第三話 学校にて
「始まったな」
「ああ……」
「賭けるか?」
「いいだろう、俺は六時ぴったりに終わると思う」
「そりゃあ栗栖、お前の願望だよ。俺はのびのびで八時オーバー」
「なら八時より先に終われば俺の勝ちだな」
「日をまたぐかも知れないぜ」
「それならそれで良いさ。――詫び石があるからな」
四時間目の授業が終わり、昼食の時間だ。
友人の山崎がスマホを持って駆け寄ってきた。
二人がやっているソシャゲのメンテナンスが始まったのだ。これが開ければ新しいイベントが開始される。そうなれば二人は馬車馬のように周回を始めるだろう。
「にしても今回のイベントは大丈夫かねえ」
山崎がパンを頬張りながら言う。
「この前は深夜までやってたからな」と栗栖。
「あれは酷かったよ。仮眠してさ、起きてもまだメンテやってんの。ったくよお、こっちは朝っぱらから家の手伝いをしなくちゃいけないのに。全然眠れなかったよ」
「そのぶん学校で寝てただろう?」
「そうだったかな」
山崎の家はパン屋をやっている。名前はそのまま『山崎パン店』。なんだか色々危なそうな名前ではあるが本人いわく――これが先祖代々の名字なんだからしかたねえよ――とのことだ。別に誰からも文句を言われないし、近所でも評判のパン屋だった。
そのため、朝も昼も夜もだいたいパンを食べているこの男。実は麺類が好きらしいが。
「あー、暇だなあ」と、山崎は言った。「暇だしゲームでもやるか」
そしてスマホを取り出す。アプリを起動。
――ただいまメンテンス中です。
無情な文字。
「あ、そういえば今メンテやってるんだった」
「あるあるだよな。そもそも自分がなんで暇なのかって、メンテでゲームができないからなんだよな」
「あー、暇だ。他のソシャゲでもやろうかな」
「掛け持ちか? きついって聞くぞ」
「一つでもかなり時間くわれるもんな。これが二つとかなると、な」
そういえば、と栗栖はこの前きいた話を思い出す。それは都市伝説のようなものだ。
「お前、隣のクラスの城島って女子知ってるか?」
「ああ、あの不登校になったやつ」
「あいつが不登校になった理由、ソシャゲらしいぜ」
「え、なに。課金しすぎて首が回らなくなったの? それでソープ落ちとかそれなんてエロゲ」
「ちげえよ。3つも4つもソシャゲを掛け持ちした結果、イベントがかち合ってさ。もうにっちもさっちも行かなくなって、学校に来なくなったんだってさ」
「なんだそれ」
山崎は顔をしかめる。
もちろん栗栖だったこんな話は眉唾だ。けれど――。
「見たんだってさ」
「なにが?」
「その城島とゲームの中でフレンド登録してたやつがさ。ぜんぜんログインの途切れない城島のアカウントを。学校にも来てないのに、ゲームの中ではいつも居るんだぜ!」
「きゃっー、って、それ逆じゃないの? 不登校になってやることないから家でずっとソシャゲしてるんじゃ」
「まあ、そういう可能性もあるな。卵が先か、鶏が先かって問題だ」
「なんにせよ掛け持ちってのは怖いんだな。分かった、俺もやめておくよ」
「懸命だな」
食事が終わるといよいよもって暇を持て余した。ちなみにこの日の栗栖は朝コンビニで買ったおにぎりを食べた。
もしかしたら頼めばイザベラが作ってくれるかも知れない。ふと、天啓のようにそう思った。そう考えると目の前の男が哀れになる。こいつは自分で作ったパンを、自分は可愛らしいメイドさんんが作ってくれた弁当を。
「ニヤニヤして。気持ち悪いな」
「うるせえよ。そういやお前メイドさんってどう思う?」
「なんだよ藪から棒に」
しかしヤマザキは熟考しだした。真面目に考えてくれているようだ。
「どう思う?」と、もう一度聞く。
「いい……」
「いいよな、メイド」
「しかし本当にいきなりだな。あれ、今回のピックアップガチャ、そんなキャラだったか?」
「いや、違う」
「じゃあイベント報酬か?」
「それも違う」
「なんだよ、はっきり言えよな」
「いやなんかな、昨日から俺の家にメイドさんが来てるんだよ」
ヤマザキの顔がさっと真顔になった。やばいやつを見るような、そんな目だ。
「嘘じゃないぞ」
「そうか、嘘じゃないのか」
最初、壊れた玩具を見る子供のような目をしていた山崎は、今では死にかけの小動物を見つめる目に変わっている。つまりはそう、憐憫だ。
「本当だぞ?」
「なあ栗栖。お前疲れてるんだよ。そうだ、きっとこの前のイベントで本気出しすぎたんだよ。しばらくゆっくりしろ。どうせイベント期間は二週間くらいあるんだから」
「は、もういいよ。お前には言わねえ」
まあ、どうせ信じてくれないと思ったが。
もし立場が逆なら、栗栖だって信じなかっただろう。家にメイドさんが来ただなんて非現実的だ。それならば異世界からエルフのお姫様がやって来る方が現実味もあるというものだ。
「んなことより今回のピックアップの話しようぜ。お前、とうとう待ちに待ったロリで包容力のあるキャラクターだぜ」
「推定な。イベントストーリーを見てみないと分かんねえぞ」
前情報ではたしかにロリキャラでありながら母性を感じさせるセリフを吐いていたが。こういうのは蓋を開けてみるまで分からないものだ。シナリオライターはとにかく意外性を作りたがるものだからだ。妙なキャラ付けで泣いてもしらないぞ、と栗栖は釘を刺す。
「バブみバブみ――」
山崎は呪文のようにそう唱え続けた。
母親キャラは好きじゃない。別に嫌いというわけでもないが。しかしどうも本物の母親のことを思い出してしまう。
母親はどんな人だっただろうか。
優しい人だったことは確かだ。あんなに好きだったのに、死んでから何年も経つと記憶は曖昧になっている。
バブみ、バブみ、バブみ。
山崎はまだ言い続けている。
ふと、昔の記憶が思い出された。それは栗栖がまだ未就学児の頃の記憶だ。最初に思い浮かぶのは古めかしいストロボ。そしてもはや骨董品とも呼べるようなカメラ。
――あそこは眩しいから、見るなよ。
父親が栗栖にそう言って聞かせた。返事はなんとしたのか覚えていない。
被写体は母親だった。彼女はメイドのコスプレをしていた。良い大人がだ。とはいえ、この頃の母親はまだ二十代の後半だったように思える。今の感覚からいえば別段おかしくもないのか。
記憶の中の母親はその表情さえ分からない。
けれどきっと、写真の中の母親は笑っていただろう。もう覚えてもいないけど。




