海軍大臣ネイビス
「はっ……わ、私は一体……!?」
長い間、悪い夢を見ていたようで記憶が曖昧だ。
「……大丈夫ですか、ネイビス大臣?」
「君は……誰だったかな? すまない、記憶が曖昧なんだ……」
白に近いグレーの髪はこの辺りでは珍しく、令嬢や女騎士たちがうるさく騒ぎ出すであろう整った容姿。一度見れば忘れるはずは無いのだが……?
「初めまして。俺はイソネ、S級冒険者です。貴方は、隷属の首飾りによって、操られていたのですよ」
なっ!? れ、隷属の首飾り……だとっ!?
「それで記憶が曖昧に? だがいつの間に……」
「帝国のオンナズキー侯爵が犯人です。心当たりは?」
「オンナズキー侯爵っ!? くっ、あの時か……私としたことが……なんたる不覚……」
まさかそんなものが実在していることも驚きだが、堂々と私の屋敷で仕掛けてくるとは……いや、仮想敵国である帝国に対して認識が甘かったのだ。はっ!? そうだ、コーラル!?
「イソネ殿、すまない、娘のコーラルを知らないか? よりにも寄って、あのクソ野郎へ嫁に出すことに――――」
だんだん記憶が戻ってきた。うぅ……私は何ということを……。
「ご心配なく、俺に依頼してきたのは、そのコーラル嬢ですからね。帝国の計画と海賊団は完全に潰しましたから、もう大丈夫です」
「は? 海賊団を潰した!?」
ここには悪名高い七武幹のうち、四名が集まっていたはずだ。ん? 待てよ……イソネ? 何処かで聞いたはず――――あ、クラーケン殺しの英雄かっ!!
「もしかして、君がクラーケンを倒したという、あの『女殺しのイソネ』なのか?」
「……そんな不名誉な二つ名は知りませんが、クラーケンを倒したのは確かに俺です」
なるほど……ふざけた男だと勝手に思っていたが、噂はあてにはならないものだな。モテるのは間違いなさそうだが。
イソネ殿のおかげで、危機的状況はひとまず脱したようだが、それでは済むまい。
「イソネ殿、私はこれから王都へ向かい、事の顛末を報告しなければならない。操られていたとはいえ、国を失う一歩手前であったのだ。責任をとらなければ示しがつかない」
おそらくは死罪であろうが、それもやむなし。
「その必要はありません。ネイビス大臣は、俺に秘密裏に依頼をして、帝国の陰謀を見事に打ち砕いた。これまでの行動は敵を欺く為の演技。それが真相ですからね!」
いたずらっぽくウインクするイソネ殿。ありがたい提案だが、いくらなんでもそれでは……
「大丈夫ですよ、幸い実害は出ていませんし、証拠もバッチリ。真相を知るものは俺の仲間とコーラル嬢だけです。それに、貴方が失脚することが、帝国の狙いなのですから、国を思うなら、この程度呑み込んで下さい」
「ぐっ、たしかに……」
「ただし、たっぷり協力してもらいますからね? とりあえずは、今夜の晩餐会をしっかり開催お願いします」
「? それは構わないが、何か意味があるのか?」
元々開催予定だった晩餐会だから、協力と言われてもな?
「ああ、晩餐会は、仲間が楽しみにしているからですよ。協力していただきたいのは、その背後で行われている闇取引の方です」
「……なるほど、しかし、裏取引は海賊団が仕切っているのではないのか?」
さきほど海賊団を潰したと言っていたようだが……。
「いいえ、裏取引を仕切っているのは、ヒトデナシ公爵家です。海賊団は、商品の提供をしているだけですね。まあ、今回に限っては、内戦計画のために結集していたわけですが……」
なんと……まさかあのヒトデナシ公爵家が……!? 道理でこれまで尻尾がつかめなかった訳だ……。
「むむっ……だが、イソネ殿、さすがに公爵家の敷地内には、理由なく踏み込むことは難しいぞ」
「そこはご心配なく、証拠ならここに。それに、お忘れかもしれませんが、俺はS級冒険者ですよ?」
手渡された証拠の数々は、嫌疑を証明するのに十分過ぎるものだ。これで、今夜現場を押さえれば、さすがに言い逃れは出来まい。それに……S級冒険者には貴族特権は通用しないからな。
しかしイソネ殿はすさまじいものよな。結局、我が侯爵家の危機を救ったのも彼、帝国の謀略と海賊団を未然に潰したのも彼だ。そして今夜、このコルキスタの長年の懸案であった闇取引も潰そうとしている。
これが本物の英雄と言うものか。
大いなる力を持つものが英雄なのではない。正しき力の使い方を知り、国の命運すら変える者こそ、真の英雄なり……だな。
「海賊団には、予定どおり闇取引の警備を担当させますので、そちらも予定どおり晩餐会を開催してください。俺の目的は、黒幕であるヒトデナシ公爵と、その顧客の両方を潰すことです」
ははは……もう何も言うまい。きっと彼は有言実行で成し遂げるだろう。何も心配はない。後は私がやるべきことをしっかりやらねばな。
今夜は忙しくなりそうだ。牢屋の数を臨時で増やしておかねばなるまいて。
「お父さまっ!! もう大丈夫なのですかっ!!」
イソネ殿が帰った後、コーラルが部屋に飛び込んできた。娘にはひどい仕打ちをしてしまったな。
「……コーラル、すまなかった。操られていたとはいえ、お前にはひどいことを……」
「良いのです。私はお父さまが元通りになってくれさえすれば……」
この子には、母が早逝してからというもの、ずっと淋しい思いをさせてしまった。だからこそ人一倍幸せになってもらいたいのだよ。
「早速で悪いが、お前にぴったりの婿候補を見つけたのだが……」
「やっと縁談が流れたと思ったら、すぐにそれですか? 私は……」
「そうか、イソネ殿なら……と思ったのだが、お前にはまだ早かったな……って、うわっ!?」
「お父さまっ!! その話、ぜひ、いいえ、絶対に進めてくださいね? もし失敗したら、二度と口を利いてあげませんからっ!!」
下手な口笛を吹きながら、スキップで部屋を出てゆくコーラル。
やれやれ……私から提案したとはいえ、これは厄介なミッションが追加されてしまったのかもしれないな。




