英雄の背中
「じゃあ、カトレアさんのところへ行くぞ、イソネ君」
「うえっ!? 今からですか?」
「今行かなくていつ行くというのだね? 一秒でも早く彼女を苦しみから解放して、みんなを悲しみから解放する。それが出来るのが俺だけなら、最優先に決まってるだろ?」
カケルくんの言葉にはっとする。俺は何をぼーっとしているんだ。今は自分の身の行く末を案じている場合じゃない。自分から言い出しておいてこのざまだ。やっぱり本物の英雄は違うよ。
でも俺だって、せめて……関わった人たちだけでも救いたい。後ろからでもいい、届かなくても良い。英雄の背中を追いかけるんだ。世界を救おうとしている男の生き様を感じるんだ。しっかりしろ。
「カケルくん……ありがとうございます!」
他に言葉が見つからない。ただ、感謝を伝えることしかできない自分がもどかしい。
「なんで君が頭を下げるんだ? カトレアさんとは、会ったこともないんだろう?」
「それは……カケルくんだってそうでしょう?」
確かに言われてみればお互いカトレアさんとは面識すらない。その事実におかしくなって笑ってしまう。
「ふふっ、違いない」
つられてカケルくんもたまらず破顔する。ああ……イケメンはどんな表情でも絵になるからズルいや。
***
カケルくんの転移と結界を駆使して、屋敷の人間に気付かれることがないように、カトレアさんの部屋へ向かう。
「……すでに誰かが部屋に居るな」
まだ部屋までは遠いのに、なぜわかるのかとは聞かない。カケルくんならそのくらい当然なのだろうから。
「ああ、多分、ゴッドフリートさまだと思います」
「……そうみたいだな」
……そんなんだ、名前まで分かるんですね? 案内役の俺、いらなくない?
「……誰だ!?」
さすがは騎士団長。ゴッドフリートさまが、背後に現れた俺たちに気付いたみたい。
「初めまして。異世界の英雄カケルです」
いきなりあいさつするのかーい!! さすがは英雄。堂々としているよね。
「さ、さっきぶりですね、ゴッドフリートさま、俺です、イソネです!」
姿は女性になっているけど、ゴッドフリートさまは、俺の能力を知っているから、すぐに警戒を解いてくれた。
「イソネ殿……なのか? それから、英雄カケルさま……ですか? なぜここに?」
若干困惑の色を残しながら、疲れたように息を吐くゴッドフリートさん。さっきお会いした時とは別人のように疲れ切った表情。おそらくカトレアさんの状態が、想像以上に悪いのだろう。
「あの、実はカケルくんがカトレアさんの病気を治せると言うので……勝手にすいません……」
「なっ!? それは本当か!!」
俺の言葉に前のめりになるゴッドフリートさま。それはそうだよね。きっとありとあらゆる治療を試みて、それでも治すことが出来なかったんだ。どんな小さな希望にもすがりたくなるよね。
「本当ですよ、ゴッドフリートさん。これを飲ませればたちどころに奥様の病気が治ることを保証します。ただし、俺のことはくれぐれも内密にお願いしますね? あと、クラーケンは倒したので、ご心配なく」
カケルくんがそう言って、何やら薬品? を手渡す。疑うわけでは全くないけれど、本当に治るのだろうか? これだけ期待させておいて、駄目でした、なんて残酷すぎるからね。
「クラーケンを倒したのか!? わ、わかった。このことは誰にも言わない。恩人の迷惑になるようなことはしないと誓おう。おお……こ、これで……カトレアが……?」
震える手でその薬を受け取り、ほとんど仮死状態のカトレアさんに口移しで飲ませるゴッドフリートさん。すると全身が淡く輝きだし、ゆっくりとカトレアさんが目をひらいてゆく。
『さあ……行こうかイソネ君』
『へ? あ、ああ……はい!』
カケルくんが念話で話しかけながら、俺の背中をそっと押す。
カトレアさんとゴッドフリートさんのすすり泣く声が遠くなり、俺たちは異空間へ戻ってきた。カトレアさんが元気になった姿を見ていたかったけれど、二人の邪魔をするわけにはいかないからね。
「カケルくん……本当にありがとうございました」
「だから、なんでイソネ君がお礼を言うんだ? ふふっ」
だって、嬉しかったから。こんな気持ちにさせてくれたカケルくんに感謝しかないよ。
「イソネ君……本当にありがとう」
はははっ、よりにもよって、貴方がそんなことを言いますか?
「うえっ!? なんでカケルくんがお礼を言うんです? あははっ」
カケルくんは本当に気持ちのいい男だよね。今は身体が女だから、それだけじゃなくて、ドキドキも止まらないけれどさ。
「じゃあ、イソネ君、名残惜しいけど、次会う時は、邪神と対決する時だな」
名残惜しいけど、カケルくんは世界を飛び回っている忙しい人だ。それに……どうせすぐにまた会えるのだし。
「はい……覚悟は決めておきます」
「まあ、キタカゼたちを残すから、安心してくれ。何かあったら、遠慮なく言ってくれればいいから。今後については決めているのか?」
「はい、クラーケンもいなくなったことですし、船が動き出したら、予定通り王都へ向かおうと思います。ギルドマスターを送っていかなければいけませんしね」
「ギルドマスター? ああ、あの美人のエルフ……ティターニアさんだよな?」
「……カケルくん、一体俺たちのこと、どこまで知っているんですかね……」
「さあな? 聞かない方が幸せってこともあるんだぜ?」
意地悪そうな笑顔が憎たらしいほど格好良い。
おそらく俺たち自身よりも、俺たちのことを知っているのかもしれない。そんな気がしてならない。
「……聞かないでおきます」
「うん、それが賢明だよ」
にこにこ微笑むカケルくん。ああ、これは聞かなくて正解だったな。
そう確信するイソネであった。




