別邸のメイド姫イスカ
「くっ……祖国が大変な状況にあるというのに、何も出来ないというのは……」
マルスがやりどころのない思いをぶつけるようにテーブルに拳を叩きつける。
気持ちはわかるけど、そのテーブル高いんですから気を付けてくださいね……。
守護騎士長のマルスは、若くして隊長を任せられるだけあって、才能あふれる勇敢な騎士なんだけど……ちょっと暑苦しいのです。
「マルス、焦る気持ちはわかるが、今の我らに出来ることは、この屋敷を守り抜くことだけだ。守護騎士たるお主がわからないではあるまい」
執事長のセザールが、手慣れた様子で、荒ぶるマルスをなだめている。
ここしばらく、毎日のように続く日常の光景だ。
祖国であるスタック王国からの連絡が途切れてから早二月近く経とうとしている。
これまでも遅れることはあったので、最初はだれも気にしていなかったのだが、その後、冒険者ギルド経由で、スタック王国がゲルマニア帝国の侵攻を受けて滅んだらしいということがわかると、状況は一変した。
幸いこのコルキスタ別邸は、王族が長期滞在をするための施設で、外交の拠点にもなっていることもあり、人員や資金も潤沢で、本国からの補給が無くとも、すぐにどうこうなるということはない。
問題は、この先、この場所がどうなってしまうかという漠然とした不安だ。
帝国に併合された以上、いずれこの場所にも帝国がやってくるかもしれない。
危険ではあるが、今のところ誰一人として、逃げ出す者はいない。
元々、国外に配置されている以上、国内で何かあった場合には、王族の避難先となるべく、忠誠心の高い精鋭が集められているのだから当然と言えばそうなのかもしれないが。
とはいえ、今のところ無事に脱出できたという王族の情報は皆無。希望を捨てるには早すぎるが、最悪のケースも想定しなければならないのもまた事実ではある。
「イスカ殿、そろそろ本気で考えてみてはいかがですかな」
はぁ……やっぱりそうきますか。だから嫌だったんですけどね……。
「セザール、何度も言っていますけれど、私はただのメイドですよ。それはこれからも変わりません」
「だが、国がこういう状況である以上、王家の血を引くイスカ殿が我らスタック王国民最後の希望……」
そうなのだ。私は陛下がメイドである母に産ませた子。王妃の嫉妬もあって、正式な王族扱いはされておらず、この別邸に追放されたようなものだが、王家の血を引いていることは間違いない。
「そんなことないでしょう? 他国に嫁いだ王族もいるではないですか」
私は面倒な王族なんてまっぴらごめん。そもそも王族に相応しい教育なんて受けてませんし。
「他国に嫁いだ王族は、すでに他国の人間です。母国の後ろ盾を失った以上、お立場も相当弱まっているはず。自由に動ける方はおられないでしょうな」
うーん、セザールの言うことは事実だとは思いますけど、正直、私はそこまでして国を生きながらえさせる必要性を感じない。国が興るのも滅ぶのも盛者必衰、歴史の必然なのだから。
この別邸の責任者は公爵家の人間ではあるものの、運悪く帰国していたタイミングだったため、今は主不在の状態なのも最悪。
情報によれば、帝国の王族や高位貴族がこのコルキスタに滞在しているらしい。
他国の領内でいきなり仕掛けてくることはないとは思いますが、そろそろコーナン王国への亡命も真剣に検討すべきだと思いますよ? 口にはまだ出せませんけどね。
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「イスカさま、どうかご決断をっ!!」
買い物に出ようと外へ出ると、訓練中のマルスが、私を見つけて駆け寄ってくる。あああ、暑苦しい。
「マルス……その気はないと何度言えば……」
スタック王国と言う国にはさほど思い入れのない私だが、それでも父が殺されたことはもちろんショックだ。兄弟たちとは、あまり接点がなかったこともあって、ほとんど他人同然ではあるが、ひとりだけ……歳が近く、仲が良かった妹がいる。こちらに来てからは一度も会っていないけれど。
……アズライト、貴女だけは無事でいて欲しかった。今どこにいるのだろう。王族は皆殺しになったと聞いているから、おそらくはもう……。
でも美しかった彼女ならもしかしたら生きているかもしれないと思っている。それが幸せな状況であるはずはないとわかってはいても、そう願わずにはいられない。
わずか一日で国が滅んでしまったように、この世界、何が起こるかなんてわからない。生きてさえいれば……きっと。
「た、たたた大変ですっ!!」
束の間の追憶を打ち破るように警戒に当たっていたはずの騎士の一人が走り込んでくる。
まさか……帝国が動いた?
「落ち着け、キサマそれでも誇りあるスタック王国近衛騎士団の一員かっ!!」
マルスが騎士に向かって一喝する。
たしかに近衛騎士として、ここまで取り乱すのは怒鳴られても仕方ないだろう。仮に帝国が動いたのだとしても……だ。
「それで、何があったのですか?」
「はっ、実は……アズライト殿下を名乗る一行が訪れておりまして……しかし、我らの中に殿下と直接お会いした者がおらず、判断を仰ぎたく……」
「馬鹿ものっ!! このタイミングで殿下の名を騙って何の得がある。私が行く、お前はすぐに戻ってお通しするのだ、お待たせしてはならん」
マルス……貴方も落ち着きなさい。
「待って、マルスもアズライトとはほとんど面識が無いのでしょう? 私も行きます」
気付けば走り出していた。メイドとしては失格ね。後ろからマルスの慌てたような声が追いかけてくる。
生きていた……アズライトが、可愛い妹が生きていたっ!!!
王位がどうのだとか、国がどうのだとかはどうでも良い。
早く会いたいのに長いスカートが邪魔で上手く走れないわ。
思い切りスカートを捲りあげて駆ける。ふたりで走り回った子ども時代みたいにね。




