第十二話 二日酔いとテスト
そしてとうとうテストが始まった。
この間はテスト期間と称して学校は午前中で終わる。それが連日続くのだ。不真面目な生徒は午後の時間を遊びにつかう。今までの栗栖もそうだった。だが今回は違う。勉強、勉強、勉強漬けの生活だ。家に帰っても頭にお勉強を詰め込まなければいけない。
「じゃ、行ってくるよ」
栗栖は朝、そう言って家を出た。
「はい、ご主人様。学んだことを遺憾なくはっきすれば必ず良い点数が取れますよ」
まるで出生兵を送るようにイザベラは深くお辞儀をして栗栖を見送る。
ソフィアはこの大事な日に二日酔いだとか言って部屋にこもっていた。あいつもB級メイドのテストが近いのに大丈夫だろうか? それは栗栖が心配することではないが。
だがソフィアも一応は外に出てきた。まるで幽鬼のような足取りだった。
「ああ……お前いまからテストでーす? がんばるでーす」
「お前、大丈夫かよ。死にそうだぞ」
「それは大丈夫でーす。お姉さまがさっき白湯をくれたでーす」
「まったく、深夜に帰ってきてげーげー吐いたんですからね。あんな様子をご主人様には見せられませんでしたよ。どうしてそんなにお酒を呑んだんですか?」
「ビクトル・ユーゴーいわく、『この世には二種類の恋がある。酒で忘れられる恋と、忘れられぬ恋だ』でーす」
「あら、レ・ミゼラブルですね。たしか好青年マリウスくんのお友達の言葉」
「そうでーす、さすがお姉さま。マリウス・ポンメルシーが入っていた『ABCの友』にいた呑んだくれの言葉でーす。ちなみにお前はレ・ミゼラブル知っていますでーす?」
「たしかミュージカル映画で見た気がするけど」
「つまりわたしが何を言いたいかと言うと、ああ無情。点数が悪くても気にしなさんな」
そう言ってソフィアはふりふりと手を振った。その手がだらんと落ちる。穴ごもりするクマのようにのっそりと中に戻っていった。
「あとで叱っておきますから」
「程々にな」
「ではあらためて、いってらっしゃいませ」
「うん」
栗栖は意気揚々と歩き出した。やれるだけのことはやった。後は野となれ山となれ。イザベラの言う通り、自分の実力を出すだけだ。
一日目と二日目は比較的、得意な科目が集まっている。問題は最終日の数学と英語だ。これは栗栖にとってとにかく鬼門である。この二教科でどれほど点数をとるかが今回のテストの鍵を握るのだ。
「おおう、おはよう栗栖」
山崎はいつもの寝不足気味の、しかし人懐っこい笑顔で栗栖を迎えてくれた。
「大丈夫かよ? また今年も補習じゃないのか?」
「夏休みなんて補習するためにあるんだぜ。それより栗栖、今のイベントやってるかー?」
現在、栗栖たちのプレイしているソシャゲでは夏限定イベントを開催中だ。そのためガチャにも際どい水着をきた可愛らしい女の子たちがピックアップされている。
栗栖はたまたま最高レアリティのキャラクターを無料石で手に入れた。厳密にはガチャを引いたのはイザベラだ。どうも彼女がガチャをすると引きがいい気がする。もちろん気のせいだ。
「まあまあ」
と答えながらも、栗栖は自分が嘘をついていることを知っていた。
今回のイベントはほとんど手を付けていない。周回はイザベラがバカみたいに回してくれているから問題ない。しかし肝心のストーリー。それに興味がわかないのだ。というよりもここ最近はソシャゲに対するモチベーションがなくなってきていた。
「今回の周回きついよな。ぜんぜん美味しい狩場ねえしよ」
「そうだな」
思うに、周回作業をしなくなってからだ。ソシャゲ熱を失ったのは。あれだけ嫌だ嫌だとぼやいていた周回だが、離れてみると意外と寂しいものだ。
あるいはソシャゲの本髄は美麗なグラフィックでも重厚なストーリーでもなく、周回という作業にこそあるのかもしれない。それがなくなれば片手落ちもいいところだ。
「そんなわけでよ、ノー勉なんだよな、俺。栗栖は?」
「俺は勉強してきたよ」
「お、偉いねえ」
それが普通なんだよ、と山崎に言う。山崎はうんうんと頷いて自分の席に戻っていった。
テストが入るまでの時間、栗栖は柄にもなく緊張していた。今までテストの前に緊張することなんてなかった。それを勉強したらむしろ緊張するようになった。普通逆だろと思うが、考えてみれば当たり前のことだ。
勉強しなければ点数が悪くても構わない。
だがもし勉強して点数が悪ければ? それはもう今までの努力が水泡に帰すのだ。それに勉強したのに点数が悪いとなればそれはもうバカだ。人間、どれだけバカでも他人からバカだと思われるのは嫌なのだ。だからみんな、勉強しても勉強などしていないと言うのだ。
しかし栗栖は先程、山崎に勉強をしたと言ってしまったのだ。
つまりは自分で退路をたってしまった。
教室に教師が入ってくる。テストが配られるまでの間、猛烈に後悔した。あんなこと言わなければ良かった……。
だがその不安は、テストが始まるまでだった。
いざ問題に向かい合った時、栗栖は自分が驚くほどに問題をすらすら解けることに気がついた。
――テストってこんなに簡単なものだったか?
