七武幹『絶壁のワルド』
「マルコ、マゼンタが来たぞ……」
路地裏に潜む複数の影。
「やはり一人で来たか……賢明な判断だが、我々には好都合。シアンともども消えてもらおう」
マルコと呼ばれた男が仲間たちに合図を送る。
「マゼンタ、こんなところで何をしているんだ? シアンを知らないか? 連絡は取れないし、合流地点に姿を現さないので、今手分けして探しているんだが……」
「……私も探しているところですが、今のところ手掛かりは、『チェンジ』という言葉だけで……」
一斉に複数の影が襲いかかり、マゼンタの意識を奪い拘束する。
「よし、これで嗅ぎまわっている犬どもも大人しくなるだろうぜ」
マゼンタを荷車に積むと、路地裏の隠し通路を使って姿を消す黒装束の男たち。
(やれやれ……荒っぽい奴らだな。マゼンタさんは囮になると言ってくれたけど、俺がやって良かったよ)
事前にマゼンタさんと入れ替わっておいて良かった。でもまさか隠し通路があるなんてね。
この先のアジトにシアンさんも無事でいてくれると良いんだけどな。
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……っ!? ぐっ、頭が痛い……背後から殴られたあとの記憶がない……。
手足は……駄目だ、完全に拘束されているわね。
何とか脱出しなければ……。
周囲を見渡す。何かないか、縄を切れそうなモノや場所を探す。幸いうす明りで視界はぎりぎり確保されている。部屋の隅にある金属製の収納ケースが目に入る。
ああいう安っぽい造りのものは、大抵角が尖っていて、手を切ったりするのよね。
芋虫のように身体をくねらせて、収納ケースの近くまで這ってゆく。
――――やった!! これなら切れるかも……。
金属製の突起部分に縄を押し当て、少しずつ、慎重に。いつ奴らに処分されるかわからない状況、気持ちは焦るが、余計なことは考えない。目の前の出来ること、やるべきことに集中するのだ。
あと少し……あと少しで切れそう。手が自由になれば、あとはこちらのもの。
だけど、無情にも、複数の足音が近づいてくる。
くそっ、あと少しだったのに。もしかしたら力を入れれば切れるかもしれないが、今それを悟られたらマズい……。急いで寝かされていた場所へ戻る。
「……こんな汚いところまですいません、ワルドさま」
くっ、そんなところにうら若き乙女を閉じ込めるとか、どうなってるのよ!!
「ふん……本当に薄汚いところだな。まあいい、それで、この女がその捜査員なのか?」
「はい、容姿は中々ですが、残念ながら絶壁ですな」
くっ、この野郎……人が気にしていることを……殴る、絶対にお前は殴る。
「なるほど、だがそれはそれでマニアにはたまらんのだ。ぐふふっ……。よし、この女は俺がいただく」
げっ!? 絶壁マニアの変態なのかこのワルドとかいう男。やばいやばいやばい……。
「わかりました。いやあこの女、ラッキーですね。あの七武幹『絶壁のワルド』のものになれるなんて」
七武幹っ!? まさか、広域海賊団黒の海竜が背後にいるの? っていうか『絶壁のワルド』の絶壁って、そっちなのかよっ!? ツッコミを入れている場合じゃないんだけど、これは入れざるを得ない。
でも、すぐには殺される心配が無くなったのは大きい。
今頃、マゼンタがミラさまに接触さえ出来ていれば……。希望は残るはず。
「残りの犬、マゼンタを捕らえて来ました~」
えっ……!? 嘘……でしょ? なんで? マゼンタ……。
目の前が真っ暗になる。最後の希望が絶たれてしまった。
……いや、まだだ、今夜会う予定の私が行かなければ、あのミラさまならおかしいと感じて動いてくれるかもしれない。諦めるな。絶望するのは……まだ……早い。
「ワルドさま、こいつはどうしますか?」
この声は……マルコっ!? くっ、この裏切りもの……絶対に許さない……。
「ふん、絶壁でないなら興味はない。処分しろ!!」
ち、ちょっと待って、処分って、まさか……駄目、そりゃあ、いつも豊満なモノを自慢してきやがってとか、思わないでもないけれど、牛どもは滅べとか思っているけれど!! 駄目、それだけはっ!!
でも、今の私に何が出来るというのか。よしんば縄を切って助けに入ったところで、相手は七武幹、元々戦闘系スキルのない私に万一にも勝ち目はない。とにかく時間を稼がないと。私に出来ることを探すのよ!!
「……だが断る」
「……は?」
……は?
不本意ながら、ワルドと同じ反応をしてしまった。マルコ? 貴方、今なんて言ったの?
「断るって言ったんですよ。ついでにそこにいるシアンさんも助けますからね」
おおおおおおっ!! 私の中でマルコ株の上昇が止まらないよ? なになに? なんでさん付けで呼んでるの? ごめんね、いけすかないクソ野郎って思っててごめんね!! あれはもしや、敵の目を欺くための仮の姿だったの? そうだよね、敵を騙すなら味方からっていうしねっ!!
「……マルコ、キサマ、誰に向かって口を利いているのか分かっているんだろうな……?」
ぐっ!? こ、これは……ヤバい、すさまじいプレッシャー……さすが七武幹、ただの変態じゃない。に、逃げて、逃げたら困るけど、逃げてええええ!!
「……ふーん、七武幹っていっても、大したことないんだね。もう倒しちゃっていいかな?」
マルコおおおおおおお!! カッコいいいいいいい!! どうしたの? 実はすっごい強いの? 期待しちゃうよ?
「……死ねや、マルコ」
『マルコの野郎死んだな……ワルドさまの力を知っているはずなのに、馬鹿な奴だ……』
周囲からは、呆れたような声が聞こえてくる。
『チェンジ!!』
は? マルコさんっ!? 何してんの~避けてえええ!!
迫りくるワルドの拳を避けるでもなく真正面から受け止めるマルコ。
……見事に吹っ飛ぶと、壁に激突して意識を失ってしまった。え? 何がしたかったの……?
「良かった、どうやら無事みたいですね?」
ワルドに話しかけられて我に返る。しまった……たぬき寝入りがばれちゃた……。
「ちょっと待っててくださいね。今片付けますから」
「……へ?」
そう言うやいなや、部屋にいる他の仲間をボッコボコにし始める変態ワルド。
何これ……意味がわからないんですけど……?
困惑を極めるシアンであった。




