第八話 オールワークスとコンパニオン
イザベラは今頃食器を洗っているのだろう。
「お前はやらないのか?」
栗栖は参考書を開きながら、隣に座るソフィアに聞いた。
「やりませーん。わたしはメイドであって料理人ではないのでーす」
「でもイザベラはやってるぞ」
「お姉さまはオールワークス。わたしはコンパニオンでーす」
「なんだそれ?」
勉強部屋には今日から机が二つ並べられることになった。
栗栖は中間テスト、ソフィアはBランクメイドへの進級テスト。イザベラが同時に二人の勉強を見るのだ。これは将棋で言えば二面指しのようなもの。とても難しいがイザベラなら難なくこなすだろう。
「メイドには色々な仕事がありまーす。わたしのやるコンパニオンは令嬢の話し相手でーす。これは昔からフランス人女性が良いとされてきました」
「楽そうな仕事だな、でもなんでフランス人が良いんだ?」
「なぜならわたしたち、お洒落でーす。コンパニオンは話し相手ですから、お嬢様のお洋服を一緒に決めたりしまーす。そういうときにお洒落に明るいわたしたちは重宝されまーす」
「へえ、でもコンパニオンってなんか卑猥だな」
「それはお前の頭が卑猥なだけでーす」
「で、他には?」
「他にも色々ありますが、例えば家庭教師としてのカヴァネスという仕事もありまーす。今まさにお姉さまがやってくれているものでーす」
「ほうほう、じゃあオールワークスってのは?」
「これは全部の仕事をやるメイドでーす。主に小さな家に雇われたメイドでーす。大きなお屋敷では仕事も細分化、けど小さな家ではメイドさんは一人でーす。一人が全部のことやるしかありませーん」
「へえ、じゃあイザベラはまさにうちみたいな家にいるメイドなんだな」
「……なんだかムカつきました、その言い方」
「なんでだよ。だってそういうことだろ?」
「そうですけど、お姉さまは完璧なのでーす。だからどんな場所でも活躍できるポテンシャルがありまーす。それに今の時代、メイドに仕事を分担させるなんてあまりやりませーん。大きなお屋敷でもお姉さまのようなオールワークスが必要とされまーす」
「ふうん、つまりなんでもできるメイドなんだな」
「その認識でまちがってないでーす」
ソフィアは器用なことに話をしながら手を動かしている。ちょっと覗くと横文字がびっしり書き込まれている。横には栗栖が持っているものより分厚い参考書が。
「なんの勉強だ? それフランス語か?」
「どう見ても英語でーす。やっぱりお前バカでーす」
「はいはい、バカで悪うございました。それで、それなんの勉強?」
「これは今メイドの歴史について学んでまーす。お前の勉強、それ世界史ですか?」
「そうだよ」
「同じように、わたしたちメイドの歴史を学びまーす。他にも各国の歴史ももちろん学びまーす。色々勉強することありますし、バカは頭パンクしまーす」
すらすらとソフィアは奇麗な筆記体で文字を書き込んでいく。この女、こんなバカな話し方をしているわりには頭が良いようだ。しかしそれでもC級だという。特A級のイザベラはいったいどれくらい頭が良いのだろうか。
そのイザベラが部屋に入ってきた。もうすっかりおなじみになった女教師のコスプレ――もとい正装をしている。
「二人共、きちんと勉強していましたか?」
「「はーい」」と、声を合わせて答える。
「よろしい。ではちょっと見せてください。ほうほう、ちょうどフランス革命の時期がテスト範囲ですね。こちらとしても教えやすい限りです。さて、ご主人様では質問です。ナポレオンが直接指揮をしたアスペルン・エスリンクの戦い、これで強靭を誇ったフランス陸戦を打ち負かしたのはどこの国でしょうか?」
「オーストリアだよね」
「正解です。では、そのオーストリア側の指揮官は誰でしょうか?」
「えーっと、誰だったかな。それって」
「問題には出ない箇所かもしれませんが覚えておいて損はありませんよ。でやソフィア、代わりに答えを」
「ヴォナパルテの大陸軍は最強でーす! よって敗北などありませーん!」
「不正解。はあ、この子ったら……」
「あ、思い出した。カール大公だ!」
「そうです、ご主人様。よく分かりましたね。指揮官の名前はカール・フォン・エスターライヒ=テシェン。カール大公として知られております。ソフィア、貴女も愛国精神を持つのは良いですが、行き過ぎたナショナリストは狂人と代わりありませんよ」
「ごめんなさいでーす」
「で、ソフィアの方は。ふむ、よろしいですね。字も奇麗です。これならば及第点でしょう」
「字の綺麗さ関係あるの?」
「ありますよ。W・S・Oの主催するテストでは回答の正誤だけではなくその文字の読みやすさ、美しさも採点の基準です。文字が汚ければどれだけ素晴らしい回答であろうと不合格となります」
「厳しいんだな」
「そういうもんでーす」
「俺には無理だな」
「では少ししたら小テストをしましょう。ご主人様、周回の方はどうなさいますか?」
「あ、お願い」
栗栖はスマホを渡す。それを受け取り、イザベラはニッコリと笑った。
その瞬間、
――ガタリ。
ソフィアが立ち上がった。
「どうしました、ソフィア」
「お姉さま……今、笑いましたか?」
「さあ、無意識でしたので自分では分かりませんが」
ソフィアが栗栖の方を見る。「笑いましたか!」と、聞いてくる。
「笑ったと思うけど?」
「え、どうして!」
「おかしなことを言う人ですね、私が笑ったら変ですか?」
「そりゃあ、変ではないですけどぉ……」
人間だし誰でも笑うもんじゃないのか? 栗栖は自分の勉強に集中することにする。こんなふうにソフィアに時間ばかりとられていたらまた寝る時間が遅くなってしまう。
「ありえない……」
「なにがありえないんですか、ソフィア、貴女も勉強を続けなさい。小テストを作ってきますから」
イザベラは器用に片手でスマホを操作しながら部屋を出ていく。小テストはソフィアの部屋で作られる。そこに彼女の私物であるノートパソコンとプリンタがあるのだ。その部屋はもともと栗栖の母親の部屋で、開いていたから今はイザベラが使っている。
「ありえないわ……」
「なにをそんなにショックを受けてるんだよ」
「お姉さまを初めて笑わすのはわたしだと思ってたでーす! それを、それをお前は!」
「はあ?」
別にイザベラは笑うだろう。そりゃあいつもにこにこしているわけではないし、どちらかといえばマネキンのような無表情だが要所要所ではとても清廉で花の咲くような素敵な笑顔をみせてくれる。その笑顔を見る度に栗栖はイザベラに惚れ直すのだ。
しかし、言われてみれば最初は栗栖もイザベラのことを美しいが氷のように冷たい人だと思った。もしかしたらイザベラはここに来るまで、あまり笑わなかったのだろうか。
「いったいなにがあったのですか! お前、教えなさい!」
「分かんねえよ、そんなの」
ソフィアは頭を抱えた。大丈夫か、と聞くと、今は立ち直れるまで話かけないでちょうだい、と流暢な日本語で言われた。やっぱりこいつの話し方はわざとなのだと栗栖は確信したのだった。