それもそのはず、イザベラの教えが良いのだ。ここ数日、イザベラはテストの問題として出題されそうな場所を重点的に栗栖に教えた。それが見事に的中している。イザベラの完璧によって行われた、完璧なヤマのはりかただった。
最初のテストはなんなく終わる。
「どうだった?」と、休憩時間に山崎が聞いてくる。
「ばっちり」
「へえ、俺もうちんぷんかんぷんだったよ」
そして次のテスト。配られて、時間になるまでの緊張。
始まってしまえば杞憂だ。
「どうだった?」
「完璧」
栗栖は確かな手応えを感じていた。これまでのテストで一番の点数がとれるという予感ではなく確信があった。
きっとイザベラは喜んでくれる。そう思いながら問題を解いていく。
世界史のテストで妙な問題が一つあった。出題範囲はフランス革命のあたりだが、あきらかにそれとは違う部分からの出題がある。おそらく教師の趣味だろう。
栗栖はその問題を作ったであろう、小柄なメガネの女教師の顔を思い浮かべる。学校では奇麗で評判の女教師だ。もっとも、イザベラのコスプレの女教師姿の方が奇麗だが。
問題はこうだ。
『フランス革命当時の記録を回想として挿入したフランス文学作品レ・ミゼラブルにおいて、ヒロインであるコゼットの恋人でありボナパルティズムに傾倒する青年の名前はなにか、フルネームで答えよ』
あきらかに教師の趣味を反映した問題。この教師はいつもテストで自分の趣味から本流と脱線した問題を一つだす。これを自分では百点阻止問題などと称している。今回はこれがそうだ。
なんだったかな、と栗栖はペンで自分の頬をつつく。
ミュージカル映画のレ・ミゼラブルは流行していたときに見た。だがそこに出てくる男の名前となるとよく覚えていない。フランス人の名前なんて――。そういえばイザベラとソフィアが朝、なにか言っていたような気がする……。たしか名前はマリウス・ポンメルシー。そうだ、そう言っていたのだ。
栗栖は忘れないうちに問題用紙に名前を書き込む。
テストは満足のいく出来だった。もしかしたら満点かもしれない。というかそうだろう。イザベラとソフィアのフランス人メイドに感謝だ。あいつらの愛国精神もたまには役に立つ。
そのあと、栗栖は二度見直しをした。完璧だった。
1日目のテストは世界史で終わりだ。
栗栖は正午には家に帰った。
「どうでしたか?」と、イザベラが少し不安そうに聞いてきた。
「パーフェクトだ」
「そうですか、それは良かったです。しかし――」
「問題は三日目だろ、知ってるよ。昼ごはん食べたらさっそく勉強しよう」
「はい、それがよろしいかと」
昼になればさすがにソフィアも二日酔いは治っていたのだろう。庭の草むしりをしていた。というよりもイザベラにさせられていた。
「わたしも勉強したいでーす」
「家事も立派な勉強です。あなたはとにかく話すことしかできないのですから」
「ひえー、わたしの仕事じゃないでーす!」
がんばれよーと栗栖は適当に応援した。




