ある老人の独白
入りたまえ。
ああ、キミか。そういえば話があると言っていたね。なにかな?
どうした黙りこくって。そういえば一次試験を合格したのだね。おめでとう。だがキミならばパスして当然のことだ。たかが筆記試験ごとき。この後の二次、三次、そして最終試験をクリアしなければいけないよ。そんなこと、今更いわれずとも分かっているだろうが。
ふむ、話というのはそれか。
確かに、キミならば最終試験まではいけるだろうね。だが、このままでは3年前のように最終試験で落とされる。おそらくその通りだろう。
自分には「なにか」が足りない、と。3年前からずっとそうだったね。だがその「なにか」が分からず自問自答し続けてきたのだろう。今もってその答えは出ずか。
ほう、探しに行くと。どこへ?
――日本?
ふむ。しかしそれはどうかと思うよ。はっきり言ってあの国はレベルが低い。メイドとしてキミの師になれるような者は皆無と言っていいだろう。
いや何もケチをつけようと言うのではない。ただ宛はあるのかと聞いているのだ。
なるほど、それは名案かもしれないね。
かつてパーフェクト・オブ・メイドとまで言われたクリスか。たしかに彼女は日本人だった。だが私の記憶が正しければ、クリスは4年前に他界したはずだが? それとも5年前だったか。
そうか、4年と8ヶ月前か。
つまり彼女はもうこの世のどこにも居ないというわけだ。だというのにキミは日本に行くという。どういうことかな? 私に理解できるように説明をしてくれ。まさか墓参りに行くというのではないだろう。そんなことをしたところで、キミの求める「なにか」が見つかるとは思えないが。
それでも自分を待ってくれている人がいると? 分からないな、そんな人が日本にいるのかい? あるいはうわついた理由で物見遊山に行くつもりならば、私は保護者としてキミの渡航を止めるよ。
それだけは違う、か。そうかい。
どうやら本気のようだね。
だが分かっているのかい。キミは今とても大切な時期だということを。
そうか、分かっているのならば構わない。
ならばキミを信じて任せてみよう。どうせここに居てもキミは何も得ないだろう。ここはいわば学び舎であって、半人前の雛たちの巣なのだ。独り立ちするキミにはふさわしくない場所だ。
最後に聞かせてくれ。キミは何をしに日本に行く?
全て(オールワークス)か。
良い答えだ。
分かった、もう良いよ。行きたまえ。
ああ、そうそう。二次試験とそれに続く三次試験はいつ何時おこなわれるか分からないからね。気を抜いてはいけないよ。
そうだね、キミは知っているな。3年前にもやったのだから。
そうか、ではね。
――Bon Voyage(良い旅を)。
行ってしまったか……。
それにしてもキミが初めて私にした主張が、まさか私の元を去りたいというものだと夢にも思わなかった。
いや、分かっていたのだ。
きっと彼女は私の事を恨んでいるのだろう。今すぐここから出ていきたい程に。
すまない、キミには悪いことをした。
許してくれ。
だが、ああするより他なかったのもまた真実なのだ。
それにしてもキミは最後まで私のことをまともに呼んでくれなかったね。
――「さようなら、グランド・オブ・バトラー」。
きっと私は老い先短い人生で、キミの言葉を一生忘れないだろう。
ああ、可愛いイザベラ。
愛おしいイザベラ。
不実の娘。
私が願うのは唯一つ。キミには幸せになって欲しいということだよ。
分かってもらえないかも知れないけどね。




