クラーケンは突然に
「ったくツイてないねえ……」
組織との連絡が突然出来なくなった。本部だけではなく、他の支部とも連絡が取れないところをみると、おそらく通信用魔道具の故障だろう。まあこれはこれで好き勝手できるから構わないが。
「へえ……ここがポルトハーフェンね。ふふっ、ずいぶんと破壊し甲斐のある街だこと。今からゾクゾクしちゃう」
私の任務は、重要な港湾拠点であるこの街の破壊。ここを潰せば、帝国の侵攻がより容易になり、海路から他国への情報伝達も遅らせることが出来る。
「まあ……私はそんなことはどうでもいいんだけどね。ただ破壊したいだけだから」
懐から黒光りする短剣を取り出して眺める。
古代遺跡から発掘された貴重なアーティファクト『隷属の短剣』
この短剣で突き刺せば、対象の人であれ、魔物であれ、意のままに操ることができる。
ただし、普通に殺傷力があるから、人間や小さな生き物には向かない。
傷が治ると効果も切れてしまうから、突き刺したぐらいではびくともしないような大型の魔物や魔獣の使役に向いている魔道具だ。
例えば、そう……あのクラーケンのようにね。
沖で悠々と泳いでいる巨大なクラーケン。ふふっ、あの子がいればさぞ大規模な破壊が出来るでしょうね。はあはあ……想像しただけでおかしくなりそう。
どうやってあそこまで行くかが問題だったけれど、それも解決済みだ。
「さあ、私をあそこまで運びなさい」
こくりと頷く一体のハーピィ。このままだと出血多量で長くはもたないでしょうから、あまり時間がない。せいぜい役に立ちなさいよ。
夕闇に紛れて大空へと飛び立つ。
さようならポルトハーフェン。せいぜい最後の晩餐を楽しむことね。あはははははは。
***
まいったな……どんな顔して風呂場に行けばいいんだよ。
ティターニアさんが洗ってくれるとか言っていたけど、全身って……そういうことだよね? うわああああ!! 無理、しかも彼女に洗われながら、リズとクルミも洗わなくちゃならない。
冷静に考えたら、滅茶苦茶ヤバかった。正直逃げ出したいんだけど……。
ん? 何だか屋敷中が騒がしい……いや、違う……街中が騒がしいんだ!!
慌てて脱ぎかけの服を着なおして、外へ出る。
「何かあったんですか?」
たまたま近くにいたメイドのジルにたずねる。
「く、クラーケンが……街を襲い始めました……なんで? どうして……?」
真っ青な顔で震えているジル。
たしかにクラーケンは、基本的に陸地を襲う魔物ではないはず。なんでまた急に……?
考えている時間が惜しい。
「イソネさま、お願い、港近くには、私の実家があるのです……お父さん……お母さんが」
「わかった、何とかやってみるよ。ジルは安全なところに避難しているんだよ?」
軽く頭を撫でてから、走り出す。
――――飛翔!!――――
蝙蝠の翼を広げて大空へ飛び立つ。くそっ、結局こうなるのか。間に合ってくれよ。
「うわあ……なんだこれデカすぎ……」
上空から接近するとその巨大さにビビる。なにせ港に停泊している一番大きい船よりもさらに大きい。
その十本の触手は、丸太を十本束にしたような太さで、直撃を食らったら最後、ぺしゃんこにされるであろうことが容易に想像できる。現在進行形で、家がウエハースのように破壊されているのだ。
そして、その明確な意思を持った行動に違和感を覚える。
魔物らしからぬ行動に先日のオークのことをどうしても思い出してしまう。
「……まさか、クラーケンも操られているのか?」
最悪な想定だが、心当たりしかない。おそらくは帝国の意を受けた組織の仕業だろう。ふざけやがって。
「おや? ツヴァイじゃないか! こんなところで何しているんだい?」
まさか空中で声をかけられるとは思っていなかったけど、声の主には記憶がある。
「……デメテル、お前の仕業か?」
「ふふっ、相変わらずいい男じゃないか。もちろんさ。素晴らしい破壊の化身だろう?」
ハーピィに抱きかかえられた状態で恍惚の笑みを浮かべるデメテル。この女は、見た目は美しいが、冷酷非道、残虐で破壊が三度の飯より好きという、組織でも指折りのクズだ。
残念だが説得は不可能。デメテルが見せびらかしているアレは……たしか隷属の短剣。となれば、ここでデメテルを倒してもクラーケンは止まらないか……。厄介な。
隷属の短剣は、隷属の首飾りのように外して解除することが出来ない。しかも、一度下した命令は完遂するまで有効だ。つまり、とても使い勝手の悪い……というか荒くったい魔道具なのだ。
「あ、ちょっと待て、どこへ行く?」
デメテルの声を無視して、クラーケンの下へ急ぐ。
はあ……やだなあ。また魔物になるのか。
でも……クラーケンは真っ直ぐに領主の館を目指している。ジルのご両親も心配だ。今止めなければ、俺は絶対に後悔する。
だから……躊躇うな俺の弱い心。
なあに、別に死ぬわけじゃないんだ。死ぬほど痛い目には遭わなければならないけどね。
「ふふっ、さあかかってこい。俺が相手をしてやるぞ、イカの化け物め!!」
懐から、使い慣れた荒縄を取り出し、自らを縛る。
今は縛ってくれる人がいないことを残念がっている場合ではない。場合ではないのはわかってはいるが、やはり切ないものがこみ上げるのを抑えることは出来ない。
おまけにウハウハ入浴天国と今夜の寝かさないぜ? 計画は台無しだよ!?
あまりのタイミングの悪さと、理不尽さ。かつてない怒りに震え、迫りくるクラーケンをにらみつけるるイソネであった。




