なんだ?」
「わたしちょっと用事ができたから行くでーす。あとはお前が一人でお姉さまの尾行をするでーす」
「え、なんで俺がひとりで」
正直こんなのノリでやっていただけで、一人でまでイザベラのことを追いかけ回したいとは思わない。
「あとでわたしに報告するでーす、お姉さまがどこに行ったか!」
じゃあね、とソフィアは走り出した。
「あ、おい! 待てよ!」
「待てないでーす!」
ソフィアは脱兎のごとくという言い方がぴったりな素早さで走りって行った。本当に何かから逃げているようにも思えた。
やれやれ、とアニメショップの方を見る。と、イザベラがちょうど出てきた。その手にはなにか買ったのだろう、アニメショップのロゴが入った袋が持たれていた。何を買ったのだろう、それだけは気になった。
イザベラが歩いていく。栗栖もそれを追う。
別に、ソフィアからあとは一人でやっておけと言われたからそうしているのではない。ただ栗栖は今、夢のことを思い出していたのだ。
自分のもとから去っていく母親、その母親に叫んでいる自分。いま、まさにイザベラは自分の元から去っていくのではないだろうか、そんな強迫観念に似た思いが栗栖のなかにあった。
だから栗栖はイザベラを見失わないように追った。
声をかけようかとも思った。けれどそれはやめる。なぜならイザベラは今日、休みなのだ。もしも自分がいればイザベラは休日だといってもメイドとして振る舞うだろう。それでは休みの意味がないのだ。
イザベラが横断歩道を越えていく。栗栖もおおうとした信号は赤くなってしまった。
これではイザベラを追うことが出来ない。
「待って!」
思わず声が出た。
言ってしまってから慌てて隠れる。俺はバカか、いま自分はイザベラを尾行しているのだぞ。
イザベラは振り向いてあたりを見まわす。だが気のせいだと思ったのかそのまままた歩き出した。
栗栖はイザベラを見失った。
このあと、なんとか探し回ってまた追うこともできただろう。だが栗栖はそれをしなかった。
いったい自分は何をやっているのだ、そんな自己嫌悪が襲ってくる。これでは本当にストーカーではないか。
帰ろう、と思い踵を返す。
いったい自分は何をしていたのか。イザベラを追い回してなんになるのだ。もしかしたらこのままイザベラが居なくなるとでも思っていたのか?
まるで共依存だった。イザベラは暇を出されるのを恐れた。そのくせ一日暇を出した自分はイザベラがそのまま居なくなるのを恐れた。そんなことありえないのだ。どちらの考えも違っている。けれどどちらも不安を持つ。
ある意味では似た者同士。
これで両思いだったら、きっと泥沼のような愛憎劇を繰り広げただろうさ。
けれどそうはならない、栗栖とイザベラはただの主従関係であり、少なくともイザベラの方から恋の感情は向かってこないのだ。
帰ろう、と栗栖は思った。
そうして、家に向かって歩き出した。栗栖はただ一人だった。




