大商会令嬢 アスカ=セレブリッチ
「……この方が、英雄イソネさま……」
今話題の英雄が目の前にいるというのに、どこか心は上の空だ。
昨晩の記憶が甦ってくる。
――――昨晩、セレブリッチ邸。
「お呼びでしょうか、お父さま」
お父さまがわざわざ私室に私一人を呼び出すのは珍しい……というよりも、あまり記憶にない。
「おお、アスカ。今日も可愛いな。さすがは私の娘だ。ふふふ」
「……お父さま? そんなことでわざわざ呼びつけたのですか?」
「そんなわけないだろう。実はな、お前に頼みたい仕事があるんだ」
セレブリッチ商会は巨大で、各部門で兄たちが働いている。私も例外ではなく、父の秘書的な仕事を手伝いながら、様々な分野の仕事を学んでいる最中でもある。
仕事の話なら、わざわざ二人の時でなくても、昼間いくらでも時間があったはず。どういうことだろう。
「……仕事ですか?」
「ああ、お前も英雄殿のことは知っているな?」
「もちろんですわ。クラーケンを倒し、この街を救ってくださったのですから。今や、街中その話題で持ちきりですよ」
「頼みたい仕事というのは他でもない。その英雄殿に同行して、王都まで行ってほしいんだよ」
「……は? そ、そんな大事な仕事を私に?」
本来ならば、代表である父が担当してもおかしくない大事な案件だ。代理であるならば、私よりも長兄の方が良さそうなものだが。
「そうだ。本来なら私が行きたいところなんだが、どうしても外せない仕事があってな……」
ああ、そうでした。たしかにタイミングが悪い。
「でしたら、サトル兄さまが適任では? 今なら手もあいているでしょうし……」
「うん……まあなんだ、お前じゃなければ駄目なんだ」
いつになく歯切れが悪い父。なんだか嫌な予感がします。
「お父さま、はっきり言ってくださいな」
「むう……実はな、英雄殿をお前の婿にと考えているんだ」
「なんだ、そんなことでしたか……って、はあああああ!?」
「あの、私、お会いしたこともないんですが?」
いくらなんでも、見たこともない殿方と結婚するなんて……。
「うん、だからな、一緒に王都まで同行してみて、お前が気に入ったらで構わない」
「う……ま、まあ、それならば構いませんけれど……」
大商会の令嬢として、結婚相手が選べないのは覚悟していた。でも、気に入ったらで良いなら、願ってもない。だって、このままだと私は……。
「そうか。それなら良かった。私としても、出来ればあんな奴にお前を嫁に出したくはないのだよ」
そう……王都で有数の大商会の跡継ぎとの縁談。何度も断っているのだが、向こうが私にぞっこんで、なかなか諦めてくれないのだ。有能ではあるが、冷酷で非情な人。何度会っても好きになれない。
「ですがお父さま、仮にも英雄と呼ばれるお方。すでにお相手がいるのでは?」
クラーケンを倒すほどの英雄だ。貴族どころか、王族だって囲い込みに来てもおかしくない。
「それなんだがな。どうやらすでに複数の婚約者がいるらしい。驚いたことに、ライトニング様もその一人だ」
「は? ら、ライトニング様って、あの伯爵令嬢で、四聖槍筆頭の?」
まさか、あのポルトハーフェンの女傑が……信じられない。
「しかも、政略結婚ではなく、ご自身から結婚を迫ったとか。どんな男なのかわからないが、その事実だけでも十分に興味深い。しかもだ、これは一部の者しか知らない情報だが、この街に向かって進軍してきたハイオ-ク率いる数千の大軍を、英雄殿率いるパーティが殲滅したそうだぞ。騎士団長からの情報だから間違いない」
「そ、そんな……ということは、私たちは英雄さまに二度も救われたということではないですか?」
「うむ、その通りだ。それだけの武功を自慢するでもなく、彼は、領主様に何を要求したと思う?」
「……想像もつきませんが」
「宿屋を紹介してほしい……だとさ。どうだ、面白い人物だとは思わないか?」
ふ、ふふふっ。何やら興味がわいてきました。明日お会い出来るのが楽しみですわ。
******
「あの……アスカさん?」
困ったような声で我に返る。
いけない、英雄さまに話しかけられていたようだ。
「はい、何でしょう英雄さま」
出来るだけ平静を装って返事をする。
その白に近い明るい灰色の髪と瞳。穏やかで優しい物腰。それにとってもハンサムだわ。
お父さまが変なことを言うから、まともに目を合わせられないじゃない。
「何って……船の準備が出来たってさっきから呼んでますけど……」
言われてみれば、先ほどから視線が痛い。まずいわ……これじゃあ、私が無能みたいじゃないの。
「ありがとうございます、英雄さま。すぐ戻ってまいりますね」
「アスカさん、俺のことはイソネって呼んでください」
「……前向きに検討します」
恥ずかしさもあって、顔も合わせず走り去る。
******
「ねえリズ、俺、アスカさんに嫌われるようなこと何かしたっけ?」
「……それを私に聞く? 本当に鈍感なんだから……」
「へ? い、痛い、痛いよリズ、なんでつねるんだよ……!?」
――――ガブッ!!――――
「い、痛てええええ!!! 痛いよクルミ、なんでカジるんだよ……!?」
「……イソネがモテるのが悪い」
――――ドスッ!!――――
「ぐふっ!? がっ、がはっ!? ひ、酷いよカスミ、なんで腹パンするんだよ……!?」
「……なんとなく腹が立っただけよ。気にしないで」
くっ、訳が分からない。何という理不尽さ。誰か助けて……。
「イソネさん、さあ私が癒してあげます」
「ミラさん!! うわああああん!! 怖かったよ~」
「ふふふ、よしよし、好きなところを触っていいですからね?」
ううう……ミラさんが天使……いや、女神に見える。
「こら、ミラ、甘やかすのはやめないか!」
「そうだぜ、ずるいぞミラ」
マイナさんとレオナさんが割り込んできたので、残念ながらお触りは出来そうもない。
「ライトニング様、ずいぶんと賑やかな旅になりそうですね……」
「そうだな……ふふっ、悪いが私も加わってくるとしよう。世話になったなアレクセイ殿」
ライトニングも加わり、もみくちゃにされるイソネ。
(負けるなよ、アスカ……)
心の中で愛娘を応援するアレクセイであった。




